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無能と蔑まれた公爵令嬢、敵国へ売られる 後編
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馬車の揺れが、ほんの少しだけ心を落ち着けてくれた。
揺られるたび、王都での出来事――王太子ロアの冷たい眼差しや、公爵家での侮蔑の言葉が、少しずつ遠ざかっていくような気がした。
とはいえ、前を向けるほど、気持ちに余裕があるわけでもない。
ミレイユ・エルヴィーナは今、ただ名誉挽回という名のもと、外交使節団の一員として馬車に乗せられていた。
向かう先は、グレイヴ王国。
十年前まで戦争を繰り広げ、休戦協定を交わしたばかりの国。
そこには、暴君と噂される若き国王がいるという――
王都を離れ、三日。
ようやくたどり着いたグレイヴの都は、思っていたよりも美しかった。
街路樹は整えられ、石畳は磨かれていて、そこを歩く人々の表情も穏やかだった。
けれど――それでも、空気が違う。
言葉にできないけれど、何かが根本から異なる、そんな緊張が皮膚の下でざわめいていた。
そして、王宮。
正面から見上げたその姿は、まるで古の獣の骨格のようだった。
黒曜石のような漆黒の石材で築かれた城壁。
正門の上には、両翼を広げた獅子の紋章――まさに王の牙と呼ぶにふさわしい威容。
「グレイヴ王、レオンハルト=ヴェステンベルク陛下、御前にて謁見を許可なされる」
従者の声に、ミレイユは一礼し、前へ出る。
王宮の玉座の間は、陽光の代わりに赤銅色の炎が灯る幻想的な空間だった。
そして――その中央、玉座に座していたのが、彼だった。
レオンハルト。
まだ若いと聞いていたが、その佇まいは異様なほどの存在感を放っていた。
銀の髪はざっくりと後ろへ流され、額には戦場で負ったのか、小さな傷跡が残る。
薄金の眼は、鋭い獣のようで、真っ直ぐにミレイユを射抜いた。
その目を見た瞬間、ミレイユは呼吸を忘れた。
威圧でも恐怖でもない。ただ、ただ――「見透かされている」ような、奇妙な感覚。
「……貴女が、エルヴィーナ公爵令嬢か」
「は、はい。ミレイユ・エルヴィーナと申します。和平と友好の使節として……本日は、よろしくお願――」
「……美しいな」
唐突に、彼がそう言った。
しかも、その声音はあまりに自然で、熱を帯びていて――
「なっ……?」
「その目が、いい。誇りを捨てていない」
ざわり、と周囲の空気が揺れた。
使節団の面々が、何か言いかけてミレイユの背中に視線を集める。
ミレイユは、ただ目を見開いたまま、立ち尽くしていた。
王に向かって顔を背けなかった自分を、彼は誇り高いと評したのか?
ロアに「女としての価値もない」と言われ、
父に「失態の後始末をしろ」と言われた自分が――
誇り高い?
