夢のかけら【完結】

しょこら

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9.夢のかけら

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 幼いころからずっと、楽園がルーリアの居場所だった。
「お前がこんなところで何をしているの?」
「お前がいるから魔物が寄ってくるのよ。なんて疫病神なの」
 毎日のように投げつけられる、姉や妹たちからの蔑みの言葉。
 ルーリアやイサークが王家の身分を名乗ることもおこがましいと思っている姉妹たち。
「王宮に置かせてもらえているだけでもありがたいと思いなさい」
「銀のルティナだか何だか知らないけれど、役に立たなきゃ追い出されるのよ」
「お前たちの居場所なんて最初からここにはないわ」
 彼女たちの言葉から、視線から、いつも逃げてしまう。
 楽園なら、彼女たちは入ってこないから。
 魔法大国エレアザールにおいて、ルーリアやイサークの魔力は抜きん出ている。これは父である国王譲りとも言える。
 魔力の弱い兄弟姉妹たちは楽園には好んでくることはなかった。
 だから、いつしかルーリアは無意識に楽園を逃げ場所に選んでいたのかもしれない。
 ここはとても静かで穏やかだから。
 『太陽のカケラ』がいる場所だから。
 物思いに沈んでいるルーリアの耳に、声が届いた。
 顔を上げて、辺りを見渡す。
 悲鳴のような呼び声が自分を呼んだような気がしたのだ。
 気がつくと、楽園は何故か息を潜めたように静まり返っていた。さっきまで楽しそうにさえずっていた鳥たちの声も聞こえてこない。冷たく重苦しい空気。
 予感がして、ルーリアは身を翻した。
 向かったのは六芒星。
 おそらくルーリアを呼んだのはアル・アズのはず。
 ルーリアの胸に不安が過ぎる。
 何かが起こっている。
 自分に、否、自分だけでなくすべてに降りかかってくる大きなものが、蠢いているのをルーリアは感じていた。
 自然と足早になっていく。
 六芒星の輝きの向こう側へと飛び込んだルーリアの目に入ってきたのは、胸を押さえ、倒れ付すアル・アズの姿だった。
「アル・アズ!」
 発作だと瞬時に悟った。
「……っう……くっ」
 額に脂汗を浮かべて、体中を走る激痛にアル・アズは懸命に耐えていた。カーザの強大すぎる力が、こうしてカーザ自身をも蝕む。
 命すら危うくするのだ。
 ほとばしる力の渦が行き場を探して荒れ狂っている。
「アル……っ」
 求める手と差し伸べる手とが引き合うように繋がれる。握り締めてくる手の強さが、激痛のほどを思わせる。
 ルーリアはぎゅっとアル・アズの体を抱きしめた。
「大丈夫……もう大丈夫よ」
 言葉と共に、口付けを、額に、つないだ手に、落としていく。
「……負けないで」
 そして、ささやきながら、口唇へと。
 銀のルティナの癒しの力が、アル・アズへと送られていく。
 ルーリアは胸の痛みを覚えながら、口唇に宿る温もりを感じていた。
 目を伏せて、浮かんでくるのは一週間前にイサークが連れてきた新しい銀のルティナの少女・イリーナの姿だ。
 明るく朗らかで、とても素直な少女。
 まっすぐにアル・アズを見つめて、近付いていく少女。
 自分とはまるで正反対で、それがとても羨ましく思えた。どうしてあんな風に恐れることなく、彼に近付けるのだろう。
 自分はあの深い緑の瞳に見つめられるだけで、体が恐怖に締め付けられてしまうというのに。幼いころは、もっと素直に、そう、イリーナと同じように、屈託ない笑顔で彼に会いに行っていたはずなのに……。
 いつから彼が怖いと思うようになってしまったのだろう。
 いつから、あの笑顔を見ると、胸が苦しくなっていったのだろう。
 問いかけるようなまなざしが、とてつもなく恐ろしくて、苦しくて、いつも逃げ出してしまいたくなる。
 いや、もう、ずっと逃げつづけてきたように思える。
 彼の手を取ることをためらってしまう。
 アル・アズの呼吸もようやく落ち着きを見せ始め、ルーリアはほっと力を抜いた。
 柔らかな銀の光が緩やかに薄れて消えていく。身を離そうとした瞬間、思いもかけず強い力で引き寄せられた。
「このまま……そばにいてくれ」
 激しい痛みにかすれた声が嘆願する。
 その腕を振りほどくことも出来なくて、ルーリアはアル・アズの体を支えるようにして、そっと手を添えた。
 こうして苦しんでいるアル・アズの姿を見てしまえば、ためらうことなく手を差し伸べてしまうくせに……。
 ルーリアは再びぎゅっとアル・アズを抱きしめた。少しでも痛みが引くように。ほんの少しでも良いから、この苦しみが和らぐように。
 この力が役に立つというのなら、いくらでも与えてもかまわないとさえ思う。
 この気持ちはいったい何なのだろう?
 とても穏やかに、溢れるように湧き上がってくるこの思いは……。
 まるで光に包まれているような錯覚さえする。アル・アズを前にして、こんなにも心穏やかになったのは初めてのような気がした。
 彼を守りたいと強く願った。
 柔らかに微笑む彼を、失いたくないのだと自覚した。
「ルーリア」
 小さく、声が聞こえた。
 アル・アズが呼んだのだ。消え入りそうな声で、苦しみの中で、助けを求めている。
 ズキンと胸が痛んだ。
 この声を無視することは、もうできなかった。


