Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第五章

  朔空の課題

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       1


「朔空君、可愛い物件見つけたの。日曜日に見に行こうよ」
「え、また? 別にいいけど……わかったよ」
 ぼくの目の前ではしゃいでいるのは雨宮千弦だ。朔空君の部屋に顔を出すようになって、一年近く経つ。
「パソコン以外は本だらけ。しかも難しい数学の本ばかり。おまけにトイレはドアの下に5センチも隙間があるし。こんなワンルーム、落ち着いて暮らせない」
「誰が暮らすの?」
「女の子の住む部屋じゃないって言ってるの」
「ここは、ぼくが住むために借りてるアパートなんだから、千弦が困る事ないだろ」
 朔空君は、パソコンの文字の羅列から目を離さずに答える。
「…‥親がひとり暮らしはだめって言うから、朔空君と一緒ならいいかと思って」
「え? 探してる部屋って、千弦がひとりで住む部屋じゃないの?」
「朔空君て、どうしてこんなに鈍いんだろう」
 千弦は口を尖らせるが、可愛い顔はどんな顔をしても可愛いのだなと、ぼくはとてもじりじりした。
「……言いたい事は、わかった。検討するよ」
「ねえ、おなかすいた。ご飯食べに行こう」
「学食でいい?」
「だめ。友達が美味しいって言ってた台湾料理のお店に行ってみたい」
「わかったよ」


 朔空君は当初の目的通り、迷う事なく博士課程へ進学を決め、研究への意気込みは強く持っていたものの、千弦に彼方此方あちらこちら連れ回されるうちに、徐々にそれを楽しいと感じるような朔空君が存在するようになっていった。
 人混みの嫌いだった朔空君が遊園地に行くのか、しかも山盛りのお土産……ぼくは我が目を疑ったほどだ。
 朔空君の部屋は、少しずつ千弦好みの物がその辺に置かれ、千弦が居なくてもその存在を感じられるようになり、無機質な部屋に真っ白に映えていた、ぼく、ジンの花が目立たなくなっていった。
 地元から離れて七年目の夏、初めてこちらの花火大会に出掛けた。千弦はイメージ通りの薄桃色に薄紫の薔薇模様の浴衣で、とてもよく似合っている。
「そういえば、大学に入った頃、寮の先輩に花火に誘われて、人混みが嫌で断ったんだった」
 浴衣姿の男女も多い満員電車に一時間近く揺られ、隣に立つ千弦を庇いながら、朔空君は新入生の頃を思い出し苦笑した。
 大規模で華麗な花火に、それぞれの放物線軌道やフラクタル理論に思いを馳せながら、朔空君は華やかな空を見上げていた。
 ドーンという、おなかの底に響くような音とともに、誰かが押した人の波が千弦を酷く押して、繋いでいた手が離れてしまった。
 朔空君は、抗えない波に遠ざかりそうな千弦を引き戻し、守るように自分の腕の中にくるんだ。



       2


 二年半以上過ごしたアパートで、朔空君は引越しの片付けをしていた。
 大学の、しかも研究室に程近い便利すぎるアパートを去るのは心残りだったが仕方がない。
「パパがね、朔空君と一緒なら安心だから家を出てもいいって」
「え? そんな事まで話したの?」
「うん、だってひとり暮らしは絶対だめだし、私、朔空君とずっと一緒にいたいもん」
「……検討するよ」
 そして朔空君の検討の結果がこの引越しだったのだ。
「千弦といると楽しいし、ひとりじゃ絶対に行かない場所にも、千弦に追い立てられるように行ってみると、何かしら発見があるんだよ。千弦は行動力も決断力もあって、自分の意見をはっきり言える女性だと思うんだ。いいよね、ジン」
 朔空君がぼくを袋に入れながら、荷造りの終えた部屋で呟いた。

 次の部屋は大学の駅から二駅離れた場所で、千弦が選んだ出窓の付いた2DKである。今までが安すぎたのもあるが、実にコストは三倍で、朔空君はプログラミングのアルバイトを、大学内だけでなく一般企業にも広げた。
 部屋は二部屋に増えたが、朔空君には狭く感じた。
「これが共同生活というものなのか」
 ぼくは、千弦が友人との沖縄旅行で手に入れた美しい琉球硝子の瓶と、春にピクニックで撮った朔空君と千弦の仲良さそうな写真と一緒に、出窓に置かれた。
 数学者などという大きな夢を描いて博士課程に進んだものの、その道のりが厳しい事を身に染みていた朔空君に訪れた生活と心の変化を、ぼくはびりびりと感じた。
 
 昼食はひとり学食で済ませ、修士課程を終了後、順調に就職した白尾君を恋しく思ったりする朔空君だった。
 以前なら夕飯もバランスの良い学食で簡単に済ませられたが、今は千弦と一緒に食卓を囲むようになっている。
 ここで判明した事がある。
 ぼくはじりじりした。
「ご飯の炊き方わからない」
「嘘……だろ」
「だって、ご飯作った事ないんだもん」
「嘘だ、だってピクニックとか、何度か弁当作ってきてくれたよね」
「いひひ、あれはママが作ってくれたの」
「まじか……わかったよ」
 さて、ここから朔空君の毎日の夕飯作りが始まるのである。
「作れるようになるように、ちゃんと千弦も手伝うんだよ」
「はあい、朔空先生」
 朔空君が三白眼の大きな目で千弦を睨むと、
「先生とか呼ぶの、久しぶり」
 と言って、可愛い顔で誤魔化そうとするように見えるのは、ぼくの偏見だろうか。朔空君は、
「まあ、千弦も小学校の先生になるんだったら、人並みな家事は出来た方がいいかもね」
「もう、ママみたいな事言わないでよ」
「ママは正しい」
 千弦は一呼吸おくと、
「ねえ、朔空君。今度実家に来て。ママもパパも朔空君に興味津々なの」
「え、いや、まだいいよ」
「なんで? 私、朔空君と結婚したいもん」
「千弦が決断が早いのは知ってるけど、もっとよく考えてから……」
「ずっとずっとずぅっと考えてたもん」
「わかったよ。じゃあ、ぼくにも考える時間をくれる?」
「いいよ、一分ね」
「まあ、先に夕飯でおなかを満たそう」
 と、月並みに会話に区切りをつけていた。

 朔空君が何を考えているのわからなくてじりじりしたが、これと似たようなじりじりを、ぼくはずっと昔感じた事があった。
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