不器用課長とキャバ嬢愛ちゃん

あわい(間)

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第5話

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株式相場は数日不安定だったが、ようやく落ち着きを見せ始めた。
慶佑けいすけは連日深夜まで資料にかじりつき、睡眠を削って相場を追っていた。
MINEの存在すら頭から消えてしまうほどだ。


慶佑の目がせわしなく資料を行き来する。決算書の数字を指でなぞりながら、独り言を続ける。

「営業CFは問題なし……自己資本比率も悪くない」

資料をめくり、来期の業績予想を確認する。
PC画面の株価も安定に転じつつある。慶佑の表情に迷いはなかった。

「市場が見落としているなら……拾わせてもらう」

冷静で確信に満ちた声だった。普段の不器用な慶佑からは想像もつかない、まるで別人のような強さがそこにあった。



机の隅の時計は午前2時。秒針だけが静けさを刻む。
取引画面では株価がわずかに回復。緑の数字を確かめて小さく息を吐く。

カチ、カチ、カチ——。

「ふぅ……まあ、悪くない」
肩の力が抜け、資料を片付けようとしたとき、ふと数日前のメッセージを思い出す。
通知で見えていたのは冒頭だけだったが、改めて全文を開く。スマホを握る手がわずかに震えた。


『お疲れさまです。この間、すごく楽しかったです♪つぎはどこへ行きましょうか?今度は杉山さんの好きなところがいいかも!』


『きのうもしかして新橋の居酒屋さんにいらっしゃいました?ご挨拶出来ずにすみません。すぐに帰ってしまわれたので、少し心配しています……』


『お仕事お忙しいと思いますが、無理しないでくださいね』


最後に小さなネクタイを締めたスーツ猫のスタンプ。思わず笑みがこぼれる。
そのあまりにシュールで可愛らしい表現が可笑しくて、口元がゆるむ。


優しい言葉を読み返すたび、ここ数日の疲れがすっと抜けていく。
慶佑は無意識に胸に手を当てた。心臓が普段より速く打っているのがわかる。
熱を帯び、慌てて画面から視線を逸らした。
(ちゃんと返信しなきゃ……)

胸の奥に温かい感情が広がった。それはやわらかく胸を締め付ける。
大きく息を吐いてこれが恋なのだと、慶佑はようやく自覚した。



ーーーー



同じ時刻、深夜2時。あいちゃんは暗い部屋でスマホの青白い光に照らされながら、何度目かの通知確認をしていた。返信のない現実に胸がチクリと痛む。静寂の中、時計だけが容赦なく進む。

諦めかけたそのとき——「既読」
「……っ!」

愛ちゃんの心臓が跳ね上がった。思わず布団から身を起こすと、顔が一気に熱くなる。
彼の存在を確認できるただそれだけで、こんなにもドキドキしてしまう自分に驚いた。

(……杉山さん……会いたい)

不安さえ愛おしさに変わる夜だった。



ーーーー



次の日、会社は多忙を極めた。

電話が鳴り続け、会議室を行き来し、資料作成に追われる。スマホを開く余裕すらない。愛ちゃんからもらったメッセージが頭をよぎる。数日返信しなかったことも含めてきちんと返信するには落ち着いて考える時間が必要だった。


慶佑が急いで資料の中からお目当てのデータを探していると、田中がこそこそと近寄ってきた。
「課長~」

慶佑は振り返る。
「見ての通り、忙しいんだが。……なんだ?」
田中の顔に、何やらいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。

「この前愛ちゃんに会ったんすよ。めっちゃ心配してましたよ」
「……そうか」
慶佑は何気なく答えたが、心の奥では少しざわついていた。その反応を見て、田中の目がきらりと光る。

「あと、"課長といると楽しい"って言ってました」
「っ……!」

慶佑の手に持っていた資料がふわりと落ちそうになり、慌てて掴み直す。
普段冷静な課長の動揺に、田中は心の中でニヤリと呟いた。
(……課長、チョロすぎ。これは面白い)


