不器用課長とキャバ嬢愛ちゃん

あわい(間)

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第9話

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座敷に煮物や焼き魚が並ぶ夕食の席。母親はにこにこと世話を焼き、父親は腕を組んで睨んでいる。
慶佑は葵子の隣の席を勧められて真剣な表情。
葵子は平然と座りながらも、少しそわそわと落ち着かない。

「うちはもう、多額の借金ば抱えとる。どうや?これ知ったら、あんたも裸足で逃げ出すしかなかばい」
 湯気の立つ味噌汁の椀を前に、父の声は低く響いた。
一言目から重苦しい沈黙が場を覆っている。障子の向こうから虫の声だけが、ささやかに響いていた。

葵子が不安げに慶佑を見るが、慶佑は姿勢を正し、父の目をまっすぐ見つめた。
「なるほど。差し支えなければ、その借入の総額を伺ってもよろしいでしょうか?」
いつもの頼りなさはなく、慶佑の声音は落ち着いていた。その冷静さに、一瞬だけ場の空気がざわめく。葵子は驚いたような表情で慶佑を見上げた。
「そがんこと聞いてどうするとか!」
父がテーブルを軽く叩き、話を終わらせようとする。

「まあまあ、お父さん。そがん乱暴にしたらいかんよ」
母が小さくため息をつき、言葉を継いだ。
「隠しても仕方なか。——債務の合計は二億円。主に金融機関からの借入と、取引先への未払い。それにこの間、来期の融資を断られてね……もう回す手がないのよ。」
数字を口にした母は、場を少し和らげるように微笑む。
「まぁ、簡単に言えば"カツカツ生活"っちゅうとこやね」
「なっ……!!お前、余計なことを……!」
「ちょっとお母さん!」
父と葵子が慌てて制止するが、母は首をすくめて黙った。
葵子の頬が赤くなり、声が震える。

「お母さん、やめてよ!そんなこと関係ない人にまで……。秀ちゃんにだって、いろいろ話してたって聞いたんだから!」
彼女にとっては家族の恥をさらすような気持ちだったのだろう。現実の重さがどんよりと食卓を包む。
 
「あぁ、秀ちゃんね。頑張ってもらおうと思うとったんやけど、彼、ちょっと詰めの甘かところのあるでしょう。その点、杉山さんは期待できそうやない?なんてったって……こーんな辺鄙な所まで追いかけて来てくれた人やもん。少し期待しちゃうとよ」
母は葵子の肩を人差し指でつつきながら、いたずらっぽく笑った。

「……っ」
葵子は顔を赤らめ、視線を泳がせる。
「軽々しく言うな!無責任なことを……」
父は頭を抱え、深いため息をついた。
事態の深刻さと妻の楽観的な態度の間で板挟みになっている様子だった。


慶佑は姿勢を正し、目の前の湯呑を両手で包み込む。その仕草は、まるで書類を前に会議を仕切る時のように冷静だった。控えめだが明確に口を開いた。
「……期待に応えられるかどうかは、これからの行動で示します。まずは現状を整理しましょう」
慶佑の表情には、普段の不器用さの欠片もない。

「慶佑さん……お気持ちだけで十分です。これ以上、迷惑はかけられません」
慶佑は葵子の震える拳をそっと包み込んで優しく微笑んだ。
「葵子、大丈夫だから」
慶佑は気持ちを切り替えるように湯呑を置き、再び話し合いの場に戻った。
「ありがとうございます。では、黒字転換に必要な不足額は、年間どの程度でしょうか?」

母は視線を落として答えた。
「ざっと三千万は足りんね。今のままじゃ倒産までカウントダウンよ」
父が声を荒げ、箸を乱暴に置いた。苛立ちを隠せずに髪をかき上げる。
「どうしょうもなかって言いよるやろ!」


慶佑は二人のやり取りを遮るように姿勢を正し、父母をまっすぐ見据えた。
「……つまり、直近で詰むのはその半年分――およそ2千万。それが緊急の倒産回避ラインということですね?」
「そうたい。それが回らんの」
「だから無理だと言っとる!」
父は半ばヤケクソになったように手を振り上げ、もはや話を聞く気もないといった様子で顔を背けた。タバコに火をつける。

「では、この緊急ラインを回避する資金は私の個人資産から拠出いたします。——独身で派手な暮らしもしてきませんから、それなりに貯めてきました」
場が一瞬静まり返る。

「なっ……!?」
父の顔がこわばる。
「うそ……!」
葵子が息を呑む。
母が思わず両手を合わせ、小さく呟いた。
「まぁ……!……思ってたより“本気”やね」


家族は唖然としながらも、その言葉の重みを理解し始めていた。父の表情に僅かな希望の光が宿り、母は興奮を抑えきれずに身を乗り出している。
愛子は信じられないという顔で慶佑を見つめていた。

杉山はさらに言葉を重ねた。
「半年分の猶予を稼げれば、販路拡大や新銘柄開発など、次の一手が打てます。」
「これでも私の仕事は営業です。現場に同行して、必ず立て直しが叶うよう、尽力します」

