不器用課長とキャバ嬢愛ちゃん

あわい(間)

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第4話

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慶佑けいすけ井藤いとうが連れ立って新橋駅前の雑踏を縫う。赤提灯の居酒屋に足を向けると店内は平日の夜にもかかわらず活気に溢れ、サラリーマンたちの笑い声と、鉄板で焼かれる肉の香ばしい匂いが混じり合っている。

煙草の煙がゆらゆらと漂い、ビールジョッキがカウンターで軽快な音を立てる、まさに新橋らしい喧騒の中だった。

「お?ホタルイカもあるじゃん。お姉さん、ビールおかわりとこれお願いね。あと君のMINEも」
井藤は慣れた様子でメニューを指差しながら、若い店員にウインクした。
「えっ」
店員の女の子は困ったような笑顔を浮かべたが、まんざらでもなさそうだった。

「お前、少しはわきまえてくれ……」
杉山は眉をひそめた。こういう時の井藤の軽さは、同じ男として見ていて気恥ずかしい。

「いや、お前こそ俺を見習え。万年婚活男。…てか、何だよ?珍しくお前から飲みに誘ったからには、さぞ重要な報告だろうな?さっさと話せよ」

井藤が箸を器用に回しながら、ニヤリと笑った。いつも誘われる側の慶佑から連絡があったのは久しぶりのことだった。

「う、じ、実は……」
慶佑がもじもじと言い淀んだ、その時だった。


入り口のドアが開いて、明るい女性の声が店内に響く。

「よかった~、入れた!」
「ここ良いわよね。安くて美味しいし」

三人組の女性客が、賑やかに店内に入ってきた。先頭は背の高い切れ長の目元の美人、その後ろで妹系の幼い顔立ちのこれまた美人が居酒屋の雰囲気をキョロキョロと観察している。


そして、三人目——。

タレ目がちの上品な美人が入ってくる。先に入った二人に向かってふわりと微笑んだ瞬間、慶佑の心臓が跳ね上がった。

「ぅあっ」
思わず変な声が出てしまった。

微笑んだその顔は先週もその前の週の土曜日も一緒にでかけた愛ちゃんこと中尾さんだった。

「……なんだよ、変な声だして」
井藤が慶佑の視線の先をたどり、目を見開いた。
「…ん?まじか……!あの3人レベル高いな。ロングの美人ちゃん足綺麗~」
井藤が興味深そうに女性たちの方を見て席につくのを観察し始めた。


店内の他の男性客たちも、美しい三人組の登場にさりげなく視線を向けている。三人の楽しそうな様子に、店全体の雰囲気がより華やかになった。


女性たちがついたテーブルでは——

黒髪ロングで涼し気な目元の美人、永瀬里津ながせりつが手慣れた様子でメニューを確認している。

「あ、ホタルイカがあるわ。頼んでいい?」
「わたし、せせりポン酢ー!」
弾む声は松永彩香まつながさいか。二人とも愛ちゃんが勤める会社の受付係の同僚だった。

「わたしはどうしようかな?あ、湯葉で包んだ餃子ですって!美味しそう……」
愛ちゃんも目新しいメニューに興味津々で瞳を輝かせている。





「お…おい、じろじろ見るな」
注意する慶佑の挙動のおかしい様子を井藤が面白そうに観察していた。
「なんだよ…見るぐらい良いだろ?……おい、まさかあの中に例の子がいるのか?!」

井藤がバンバンと慶佑の肩を叩いた。その衝撃で、慶佑のビールがこぼれそうになる。
「でかい声だすな!」





女性陣の席でも、彩香が何かに気づいていた。
「あれ?里津先輩、あっちの席のすんごいイケメン、こっち見てます!」
彩香が小声で興奮しながら、男性陣の席をこっそり指差した。

里津と一緒に愛ちゃんもその方向を見て——慶佑と目が合った。
「え!……杉山さん……?」

その瞬間、頬が一気に赤くなる。




「松永ちゃん、やめときなさい。あのニコニコしてる人は井藤一馬いとうかずま。うちの世代じゃ有名な遊び人よ?あなたみたいな娘、ひと口でやられるわよ」
里津が大人の余裕で忠告した。

「えっ、そうなんですか。でもすごいオーラ……」
彩香はごくりと唾を飲んだ。その時、里津が愛ちゃんの様子に気づく。

「で……葵子、あなたまで何をそんなに見つめて……あら。あの人、辻井商事の杉山さんじゃない?彼、井藤と知り合いだったのね」
「……っ」

愛ちゃんは慌てて視線を逸らし、顔を真っ赤にした。その急激な変化を見逃さず、里津が眉をひそめた。

普段の愛ちゃんらしくない様子に、注意深く観察し始める。





男性陣のテーブルでも井藤の鋭い観察眼が働いていた。
「……慶佑~、隠しても無駄だぞ。どの子だ?」
慶佑は無言で下を向いたまま、何も話そうとしない。

井藤が慶佑の過去の恋愛遍歴を思い出しながら、分析するように呟いた。
「あのシニヨンの子はちょっと幼すぎるから、お前の好みじゃないよな?お前、いつも大人っぽい女にフラッと行ってたし……、あの美人ちゃんは気位が高そうだからこっちも除外、とすると真ん中のタレ目の娘だろ。…当たり?」