 光の壁を抜けて、誰かがあわただしく六芒星の中へ飛び込んできた。
「遅くなりまして」
 オルガとシーナが張り詰めた表情で駆け寄ってきた。
 ルーリアはアル・アズを抱きしめたまま、彼女たちに微笑みかける。
「もう大丈夫よ。落ち着いているわ」
 ほっとシーナが安堵の表情を見せる。そのあからさまな変化に、シーナ自身が赤面して俯いた。
「申し訳ありません」
 ルーリアは静かに首を振る。
 誰が責められるだろう。
 銀のルティナも命がけなのだ。
 ましてや、先ほどあれほど恐怖に怯え、取り乱していた後に、ここへ来る勇気を出すのはどれほどのものだっただろう。
「先ほどは……申し訳ありませんでした」
 自らの行為を恥じて、シーナは頭を下げる。
 ルーリアはまっすぐにシーナを見上げた。
「わたくしはあなたを尊敬します」
 逃げてばかりではいけない。 
 勇気を。
 小さな光がルーリアの心に灯った。
「ルーリア様、イリーナはまだ……?」
「ええ」
 どこに行ってしまったのかしら、とオルガがつぶやく。
「……来る!」
 ふいに、張り詰めた言葉と共に、アル・アズが身を起こす。まだ、血の気も引いて真っ白な顔色をしながらも、厳しい視線を遥か虚空に向けた。
 ルーリアにもその異変は分かった。
 荒れ狂う嵐が、もうすぐ訪れるのだ。
 そして。
 彼女は、闇と共にやってきた。