慶佑の言葉は、ただの理屈ではなかった。そこには確かな熱と、葵子への想いが滲んでいた。彼の姿勢の真っ直ぐさに、父の表情も少しずつ変わっていく。

間を置いて、慶佑は葵子に視線を向けた。
「……だから、葵子さん。"関係ない"なんて言わないでくれ。君の大事にしているもの——丸ごと俺が守りたいんだ」
葵子の心臓が強く鳴り、頬に熱が集まる。彼の真っ直ぐな眼差しに、思わず涙がこぼれそうになった。
母も思わず胸を押さえ、その誠実さに心を打たれる。

静寂の中、父がゆっくりと箸を置いた。その音が、食卓に小さく響く。
父はしばし黙り、低く唸った。
「……なんでそこまで」

慶佑は迷わず答える。
「葵子さんが、俺の人生を変えてくれたんです。この恩をなにか返したい。それぐらいの希望をくれたんです」
「信用できないのは当然です。ですから——1年間。期限を切って、できる限りのことをやらせてください」
父の表情が揺らぎ、ぽつりと呟く。
「……勝手にしろ」


ーーーー
 
「なぁ、どうしたんだ?こっち向いてくれないか?」
夕食後、二人は縁側に出ていた。虫の声が響き、月明かりが庭を照らしている。
葵子は膝を抱えて座り、慶佑はその隣に腰を下ろした。

「……やっぱり申し訳なくて。気持ちは嬉しいけど、2千万円なんて大金…」
葵子が小さな声で言う。慶佑は穏やかに微笑む。
「葵子。俺の話、聞いてくれるか?」
夜風が二人の間を吹き抜けていく。

「昔、付き合っていた女性に裏切られたことがある。前日まではそれこそ結婚の話もしてた。信じていたのに浮気されて。それが発覚した時は、何もかもが嫌になって……恋愛が怖くなった」
慶佑の声が少し震える。
「それから、元々好きだった数字の世界に逃げるようにのめり込んで、恋愛から目を背けているうちに気がつけばこんな年齢で」

慶佑は苦笑いを浮かべ、自分の不甲斐なさを恥じるように肩を落とした。あの頃の自分を思い返すと、今でも情けなくなる。

「必死に働いて資産を積んでも、心は満たされなかった。焦って婚活してみたものの、やっぱり俺は恋愛に向いてないって再確認しただけだった。」

慶佑は視線を上げて葵子の姿を捉える。彼女は少し悲しそうな顔をして話を聞いてくれている。その優しい表情に、胸が温かくなった。
「もう、半ば諦めて一人で生きていこうと思ってたんだ。……でも葵子、君と出会った。」
慶佑の脳裏にオフィスのエントランスが浮かぶ。午後の光の中、現れた葵子の姿が眩しかった。優しい笑顔は彼にとっては本当に奇跡に思えた。

「初めて"生きててよかった"と思えたんだよ。」

「だから、…貯めてきた俺の長年の想いは将来の大事な人に使おうって……今日、決めてた。」
葵子が慶佑の方を向く。月光に照らされた彼の横顔は、いつもより優しく見えた。
「ほかの誰にも渡したくないし、君に降りかかる嫌なことは俺が全部払ってあげたい。君の痛みも、喜びも俺に分けてほしいんだ。」

「慶佑さん……っ!」
葵子は涙を溢れさせ、震える声で答える。
「俺に君を守らせて」
慶佑が、葵子に向かって腕を広げる。彼女は考える間もなくそこに飛び込んだ。
夜風が吹き抜け二人を包み込む。



しばらくして家の中に戻ると、母親がにこにこしながら声をかけてきた。
「お布団、葵子ちゃんのお部屋に敷いといたよ。お風呂入ってからゆっくりしてね~」
「えっ……うそ…」
葵子は真っ赤になる。
「い、いや俺は——」
慌てる慶佑を、母親が手で制した。
「よかのよか!広かお布団やけん、こっちの方が安心でしょ♡」
その時、父親が湯飲みを置いて立ち上がった。
「…。」
渋い顔をしたまま、何も言わずに部屋に戻っていく。

「ほらね、何も言わんやったでしょ。案外、認めとるとよ~」
父が消えていった廊下の方を示しながら楽しそうに笑う。
「お母さんっ!」



「…全然くつろげなかった。」
風呂上がり、用意された寝間着を着て慶佑は脱衣所を出る。
広めのお風呂は酒蔵と同じく歴史を感じさせて、圧巻だったが今から向かう先を思うと心臓が駆け足で暴れ回る。
「…大丈夫かな、俺。」
昼間の浜辺。彼女に触れたくてたまらなかった。

教えてもらった道順通りに進むと、いったん庭に出た。
「……え?」
どうやら葵子の部屋は離れにあるようだ。


「慶佑さん、こっち。」
葵子が声をかけて、手招きしてくれる。
庭のオレンジ色の明かりが葵子の頬の輪郭を縁取る。
葵子の案内で上がった部屋には布団が二組、ピッタリとすき間なく敷かれていた。
「えっと…」
「お母さんよ。ほんと、強引なんだから」

葵子の恥ずかしそうに文句を言う様子を見て、慶佑は思わず嬉しそうに笑みを浮かべた。
「なあに?」
慶佑の表情が穏やかになる。
「ん?葵子は、お母さん似なんだなって……」
葵子が頬を膨らませる。
「うそ?全然うれしくないよ」
その反応が可愛くて、慶佑は首をかしげた。
「え?そうなのか?」
葵子は少し拗ねたような表情で慶佑を見上げる。
「もう、慶佑さん、わかってない……」


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