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無能と蔑まれた公爵令嬢、敵国へ売られる 前編
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白銀の光が差し込む王城の大広間。
その日、王都ヴァルステッドでは珍しく、春風が冷たく吹いていた。
広間の奥にある壇上では、華やかなドレスに身を包んだ貴族令嬢たちが、ため息交じりに談笑している。だが、その中心にいたのは一人の少女――エルヴィーナ公爵家の長女、ミレイユだった。
深紅のドレスに身を包み、背筋を伸ばしたその姿は、誰の目にも淑女そのものに映っていた。けれど、彼女の心は静かに、そして確かに軋んでいた。
「ミレイユ・エルヴィーナ。前へ」
その声が響いた瞬間、広間の空気が変わった。
重々しい沈黙の中、王太子ロア・フォン・カーディナルが、金の衣装をまとって立っていた。
ミレイユは息を殺す。
そして一歩、また一歩と歩み出た。
膝をつき、床に手をつけて礼をとる。けれど、顔は伏せたまま。
王太子の前で、その顔を上げることができなかった。
ただ、いやな予感がしていた。
数日前から、王太子の態度は冷たくなっていたからだ。面会を求めても断られ、文にも返事はなかった。
「ミレイユ・エルヴィーナ。貴女との婚約を、ここに破棄する」
静かな声だった。
けれど、その一言が広間の空気を凍らせた。
数秒の沈黙のあと、周囲から一斉にざわめきが起こった。
貴族たちの驚きの声、ささやき、そして……嘲笑。
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
ミレイユの声は、細く、けれど震えていなかった。
「貴女は、魔力が極端に低い。王妃たる者には、相応の能力が求められる。
貴女はその器ではなかった。……以上だ」
感情のこもっていない声に、ミレイユの胸が詰まる。
彼女は、確かに魔力が弱かった。
いや、弱いと周囲から言われ続けていた。
貴族にとって魔力とは、家の格を示す力であり、自身の価値そのものでもある。
ましてや王家に嫁ぐとなれば、なおさら。
――ああ、やっぱり、そうだったのね。
覚悟していたはずなのに、言葉が刃のように胸を刺す。
悔しくて、悲しくて、それでも泣くことは許されなかった。
「承知いたしました。……ご厚意に感謝いたします、殿下」
ゆっくりと立ち上がり、ミレイユは一礼した。
そして背を向けて歩き出す――その背後から、冷たい声が飛ぶ。
「君には、女としての価値もないのだからな」
……音もなく、心が砕けた。
◇ ◇ ◇
「まったく……お前のせいで、我が家は笑い者だ」
父であるエルヴィーナ公爵の書斎。
背の高い本棚と堅牢な木製机の間に、ミレイユは小さく座っていた。
「申し訳ありません……」
「謝罪などいらん。責任を取れ。今すぐではないが……追って、グレイヴ王国への使節団に同行せよ」
言われた瞬間、ミレイユは顔を上げた。
グレイヴ――かつて戦争した隣国。今は休戦中とはいえ、まだ不穏な空気が残っている。
「なぜ……私が?」
「和平を演出するために、こちらから礼を尽くさねばならぬ。失態を犯した娘に、せめての役割を与えてやるだけだ」
つまり、左遷だ。
家から遠ざけ、都合よく処理する――体のいい追放。
けれどミレイユは、何も言わなかった。
いや、何も言えなかった。
悔しさはある。無念もある。
けれど、この家の娘である限り、それが運命だ。
◇ ◇ ◇
旅支度を整えた夜、寝室で一人になると、ようやく涙がこぼれた。
「……くっ……」
泣いてはいけない。そんなことは分かっている。
でも、もう誰も見ていない部屋でさえ、涙を流すことが敗北のようで怖かった。
ふと、ドアがノックされる。
入ってきたのは、長年仕えてくれた侍女――リゼだった。
「お嬢様……」
リゼの目には戸惑いが浮かんでいた。
けれど、ミレイユは知っていた。彼女は今日限りで解雇されるのだ。
「……いままで、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に心強かった」
ミレイユがそう言うと、リゼは小さく頭を下げ、そして――それ以上、何も言わずに立ち去った。
振り返ることもなく。まるで、見送る価値すらないと言うように。
孤独だった。
家族にも、侍女にも、婚約者にも――自分は、必要とされていなかったのだ。
けれど。
「……私は、生きてやる。誰が何を言おうと、捨てられても、見下されても。
私は……私の価値を、私自身が証明してみせる」
ベッドに座ったまま、ミレイユは初めて、そんな言葉を心に刻んだ。
捨てられた公爵令嬢が向かうのは、かつて敵と呼ばれた地。
