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第一章 幸せのありか
71 side樹理
しおりを挟む「送って行こう」
玄関まで見送ってもらって、ちょっとどうしようかなと思ったけれど仕方がないので濡れた靴を素足に履いた樹理に、哉がそう言った。
「いえ、もういいです。タクシー、つかまえますから」
これ以上、やさしくされたら誤解しそうだった。
最初は声が聞けたらいいと思っていた。
なのに、逢えなくて泣いていた。
エントランスで出逢えただけで、よかったと思っていた。
もっといたいと思ってしまった。
腕を掴まれて、家に上げてもらった。
前と同じように、ご飯を作って、一緒に食べて。
初めて、美味いと言ってくれた。
もう、これ以上望んではいけないのに。
送ってもらったりしたら、そのままどこか別の所に連れて行ってくれと頼んでしまいそうだった。
「すいません、ありがとうございました。それと、ご馳走様でした」
制服は軽く脱水しただけ。他のものが濡れないようショップバッグに。それ以外の樹理の私物も紙袋をもらって、それにいれてある。
振り返る。
きっともう、最後だ。
樹理には、もうここに来る口実はない。
いっそなにか忘れて帰れば、また来ることができるだろうか?
そう、最後だから。
言ってもいいだろうか?
そのやさしさに、甘えてみてもいいだろうか?
どうせ最後なら、困らせてみてもいいだろうか?
「氷川さん」
名前を呼んで、哉を見る。
「なんだ?」
名前を呼ばれて、哉が樹理を見た。
「最後だから、言ってもいいですか?」
その瞳を見つめながら。
哉の返事を待たずに。
「私、あなたが…」
「言うな。言わない方がいい」
命令するようなものの言い方は変わらなかったけど、その声が柔らかいと思った。だから、もう一度ちゃんと言った。
「私、あなたが好きです」
哉が、片手で顔を覆っている。
「………忘れろ、そんな気持ちはきっと、錯覚だ。何も残らない」
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