「ちゃんと連絡してあげてくださいね!」
言うことだけ言って満足したのか田中はもう背中を向けて別の先輩に話しかけている。
「……いわれなくても」

慶佑はため息を吐いて小さく呟く。





お昼休みになり、慶佑は社員食堂の隅の席でスマホを取り出した。愛ちゃんとのトーク画面を見つめる。

「よし、返すぞ……」
いざ文字を打ち始めると手が止まる。
『お疲れさまです。返信が遅くなってすみません』

打っては消し、打っては消しを繰り返す。気がつくと長文になりすぎていて、慶佑は小さく舌打ちした。
「……だめだ、なんか重い」
全て削除して、今度は短めに。でもそれだと素っ気なすぎる気がして、また削除。
慶佑の眉間に小さなしわが寄る。
その時、同僚が慌てて駆け寄ってきた。

「杉山課長!大変です、急ぎの案件が入りました!」
慶佑は画面を見つめたまま、小さくため息をついた。

「……はい、今行きます」

スマホの画面を見つめたまま数秒。結局、何も送れないままMINEを閉じた。



ーーー



帰宅後、慶佑はやっとソファに腰を下ろした。今日一日の疲れが足にまとわりつくように重い。スマホを手に取り、再びMINEを開く。画面に表示される愛ちゃんの名前を見つめながら、深呼吸をひとつ。

「よし、今度こそ……」


『先日は楽しい時間をありがとうございました。動物ふれあい広場で、君が猿と同じくらい楽しそうに笑っていて、俺まで楽しい気分になりました』
文字を打ち終えて読み返した瞬間、慶佑の顔が青ざめた。

「……いや、失礼すぎる」
削除。



今度はもう少し真面目に、と気を取り直す。

『ネクタイ選んでもらえて助かりました。おかげで上司にも褒められました』
また読み返す。なんだかお礼状のようで味気ない。

「……上司報告いらないだろ」
削除。



額に汗がにじんできた。なぜこんなにも言葉が見つからないのだろう。気の利いた一言を入れればいいだけなのに考えすぎてしまう。

『愛ちゃん、この前の君笑顔が俺の人生で一番の収穫でした』
打った瞬間に後悔した。

「……農家か俺は」
削除。



もうやけくそだった。思いのたけをぶつけるように指が動く。

『君の笑顔を見るためなら、俺は何度でも生まれ変わりたい』
「……ポエムか!!!」
慌てて削除。



画面が再び空白になる。
「……だめだ、全然伝わらない」
慶佑は自分の文才の無さに青ざめ、がっくりとソファにうずくまった。
大切なことほど言葉にならない。この歯痒さは何なのだろう。

(やっぱり文章じゃ無理だ……いっそ電話で話した方が)

ふと浮かんだ考えに胸が高鳴る。声なら、きっと気持ちが伝わるはず。だがすぐに不安が頭をもたげて首を振る。

(いや、でも何を話せば……だめだ、怯んでる場合じゃない。何日またせてると思ってるんだ!)
愛ちゃんの待つ顔が頭に浮かんだ。迷いながらも、慶佑の指は通話ボタンに向かう。


ドキドキしながら画面を見つめ、もう後には引けないと意を決して——

間違えてビデオ通話のボタンを押してしまった。

「あっ!?」

指先の震えが裏目に出た。慌てて画面を見つめるが、もう遅い。コール音が鳴り始めている。



一方、愛ちゃんの部屋。薄暗い部屋の中、布団の中でくつろいでいた愛ちゃんのスマホが突然光る。枕元に置いていた携帯が振動と共に鳴り響いた。
画面に「杉山さん」の表示。

「え?!うそ、電話?!」

慌てて飛び起きる。髪は寝癖でぼさぼさ、パジャマ姿の自分を見下ろして焦る。よくよく画面を見ると、ビデオマークが光っている。

(!しかもなんで、ビデオ通話……!?)

部屋は散らかっているし、すっぴんだし、この格好は絶対に見せられない。


ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、……


コール音が容赦なく響く。出ないわけにはいかないし、でも出るのも恥ずかしい。心臓が早鐘のように打っている。

(ど、ど、どうしよ!でも出ないのもおかしいし……!)

