雲間の眼

中野ぼの

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4 浮気

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 昔から、僕にとって入木すずは特別な後輩だった。えこひいきが周囲から許されるくらい、僕は惜しげもなく嫌らしさもなく快活に爽やかに可愛がり、誰かがすずと仲良くしているとそれを見た誰かが「すずちゃんと仲良くしてるとういさんが飛んでくるぞ!」と茶々を入れるのも日常茶飯事で、そんな関係が僕は誇らしかった。みんなが認める僕とすずの絆。でも、それがお互いにとってどれくらい当たり前だったか、あるいは特別であったか、考えたことがあっただろうか。
 僕の中にある入木すずの一番古い記憶は、履歴書だ。バイト先の事務所で電話応対の業務についていた時、店長から履歴書の束を渡された。今日採用面接に来た人たちの履歴書だからファイリングしておいて、と。履歴書の束の一番上にあったのが偶然にもすずのものだった。個人情報なので凝視すると店長に怒られてしまうものだが、意識せずともすずの証明写真は目に入った。スーツ姿で、まだ髪は長くて、少し強張った顔で四角い枠の中に収まっていた。
 うわ可愛いなこの子……。
 まだ会ったこともないのに、強烈な第一印象だった。そして僕の中にある入木すずのバイト時代の最後の記憶は、三月の卒業会の時だ。三月は季節柄バイトを辞める人が多く、この年も僕やマヤたち卒業生を祝う送迎会が催された。幹事の一人にすずがいた。パーティの後、僕は事前にしたためていたお別れの手紙を、すずに手渡した。他にも僕が可愛がった後輩や僕を慕ってくれた後輩はたくさんいたのに、僕はすずだけに手紙を渡した。それもおかしいが、そもそもが逆だろう。すずが去りゆく僕に手紙を渡すならともかく、どうして去る側が残る側に手紙を渡しているのか。あははふつう逆だよねーとたわむれながら手紙を渡したっけ。果たして僕はそれがどれだけ特別なことなのか、本当に理解していたのだろうか。


「だから別に遊びにいくのはいいって言ってるじゃん」

 七月二日、すずと二回目の飲みの約束の日、出発間際に僕とマヤは言い争いをしていた。

「なに。なにが不満なんだよ」

 靴を履きながら、僕は舌打ちを我慢して振り返った。両こぶしを力いっぱい握りしめて、マヤが立っている。赤縁眼鏡の奥で尖った瞳が水分を含んでいる。

「私はこれから夜勤なの。駅までくらい一緒に行ってくれてもいいじゃん」
「いや、こっちも友達と約束の時間あるんだからさ。飲み屋の席だって予約してるの」
「あと三十分だよ。三十分後に私も出るの。別にそっちは仕事じゃないでしょう。時間なんてずらせるじゃない。お願い、一緒に行って」

 あまりの言い分に頭がクラクラした。頬がカッと熱くなって血が昇りかけるのを感じるが、ここで言葉を荒げては逆効果だと長年の付き合いで解っている。

「ごめん無理だよ。マヤがバイト頑張ってるのは知ってるし、人付き合いがうまくいかなくて辛いのもわかってる。でも僕だって就職が決まってるし、今週は最後の休みなんだ。お願いだから気持ちよく出発させてよ」
「なによ。ういくんは気持ちよく遊びに行って、私は最悪の気分で仕事行けっていうの」

 マヤの振り上げた拳が、玄関先の洗濯機に振り下ろされる。鈍い音が鳴った。
 その洗濯機の中には三日分の洗濯物が溜まっている。もう何ヶ月もマヤは洗濯をしていない。皿も洗わないし掃除もしない。料理はしてくれるからいいけど。今は僕の方が家にいる時間多いから僕が多く家事をやることに不満はないけど。言ったこともないけど。ないけど、それに対してちょっとした感謝の言葉もなければ今日もわがまましか言わないのかよ。途中まで一緒に出勤してって、一体どんな思考回路してればそんなわがままが飛び出すんだよ。