「……からかっておられるのですか」
やっとの思いでそう口にした。
王を前にして無礼だとは分かっている。けれど、何かを貫かずにはいられなかった。
「いいや」
レオンは微かに笑った。
笑ってさえ、彼の目は獣のようだった。底の見えない、獰猛な美しさ。
「――お前、俺のものになれ」
その言葉が意味することを理解するのに、数秒を要した。
「……っ、陛下!? 今、なんと……!」
「通訳が必要か?」
「っ……い、いえ、ですが私は使節として……!」
使節。礼節。外交儀礼。身分。魔力。
そういった理性の言葉を口にするたびに、王の視線はどこまでも真っ直ぐに返ってくる。
「使節としてではなく、お前自身として、お前はどう思う?」
「……私は、何も……」
何も、持っていない。
魔力も、地位も、名誉も。
何一つ、誰かに必要とされるほどの価値なんて。
でも――
美しいな
誇りを捨てていない
その言葉が、どこかで凍りかけていた心を、溶かしかけていた。
それがどれほど危険なことなのか、わかっているのに。
「俺は、偽らない。気に入ったものは手に入れる」
レオンの言葉は、まるで宣告のように響いた。
そのとき。
彼が一歩、玉座から降りた。
そして、ためらいもなくミレイユの前まで歩み寄り、そっと手を伸ばした。
「少し、触れてもいいか?」
その手は大きく、温かく、けれどどこか獣のような鋭さを纏っていた。
拒絶の言葉を言えないまま、ミレイユはただ、頷いてしまった。
そして――彼が、彼女の指先にふれた瞬間。
ふっ、と。
ほのかに、金の光が揺らめいた。
「っ……!?」
周囲がざわつく。ミレイユ自身が、もっとも驚いた。
微弱だが、確かに魔力の波動が走った。
それはかつて、どんな魔導士にも指摘されなかったもの。
ただ、彼に触れられたその瞬間にだけ、確かに存在を示した魔力。
「やはり、共鳴型か」
「……きょうめい……?」
「誰かと深く関わることで、魔力を引き出す体質だ。珍しく、希少な資質だぞ」
ミレイユはただ呆然と彼を見つめていた。
十数年、生まれてからずっと、誰からも「ない」と言われてきたものを。
この人だけが、「ある」と言った。
「俺に拾わせろ。そうすれば、お前の価値は、全ての者の目に映る」
獣のような金の目が、まっすぐに、彼女だけを見ていた。
◇ ◇ ◇
夜、王宮の一室で一人になったミレイユは、今なお手の先が熱を帯びていることに気づいていた。
あの人の手が、触れた場所。
触れられただけで、なにかが目覚めるような、そんな感覚。
そして――無能と言われ続けてきた少女の中で、
確かに、何かが変わり始めていた。
これは、王太子に捨てられた一人の令嬢が。
暴君と恐れられる異国の王に見初められ、
誰よりも濃く、甘く、そして淫らに愛される物語の、始まりだった。
揺られるたび、王都での出来事――王太子ロアの冷たい眼差しや、公爵家での侮蔑の言葉が、少しずつ遠ざかっていくような気がした。
とはいえ、前を向けるほど、気持ちに余裕があるわけでもない。
ミレイユ・エルヴィーナは今、ただ名誉挽回という名のもと、外交使節団の一員として馬車に乗せられていた。
向かう先は、グレイヴ王国。
十年前まで戦争を繰り広げ、休戦協定を交わしたばかりの国。
そこには、暴君と噂される若き国王がいるという――
王都を離れ、三日。
ようやくたどり着いたグレイヴの都は、思っていたよりも美しかった。
街路樹は整えられ、石畳は磨かれていて、そこを歩く人々の表情も穏やかだった。
けれど――それでも、空気が違う。
言葉にできないけれど、何かが根本から異なる、そんな緊張が皮膚の下でざわめいていた。
そして、王宮。
正面から見上げたその姿は、まるで古の獣の骨格のようだった。
黒曜石のような漆黒の石材で築かれた城壁。
正門の上には、両翼を広げた獅子の紋章――まさに王の牙と呼ぶにふさわしい威容。
「グレイヴ王、レオンハルト=ヴェステンベルク陛下、御前にて謁見を許可なされる」
従者の声に、ミレイユは一礼し、前へ出る。
王宮の玉座の間は、陽光の代わりに赤銅色の炎が灯る幻想的な空間だった。
そして――その中央、玉座に座していたのが、彼だった。
レオンハルト。
まだ若いと聞いていたが、その佇まいは異様なほどの存在感を放っていた。
銀の髪はざっくりと後ろへ流され、額には戦場で負ったのか、小さな傷跡が残る。
薄金の眼は、鋭い獣のようで、真っ直ぐにミレイユを射抜いた。
その目を見た瞬間、ミレイユは呼吸を忘れた。
威圧でも恐怖でもない。ただ、ただ――「見透かされている」ような、奇妙な感覚。
「……貴女が、エルヴィーナ公爵令嬢か」
「は、はい。ミレイユ・エルヴィーナと申します。和平と友好の使節として……本日は、よろしくお願――」
「……美しいな」
唐突に、彼がそう言った。
しかも、その声音はあまりに自然で、熱を帯びていて――
「なっ……?」
「その目が、いい。誇りを捨てていない」
ざわり、と周囲の空気が揺れた。
使節団の面々が、何か言いかけてミレイユの背中に視線を集める。
ミレイユは、ただ目を見開いたまま、立ち尽くしていた。
王に向かって顔を背けなかった自分を、彼は誇り高いと評したのか?
