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5話
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高い天窓から差し込む朝陽が、アルトリアのまぶたを叩いた。
重い身体を引きずるようにして意識を浮上させた彼女が最初に感じたのは、全身の節々の痛みと、肌に残る見知らぬ男の生々しい体温だった。
「……っ」
横を見れば、まだ幼さの残る顔で眠るリリー姫と、彼女を愛おしげに抱くルイス王子。そして反対側には――。
アルトリアの腰を、逃がさぬと言わんばかりに太い腕で抱きとめているジークフリートの姿があった。
断片的な、それでいて鮮烈な色彩を持って脳裏に蘇る昨夜の光景。
(私は……なんてことを……)
夫がある身で、他国の騎士と、しかも主君の初夜の床で。
騎士としての誇りも、これまで守ってきた貞潔も、すべてが昨夜の熱の中に溶けて消えてしまった。絶望に似た自己嫌悪がこみ上げ、アルトリアはジークフリートの腕を振りほどこうと身をよじる。
「……どこへ行くつもりですか、アルトリア」
低く、掠れた声が耳元を震わせた。ジークフリートは既に起きていたのだ。
彼はまだ覚醒しきらぬ瞳で、だが驚くほど執着の籠もった力で彼女を引き戻し、その背中に顔を埋める。
「離せ、ジークフリート。……昨夜のことは、狂っていた。すべては媚薬のせいだ。あれは事故、あるいは……儀式の一環だったと思うことにする」
「事故? あれだけのことをしておいて、その一言で済ませるつもりですか?」
ジークフリートがアルトリアの肩に顎を乗せ、自身が付けた首筋の痕に唇を寄せた。
「俺は、貴女を甲斐性なしの元へ帰すつもりはありません。その身体を抱くのは俺だけだ。貴女の『初めて』をこの身に刻み込んだのは俺だということを、忘れないでほしい」
「黙れ! 私は……私は、侯爵家を離れるわけにはいかないのだ。家同士の契約がある。それに、領民たちのこともある!」
侯爵家の実務は、すべてアルトリアが一人で背負っている。あの放蕩三昧の夫では、民がどうなるか分かったものではない。自分がいなくなれば、領地はまたたく間に荒れ果てるだろう。自分には、彼らを守る責任があるのだ。
「愛のない契約に、何の意味がある。……アルトリア、俺は本気ですよ。昨夜言ったことはすべて本心だ。民を飢えさせるような侯爵なら、いずれ王もすげ替えるだろう。貴女はもっと、自分の幸せを考えるべきだ」
「黙れと言っているんだ! 一度飢えてしまった土地を開拓し直すのに、どれほどの犠牲が伴うと思っている! 民が死んでからでは遅いんだ!」
アルトリアの必死の叫びが、静かな寝室に響き渡る。その時、重厚な扉が控えめにノックされた。
ルイス王子の従者の声だ。
「ルイス殿下、リリー様。そしてアルトリア様。お目覚めでしょうか。……侯爵閣下が、奥方様をお迎えに参っております」
アルトリアは息を呑んだ。夫が自ら迎えに来るなど、予想だにしていなかった。
四六時中、愛人と睦み合っているような男だ。邸から一歩でも外に出ることすら珍しいというのに。
「んん……もう朝? アルトリア、おはよう。……あら、ジークフリート様、まだアルトリアを離してあげないの? 独占欲が強いのね」
目を覚ましたリリーが、ふわりとあくびをしながら、まるで昨日の夕食の話でもするかのように無邪気に笑う。だが、その瞳にはすべてを見透かしたような鋭い光があった。
「いいじゃない、アルトリア。あの豚のような旦那様のところへ帰る必要なんてないわ。……ねえ、ルイス様? アルトリアはもう、ジークフリートの『戦利品』よね?」
「はは、リリー。僕の国ではそういう扱いになるね。国際問題になりかねないが……まあ、ジークフリートがそれほどまでに欲しがるのなら、隣国への『贈り物』として交渉の余地はあるな」
王族たちの不穏な会話に、アルトリアは戦慄する。
だが、何より彼女を追い詰めたのは、隣で自分を見つめるジークフリートの視線だった。
そこには騎士としての忠誠心ではなく、一人の女を力ずくで奪い去ろうとする、剥き出しの征服欲が宿っていた。
「覚悟を決めて諦めてくださいアルトリア。……貴女の日常は、昨夜で終わったんですよ」
