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3、わたくしが考えなしでした
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日が傾きかけたころ目的の町に着き、行商は一番大きな通りの真ん中で馬車を止めた。
サイオンは当初の約束の金額より少し多い駄賃を彼に渡し、世間話がてら周辺の宿や治安などの情報を聞き出していた。
ふと後ろを振り返ると、まだ荷台にいるメリアデューテの周りに、くたびれた服装の子供がわらわらと集まってきている。物乞いの子供だちだった。
その中で一番幼く、垢や鼻水でがびがびになった小汚い子供の顔を、メリアデューテは真っ白なハンカチで拭いてやっている。
「まあ、この花をわたくしにくださるの?」
子供たちから萎れかけた野草の花束や、どこかで拾ったらしき片方だけのボロ靴をぐいぐいと押し付けられて、メリアデューテはそれらをすべて受け取ってしまう。
これはいわゆる押し売りで、物乞いの常套手段である。何も受け取らずに追い払うのが普通だが、施しとして小銭を渡す貴族もまれにいる。
さて、侯爵令嬢のメリアデューテはどう対応するのか。
サイオンが黙って見ていると、案の定子供たちは「だいきん、おかね」と手のひらを差し出して金の無心を始めた。すると彼女は言われるまま、ウエストベルトのポーチから幾ばくかの金を取り出し、子供たちに渡す。
――それは西日に輝く数枚の金貨。
「はい。どうぞ」
ぴかぴかの金貨を受け取った子供たちは、しばらくぽかんと固まっていた。
それもそのはず、金貨を見たことがないのだ。この町では、金貨一枚の価値は大人が日雇いで働いて得る給金よりも遥かに高い。
「こんのバカ!」
さすがに見ていられず、サイオンはあわてて荷台に飛び乗った。
子供たちの手から金貨を取り上げて、代わりに銅貨を何枚か握らせる。ようやく彼らにとって価値のある――見たことのある「おかね」が手に入って、子供たちはほくほく顔で散っていった。
「あんた、自分が何をしたかわかっているのか!?」
回収した金貨を投げつけるように返されて、メリアデューテはびく、と身体を強張らせた。
「わたくし、お金を……。お花の代金を払おうと思って……」
「物乞いの、しかも子供に金貨を渡すやつがどこにいる!」
「でも、とても汚れて痩せていたから、お金が必要だと……」
「あいつらがあのまま金貨を受け取ってここを立ち去っていたら、裏路地に入った瞬間に他の大人に盗られただろうな。あるいは殺されていたかもしれない」
あえて抑えたトーンで告げる。これは脅しでも誇張でもなんでもなく、事実だ。
メリアデューテはようやく自分のしたことの重大さに気が付いたのか、ハッと目を見開いた。
「仮に無事だったとして、この規模の町には金貨を扱える店がない。金額が大きすぎて釣銭が出せないからだ。生活で使えない貨幣など持っていても意味がない。過ぎた財は身を滅ぼす」
「……ごめんなさい。わたくしが考えなしでした……。あの子たちのためだという傲慢な気持ちで、取り返しのつかない過ちを犯すところでした」
涙は見せない。反論もしない。ただ素直に叱責を受け入れて、メリアデューテは静かに顔を伏せた。
びーびー、あるいはしくしくと泣かれることを覚悟していたサイオンはその様に毒気を抜かれてしまう。
「どうせ、この旅に出るまで自分で金を出して物を買ったことなんてないんだろう」
「はい」
「……ったく……」
泣いた女の慰めかたなら心得ているが、こうやって殊勝な態度で来られるとどう接したらいいかがわからなくなる。
サイオンは反応に困ってわしゃわしゃと自身の黒髪を掻いた。
「恵んでやるとか施しだとか、そんな驕った気持ちからじゃなくただの善意だったってのはわかってる。だってあんたは、町のやつらが誰も触りたがらないような汚れた子供の顔を拭いてやってたじゃないか」
サイオンは荷台からメリアデューテのトランクを下ろして、ついでに「ほらよ」と彼女に多めの銅貨を渡した。
「まず、宿を取る。そこそこのランクの宿なら必ず荷運びがいる。さっきみたいな小銭稼ぎの子供が引き受けている場合もあるから、そいつが荷を部屋まで運んでくれたら、その銅貨を渡せ。一枚か二枚でいい。あとは……そうだな。これからの道中で教えてやる」
「サイオン……! ありがとう」