ロアに「女としての価値もない」と言われ、
父に「失態の後始末をしろ」と言われた自分が――
誇り高い?
「……からかっておられるのですか」
やっとの思いでそう口にした。
王を前にして無礼だとは分かっている。けれど、何かを貫かずにはいられなかった。
「いいや」
レオンは微かに笑った。
笑ってさえ、彼の目は獣のようだった。底の見えない、獰猛な美しさ。
「――お前、俺のものになれ」
その言葉が意味することを理解するのに、数秒を要した。
「……っ、陛下!? 今、なんと……!」
「通訳が必要か?」
「っ……い、いえ、ですが私は使節として……!」
使節。礼節。外交儀礼。身分。魔力。
そういった理性の言葉を口にするたびに、王の視線はどこまでも真っ直ぐに返ってくる。
「使節としてではなく、お前自身として、お前はどう思う?」
「……私は、何も……」
何も、持っていない。
魔力も、地位も、名誉も。
何一つ、誰かに必要とされるほどの価値なんて。
でも――
美しいな
誇りを捨てていない
その言葉が、どこかで凍りかけていた心を、溶かしかけていた。
それがどれほど危険なことなのか、わかっているのに。
「俺は、偽らない。気に入ったものは手に入れる」
レオンの言葉は、まるで宣告のように響いた。
そのとき。
彼が一歩、玉座から降りた。
そして、ためらいもなくミレイユの前まで歩み寄り、そっと手を伸ばした。
「少し、触れてもいいか?」
その手は大きく、温かく、けれどどこか獣のような鋭さを纏っていた。
拒絶の言葉を言えないまま、ミレイユはただ、頷いてしまった。
そして――彼が、彼女の指先にふれた瞬間。
ふっ、と。
ほのかに、金の光が揺らめいた。
「っ……!?」
周囲がざわつく。ミレイユ自身が、もっとも驚いた。
微弱だが、確かに魔力の波動が走った。
それはかつて、どんな魔導士にも指摘されなかったもの。
ただ、彼に触れられたその瞬間にだけ、確かに存在を示した魔力。
「やはり、共鳴型か」
「……きょうめい……?」
「誰かと深く関わることで、魔力を引き出す体質だ。珍しく、希少な資質だぞ」
ミレイユはただ呆然と彼を見つめていた。
十数年、生まれてからずっと、誰からも「ない」と言われてきたものを。
この人だけが、「ある」と言った。
「俺に拾わせろ。そうすれば、お前の価値は、全ての者の目に映る」
獣のような金の目が、まっすぐに、彼女だけを見ていた。
◇ ◇ ◇
夜、王宮の一室で一人になったミレイユは、今なお手の先が熱を帯びていることに気づいていた。
あの人の手が、触れた場所。
触れられただけで、なにかが目覚めるような、そんな感覚。
そして――無能と言われ続けてきた少女の中で、
確かに、何かが変わり始めていた。
これは、王太子に捨てられた一人の令嬢が。
暴君と恐れられる異国の王に見初められ、
誰よりも濃く、甘く、そして淫らに愛される物語の、始まりだった。
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