「いい加減にしてよ。仕事や就活がうまくいかないイライラを押し付けんなよ」

 怒りで染まった高熱のあぶくが弾けるのを、僕は我慢できなかった。仕返しのように壁を殴って激怒を表現し、そのままの勢いで玄関のノブを捻った。振り返る直前の残像の中に、呆然と立ち尽くすマヤが一瞬映った。
 僕はエレベーターを使わずに荒々しく非常階段を下りた。まだ怒りが収まらなかった。思い返せば返すほど僕の言い分は正しく、どう考えても間違った主張をしているのはマヤの方だ。もっとガツンと言ってやってもよかったかもしれない。顔面が熱く、こめかみがじわりと汗ばんでいるのがわかる。腹が立つ。結局最悪の気分で家を出る羽目になった。せっかくずっと楽しみにしていたすずとのオールなのに。
すずと秘密裏に会うこと、大学の友達と飲み会だって嘘をつくことに、後ろめたさはやはりない。マヤがああいう性分じゃなかったら別に秘密にしなくてもいいことなんだ本当は。やましいことしにいくわけじゃないし、すずだってそんなこと考えていないだろう。女の子と二人で飲みにいく、なんて今のマヤに伝えたら、とてもじゃないが家から出させてもらえない。僕に一切非は無い。言い聞かすまでもなく、それが僕の中での事実だった。


 夜九時半。夜空の雲は厚く、明日の昼頃から雨の予報だった。飲み屋の予約は二十二時半から四時半までなので帰り道雨に見舞われることはなさそうだったが、一応リュックの中に折り畳み傘を仕込んできた。僕はともかく、すずを雨にさらすわけにはいかない。
 目的の駅で電車を降りたところで、すずから連絡があった。いま仕事終わったので急いで着替えますね、とのことだった。計算通りの時間だった。遅番の定時は午後九時だが、優秀で社員からも信頼の厚いすずは全体のリーダー業務に就くことが多く、三十分前後残業するのが当たり前になっていた。だから店の予約は余裕をもって十時半にしたし、更に二十分ほど時間が前後するかもしれない旨を店に伝えてある。今日は週の真ん中なので飲み屋もそこまで忙しいことはないはずで、ある程度融通が利くはずだった。
 前と同じ駅前の西口広場で、僕とすずは待ち合わせた。街路樹を囲ったガードレールに腰かけて待っていると、すぐに小さな影がてとてと走り寄ってくるのが見えた。

「遅くなりましたっ。予約、十時半なんですよね?」

 電車を降りてからずっと走ってきたのだろう、彼女の息は少し上がっていた。

「またお待たせしちゃいましたよね。ううー、最近残業だらけで……」
「お疲れ様。予約は少しくらい遅れても大丈夫だから。僕も今来たばかりだし、全然待ってないよ。無駄に僕待っちゃうとすずちゃんいい子だから申し訳なくなっちゃうもんね?」
「むっ、読まれている……! まあそうですけど!」

 今夜のすずの恰好は、気のせいだろうか、この前よりも女の子らしく仕上がっているように見えた。耳たぶには銀色のピアスが光り、黒地に白の水玉模様のシャツは肩口がレース生地になっていて可愛らしい。なによりスカートを履いているのが珍しかった。若草色の膝丈スカート。わたし背小さいのに足太いからスカートあまり履かないんですよね、といつだったか言っていたが、これで太いと言われるのなら女子の世界は厳しいものだ。
 前回の飲み屋の個室が上々だったので、今回も同じ店の同じ個室を予約した。予約した店に入ると、カウンター前が会計待ちの集団でごった返していた。店的にはピークの時間が過ぎるところだろう。これから静けさがこの店に訪れると思うと嬉しい。店員の手が空くのを待ってから、僕らは案内されて引き戸の個室に向かった。

「ここ駅チカで安いのに、こんな落ち着ける個室あっていいですよね」

 タッチパネル端末でアセロラハイを注文しようとしながら、すずが言った。

「あ、待って。今日は飲み放題にしてもらってるから」

 僕はすずの手を制し、お通しを運んできた店員にウェブで予約した内容を伝えた。店員は「かしこまりました」と言い、端末を操作して飲み放題用メニューに切り替えた。

「すずちゃんあんまり飲まないの知ってるけど、朝までコースだと飲み放題コースしかなくてさ。でも飲み放で一人七八〇円だよ? やばくない?」
「やばいですね。時間もたっぷりあるし、わたしも結構飲んじゃいそう」
「すずちゃん、飲むとすぐ眠くなるからなぁ。メッセしてて何度寝落ちされたか」
「えへ、すいません。あんまり宅飲みとかしないんですけどね。遅番終わりで既にちょっと眠いし、まあ無理しないようにします」
「そうそう。いつも仕事で無理してるんだから、僕といる時くらいは無理しないこと。さて、僕は飲みまくろっと」
「ういさんも飲みすぎ注意です!」