うつむいていたかんばせが持ち上がって、花が綻ぶように笑う。
さっきまでの「深入りしない」という己への戒めはどこへやら、サイオンは柄にもなく「ま、たまにはおせっかいもいいか」と思い始めていた。
サイオンは当初の約束の金額より少し多い駄賃を彼に渡し、世間話がてら周辺の宿や治安などの情報を聞き出していた。
ふと後ろを振り返ると、まだ荷台にいるメリアデューテの周りに、くたびれた服装の子供がわらわらと集まってきている。物乞いの子供だちだった。
その中で一番幼く、垢や鼻水でがびがびになった小汚い子供の顔を、メリアデューテは真っ白なハンカチで拭いてやっている。
「まあ、この花をわたくしにくださるの?」
子供たちから萎れかけた野草の花束や、どこかで拾ったらしき片方だけのボロ靴をぐいぐいと押し付けられて、メリアデューテはそれらをすべて受け取ってしまう。
これはいわゆる押し売りで、物乞いの常套手段である。何も受け取らずに追い払うのが普通だが、施しとして小銭を渡す貴族もまれにいる。
さて、侯爵令嬢のメリアデューテはどう対応するのか。
サイオンが黙って見ていると、案の定子供たちは「だいきん、おかね」と手のひらを差し出して金の無心を始めた。すると彼女は言われるまま、ウエストベルトのポーチから幾ばくかの金を取り出し、子供たちに渡す。
――それは西日に輝く数枚の金貨。
「はい。どうぞ」
ぴかぴかの金貨を受け取った子供たちは、しばらくぽかんと固まっていた。
それもそのはず、金貨を見たことがないのだ。この町では、金貨一枚の価値は大人が日雇いで働いて得る給金よりも遥かに高い。
「こんのバカ!」
さすがに見ていられず、サイオンはあわてて荷台に飛び乗った。
子供たちの手から金貨を取り上げて、代わりに銅貨を何枚か握らせる。ようやく彼らにとって価値のある――見たことのある「おかね」が手に入って、子供たちはほくほく顔で散っていった。
「あんた、自分が何をしたかわかっているのか!?」
回収した金貨を投げつけるように返されて、メリアデューテはびく、と身体を強張らせた。
「わたくし、お金を……。お花の代金を払おうと思って……」
「物乞いの、しかも子供に金貨を渡すやつがどこにいる!」
「でも、とても汚れて痩せていたから、お金が必要だと……」
「あいつらがあのまま金貨を受け取ってここを立ち去っていたら、裏路地に入った瞬間に他の大人に盗られただろうな。あるいは殺されていたかもしれない」
あえて抑えたトーンで告げる。これは脅しでも誇張でもなんでもなく、事実だ。
メリアデューテはようやく自分のしたことの重大さに気が付いたのか、ハッと目を見開いた。
「仮に無事だったとして、この規模の町には金貨を扱える店がない。金額が大きすぎて釣銭が出せないからだ。生活で使えない貨幣など持っていても意味がない。過ぎた財は身を滅ぼす」
「……ごめんなさい。わたくしが考えなしでした……。あの子たちのためだという傲慢な気持ちで、取り返しのつかない過ちを犯すところでした」
涙は見せない。反論もしない。ただ素直に叱責を受け入れて、メリアデューテは静かに顔を伏せた。
びーびー、あるいはしくしくと泣かれることを覚悟していたサイオンはその様に毒気を抜かれてしまう。
「どうせ、この旅に出るまで自分で金を出して物を買ったことなんてないんだろう」
「はい」
「……ったく……」
泣いた女の慰めかたなら心得ているが、こうやって殊勝な態度で来られるとどう接したらいいかがわからなくなる。
サイオンは反応に困ってわしゃわしゃと自身の黒髪を掻いた。
「恵んでやるとか施しだとか、そんな驕った気持ちからじゃなくただの善意だったってのはわかってる。だってあんたは、町のやつらが誰も触りたがらないような汚れた子供の顔を拭いてやってたじゃないか」
サイオンは荷台からメリアデューテのトランクを下ろして、ついでに「ほらよ」と彼女に多めの銅貨を渡した。
「まず、宿を取る。そこそこのランクの宿なら必ず荷運びがいる。さっきみたいな小銭稼ぎの子供が引き受けている場合もあるから、そいつが荷を部屋まで運んでくれたら、その銅貨を渡せ。一枚か二枚でいい。あとは……そうだな。これからの道中で教えてやる」
「サイオン……! ありがとう」
うつむいていたかんばせが持ち上がって、花が綻ぶように笑う。
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