井藤がニヤリと笑った。

「…ち、違う、たまたま……」
「はいはーい確定。おっさんのくせに青春してんな~。てか、昼間も働いてるんだ?頑張りやさんだな。」
「……最悪だ……」

慶佑は耳まで真っ赤にして顔を覆った。居酒屋の喧騒の中で、こんなにも自分の鼓動が大きく聞こえることに驚いた。


「……も、もういい。出よう」
慶佑が思い立ったように急に立ち上がる。
「はぁ?お前まだ1時間も経ってないだろ?俺のホタルイカどうすんだ!おい待て!」
「……無理だ……」

顔が赤くなったり青くなったり忙しい慶佑。井藤も慌てて立ち上がり慌てておいかける。店員に向かって「会計!会計で!」と手を振った。





女性陣の席では、向こうの席での突然の騒動に困惑していた。
「……え、なにあのドタバタ」
彩香がきょとんとしている。
「井藤が慌ててるなんて珍しいわね」
里津も首をかしげた。愛ちゃんは顔を赤らめながら下を向いたまま、二人が店を出ていったことにも気づかずにいた。

先輩と後輩が顔を見合わせ、きょとんとした表情を浮かべていた。



---



居酒屋での一件から一夜明けた翌朝。

慶佑は昨夜のことを思い出すたびに憂鬱になった。井藤のしつこい質問攻めを思い出すと、今でも顔が熱くなる。「どの子だ?」「真ん中のタレ目の娘だろ?」から始まり、デート練習の様子を根掘り葉掘り聞かれ、挙句の果てには愛ちゃんとの関係まで詮索された。本当に鬱陶しかった。

(もう井藤には何も話すまい……)

気持ちを切り替るため、通勤電車の中でいつものように株価チェックをしようとスマホを開いた。しかし、証券アプリを立ち上げた瞬間、慶佑の表情が一変する。

「なんだ、この動き……」

画面に表示された数字に、慶佑は食い入るように見つめた。指先でアプリをスクロールし、赤と緑の数字を追っている。明らかに普段とは違う相場の動きに、眉間にしわが寄る。

「このタイミングで売り込むか……主力の決算通過で需給が軽くなった?それとも信用の投げか……」
小さく呟いた声に、隣に座っているサラリーマンがチラリと視線を向ける。慶佑は気づかずに続ける。

「機関の動きが読めない」

隣の男性は慶佑の画面を盗み見て、眉を上げた。数字の動きを瞬時に読み取る様子に、まるでプロの投資家でも見ているかのような視線を注ぐ。

慶佑の表情は険しく、どこか不穏な空気を纏っていた。





会社に着くと、いつものように田中が駆け寄ってきた。
「おはようございます、課長!……って、どうしたんですかー?恐い顔して」
田中の明るい声に、慶佑はゆっくりと振り返る。しかし、その反応は驚くほど薄かった。

「……いや」

一言だけ返すと、そのまま自分のデスクに向かって歩いていく。田中の存在など頭にないかのような素っ気ない態度だった。

普段ならどんなにいじられても嫌な顔をしながらも「おはよう」と返してくれるのに、今日は明らかに違っていた。まるで別人のような冷たさに、田中は戸惑いを隠せない。

田中は口を開けたまま、その後ろ姿を見つめていた。
「……え?誰、あれ?課長?」





日中の相場の異常な動きに、慶佑は余談を許さない状況だと直感していた。残業をするような状況ではなく急いで会社を出る。自宅に戻って本格的な分析と対策を練る必要があった。

慶佑の1DKの部屋。家具は必要最低限しかなく、机にはノートPCとスマホ、クリアファイルに挟まれた決算資料、角が丸くなったくたびれた四季報が置かれている。



早々に夕食をすませて机に座る。

デスクライトの下、慶佑は証券アプリの画面と決算資料を交互に見比べながら、赤ペンを走らせていた。

「PER10倍割れ? 市場は何を見てる」

呟きながら、営業利益の推移に線を引く。普段の職場での慶佑とは別人のような、鋭い目つきだった。

スマホの画面で株価チャートが下落を続けている。慶佑は小さく舌打ちした。
「狼狽売り……損切りライン甘すぎだ」



その時、「ピロン」というMINEの通知音が響いた。
画面に愛ちゃんの名前が表示される。



――『お疲れさまです。この間、すごく楽しかったです』

――『昨日、もしかして新橋の居酒屋さんにいらっしゃいました?』

――『お仕事お忙しいと思いますが、無理しないでくださいね』


メッセージが立て続けに届いていた。慶佑は赤ペンを置いて、スマホを手に取る。

愛ちゃんの優しい気遣いが、文面からも伝わってくる。普段なら返信したいところだが、今は株価分析に集中したい。この大事な局面で感情に流されるわけにはいかない。

慶佑は短く息を吐いて、通知をオフにする操作をした。メッセージはまだ未読のままだった。


---



その頃、暗い部屋の中で愛ちゃんは眠れずに布団の中でスマホを見つめていた。
送ったメッセージに既読がつかない。時計を見ると、もう11時を過ぎている。

(まだお仕事中なのかな……それとも、迷惑だったかな)