 二人の会話の流れは最初の時よりはるかにスムーズだった。僕はビールを、すずはやはりアセロラハイを注文し、乾杯した。

「すずちゃん、今日は彼氏に何て言ってあるの?」

 ビールを一気にジョッキ半分くらい喉に流し込んで、まず僕は訊ねた。最初に飲んだ一ヶ月前も同じ質問をしたと思う。でもなんだかあの時よりも、「彼氏」という言葉の響きに自分で言っておいて苦みを感じた。ビールの爽やかな苦味とは違った。

「うーんと、今日まだ帰らないとは伝えてないんですよ」

 すずは言いにくそうに笑った。

「一応かおりとごはん行くとは言ってあるんですけど、かおりが飲み過ぎて暴走して帰れなくなっちゃってみんなでカラオケで朝まで始発待つことになっちゃった――ってあと二時間くらいしたら連絡するつもりです」

 すずは仲良しのバイト仲間の名前を出した。酒癖が悪いことで有名な後輩だったが、彼女の名前を使うということは以前から彼氏にもその子の話をしたことがあったのだろう。僕はまた、ミニチュアを組み立てるように見たこともないすずの部屋の間取りを想像し、見たこともない彼氏と会話する彼女をそこに配置した。甘い蜂蜜は、流し込まなかった。

「そうなんだ。やっぱりオールって彼氏嫌がるの?」
「歓迎はされませんけど、今更心配もされませんね。向こうだってよくありますし」

 リアリティのある言い訳を、わざわざ用意したということか。今日という日を絶対邪魔されたくなかった、そんなすずの気持ちがしっかり届いて、嬉しい。

「ういさんはマヤさんに何て伝えてあるんですか?」
「僕は前と同じだよ。大学のときの友達とオールって言ってある」

 出かける直前のマヤとの喧嘩については触れなかった。すずも心配するだろうし、この部屋に余計な水を差す必要はまったくない。
 仕事終わりのすずは腹ペコだったようで、お酒よりもつまみを次々注文した。つまみが多いと、僕の酒が進んだ。飲み放題という後押しもあり、二人の終電がなくなるころには四杯目の焼酎を飲み干していた。僕は続いて冷酒を二合注文した。

「しかしまあ、すずちゃんとここまで仲良くなるとはなぁ」

 アルコールもいい感じに回ってくる。なんだか幸せ色の粘液がこの空間にまとわりついていて、彼女と二人だけの個室が実に心地いい。

「ねっ、なんか連絡も毎日続いちゃってますし」

 彼女も僕に倣ってお酒を注文した。三杯目。なかなかのペースのようだ。

「この前なんかポロッとタメ語出ちゃったしね」
「わーっ! なしです、それはなしです!」

 高速いないないばあでもするみたいに、すずは両手で顔を隠した。

「あの時はすずも落ち込んでたから深く突っ込まなかったけど、せっかくだからこの機会にあの『ありがとう』の真意解釈を試みようか」
「いやですいやです、試みませんっ。それより来週からのういさんの新しいお仕事の話しましょう」

 すずの顔が赤い。まさか本当に照れて顔が赤くなる人なんて現実にいるはずないから、お酒のせいだろう。それでも彼女は店員が運んできた梅酒ソーダをグビっといった。

「わたしも今年二十六だし、ちゃんと就職しないとなぁ」
「身長は小学五年生だけどね。すずちゃん、やっぱり幼稚園の先生やりたいの?」

 僕と同じバイト先に来る前、幼稚園教諭免許を持っているすずは幼稚園の先生を一年ほどやっていた。その話はもうだいぶ前に聞いたことだ。

「んー、元はといえば今のバイトも短期の予定でしたし、将来的には、そうですね。棚田氏も保育の仕事やってますし、わたしだけバイトってのも微妙に肩身が狭く……」
「クソババア園長にいじめられて辞めたって言ってたよな。許せんな。絶対すずちゃんが可愛いから女の嫉妬でいじめてただけだろ」
「あはは。あの頃最高に病んでたなぁ。あ、そのころのわたしの日記見ます? 日記アプリあるんでわたし今でもメモ代わりに書いてるんですよ。先生時代の日記、ういさん引くくらい闇すずですよ」

