落花

ハルカ

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「お嬢様!」

メイドが駆け込んできたのは、エレインが自室で教本を開いていた時だった。

「どうしたの」

教本を閉じ問いかけると、メイドは下方を指さし、震えた声で訴えた。

「ルイス様が来られてます」
「ルイスが?」

窓の外は豪雨だ。黒雲が空を覆い、日が落ちたことも手伝って外は真っ暗だった。
それに、ルイスが今日来るなんて連絡も受けていない。いくら幼馴染といっても、先触れもなしに先方を訪ねるなんて失礼なまねを、ルイスは一度もしたことがないのに。

「本当にルイスなの?」
「それは、間違いなく。ただ、共もつけずお一人で、それに馬で来られたようで」

あのバカは何をやっているのだ。
エレインはため息をついて立ち上がった。

「分かった。すぐに行くわ」




ルイスは応接間にいた。豪雨の中を馬でやってきたというのに、服がぬれていない。着替えさせられたのだろう。子爵家の使用人たちは、エレインの幼馴染で婚約者のルイスのことを、もう一人の我が家の坊っちゃんであるかのように愛している。濡れたままになんて、絶対にさせておかないだろう。
エレインは応接間に入ると、ルイスの対面に腰掛けた。
ルイスと会うのはあの時ぶり。三カ月ぶりだった。
エレインは俯いたルイスから、つい目をそらした。
三カ月も会いに行かなかったのは、怖かったからだ。
伯爵と顔を合わせることがあるかもしれないと思うと、どうしても足が向かなかった。
二人のことが気にならなかったわけではない。むしろ気になっていた。だから、ルイスの顔が見られたことは、単純に嬉しかった。

「ルイス、・・・」

言いかけて、思わず息を呑んだ。
エレインを見たルイスの目はギラギラと輝き、危うい光を放っていた。

「あなた、どうしたの」
「父上は本当に腐ってる」
「えっ?」
「今日、エリィのことを問い詰めたんだ。そうしたら父上はどう言ったと思う?誘惑してきたのはエリィで、自分は仕方なく応じただけだって言うんだよ」

面食らうエレインを置き去りにして、ルイスは語り続ける。

「エリィがかわいそうだ。昨日だって、ガゼボでこっそり泣いてたのに」

ルイスは憤ったように言う。しかしなぜか、エレインの方は逆に感情が冷めていくような気がしていた。

泣くなら自室で鍵でもかけて泣くべきじゃないの。わざわざルイスがやってきそうな場所で泣くなんて。

しかしすぐに自己嫌悪に陥った。
つらい思いをしているのはエリオールなのだ。辛くて苦しくて、誰かに慰めてもらいたいと思ったって、あの家で頼れるのはルイスしかいないのだ。

「ルイス・・・」
「失礼するよ」

何か言わなければと口を開いたのと同じタイミングで扉が開かれ、父が顔を出した。

「お父様?」

父は柔和な顔でルイスと挨拶を交わし合うと、エレインの横に座った。

「ずぶ濡れだっただろう。寒くはないかい?」
「はい。大丈夫です」

ルイスは大人しく頷いた。子爵とはいえ、当主の前でするべき態度は弁えているようだった。
しかし、父のほうが許さなかった。

「エレインから君の家のことは聞いている」
「はい・・・」
「率直に言わせてもらうが、君は伯爵家の次期当主で、エレインの婚約者だ。それを忘れてるんじゃないのか?」
「お父様!」
「君が不貞を働いているとは言わないが、エレインを蔑ろにしているの確かだ。私はそれを見過ごすつもりはないよ」

ルイスは俯く。エレインは庇うこともできず、その場でじっとしている他なかった。
ルイスの変容が悲しく、エリオールのことは哀れだった。でも、それを許すべきではない。父の言う通りだった。

「申し訳ありませんでした」

ルイスが静かに頭を下げる。ルイスのことを赤ん坊の頃から知っている父は、厳しい顔でしばらくその旋毛を見下ろしたあと、表情を緩めた。

「君が当主になれば、権限を持ってその子を助けることができる。それまで耐えなさい」
「わかりました。本当に申し訳ありませんでした」

少し話した後で、ルイスは席を立った。雨は止んでいた。

「もう遅いし、泊まって行ったら?」
「ありがとう。でもいいよ。飛び出してきたから、皆心配してると思うし」
「そう・・・」
「ごめん、エレイン」
「ううん。気をつけて」

そうしてルイスは帰っていった。
夜の闇に消えていく背中を、エレインは不安な気持ちで眺めていた。


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