「アル・アズさま!」
 大きな力がまるで爆発したかのようだった。光の壁を突き破ってくるもの。
 闇が、すべてを凝らせる闇が、降る。
 たくさんの羽音はハーラの大群。螺旋を描いて、闇が急速に広がっていった。
 闇の中心に人影が見える。
 長い黒髪は風に煽られ、触手のように蠢いて見えた。小柄で細いシルエットは少女のもの。見覚えある若草色のローブに、オルガは目を見張った。
「……イリーナ?」
 目の前に見えている光景が信じられないように、オルガはつぶやく。
「……なぜ?」
 おそらくその場にいた誰もが、同じように感じていたはずだった。
 シーナが引きつった悲鳴をあげる。だがそれは喉に詰まって音にはならなかった。
 禍禍しいほどの闇の色。
 今までに感じたことのない強大な力がイリーナを中心にして渦巻いている。
 つややかに輝いていたはずの銀の髪までも闇色に染めて、溢れてとまらぬ涙はまるでイリーナの両腕を凝らせた水晶のようだった。
 変わり果てた姿に誰もが息を飲む。
「イリーナ、どうして……?」
 オルガは呆然とつぶやく。イリーナの両腕から目を離せない。
 イリーナは固く凍りついた両腕を伸ばし、助けを求めているように見えた。
「……どうして?あなたまで石化してしまうなんて」
 憔悴しきったイリーナの表情をオルガはまともに見ることが出来なかった。
「魔王」
 ゆらりと、体をふらつかせながらも、アル・アズは憎しみを込めてつぶやく。
 その言葉に、ルーリアたちは信じられないとばかりにイリーナを見た。
「イリーナが、魔王?」
「いいえ、魔王がイリーナに憑いているのでしょう」
 オルガのつぶやきを聞き取り、ルーリアはじっとイリーナを見つめながら正した。
 アル・アズは無言で頷く。
「そんな……どうしてっ」
 イリーナの変わり果てた姿が痛々しいほどだった。オルガはどうしても信じられなかった。何故だか分からないけれど、イリーナだけは闇に染まらず、光の中で生きていける人だと思っていたからだ。
 素直な明るさが好ましいとさえ思っていたのに。
「嘘でしょう……イリーナ」
 オルガの呼びかけに答えることもなく、イリーナはただ一人を見ていた。
「アル・アズさまぁ……アル・アズさまぁぁっ!!」
 凝った両手がたどたどしく伸ばされる。
 固く凍り付いたかのようにぎくしゃくとした指の動き。
 ただ一人、アル・アズだけを求めて伸ばされる手を、オルガたちは呆然と見ていた。
 イリーナの感情に呼応して、旋回していたハーラたちが一斉にアル・アズに向けて飛び掛ってきた。
 炎が走ったかと思うと、今まさに襲い掛からんとしていたハーラたちが一瞬にして炎に包まれた。
 断末魔の声をあげてハーラたちが落ちてくる。
 びくりとイリーナの動きが止まった。
「イリーナ」
 ゆっくりと振り返るその先に、イサークが立っていた。
 じっと、イサークとイリーナはお互いを見つめた。変わり果てたイリーナの姿に目をそらすことなく、イサークは真摯に見つめつづける。
「イリーナ……戻っておいで」
 ふるふると首を横に振って、イリーナは差し伸べられた手を払いのける。
 ピシリと音を立てて、イリーナの腕が水晶に覆われた。
「……好き……好きなの、アル・アズさまが……止められないっ」
 闇の力がイリーナを覆うように広がる。
 小さくうめき声をあげてイリーナは自らの腕を抱く。
 石化が両腕まで進んでいる。
「ああ…」
 クルシイ。タスケテ。
 この苦しみから解放して。
 イリーナはイサークから逃げるように身を翻し、アル・アズの元に舞い降りる。
 憎しみさえ込めて、銀のルティナたち三人を睨みつけた。闇の波動が膨れ上がった。その感情のままに、イリーナは力任せに弾き飛ばした。
「きゃぁぁぁっ」
 激しい力にオルガたちは弾き飛ばされた。
 もんどりうって倒れ付す三人に目もくれず、イリーナはアル・アズの前に立つ。
 魔王の闇の力を自在に操っているイリーナをアル・アズは悲し気に見返した。
「イリーナ……」
 温かい微笑みが好きだった。
 いつもいつも優しく笑ってくれた。
 見返りを期待したことなんてなかったはずなのに。
 ただ会いたかっただけなのに。
 どうして欲張ってしまったのか。
「愛しています……アル・アズさま」
 苦渋に満ちたアル・アズの頬を引き寄せ、イリーナは口唇を寄せる。
 唇が触れる寸前、悲鳴のような声がイリーナを制止した。
「やめて、イリーナ!」
 ビクッとイリーナの動きが止まる。アル・アズも動かない。
 ゆっくりとイリーナは声の下方向を睨みつける。
 誰が叫んだのか、分かっていた。
 イリーナの冷たい一瞥がルーリアを刺す。
 とっさに口をついて叫んだのだろう。ルーリアは、はっと我に返った。
 無意識のことだったのだろう。
 アル・アズに触れることすら許さない、と。
「あなたなんて、大嫌い」
 イリーナの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「……キスもさせてくれないのね」
「イリーナ、僕は……―――」
 アル・アズの言葉を遮って、イリーナは微笑む。
「―――さよなら」
 トンと押し出し、イリーナはアル・アズから身を離す。
 瞬間、胸の水晶を中心にイリーナの体が一気に石化した。
 命さえ凍らせていく、その冷たい音が無情に鳴り響く。
「イリーナっ!!」
 はじかれたようにイサークが、イリーナに駆け寄った。
 硬直した体を抱き寄せて、思いっきり抱きしめる。
「イリーナ、だめだっ!」
 石化していく水晶がイサークの腕をも傷つけて、流れる血で赤く染まっていく。
 痛みを感じないわけではない。
 それよりも何よりも心が、引き裂かれるように痛かった。
 こんな結末を誰も望んではいない。イリーナの望みを叶えてあげることは出来ない。
 それでも。
「イリーナ!!」
 失いたくないと、叫んでいた。


 アル・アズは拳を握り締めた。
 振り返って、床にたたきつけられたルーリアを支え起こす。
「ルーリア、お願いだ……」
 静かな声だった。
 だが怒りに満ちた声だった。
 ルーリアに対するものではなく、アル・アズ自身への怒りの声だった。
「……、応えてくれ!!」
 そうアル・アズは手を差し出した。
 ルーリアは差し出された手を見、そしてアル・アズを見た。怖いくらい真摯な瞳がまっすぐに自分に向けられている。彼が何を望んでいるのか分かる。
 ずっと怖がっていた。
 この瞳に見つめられることを。
 この手を取ることを。
 もうずっと前に、出来たはずなのに、自信がなくて出来なかった。
 心の底では嬉しかったのに、逃げていた。
 そう、逃げていたから。
 自分の気持ちにも蓋をしていたのだ。
「僕はセシルを助けることが出来なかった。もう誰も傷つけたくないんだ! ……こんな風に」
 血を吐くようなアル・アズの叫び。
 悲痛な声でずっとイリーナに呼びかけている、たった一人の血の繋がった弟の姿に、胸が痛む。
 勇気を。
 この手を取る勇気を。
 ルーリアはゆっくりと立ち上がった。
 打ち付けられた体は悲鳴をあげたが、動けないほどではない。
 アル・アズの正面に立ち、ルーリアは差し伸べられた手を取った。
「アル・アズ」
 想いを込めて、名を呼ぶ。
 アル・アズは、一瞬の間のあと、ふわりと破顔した。


 天空を彩る「輝ける太陽」と「癒しの銀の月」が重なり合う。
 金と銀の光が折り重なって、まばゆいほどの輝きを放つ。
 二十年前にも降り注いだ希望の光が、再び、エレアザールに降り注ぐ。
 それは「夢のかけら」の光。
 想いの光。


「あなたの夢のかけらになりたかった……」


 イリーナの声が聞こえたような気がした。


 
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