幽霊事務局長の穏やかな日常=大病院の平和は下っぱ事務員と霊が守ります=

藤島紫

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時間外勤務が日常 1

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 絹井先生が帰る前に会いに行かなければならない。
 私たちは救命センターに急ぎ、何とか帰る前の絹井先生を捕まえることができた。

「全くもう……わたしは当直じゃないのよ?」

 絹井先生は困惑していたが、伝えなければならない。

「申し訳ありません。でも、早く対応しないと……1000人の命に係わることなんです」

 どうにかしなければ――そんな思いが口から出た。

「今、こうしている間にもこの建物が崩れてしまうかもしれません。今日、高校の体育館が崩れたように……何言ってるのか分からないかもしれないんですが、でも」
「大丈夫。わかってるわ。だから友利君はちょっと黙りなさい」

 絹井先生は厳しい声でそういうと「説明室、ちょっと使うわね」と救命センターの当直看護師に声をかけてすぐ隣にある個室に私たちを通した。
 観葉植物が置かれた温かい色合いの室内は、手術のための説明を患者やその家族に伝えるための物だけあって、心を落ち着かせるための工夫が至る所にある。

「コーヒーでも飲む?」

 ウォーターサーバーからお湯を出して、インスタントのコーヒーを入れてくれた。ミルクも砂糖も入っている、甘いやつだ。

「はい、どうぞ」

 紙コップが目の前に置かれた。

「ありがとうございます」

 拍子抜けしながらも、私と桐生さんが並んで座り、絹井先生は向かい側に座った。

「それで、どうしたの?」
「絹井先生は、30年前のこの病院の立ち上げの時からここにいらっしゃるんですよね」
「ええ、そうだけど」
「立上げのとき、工事の関係でいろいろあったって聞いたんですけど……」
「そうなのよ。友利君、よく知ってたわねえ。桐生君が教えてあげてるの?」
「俺も読んだんです。『医療センター30年の歩み』。だから、当時、工事を請け負っていた業者との癒着のせいで、開院が危ぶまれたことも知ってます」

 知ってます、と言いつつ。
 この辺は読み飛ばしていたところだから、桐生さんから改めて解説してもらったところだったりするんだけど。
 あまりぼろが出る前に、桐生さんにバトンを受け取ってもらう事にする。
 絹井先生が淹れてくれたインスタントのコーヒーを一口飲んだ桐生さんは、言葉を纏めるように唇を動かしてから、顔を上げた。

「30年たった今、再び同じ問題が生じています。その当時使われていた建材は、耐久テストが十分に行われていなかったため、脆弱性が疑われています――いえ、疑いが今回の事故によって、確実なものとなりました」

 絹井先生の表情が、穏やかなものから険しいものに変わっていく。

「桐生君。それって、どういうこと?」
「北階段および、その付近でひび割れを確認しました。本来なら、これは救命の医長である絹井先生にご相談する話ではありません。ですが、絹井先生は30年前の当院立ち上げのころをご存知ですから……これがいかに危険か、よくわかると思います」
「なるほどね。下っ端の自分たちが騒いだところで、上の人たちがするに動いてくれるか分からないけど、救命センター長が『入院患者に何かあったら困る』と言えば違うかもしれないってことか」

 さすがは、救命の医長。
 医師として腕もたつし、こういう心の機微にも長けている。

「すみません。俺たちじゃ、ちょっと……と言うかだいぶ荷が重すぎるんで。助けてもらえませんか」

 私は素直に頭を下げた。
 こんな風に頭を下げるのは、かっこ悪いかもしれない。
 それでも人の命がかかってるんだ。
 医師や、看護師、たくさんの技師の人たちがつないだ命が、この建物にたくさん入院している。
 私たち事務員ができることは大したことがない。
 痛みも苦しみも、軽減させることなんてできない。
 人々の痛みと苦しみを軽減させるといったのは初代事務局長だが、実際、事務方の人間にできるのは、そのためのサポートくらいだ。
 だからせめて、こういうところでくらい、頑張らせてほしい。
 人が突然死んでしまうのは、本当に悲しいことだから。

「そのひび割れ。どこにあるの?」
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