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第8話 封印の書庫
しおりを挟む聖堂の崩壊から三日。
街にはまだ焦げた香の匂いが残り、瓦礫の間には祈りの花が供えられていた。
表向きは“宗教院の儀式失敗”として処理されたが、帝都の空気はざわついている。
誰もが“何かが起きた”と知っていた。
私はその夜、宮殿の図書塔でひとり古文書を読んでいた。
机の上に積まれた巻物の束。どれも宗教院が秘匿していた禁書の写本だ。
アレクシスが命懸けで持ち出した“証拠”でもある。
蝋燭の灯が静かに揺れ、ページの文字が波のように踊る。
そこには、こう記されていた。
> 「女神イリュシアは、赦しの神に非ず。彼女は“記憶”の神である」
「……記憶の神?」
思わず声が漏れる。
赦しではなく、記憶――それはつまり、“忘れさせぬ神”。
人の罪も、痛みも、愛も、決して消えないよう刻みつける存在。
“二度死ぬ”とは、“忘れることが許されぬ”という意味なのか。
私はページをめくる指を止めた。
その瞬間、背後の窓が鳴った。
風でもない。足音。
「……殿下、もうお休みになる時間です」
アレクシスだった。
「あなたこそ、怪我は?」
「この通り、かすり傷です」
彼は淡く笑い、机の上の文書を見やった。
「もう、読まれましたか」
「“記憶の神”……この言葉、知っていたのね?」
「はい。封印書庫に記されていました。
宗教院は“赦し”という言葉を使い、女神を“支配の道具”に変えた。
本来、彼女は“記憶”と“再生”の象徴だったのです」
「再生……?」
「はい。
人が過ちを繰り返さぬよう、忘れずに生まれ直す――
それがイリュシアの“二度目の死”の意味だと、記録にはありました」
私は小さく息を呑んだ。
“二度死ぬ”――それは罰ではなく、学びのための輪廻。
アレクシスの案内で、私たちは夜更けの宮殿地下へ向かった。
壁に刻まれた古い紋章、封印術の結界。
そこが“封印の書庫”――帝国成立以前から存在する、宗教院の原典庫だった。
「ここが……」
「ええ。宗教院の枢機卿でさえ立ち入れない場所。
鍵は女神の名を知る者のみが開けられる」
「つまり、私?」
「そのようです」
私は深呼吸し、扉に手をかざした。
「――イリュシア」
低い音とともに、封印が解ける。
光が走り、石の扉がゆっくりと開いた。
そこに広がっていたのは、静寂と埃の匂い。
壁一面に古代文字が刻まれ、中央には祭壇のような台座があった。
上には、黒革の書物。
背表紙には、金色の文字が一行――
> 『二度の死と、一つの赦し』
書を開くと、古い筆跡が走っていた。
> 「第一の死――肉体の終わり。
> 第二の死――心の終わり。
> されど記憶は、神の庭に残る。
> 女神はその庭を耕す者なり。
> 忘れた者は再び罪を繰り返し、
> 忘れぬ者は愛をもって再び生まれる。」
指先が震えた。
“忘れぬ者は愛をもって再び生まれる”――
つまり、私たちは女神に裁かれたのではなく、試されていたのだ。
「アレクシス……」
「はい」
「私たちは、二度死ぬために生まれたのね。
そして、忘れないために生きている」
彼はゆっくりと頷いた。
「それが“罪の赦し”ではなく、“愛の記録”なのだと思います」
そのとき、書庫の奥で何かが光った。
青白い光が壁の紋章を走り、空間がゆらめく。
「……誰か、来ます」
アレクシスが剣を抜く。
だが現れたのは、誰でもない――
白い光の中に立つ、女性の姿。
「イリュシア……」
その唇が動いた。
「愚かな子らよ。記憶を掘り起こすたび、また血が流れる」
「あなたがそれを望んだのでしょう?」
「いいえ。私は記録を残しただけ。
人は、それを“信仰”と呼び、“権力”と変えた」
「じゃあ、私たちの転生も……」
「それも人の願い。
“もしもう一度やり直せるなら”――そう祈った魂の結果」
女神の声は、風のように淡く、それでいて痛かった。
「あなたはまだ赦していない。
自分も、彼も。だから“二度目の死”は終わっていない」
「……どうすればいいの?」
「選びなさい。愛する者を赦すか、愛する者を裁くか」
光が消えた。
扉が音を立てて閉まり、沈黙が戻る。
「赦すか、裁くか……」
私は台座の前で膝をついた。
「アレクシス、あなたならどちらを選ぶ?」
「赦しは、剣より重い。……それでも、私は殿下に裁かれて構わない」
「そんなこと、できない」
私の目から、涙がこぼれた。
「だってあなたを殺したのは私じゃない。
あの日あなたは命令に従っただけ。
そして私も、あなたを憎みきれなかった」
彼の手が、私の頬を包む。
「だからこそ、私の罪は消えない。
けれど――この手であなたを救えるなら、二度でも、三度でも罪を負う」
その言葉に、胸が熱くなる。
私はそっと目を閉じ、彼の手に自分の手を重ねた。
「女神がどう言おうと、私はあなたを選ぶ」
書庫の奥で、青い光が再び揺れた。
まるで、誰かが微笑んでいるように。
地上に戻ると、夜明けの光が差し込んでいた。
遠くで鐘が鳴り、街がゆっくりと目を覚ます。
アレクシスが静かに言う。
「殿下。宗教院は崩壊しつつあります。ヴァルナーの勢力も、もう長くはない」
「……でも、影は残るわ。信仰という名の鎖は切れない」
「では、我々が新しい形を作ればいい」
「新しい形?」
「記憶をもって、祈りに代える。
女神を信じるのではなく、自分の選択を信じる。
殿下がその象徴になればいい」
「……できるかしら」
「あなたなら」
朝の光が彼の髪に降り注ぎ、銀の光が滲んだ。
その瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた気がした。
忘れない。
どんな痛みも、どんな愛も。
それが、女神が私に与えた“二度目の死”の意味なのだ。
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