幽霊事務局長の穏やかな日常=大病院の平和は下っぱ事務員と霊が守ります=

藤島紫

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かつて そこにあった日常2

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 カミさんは三ヶ月もの間、生死を彷徨った末に、死んだ。出来ることは全部した。生きていて欲しかった。
 どんなことでもしてやりたかった。
 仕事を休んでそばにいた。
 食事は全部買って済ませていたから、食費がかかった。
 他にも少しずつ費用がかさみ、カミさんが亡くなった時、病院側への借金は150万円に登っていた。高額医療費制度を利用できない差額ベッド代だけでそれだ。他は互いの両親が都合をつけてくれていたが、それだけはどうにもならなかった。
 葬式代は200万かかった。
 香典はそれ以上集まったらしいが、全部カミさんの両親に持って行ってもらった。泣き崩れる親御さんに申し訳なくて、私は泣くことすらできなかった。
 後から、中型トラックのドライバーが運転操作を誤って歩道を歩いていたカミさんと息子に突っ込んだということがわかり、びっくりするような金額の慰謝料が運送会社から支払われた。
 私が一生、真面目に働いたって、こんなに稼げないだろう。
 それだけの価値が、カミさんと息子にはあった。
 忌引きで休んでいる間、遺品を片付けていて、息子がわんわんヒーローが好きだったと知った。使用済みのカレンダーの裏で作ったお絵かき帳には、息子が書いたらしい絵がたくさんあった。丸の中に点が三つ。その上に四角がひとつ。
 記号にしか見えないそれが、わんわんヒーローの絵だと分かったのは、横にカミさんの注意書きがあったからだ。
 そういえば、カミさんが何度も息子の絵を見せようとしてきていたのを思い出し、これのことだったのかと泣いた。
 申し訳ないのと情けないのとで、とにかくどうしようもなかった。
 そんな時、キッチンで離乳食の本を見つけた。
 昆布から出汁をとったり、野菜を煮込んでスープを作ったり。
 手間をかけて、体に優しい食べ物をと思っていたのだろう。
 最近、妙に味付けが薄かったのは、息子のためだったのかと納得していたら、付箋が貼ってあるページがあった。

――パパ用アレンジメニュー

 グラタン、シチュー、煮物……どれも見覚えがあった。
 その中でブイヨンのページには「再チャレンジ!」と書き込みがあった。そういえば、事故の前の日の晩に、カミさんが作ったポトフがあんまりにも味気なくて文句をつけた。
 塩気が足りない、旨味がない、まずい――さんざん言った気がする。
 カミさんは買い物の帰りに事故にあっていた。
 何故だろう。事故にあった日は、それを作る予定だったように思えて、作ることにした。
 忌引きの期間も過ぎて、有給を消費し始めていた時だった。
 グツグツと煮立つ鍋の中に、白く浮いてくるアクを取りながらボンヤリとしていると、玄関のチャイムが鳴った。
 桐生さんだった。

――庶務課一同からのお見舞いです

 封筒と……なぜかプロテインが入ったビニール袋を渡された。

――私がもらったら一番嬉しい食品を選びました

 真面目な顔で、両手で丁寧に差し出してきた。
 桐生さんが朝走ってくるのは知っていたが、まさか同僚の見舞いにプロテインを選ぶとは思わなかったのだ。
 ビニール袋は、この周辺の店のものではない。わざわざ専門店まで足を運び、味がいいものを選んできたのだろう。
 庶務課にいる若手は私と桐生さんだけだったから、上司からすれば年も近いし、よく組んで仕事をしているのだから好みを把握しているはずだと思って桐生さんに選ばせたに違いない。

――自分がもらったら嬉しいものを選ぶように、との指示を受けて選びました

 桐生さんの性格がこの時初めてわかった。
 こいつはただの、馬鹿が頭につくほどの真面目で不器用なやつなんだと。
 裏表がなさ過ぎて表情が出せないのだろう。
 どんな時も真面目だから、真面目な顔しかできないのだ。

――スープしかねえけど。あがってけよ

 茶がどこにあるのか分からなかったから、作っていたブイヨンをカップに注いで、二人で向き合って飲んだ。
 確かにスープではあったが、どう考えてもただのブイヨンだ。
 鳥ガラと玉ねぎ、にんじん、昆布。
 それらを半日以上煮込んで作ったブイヨンは、しっかりと旨味が出ていたが、塩もコショウもいれていなかった。
 舌の上に優しく広がっていく旨味と温かさが、ロクなものを食べていなかった私の体に静かにしみ込んできた。
 だが正直に言って、けして旨いとはいいがたい代物だった。
 それを桐生さんは文句も言わずに飲んだ。
 私はカミさんに文句を言い、残したのに。
 桐生さんは大切そうに飲んで――温まりますね、と笑った。
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