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4、あんたに微笑みかけられて良い気分にならない男はいない
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それからの道中、サイオンはメリアデューテに庶民の生活や常識、金の使いかたを教えた。
ついでに露店での買い食いや市場での値切りかたなど、彼女の教育係が知ったら卒倒するような“悪い遊び”も少々、教えてやった。
元が聡明なのだろう。メリアデューテは世間知らずではあるものの、教えたことへの呑み込みは早かった。
サイオンが選ぶ「一般庶民と同じ、気楽だが貴族への忖度もない移動ルート」にも数日の間にずいぶん慣れ、辻馬車や徒歩での移動にも文句も言わず――いや、むしろ楽しんでいる節すらある。
金貨の価値も正確に理解して、大きな町に立ち寄った際に両替してきちんと銀貨や銅貨も持ち歩くようになった。
――そして現在。
サイオンはひとりで町中のベンチに座っていた。
膝の上で頬杖をつき前方を見ていると、その先に連なる屋台街の賑わいの中にメリアデューテの赤髪がちらちらと確認できる。
やがてメリアデューテは両手に紙袋を抱えてこちらへ帰ってきた。
ロングスカートの裾をひるがえし、ほくほくの笑顔でサイオンの隣に腰かける。その何気ない動作のひとつひとつが絵画みたいに洗練されていて、雑多の中でも人目を惹く。
サイオンは、先ほどから吸い寄せられるようにこちらを見ている通行人たちの視線を、しっしと手で追い払った。
「ずいぶん買い込んだな」
「だって、どれも美味しそうだから迷ってしまって」
「買い食い」という罪深い遊びを覚えたこの令嬢は、すっかり庶民の味がお気に召したようだ。
行く先々でその町の名物やら二束三文のジャンクフードを買い込んでは、宿に持ち帰って夜にこっそり食べているのをサイオンは知っている。
貴族の令嬢は常日頃より、窮屈なドレスを着るために体形から食べるものまで厳しく管理される。いくら監視の目がないとはいえ、さすがに羽目を外しすぎではないかと思うのだが――。
サイオンは彼女の実家であるウィットフォード侯爵家に対してほんのわずかな罪悪感を抱いた。
「別荘に着いたころにドレスが入らなくなっていても知らないからな」
サイオンの忠告もどこ吹く風で、メリアデューテは袋の中の戦利品を取り出しては得意げに披露してみせる。
その中身は色とりどりのキャンディに、香草で包まれた仔羊肉の燻製に、砂糖のまぶされたスティック型の揚げ菓子たち。
「あのお店のご主人、たくさんおまけしてくださいました」
「だろうな。あんたに微笑みかけられて良い気分にならない男はいない」
「ふふふ。サイオンも?」
「まあな」
どうやらこの女は、貨幣の価値は覚えても自分自身の女としての価値はわかっていないらしい。黙っていても美しい女なのに、いつでも誰にでも品良く笑顔で接するから、道中で勘違いする男が後を絶たない。
メリアデューテに集ろうとする良からぬ虫を牽制して追い払うのが、サイオンのこの旅での大きな役目になっていた。
「サイオンにもひとつ差し上げるわ。この町の名物なんですって」
メリアデューテは満面の笑みで湯気の出ている紙包みの蒸しパンをひとつ、サイオンに差し出した。そしてもうひとつ手元にある自分の分に、大口を開けてがぶりと勢い良くかぶりつく。
前の町で、露店で買った丸のままのリンゴをちみちみと小鳥のように食べようとする彼女に、サイオンが「こうやって食べた方が美味い」と教えたやりかただった。
――ところが。
「あつぅ!」
案の定、というかサイオンの予想通り、メリアデューテは熱さで跳び上がった。
はずみでぽろりと彼女の手の中から零れた蒸しパンを、サイオンは華麗にキャッチして紙袋に押し込む。そのまま涙目で咳込むメリアデューテの顎をぐい、と掴んでこちらへ向けた。
「ザカリア地方の蒸しパンつったら、中に煮えたぎるくらい熱いベリーのソースが入ってるもんなんだよ。それをそのまんまかぶりつくから――」
口の中を火傷していないか診てやろうと視線を落として、サイオンの動きがふっと止まった。
こちらを見上げる潤んだ翠緑の瞳。半開きになった小さな口。白く華奢な顎。男の庇護欲をそそる、従順すぎるその態度。
黒髪の先が触れるくらいの至近距離で覗き込んだメリアデューテのすべてが、サイオンの心を奪った。
もしも今、この口を塞いで舌をねじ込んだら。
思うままに蹂躙して、漏れ出る吐息を聴いたなら。
加虐的な思考が頭をもたげ、男の本能がどくん、と粟立つ。
「……サイオン……?」
困惑気味に名を呼ばれてはっとする。顎を掴んでいた手をあわてて離して、サイオンはその場に立ち上がった。
