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マリウスがオリビアに何も告げずに居なくなった。その事実をオリビアは直ぐに認められなかった。
だが目の前の朝食の席にマリウスはいない。
空席をしばらく見つめ続けたオリビアだったが、一口も口にすることなく立ち上がった。
椅子が大きな音を響かせた。
「⋯王都に⋯⋯⋯帰るわね」
誰にともなくそう呟くオリビアの言葉は食堂に響いた。
アンヌが直ぐにオリビアよりも前に進み、オリビア達の部屋へと向かっているのが目の端に映る。それをぼんやりと視界に入れながらトボトボと部屋へと歩く。敷き詰められた絨毯が突然スポンジになったように、一歩一歩が沈んでいるようで歩きにくかった。
前に進みたくても進めない、そう思った時オリビアは顔を両手で覆ってその場に座り込んだ。
その姿を見たニコルはオリビアに駆け寄り娘にする様に背中を擦る。
ニコルがオリビアのその姿を見るのは二度目だった。
だがきっと前回の比ではないことは明白だった。
ニコルは悲しみに暮れるオリビアを労るように何度も背中を擦った。
オリビアはズキリと頭痛がして目が覚めた。
天井は見覚えのある領地の部屋の物だ。
タウンハウスへ帰ろうと歩き出したと思っていたのに、いつの間に部屋で寝ていたのだろう。そう思い記憶を辿るが、再びズキリとして一先ず考えるのを止めた。
目を瞑りオリビアはマリウスとの結婚式を思い出していた。大勢の人に祝われた幸せに満ちた結婚式に、泥を塗ったのは父だった。
王都での結婚式と違い領地では領民たちが祝ってくれた。恰も王族の言祝ぎのパレードのように、マリウスと二人で領都内を手を振りながら回った。
領民たちの笑顔を見てこれからはマリウスとこの笑顔を守っていくのだと、胸に刻みながら幸せを噛み締めた。
その日の夜にオリビアは父から呼ばれた。
父の執務室には母の姿もあったが、マリウスが呼ばれていない事にオリビアは反発した。
だが父は、いいのだと言って譲らなかった。
話を聞き終えればマリウスを呼ばなかった父は正解かもしれないが、それよりも話の内容に憤りすぎて、オリビアは怒り心頭になった。
父の身勝手な話は、長くはなかった。
ただ単純に自分の言い分を言い終えて、旅行鞄一つを手に取り居なくなった。
あとの段取りはニコルに任せている、となんとも簡単に自分を殺した。
オリビアの父ユリウスには愛人がいて、その間には二人の子も授かっている。オリビアも結婚した事で肩の荷が下りた。今後は本当の家族と過ごしていく、自分は死んだことにしてくれ。
父の居なくなった執務室でしばらく呆然としていたオリビアだったが、ハッと我に返り父を追いかけた。
何を勝手なことを!と叫んだつもりだったが、嗚咽で言葉になってなかった。ズブズブと沈む絨毯に足を取られなかなか進まない足を必死に動かすが、父はとうにその姿を邸から消し去っていた。
その場に頽れたオリビアを慰めてくれたのはニコルだった。
あれはたった3年前の出来事だった。
あのときのことを思い出して朝の自分を思い出す。
「今日も追いつけなかった」
オリビアはマリウスを父に重ねた事で自分の行動を思い出した。
頬には涙が流れてゆく、いつまでも枯れない涙を持て余すが止まらない。
流れるままで天井を見つめ続けるオリビアを見守りながら、部屋の隅でアンヌが握り拳に力を込めて男どもを呪っていた。
◇◇◇
結局オリビアは直ぐにマリウスを追いかけなかった。追いかけたところで何が変わる事もない事に気付いたからだった。
彼はきっと愛する人の元へ行ったのだろう、それが父に重なり、また空の棺で葬儀をしなければならないのかしら?と心の中で自嘲していた。
自分が哀れでしょうがなかった。
父にも夫にも裏切られた。
この抉られた心を埋めるのに方法なんてあるのだろうか?