迷いに迷った末、覚悟を決めて。
「えい!」
気合を入れて応答ボタン押すと画面には慶佑のドアップ。
二人の目が合う。時が止まったような瞬間。
「あっ!?違っ、ごめ!間違えた!!」

慶佑の慌てふためく顔が画面越しに見える。普段のリアクションの薄い彼からは想像もつかない、子供のように慌てる表情。
「い、いえ……!」

愛ちゃんも顔を真っ赤にしながら、でもその彼の慌てぶりがデートしているときの気の抜けた空気を思い出させて思わず笑みがこぼれる。


あまりに恥ずかしすぎて、慶佑は慌てて通話を切った。画面が暗くなる。
「え?!」
愛ちゃんが呆然としていると、数秒後、今度は普通の電話の着信音が響く。同じく「杉山さん」の表示。今度は音声のみの通話だった。

愛ちゃんは胸に手を当て、荒れた心臓を落ち着けながら電話に出た。
「もしもし……」
「はい……」
お互いの声が少し震えている。先ほどの出来事で、二人の間に何とも言えない初々しい空気が流れていた。

「ごめん、なんかお騒がせして……、今大丈夫?」
慶佑の声には申し訳なさと、でもどこか安堵が混じっていた。
「い、いえ、少し驚きました、……あはは。はい、かまいません。」

受話器の向こうから聞こえる慶佑の声は、いつもより低く落ち着いて聞こえる。直接会って話すときとは違う、電話越しの声の響き。それがかえって愛ちゃんの心臓を跳ね上がらせた。



少しの間が流れる。お互いに何を話していいかわからない気まずさと、でも話していたいという気持ちが入り混じっている。
「……MINE、返せなくて悪かった」

慶佑の声には、普段の不器用さではない、大人の男性としての誠実さが込められていた。きっと彼なりに、ずっと気にしていたのだろう。
「い、いえ……私こそ」

愛ちゃんの声は小さく震えている。本当は返事に困っていたわけではない。でも、それをどう伝えていいかわからなかった。

電話の向こうで、慶佑が少し間を置いた。何かを決心するような、そんな静寂。そして、意を決したように口を開く。

「……埋め合わせに、ご飯でも奢らせてくれないか」

その言葉に、愛ちゃんの頬が一気に熱くなった。これは、お詫びなのか、それとも——

「……っ」
言葉にならない思いが胸に渦巻く。しばらくの沈黙の後、愛ちゃんは勇気を振り絞って答えた。自分でも驚くような言葉が口をついて出る。

「…じ、…じゃあ……うちに来ませんか?」

言った瞬間、顔から火が出そうになった。なぜそんなことを言ったのか、自分でもわからない。

電話の向こうで、慶佑の息を呑む音が聞こえた。しばらくの静寂。
愛ちゃんは自分の心臓の音が相手にも聞こえているのではないかと思うほど、激しい鼓動を感じていた。

「……本当に?」
慶佑の声は少し掠れていた。

「はい……なんだかんだでいつも奢ってくださってますし、お家なら安上がりですし。お料理、作ります」

愛ちゃんなりの精一杯の理由づけだった。本当の気持ちを隠すように、少し早口で言葉を重ねる。でも声の震えは隠しきれない。

慶佑は少し間を置いてから答えた。その間に、きっと彼も様々なことを考えていたのだろう。

「……ありがとう。お邪魔します」
電話の向こうから聞こえる彼の声は、とても温かかった。



ーーーー



電話を切ったあと、二人はそれぞれの部屋で胸に手を当てていた。
愛ちゃんは布団に顔を埋め、慶佑はソファに深く沈み込んで。



「……来てくれるんだ」
小さな声で呟いた愛ちゃんの頬は、熱を帯びて真っ赤になっていた。



一方の慶佑は、ソファに仰け反りながら天井を見つめる。
(あんなふうに気を遣わせて……返事もできずに心配までさせた)
胸の奥にチクリと罪悪感が残っている。けれどその感情に、別の熱が重なった。
(……今度は俺の番だ。ちゃんと喜ばせたい)

遠く離れた部屋で、同じ人を想い、同じ熱で頬を染めていることをまだ知らない。
二人の夜は、甘く更けていった。
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