 すずはスマホをちょいちょい人差し指で滑らせ、僕に手渡そうとした。が、ブーッとバイブ音が鳴って、慌てて手元に引き寄せた。

「あ、棚田氏からの返事です」
「ふぅん。なんだって?」

 そういえばさっき例のウソ連絡をしてたっけ。どちらにしろ僕は僕とすずの時間を邪魔された気分で、あからさまに不機嫌な声を出して冷酒を呷った。

「はいよー、だって」
「それだけ?」
「はい。いつもこんな感じですもん、わたしたち」
「こんな可愛い彼女がオールするってのに心配じゃないんか。まったく」
「たとえ可愛くても、もう六年ですから。こんなもんですよ」
「僕がすずちゃんの彼氏だったらまず電話して安否確認とちゃんと携帯防犯ブザー持ってるかを訊ねるな」
「小学生じゃないんで防犯ブザー持たせないでくださいー」

 すずはぷーっとほっぺたを膨らませた。まさか本当に怒って頬を膨らます人なんて現実にいるはずないから、口に含んだからあげが大きすぎただけだろう。
 僕がすずの彼氏だったら、か。嘘くさくも甘美な響きだ。外国チェーン店のドーナツみたいに甘ったるくて、真ん中には決定的な穴があいている。僕はその穴を通してすずを見つめる。とっくりの冷酒が空になったので、今度は赤ワインを注文した。

「これってやっぱり浮気に見えんのかな」

 何気なく言ったつもりだったが、きっと酔っていなければ出てこない言葉だったのだろう。机の上のスマホをいじっていたすずは、驚いたように顔を上げた。

「ふつう、お互い彼氏彼女いるのに、二人きりで朝まで飲んだりしないよな」
「ういさん、酔ってます?」
「かなり」

 大げさに言った。物事を考える理性は十分残っているし、実際はトイレに行くときに若干ふらついた程度の酔い具合だ。しかし僕は僕を酩酊しかけていると言い聞かせ、その暗示が効くくらいにはアルコールは回っており、その回転に身を任せた。

「果たしてこの状況は浮気に入るのか否か」
「うーん、それは浮気の定義にもよりますよね」

 意外にもすずはごまかそうとはせず、真面目に議論する様子を見せた。もしかして彼女もアルコールが回ってきているのだろうか。

「浮気の定義か。えっちしたらやっぱりもうアウトだろうな」
「どうでしょう。体だけの関係なんて世の中いっぱいありますよ」
「ああ、理解できないけどセフレなんてものもあるしな。あれは浮気とは別だな」

 素面の時でも下ネタをまじえることが珍しくないくらいの仲だったので、この程度のやり取りは正常の範囲内だった。

「漢字で書くと、気が浮つく、か。それ言ったら僕がすずちゃんに浮ついてるのは確かなことだなぁ」
「あはは。あくまで後輩で妹みたいな存在として、じゃないですか」
「まあねぇ。意外と浮気の定義って難しいな。ちょっとウィキで調べよう」

 僕はすずからも文字が読めるようにスマホを横に置き、検索サイトで『浮気』と入力した。すずは少し身を乗り出して画面を覗き込んだ。浮気、という電子文字を二人で黙って見つめる僕らは、この瞬間、定義がどうであれ、浮気というものを纏っている気もした。

「えーと、ウィキペディアは……ここだな。うわ、滋賀県に浮気町って町があるよ! ふけまちって読むんだって」
「町民みんな浮気してそう!」
「こらこら失礼だぞすず。えーと、地名じゃなくて名詞としての浮気のページはこっちだな。はい、浮気。なになに。『心が浮つくこと』『陽気で派手好みな性格』『男女間で愛情が浮つくこと。恋人がいるにもかかわらず、他の異性に愛情が移ること』」