ジークフリートの手が、再びアルトリアの震える肌を這う。
迎えに来た夫の足音が、廊下に虚しく響いていた。
重い身体を引きずるようにして意識を浮上させた彼女が最初に感じたのは、全身の節々の痛みと、肌に残る見知らぬ男の生々しい体温だった。
「……っ」
横を見れば、まだ幼さの残る顔で眠るリリー姫と、彼女を愛おしげに抱くルイス王子。そして反対側には――。
アルトリアの腰を、逃がさぬと言わんばかりに太い腕で抱きとめているジークフリートの姿があった。
断片的な、それでいて鮮烈な色彩を持って脳裏に蘇る昨夜の光景。
(私は……なんてことを……)
夫がある身で、他国の騎士と、しかも主君の初夜の床で。
騎士としての誇りも、これまで守ってきた貞潔も、すべてが昨夜の熱の中に溶けて消えてしまった。絶望に似た自己嫌悪がこみ上げ、アルトリアはジークフリートの腕を振りほどこうと身をよじる。
「……どこへ行くつもりですか、アルトリア」
低く、掠れた声が耳元を震わせた。ジークフリートは既に起きていたのだ。
彼はまだ覚醒しきらぬ瞳で、だが驚くほど執着の籠もった力で彼女を引き戻し、その背中に顔を埋める。
「離せ、ジークフリート。……昨夜のことは、狂っていた。すべては媚薬のせいだ。あれは事故、あるいは……儀式の一環だったと思うことにする」
「事故? あれだけのことをしておいて、その一言で済ませるつもりですか?」
ジークフリートがアルトリアの肩に顎を乗せ、自身が付けた首筋の痕に唇を寄せた。
「俺は、貴女を甲斐性なしの元へ帰すつもりはありません。その身体を抱くのは俺だけだ。貴女の『初めて』をこの身に刻み込んだのは俺だということを、忘れないでほしい」
「黙れ! 私は……私は、侯爵家を離れるわけにはいかないのだ。家同士の契約がある。それに、領民たちのこともある!」
侯爵家の実務は、すべてアルトリアが一人で背負っている。あの放蕩三昧の夫では、民がどうなるか分かったものではない。自分がいなくなれば、領地はまたたく間に荒れ果てるだろう。自分には、彼らを守る責任があるのだ。
「愛のない契約に、何の意味がある。……アルトリア、俺は本気ですよ。昨夜言ったことはすべて本心だ。民を飢えさせるような侯爵なら、いずれ王もすげ替えるだろう。貴女はもっと、自分の幸せを考えるべきだ」
「黙れと言っているんだ! 一度飢えてしまった土地を開拓し直すのに、どれほどの犠牲が伴うと思っている! 民が死んでからでは遅いんだ!」
アルトリアの必死の叫びが、静かな寝室に響き渡る。その時、重厚な扉が控えめにノックされた。
ルイス王子の従者の声だ。
「ルイス殿下、リリー様。そしてアルトリア様。お目覚めでしょうか。……侯爵閣下が、奥方様をお迎えに参っております」
アルトリアは息を呑んだ。夫が自ら迎えに来るなど、予想だにしていなかった。
四六時中、愛人と睦み合っているような男だ。邸から一歩でも外に出ることすら珍しいというのに。
「んん……もう朝? アルトリア、おはよう。……あら、ジークフリート様、まだアルトリアを離してあげないの? 独占欲が強いのね」
目を覚ましたリリーが、ふわりとあくびをしながら、まるで昨日の夕食の話でもするかのように無邪気に笑う。だが、その瞳にはすべてを見透かしたような鋭い光があった。
「いいじゃない、アルトリア。あの豚のような旦那様のところへ帰る必要なんてないわ。……ねえ、ルイス様? アルトリアはもう、ジークフリートの『戦利品』よね?」
「はは、リリー。僕の国ではそういう扱いになるね。国際問題になりかねないが……まあ、ジークフリートがそれほどまでに欲しがるのなら、隣国への『贈り物』として交渉の余地はあるな」
王族たちの不穏な会話に、アルトリアは戦慄する。
だが、何より彼女を追い詰めたのは、隣で自分を見つめるジークフリートの視線だった。
そこには騎士としての忠誠心ではなく、一人の女を力ずくで奪い去ろうとする、剥き出しの征服欲が宿っていた。
「覚悟を決めて諦めてくださいアルトリア。……貴女の日常は、昨夜で終わったんですよ」
ジークフリートの手が、再びアルトリアの震える肌を這う。
迎えに来た夫の足音が、廊下に虚しく響いていた。
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