「あー……。水でも飲めば治るだろ。そこの露店にある果実水、買ってきてやる」
ぐしゃぐしゃと頭をかき、胸に湧いた邪な欲望を握りつぶした。
ついでに露店での買い食いや市場での値切りかたなど、彼女の教育係が知ったら卒倒するような“悪い遊び”も少々、教えてやった。
元が聡明なのだろう。メリアデューテは世間知らずではあるものの、教えたことへの呑み込みは早かった。
サイオンが選ぶ「一般庶民と同じ、気楽だが貴族への忖度もない移動ルート」にも数日の間にずいぶん慣れ、辻馬車や徒歩での移動にも文句も言わず――いや、むしろ楽しんでいる節すらある。
金貨の価値も正確に理解して、大きな町に立ち寄った際に両替してきちんと銀貨や銅貨も持ち歩くようになった。
――そして現在。
サイオンはひとりで町中のベンチに座っていた。
膝の上で頬杖をつき前方を見ていると、その先に連なる屋台街の賑わいの中にメリアデューテの赤髪がちらちらと確認できる。
やがてメリアデューテは両手に紙袋を抱えてこちらへ帰ってきた。
ロングスカートの裾をひるがえし、ほくほくの笑顔でサイオンの隣に腰かける。その何気ない動作のひとつひとつが絵画みたいに洗練されていて、雑多の中でも人目を惹く。
サイオンは、先ほどから吸い寄せられるようにこちらを見ている通行人たちの視線を、しっしと手で追い払った。
「ずいぶん買い込んだな」
「だって、どれも美味しそうだから迷ってしまって」
「買い食い」という罪深い遊びを覚えたこの令嬢は、すっかり庶民の味がお気に召したようだ。
行く先々でその町の名物やら二束三文のジャンクフードを買い込んでは、宿に持ち帰って夜にこっそり食べているのをサイオンは知っている。
貴族の令嬢は常日頃より、窮屈なドレスを着るために体形から食べるものまで厳しく管理される。いくら監視の目がないとはいえ、さすがに羽目を外しすぎではないかと思うのだが――。
サイオンは彼女の実家であるウィットフォード侯爵家に対してほんのわずかな罪悪感を抱いた。
「別荘に着いたころにドレスが入らなくなっていても知らないからな」
サイオンの忠告もどこ吹く風で、メリアデューテは袋の中の戦利品を取り出しては得意げに披露してみせる。
その中身は色とりどりのキャンディに、香草で包まれた仔羊肉の燻製に、砂糖のまぶされたスティック型の揚げ菓子たち。
「あのお店のご主人、たくさんおまけしてくださいました」
「だろうな。あんたに微笑みかけられて良い気分にならない男はいない」
「ふふふ。サイオンも?」
「まあな」
どうやらこの女は、貨幣の価値は覚えても自分自身の女としての価値はわかっていないらしい。黙っていても美しい女なのに、いつでも誰にでも品良く笑顔で接するから、道中で勘違いする男が後を絶たない。
メリアデューテに集ろうとする良からぬ虫を牽制して追い払うのが、サイオンのこの旅での大きな役目になっていた。
「サイオンにもひとつ差し上げるわ。この町の名物なんですって」
メリアデューテは満面の笑みで湯気の出ている紙包みの蒸しパンをひとつ、サイオンに差し出した。そしてもうひとつ手元にある自分の分に、大口を開けてがぶりと勢い良くかぶりつく。
前の町で、露店で買った丸のままのリンゴをちみちみと小鳥のように食べようとする彼女に、サイオンが「こうやって食べた方が美味い」と教えたやりかただった。
――ところが。
「あつぅ!」
案の定、というかサイオンの予想通り、メリアデューテは熱さで跳び上がった。
はずみでぽろりと彼女の手の中から零れた蒸しパンを、サイオンは華麗にキャッチして紙袋に押し込む。そのまま涙目で咳込むメリアデューテの顎をぐい、と掴んでこちらへ向けた。
「ザカリア地方の蒸しパンつったら、中に煮えたぎるくらい熱いベリーのソースが入ってるもんなんだよ。それをそのまんまかぶりつくから――」
口の中を火傷していないか診てやろうと視線を落として、サイオンの動きがふっと止まった。
こちらを見上げる潤んだ翠緑の瞳。半開きになった小さな口。白く華奢な顎。男の庇護欲をそそる、従順すぎるその態度。
黒髪の先が触れるくらいの至近距離で覗き込んだメリアデューテのすべてが、サイオンの心を奪った。
もしも今、この口を塞いで舌をねじ込んだら。
思うままに蹂躙して、漏れ出る吐息を聴いたなら。
加虐的な思考が頭をもたげ、男の本能がどくん、と粟立つ。
「……サイオン……?」
困惑気味に名を呼ばれてはっとする。顎を掴んでいた手をあわてて離して、サイオンはその場に立ち上がった。
「あー……。水でも飲めば治るだろ。そこの露店にある果実水、買ってきてやる」
ぐしゃぐしゃと頭をかき、胸に湧いた邪な欲望を握りつぶした。
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