幽霊事務局長の穏やかな日常=大病院の平和は下っぱ事務員と霊が守ります=

藤島紫

文字の大きさ
69 / 72

時間外勤務が日常 6

しおりを挟む
「同じこと、と言うのは、資料をそろえる、などでしょうか」

 桐生さんが問いかける。

「それももちろんだけど……目標達成のために、人脈をうまく使うところかな。しかも、相手に不快に思われないようにさりげなくやるところなんて、とても上手」
「それ褒めてくれてるんですか、先生」
「褒めてる褒めてる。あと、懐かしい」
「懐かしい……」
「この北階段はね。私にとって思い出の場所なの。結城さんとね」
「確か、ここで亡くなられたのですよね」

 桐生さんが言うと、絹井先生は頷いたが「それだけじゃなくてね」と、続けた。

「ここに入ったころ、救命医になりたいって言っていたら、先輩のドクターたちからすごくいじめられたのよね。わたし、自分を優秀だと思ってたから生意気だったんだろうけど。ここの階段で泣いてた時、たまたま通りかかった結城さんにいろいろぶちまけちゃったわけ。そうしたら『名医の条件に性別があるなんて知らかなった』なんて言ったりして」

 それは痛烈な皮肉だ。

「それは……冗談、なのでしょうか」

 どうやら桐生さんには理解しづらい感覚だったようだ。

「いや、ユニークって言うか。すっげえ怒ってたんじゃねえの。結城事務局長」
「怒っているときに出る言葉ですか?」
「だってこれ、お前が名医のツラしてられるのは、ただ単に男ってだけだろって言ってるも同然だろ」

 桐生さんは驚いたようだったが、絹井先生は頷いた。

「やっぱり、友利君は分かるのねえ」

 クロネコの長いしっぽが、私の足を叩いた。

「ちょうどそんな時にね、ここに猫が迷い込んできたのよ」
「ねこ?」

 思わず、クロネコを見た。

「ここの地下の出入り口。霊安室が近いから霊柩車用の外へのドアが近くにあるでしょう? そこから入り込んだんでしょうね。結城さん、すごく可愛がっててね」

 猫って……こいつのことだよなあ。
 クロネコは我関せずといった顔で毛づくろいを始めた。

「まあ、まだ時代も今みたいに厳しくなかったから。患者さんに見えないところだったらって見逃してて。ほら、ここまでだったら衛生もそんなに気を配らなくていいしね」
「今では考えられないことですね」

 桐生さんが驚いて呟くと、絹井先生は声を上げて笑った。

「そうよねえ。私もそう思うわ。でもその頃は、病院内に喫煙所もあったし、事務方の部屋なんて煙でもうもうとしていたのよ。外科医の間には、ヘビースモーカーのドクターの禁断症状が長時間オペで出てしまう問題をどうするかなんて話が真剣になされてもいたし」

 噂には聞いていたが、実にとんでもない。
 現代からすると全く受け入れがたい話だ。

「今は敷地内が全面禁煙になっているから道に出て行って吸っている患者をどうするかっていう話なのに」
「そうね、でもそれも10年後には信じられないと言われてしまうのかもね。時の流れって早いわ」

 なるほど。そういうものかもしれない。

「ねえ、あなた達は黒猫ってどう思う?」

 唐突な質問だ。

「ただ、毛の色が黒いと思うだけですが」

 さすが桐生さん、スーパードライな返答だ。
 私は毛づくろいをしているクロネコを見た。
 お前のことだよなあ。
 ちらりとこちらを見る金色の瞳と目が合う。
 ははは、やっぱり自分がどう言われているのか気になるんだろ。
 不審に思われない程度の動きでクロネコの頭を撫でてやった。
 まあ、触れはしないんだが。

「俺も桐生さんと一緒で、たんに毛の色が黒ってだけだろって思いますけど。人によっては不吉だとかなんだとかいう人いますよね。病院だし、霊柩車用のドアから出入りしてたなら、余計に嫌がられそうですけど」
「そう……その通りよ。結城さんが生きていた頃は見逃してもらえていたけれど……結城さんが亡くなった翌日。誰かにいじめられたのね。ひどい怪我をしていて。手当てをしたけれど、助からなかった……」
「え……」
「わたしは女ってだけでレッテルを貼られて先輩たちからいじめられたし、差別されたけれど。猫は毛の色が黒っていうだけでひどい扱いをされる。助けてあげたくて頑張ったけど……ダメだった」

 クロネコの耳が、心なしか元気がないように見える。
 たぶん、こいつ絹井先生に可愛がってもらってたんだ。

「動物はわたしの専門外だから……色々ね、難しくて。専門外には手を出すものじゃないわね。あのときはよく分からずに必死でやったけど。多分、人間と同じようにやったらいけない事がいくつもあったんだと思うわ。本物の獣医さんに診てもらっていたら助かっていたのかも。猫ちゃんに家族がいたら、専門外の医師が手を出したせいで死んだって訴えられちゃうわね」
「猫ですからそれはないかと」
「いや、桐生さん。今度のは病院ブラックジョークだからな」

 どこか懐かしいものを見るように、私達を見ていた絹井先生は、脚立から腰をあげると尻をポンポンと叩いて埃を払った。

「さて、すっかり長居しちゃったわ。あなたたちはもう帰りなさい。怪我人二人がこんな時間まで残ってたら駄目よ」
「先生は……」
「わたしはこれからあちこちに連絡しなくちゃ」

 遅出だった私たちと比べて、絹井先生は朝から勤務していたはずだ。
 時計はすでに11時に近い。

「こっちは時間外勤務はいつものことだから気にしないで。怪我人は回復に努めるのが仕事だから、早く帰って休みなさい」
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

熱い風の果てへ

朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。 カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。 必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。 そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。 まさか―― そのまさかは的中する。 ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。 ※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

処理中です...