そこに、どんな運命が待っているのかは、誰も知らない。
けれど確かに、その運命の歯車は――この夜、静かに動き出していた。
その日、王都ヴァルステッドでは珍しく、春風が冷たく吹いていた。
広間の奥にある壇上では、華やかなドレスに身を包んだ貴族令嬢たちが、ため息交じりに談笑している。だが、その中心にいたのは一人の少女――エルヴィーナ公爵家の長女、ミレイユだった。
深紅のドレスに身を包み、背筋を伸ばしたその姿は、誰の目にも淑女そのものに映っていた。けれど、彼女の心は静かに、そして確かに軋んでいた。
「ミレイユ・エルヴィーナ。前へ」
その声が響いた瞬間、広間の空気が変わった。
重々しい沈黙の中、王太子ロア・フォン・カーディナルが、金の衣装をまとって立っていた。
ミレイユは息を殺す。
そして一歩、また一歩と歩み出た。
膝をつき、床に手をつけて礼をとる。けれど、顔は伏せたまま。
王太子の前で、その顔を上げることができなかった。
ただ、いやな予感がしていた。
数日前から、王太子の態度は冷たくなっていたからだ。面会を求めても断られ、文にも返事はなかった。
「ミレイユ・エルヴィーナ。貴女との婚約を、ここに破棄する」
静かな声だった。
けれど、その一言が広間の空気を凍らせた。
数秒の沈黙のあと、周囲から一斉にざわめきが起こった。
貴族たちの驚きの声、ささやき、そして……嘲笑。
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
ミレイユの声は、細く、けれど震えていなかった。
「貴女は、魔力が極端に低い。王妃たる者には、相応の能力が求められる。
貴女はその器ではなかった。……以上だ」
感情のこもっていない声に、ミレイユの胸が詰まる。
彼女は、確かに魔力が弱かった。
いや、弱いと周囲から言われ続けていた。
貴族にとって魔力とは、家の格を示す力であり、自身の価値そのものでもある。
ましてや王家に嫁ぐとなれば、なおさら。
――ああ、やっぱり、そうだったのね。
覚悟していたはずなのに、言葉が刃のように胸を刺す。
悔しくて、悲しくて、それでも泣くことは許されなかった。
「承知いたしました。……ご厚意に感謝いたします、殿下」
ゆっくりと立ち上がり、ミレイユは一礼した。
そして背を向けて歩き出す――その背後から、冷たい声が飛ぶ。
「君には、女としての価値もないのだからな」
……音もなく、心が砕けた。
◇ ◇ ◇
「まったく……お前のせいで、我が家は笑い者だ」
父であるエルヴィーナ公爵の書斎。
背の高い本棚と堅牢な木製机の間に、ミレイユは小さく座っていた。
「申し訳ありません……」
「謝罪などいらん。責任を取れ。今すぐではないが……追って、グレイヴ王国への使節団に同行せよ」
言われた瞬間、ミレイユは顔を上げた。
グレイヴ――かつて戦争した隣国。今は休戦中とはいえ、まだ不穏な空気が残っている。
「なぜ……私が?」
「和平を演出するために、こちらから礼を尽くさねばならぬ。失態を犯した娘に、せめての役割を与えてやるだけだ」
つまり、左遷だ。
家から遠ざけ、都合よく処理する――体のいい追放。
けれどミレイユは、何も言わなかった。
いや、何も言えなかった。
悔しさはある。無念もある。
けれど、この家の娘である限り、それが運命だ。
◇ ◇ ◇
旅支度を整えた夜、寝室で一人になると、ようやく涙がこぼれた。
「……くっ……」
泣いてはいけない。そんなことは分かっている。
でも、もう誰も見ていない部屋でさえ、涙を流すことが敗北のようで怖かった。
ふと、ドアがノックされる。
入ってきたのは、長年仕えてくれた侍女――リゼだった。
「お嬢様……」
リゼの目には戸惑いが浮かんでいた。
けれど、ミレイユは知っていた。彼女は今日限りで解雇されるのだ。
「……いままで、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に心強かった」
ミレイユがそう言うと、リゼは小さく頭を下げ、そして――それ以上、何も言わずに立ち去った。
振り返ることもなく。まるで、見送る価値すらないと言うように。
孤独だった。
家族にも、侍女にも、婚約者にも――自分は、必要とされていなかったのだ。
けれど。
「……私は、生きてやる。誰が何を言おうと、捨てられても、見下されても。
私は……私の価値を、私自身が証明してみせる」
ベッドに座ったまま、ミレイユは初めて、そんな言葉を心に刻んだ。
捨てられた公爵令嬢が向かうのは、かつて敵と呼ばれた地。
そこに、どんな運命が待っているのかは、誰も知らない。
けれど確かに、その運命の歯車は――この夜、静かに動き出していた。
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