 へえ……ってなって、お互い画面を見つめたまま無言になった。そこに記された言葉に答えがあったからじゃない。ウィキは僕らの知識以上のものを提供してはいなかった。ただ、少なくともこの時僕は、どうしてすずと二人で浮気なんてものを真面目に調べてるんだろうっていう、心が床ずれしていくようなむずがゆい無言の中にいた。
 うーん、わからん! 僕は置いたスマホを裏っ返し、赤ワインを飲み干して、机に突っ伏した。上半身を寝かせると一気に酔いがめぐっていく感覚があった。さすがに飲み過ぎたかな。もしマヤから連絡来たら返信面倒だな。ふわふわ考えてから、マヤからのメッセージがすずに見えないよう、用心のため今無意識にスマホを裏っ返していたことに気づいた。

「もう、ういさん飲み過ぎですよ。お水頼みますか?」

 突っ伏して伸ばした僕の手を、すずがぺしぺしと叩く。あ、すずの手だ。そう思った時には、僕はその手を掴んでいた。
 すずの、手。
 すずはなにも言わなかった。お水頼みますか、と聞いてくれたばかりなのに、僕に手を握られた瞬間次の言葉を紡ぐのをやめた。手を振りほどこうともしなかった。やわく、あわく、握り返す控えめな弾力を感じた。十秒か、十五秒か、そのくらい経った。僕は急にこの現実を疑い、手を離した。机に伏しているからすずの表情は窺えない。今度はこちらからすずの手をぺしぺし叩いた。先ほどの僕と同じように、すずは僕の手を捕まえた。はじめての赤んぼに触れるみたいに、こわごわと握ってくる体温を感じた。ああ、やっぱりこれ、どこか浮気っぽい。
 危うい時間が過ぎて、僕は手を離しながら顔を上げた。すずは僕を見ていた。無表情でも、笑顔でも、困った顔でもない、存外ふつうの顔をしたすずと目が合った。だが、僕が細く息を吐くのと同時に、彼女は誰かに肩を叩かれたみたいにそっと後ろを振り返った。

「どうしたの?」

 ここは狭い個室だ。彼女の後ろには、彼女が背を預ける壁しかない。

「いえ。最近どうも気になって」

 すずは背後ではなく、身体をひねって天井を見上げていた。

「空の眼のこと? この前も言ってたね」
「はい。本当にかみさまの眼なんかじゃないとは、思うんですけど」
「かみさまの眼だったとしたら、気になるの?」
「たとえそうじゃなくても、気になります。どこからどう見ても目玉の模様ですし」
「まあ確かに、日本だけじゃなく世界中のどこから見ても同じ模様に見えるっていうのは、すごく不思議だけど。でも宇宙なんて謎だらけなんだしさ。星とか未確認飛行物体とかでもなくて、蜃気楼みたいな、幻とか」
「まぼろし……」
「そう、幻。空の眼なんて現実には存在してない。そう考える人も多いらしいし」
「ういさんは、どうしてそんなに空の眼が平気なんですか? 世界中の偉い人が調べてもわかんないものが急に現れて、怖くないんですか?」

 すずはこころなしか早口で、瞳は若干うるんでいるように見えた。

「前も言ったけど、望遠鏡であれを覗いた時も、地表から見てる時と何ら変わらない、つまらない姿だったからだよ。そう、なんかがっかりしたんだ。空の眼はもっと超常的な存在であってほしかった。でもあれはただ目玉の模様をしてるだけだし、なにもしないでそこに浮かんでるだけだ。怖くないというか、面白くないんだ」
「でも、やっぱり眼ですよ。空に眼があるんです。そう見えてしまうってことは、やっぱり、どこにいても常に見られてる気がして」
「そうだとしても、大丈夫だよ。ここは屋内だし。今僕らから空の眼が見えないのと同じように、空の眼も僕らなんて見えてないよ」

 そうは言ったものの、もしかみさまが実在して、あれがかみさまの眼だったとしたら、どこにいてもその視線から逃れることはできないのではないか。そう思ったけれど、すずはまだ不安そうに天井を見上げていたので、もう言わなかった。
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