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君は僕に似ている
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しおりを挟む彼らの通う学校には、試験休みはない。期末試験後、学期末の終了日前一週間ほどは、それまで決まっていた週間の時間割とは異なり、テストが返され、それに伴って教科ごとに増えたり減ったりする補習補講もしくは次学期の予習、長期夏季休暇に出される膨大な課題の説明などに費やされる。
どんな教科でも必ず最低一時限を取っているのに、その時間割の中に実冴が担当する教科はなかった。
速人がいつもの軽いノリである日の朝のSHRで質問したら、実冴は答案を返すだけなので終了日に通知表を渡す時に返すとにこやかに躱した。
続けて、夏休みの宿題はー? と問われて、それについては勝手に各自で好きなことをやればいいとかなりの放任っぷりで言い放った。
そんな実冴は、思いついた時こそ名案とこぶしを握ったが、その答案の文字数の多さに聊か辟易していた。皆が皆、各自面白かったと思う話題についてとにかく好きなことを書き散らしてくれているのだ。なまじ頭の良い生徒ばかりなので、勝手にその事案を掘り下げて授業で取り上げられなかった部分まで探りを入れている輩も少なくない。一応、それぞれがそれぞれなりに一生懸命書いたと思われるものをぞんざいに扱う訳にもいかず、この学期間でそれでも芽生えた教師としてのなにかが等閑(なおざり)にすることを良しとせず、その採点に苦慮しているのだ。
中にはとてもシンプルでわかりやすいのもいた。一番採点が簡単だったのは哉で、答案の真ん中に『真知子巻きの』と『夏も涼しい』とだけ記されていた。もともと寒風の中の撮影の、あまりの寒さにヒロイン役の女優がしていたのが始まりなのだが、そう実冴が説明したことに対して、夏場も有効であるとその意義を端的にまとめて答えている。
文字数の規定がないからこそシンプルにまとめることが大事なのだ。
一番シンプルな回答だったのは、やはり礼良で、その真っ白な無言が明確な回答だった。ようやくちろちろと見え隠れしだした内面をつかんだ気がする。苦労してここまでたどり着いたのだ。再びこの手をすり抜けて隠れてしまう前に、素早く本体を引っ張り出さねばならない。
面倒だと思いつつも、それなりに彼女なりに真面目に、テストの採点を行い、手元に戻ってきた真っ白な回答にニヤニヤしながら止めとばかりに成績表に細工をする。
それとて、割と簡単に。校長をちょっと揺さぶって、未使用のまま残っている成績表を出させて、鼻歌を歌いながら、ヒヒヒと邪悪な笑みを満面に、ぺこんぺこんと数字ひとつのハンコを紙とスタンプ台の間で往復させれば出来上がりである。
その上出来な特製の成績表と返却する答案などを片手に、実冴は悠々と、先ほどまで講堂で行われていた終業式に出席し、ダラダラと長いだけの校長の話に辟易とした生徒たちが待つ教室のドアを開けた。
まず配られたのは、期末試験の答案用紙。
成績順ではなくとも、礼良は出席番号でも彼より早く呼ばれる苗字の者がいないので、どっちにしても呼ばれるのは一番なのだ。
そして、一番に名を呼ばれ、手元に返された答案に、彼は戸惑うのだ。
その真っ白な紙に、ただはみ出しそうに大きな花マルがついていた。
全生徒に答案が返される間たっぷりと、礼良はその赤いペンでぐるぐる渦巻く線と、それを覆う波型の流れを見つめ続けたが、どうして白紙答案がこんな子供じみた状態になっているのか、見当がつかない。
ちらりと実冴を窺っても、ニコニコ笑いながら一人一人に何か声をかけて答案を返しているその顔に、何か別段の衒(てら)いがあるようにも見受けられない。
全てを拒否したつもりで送ったメッセージは、何か歪んで伝わってしまったらしいことは分かっても、その理由が見つからない。ビデオの早送りの要領で頭の中で実冴との出会いからこちらを再生しても、いつでもどんな回答でも何かいちゃもんをつけられていた記憶ばかりだ。それを思い出すと、なんだか最後の最後までコケにされて終わるような気持ちが湧いてきて、なんだか壮絶に気分が悪い。
「んではー メインイベント。成績表配るよー 中身確認したら帰る前に返してね」
成績表は、生徒が一度確認したのち、そのまま父兄に郵送の手続きが取られる。もちろん、一学期間の総トータル成績順の番号とともに。
「さっきとは逆で最後から行こうかな。吉田君から」
今度は出席番号の末尾から、名を呼ばれた生徒が成績表を取りに行く。気の早い者は席へ帰る道すがら。気になるくせに席に着くまで開くのを我慢している者。予想より良くて、小さくガッツポーズをする者、それとは逆だった者。様々な表情で、生徒たちが一喜一憂している。
真吾が、哉が、そして速人に続いて藤司が。まるでカウントダウンの様に呼ばれては席を立つ。
「井名里礼良くーん」
席を立てば、すぐ前が教卓なのだ。一歩半で手が届く。
心底楽しそうな顔をして、実冴が最後の一枚になった成績表を差し出した。それを成績表を奪うように受け取って席に戻る。
見て確認などしなくても、今日までの結果はすでに出ている。なぜか花丸だけが書かれた答案を返した教科以外、礼良は全て主席だった。成績表など、その結果を集約したものでしかない。
それでも開いて。
そこに羅列された数字に、一瞬思考が停止した。
言うなれば、全角の、1。スタンプ一つ分の、1。これまでの成績表では、10の場合は一つのスタンプでイチとゼロがあらかじめセットになったものが使われるので、その違いは歴然としている。
それが、社会科の欄だけならば、学期末テストを白紙回答したのだからわかる。だが、現国も古文も数学も化学も……とにかく全教科、同じスタンプが押されている。ゼロの押し忘れてはなく、でかでかと、1が。
己が息を吸う音が、聞こえた。
そのふざけた成績表の端を握る手が、自然震えだす。
堪忍袋の緒が切れる音が、頭の中で鳴り響く。
ダン! と、成績表を握りしめた両手を机に振りおろし、イスを蹴立てて立ち上がる。はずみで机も倒れて、前にある教卓に激突して派手な音が重なり合った。
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