これからの事を考えるとそれだけで溜息が溢れた。
マリウスが居なくなった3日後に漸く領地を出発した。ニコルが努めて明るく見送ってくれた。タウンハウスへ向かう馬車の中は葬儀に向かうように暗い。オリビアは領地からタウンハウスまでの8時間をずっと窓の外を見つめてやり過ごした。
タウンハウスでは侍女長のマイナと執事でニコルの息子のリバーが出迎えてくれた。
一旦部屋で着替えを済ませ、軽い夕食を摂り執務室へと向かう。
そこには既に事情を聞きたい面々が揃っていた。
オリビア用のリクライニングチェアーに腰かけたオリビアにまず報告したのはマイナだった。
「その女はこちらの裏口に突然赤子を抱いて現れました。ですが見覚えがありましたので私の部屋に連れて行きました」
「見覚えがある?」
「1年ほど前まで洗濯メイドをしていた者です」
「せんたく⋯」
マリウスは使用人に手を出していた、しかもそれがあろうことか、接点などあるはずもない洗濯メイドということにオリビアは衝撃を受ける。
そして、もう何度も流した涙が頬を伝う。オリビアの涙腺はこの頃勝手に崩壊してしまう。
「惨めね、私⋯」
それ以上は選民意識の表れのようで言葉には出せなかった。だが事実は女侯爵であるオリビアは、平民の洗濯メイドに夫を寝取られたのだ。
しかも体だけではなく夫の愛まで彼女に持って行かれた。
抉られた心にはもう何も残っていないオリビアは、伝う涙を掌でグイッと拭いマイナに報告の先を促した。
だが目の前の朝食の席にマリウスはいない。
空席をしばらく見つめ続けたオリビアだったが、一口も口にすることなく立ち上がった。
椅子が大きな音を響かせた。
「⋯王都に⋯⋯⋯帰るわね」
誰にともなくそう呟くオリビアの言葉は食堂に響いた。
アンヌが直ぐにオリビアよりも前に進み、オリビア達の部屋へと向かっているのが目の端に映る。それをぼんやりと視界に入れながらトボトボと部屋へと歩く。敷き詰められた絨毯が突然スポンジになったように、一歩一歩が沈んでいるようで歩きにくかった。
前に進みたくても進めない、そう思った時オリビアは顔を両手で覆ってその場に座り込んだ。
その姿を見たニコルはオリビアに駆け寄り娘にする様に背中を擦る。
ニコルがオリビアのその姿を見るのは二度目だった。
だがきっと前回の比ではないことは明白だった。
ニコルは悲しみに暮れるオリビアを労るように何度も背中を擦った。
オリビアはズキリと頭痛がして目が覚めた。
天井は見覚えのある領地の部屋の物だ。
タウンハウスへ帰ろうと歩き出したと思っていたのに、いつの間に部屋で寝ていたのだろう。そう思い記憶を辿るが、再びズキリとして一先ず考えるのを止めた。
目を瞑りオリビアはマリウスとの結婚式を思い出していた。大勢の人に祝われた幸せに満ちた結婚式に、泥を塗ったのは父だった。
王都での結婚式と違い領地では領民たちが祝ってくれた。恰も王族の言祝ぎのパレードのように、マリウスと二人で領都内を手を振りながら回った。
領民たちの笑顔を見てこれからはマリウスとこの笑顔を守っていくのだと、胸に刻みながら幸せを噛み締めた。
その日の夜にオリビアは父から呼ばれた。
父の執務室には母の姿もあったが、マリウスが呼ばれていない事にオリビアは反発した。
だが父は、いいのだと言って譲らなかった。
話を聞き終えればマリウスを呼ばなかった父は正解かもしれないが、それよりも話の内容に憤りすぎて、オリビアは怒り心頭になった。
父の身勝手な話は、長くはなかった。
ただ単純に自分の言い分を言い終えて、旅行鞄一つを手に取り居なくなった。
あとの段取りはニコルに任せている、となんとも簡単に自分を殺した。
オリビアの父ユリウスには愛人がいて、その間には二人の子も授かっている。オリビアも結婚した事で肩の荷が下りた。今後は本当の家族と過ごしていく、自分は死んだことにしてくれ。
父の居なくなった執務室でしばらく呆然としていたオリビアだったが、ハッと我に返り父を追いかけた。
何を勝手なことを!と叫んだつもりだったが、嗚咽で言葉になってなかった。ズブズブと沈む絨毯に足を取られなかなか進まない足を必死に動かすが、父はとうにその姿を邸から消し去っていた。
その場に頽れたオリビアを慰めてくれたのはニコルだった。
あれはたった3年前の出来事だった。
あのときのことを思い出して朝の自分を思い出す。
「今日も追いつけなかった」
オリビアはマリウスを父に重ねた事で自分の行動を思い出した。
頬には涙が流れてゆく、いつまでも枯れない涙を持て余すが止まらない。
流れるままで天井を見つめ続けるオリビアを見守りながら、部屋の隅でアンヌが握り拳に力を込めて男どもを呪っていた。
◇◇◇
結局オリビアは直ぐにマリウスを追いかけなかった。追いかけたところで何が変わる事もない事に気付いたからだった。
彼はきっと愛する人の元へ行ったのだろう、それが父に重なり、また空の棺で葬儀をしなければならないのかしら?と心の中で自嘲していた。
自分が哀れでしょうがなかった。
父にも夫にも裏切られた。
この抉られた心を埋めるのに方法なんてあるのだろうか?
これからの事を考えるとそれだけで溜息が溢れた。
マリウスが居なくなった3日後に漸く領地を出発した。ニコルが努めて明るく見送ってくれた。タウンハウスへ向かう馬車の中は葬儀に向かうように暗い。オリビアは領地からタウンハウスまでの8時間をずっと窓の外を見つめてやり過ごした。
タウンハウスでは侍女長のマイナと執事でニコルの息子のリバーが出迎えてくれた。
一旦部屋で着替えを済ませ、軽い夕食を摂り執務室へと向かう。
そこには既に事情を聞きたい面々が揃っていた。
オリビア用のリクライニングチェアーに腰かけたオリビアにまず報告したのはマイナだった。
「その女はこちらの裏口に突然赤子を抱いて現れました。ですが見覚えがありましたので私の部屋に連れて行きました」
「見覚えがある?」
「1年ほど前まで洗濯メイドをしていた者です」
「せんたく⋯」
マリウスは使用人に手を出していた、しかもそれがあろうことか、接点などあるはずもない洗濯メイドということにオリビアは衝撃を受ける。
そして、もう何度も流した涙が頬を伝う。オリビアの涙腺はこの頃勝手に崩壊してしまう。
「惨めね、私⋯」
それ以上は選民意識の表れのようで言葉には出せなかった。だが事実は女侯爵であるオリビアは、平民の洗濯メイドに夫を寝取られたのだ。
しかも体だけではなく夫の愛まで彼女に持って行かれた。
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