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キス xxxx
8-4 真実
しおりを挟む手紙は、ごめんなさいという小さな文字ではじまっていた。
わがままを言ってごめんなさい。苦しめてごめんなさい。本当のことが言えなくてごめんなさい。
でも私は、あなたが好きでした。
はじめて逢ったときからずっと。
少し書いてはやめたのだろう。二行も同じ文字が続けば、その次の行は書いた日付が違うのか、同じ人物の文字でも少し違う。
徐々に、少しずつ、少しずつ読みにくくなっていく文字。それでも必死に綴られる言葉。その中に滲み出す、真礼の想い。
来年の同じ季節を思うたびに、その風景の中に自分がいないかもしれない不安。
風に揺れて散っていく桜を見ながら。
若葉に太陽の光が反射するのを見ながら。
色づいていく山を見ながら。
そしてその山が白く姿を変える、そんな当たり前の風景。
大人たちは簡単に言う。
『次も同じ桜を見ましょうね』
きっと慰めてくれている。それは分かるけれど、その言葉はとても悲しかった。その言葉の裏側には、もしかしたら、もう見ることができないかも知れないけれどという言葉が隠れている。
絶対に治らない病気。体の調子は歳を重ねるごとに悪くなっていく。今朝、今までの朝と同じように瞳を開けることができるだけでも、もしかしたら奇跡なのかもしれないと、確実に近づく死におびえながら真礼は毎日をすごしていた。
そんな緩慢な日常に現れた人物。にっこりと笑って、ずっと捜していたと抱きしめてくれた井名里数威に、君は私の妹だよと言ってくれた人に。出逢ったその瞬間に。真礼は恋をしていた。
彼の妹だと言うことがただうれしかった。その後すぐ彼は北條と結婚してしまったけれど、北條もとてもやさしくて、そうやって増えた義姉と言う存在は、とても頼もしくて、真礼は北條が世界で二番目に好きな人になった。
自分のための病院。病気を治すための研修施設。どれもすばらしかった。ただひっそりと死んでいくはずだった自分と言う存在が、同じ病気の人間たちに希望を与えられるのなら、笑っていることも苦痛ではなかった。
はじめは、ただ本当に、井名里数威と言う人の妹だと言うことがうれしかった。
けれど想いは変わっていって、それは家族に対する愛情と一線を画しだす。同じころに、思い出したのだ。
自分が、本当は病気を理由に両親に捨てられたと言うことを。
三歳か四歳くらいのころだった。時々見舞ってくれた父と母がぱたりと病院に姿を見せなくなったのは。
医者や看護婦が慌てていたことも、真礼が置き去りにされたことが分かって途方に暮れていたことも思い出した。
そう、自分には確かに、両親がいたことを。
そのことを思い出せば、恋する心が迷走を始めた。
言ってしまえば想いは届く。けれど、血のつながりがないと知れれば、妹でない自分は、彼にとって何の価値もなくなってしまうだろう。
言いたい。言えない。
一進一退にみえる病気の進行。
治療を受けられなかったころに比べるとその速度はとても緩くなっていたけれどおしまいは確実に見えてくる。
長い長い廊下の向こうにある、天国の見える窓が、近づいてくる。
このまま何もできないまま、やっぱり自分は死んでいくのだ。
そう思うと、本当に死んでしまえば何も残らないのだと気づく。
何もできない自分に、たくさん優しくしてくれた人に、なにも残せないまま、死んでしまう自分。
なにも持っていないのなら、作ればいい。
だから、必死で頼んだのだ。
子供がほしい。子供を産みたい。
当然のように、嵐のように周りからは反対された。
原因不明の難病だからこそ、明日画期的な治療法が見つかるかもしれない。
そんな魔法が可能なのだと、バカなことを考えるのはやめなさいという周囲の説得に真礼は頷かなかった。
子供を産めば、真礼も、その子供も死んでしまうかもしれないと諭すように言っても聞かなかった。
これまで十年。十年待って、何も変わらなかった。
けれど、自分はあと十年、生きることはできない。自分の体だからこそ、そんなことは誰に聞かなくても分かった。
その願いが聞き届けられないのならば今すぐにでも死んでやる。
そう脅した真礼に、井名里数威も、北條も、折れるしかなかった。
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