胸の奥に不安がじわりと広がる。昨日の居酒屋での出来事から、杉山のことが頭から離れなかった。あの時の驚いた顔、慌てて店を出ていく後ろ姿。

(なんで、こんなに気になるんだろう……)

自分の気持ちに戸惑いながら、愛ちゃんはスマホの画面を見つめ続けた。これまでにも何度か経験のある、甘くて切ない感情。それが恋だということに、薄々気づき始めていた。



---



それから数日経過したあとも慶佑からの返事は一向に来なかった。
日に日に不安が募っていく。

最初の一日は「お忙しいんだろうな」と思えていた。二日目は「体調でも崩したのかな」と心配になった。

そして三日目、四日目と経つにつれ、別の感情が胸に芽生え始める。
(もしかして、迷惑だったのかな……)

スマホを開いては未読のままのメッセージを確認し、ため息をつく。こんなに誰かからの連絡を待ち望んだことは、今まで一度もなかった。



---



数日後の夜、Club Aubeクラブオーブに田村営業部長と田中がやってきた。愛ちゃんは二人を担当することになり、いつものように明るく振る舞った。田中が愛ちゃんの隣の席に座り、部長は少し離れたソファに腰を下ろす。

「いらっしゃいませ!今夜もよろしくお願いします」
「おお、愛ちゃん!こんばんは、今日もキレイだね~」

田村部長が上機嫌で声をかけるが、その視線は早くも店内をキョロキョロと見回している。

「あれ、ママ~?今日はミカちゃんは?」
部長の関心が一瞬で愛ちゃんから離れたのがわかる。愛ちゃんは苦笑いを浮かべた。

「ごめんなさい、今日は風邪でお休みなの」
「えー!……ミカちゃんいないなら帰ろうかな」

その時、新人の女の子が現れた。
「こんばんわ!新人の麻衣香マイカです。よろしくお願いします♡」
「麻衣香ちゃ~ん♡♡」
部長の目がハートマークになり、愛ちゃんどころか完全にミカちゃんの存在までも忘れて麻衣香の方に身を乗り出していく。

その変わり身の早さに、店内の女の子はみな苦笑いしている。



愛ちゃんの心は上の空だった。慶佑のことで頭がいっぱいで、いつものような自然な笑顔を作るのに苦労している。

「杉山さんは最近どうされてるんですか?」

愛ちゃんが何気なく尋ねると、田中が困ったような顔をした。
「あー、課長ですか。最近すごく忙しそうで……なんか話しかけづらいんですよ」
(やっぱり忙しいんだ……でも、それだけなのかな)
「ホントに別人みたいになっちゃって。前はもうちょっと優しかったのに」

田中の言葉に、愛ちゃんの胸がチクリと痛んだ。



「そういえば、恋愛指南の方はどうなんですか?進んでます?」

田中が興味深そうに身を乗り出した。愛ちゃんは少し戸惑いながらも、ポツリポツリと話し始める。
「えーっと……映画を見に行ったり、ふれあい動物広場に行ったりしました」
「へー!課長が動物!?」
田中が驚いたような顔をする。愛ちゃんは小さく笑った。

「最初はちょっと苦手そうでしたけど、でも……すごく優しくて。私が楽しんでるのを見て、一緒に笑ってくれたんです」

愛ちゃんの表情がふわりと柔らかくなる。その時の慶佑の笑顔を思い出していた。

「あと、ネクタイを選んだりもして。似合うって言ったら、すごく嬉しそうにしてくださって……」

「課長が嬉しそうに?それはレアですね」
田中が苦笑いした。愛ちゃんは頷く。

「杉山さんといると楽しいんです。自然に話せるし、なんだか……安心するというか」
愛ちゃんの言葉に、田中は意外そうな表情を見せた。
「へー、そうなんですね。いつもの課長からは想像できないな」




ふと愛ちゃんの頭に里津先輩の言葉がよみがえった。

——「あのニコニコしてる人は井藤一馬。うちの世代じゃ有名な遊び人よ?」

——「そういえば、杉山さんって井藤と親しいんだっけ……?類友って言葉もあるし」

里津先輩の意地悪な推理を思い出し、すぐに首を振る。

(杉山さんに限って、そんなことないよね)

でも、連絡が途絶えている現実を前にすると、どうしても不安な気持ちが押し寄せてくる。





「愛ちゃん、大丈夫?なんか今日元気ないけど」
田中が心配そうに声をかけた。愛ちゃんは慌てて笑顔を作る。
「あ、すみません!大丈夫です」
でも、その笑顔はいつもより少しぎこちなかった。



ーーー



その夜、家に帰った愛ちゃんは再びスマホを手に取った。何度も送信ボタンを押しそうになっては、やめることを繰り返している。

(もう一度メッセージを送ったら、重いって思われちゃうかな)

胸の奥に、今まで感じたことのない痛みが広がっていく。
今日も既読はついていない。
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