【R18】娼館に堕ちた伯爵令嬢は、かつての婚約者を快楽で縛り、愛の名を告げずに去る

いろは杏⛄️

文字の大きさ
2 / 8

黒百合の夜 後編

しおりを挟む
 その日の深夜、娼館ル・デザイールの控え室に、いつになく沈んだ空気が漂っていた。

 帳簿をめくる女主人マダム・ロゼの表情が、ふと止まる。

「黒百合。今宵、貴女への特別指名が入っているわ」

 彼女は、琥珀色の瞳で帳簿を見つめながら、意味ありげに唇の端を吊り上げた。

「名は伏せられているけれど……使われた印章は、クラウス侯爵家のもの。――あの、セオドア=クラウスよ」

 時間が止まったような静寂のなか、リリアナは静かに指先を膝に添えた。

 揺れない。

 仮面の奥、表情ひとつ変えずに、彼女はゆっくりと立ち上がった。

「そう……ようやく来たのね」

 喉奥に沈んだ声は甘く、どこか嬉しそうですらあった。

 ――とうとう、運命が私の掌に転がり込んできた。

 何年も、何百夜も待ち望んだその瞬間。
 夢にまで見たあの男の名が、とうとう《黒百合》の指名客リストに刻まれたのだ。

(あの夜、私の父を死に追いやり、私を見捨てたあの人が、私を買う日が来るなんて)

 リリアナは仮面の裏で笑った。

 黒曜石のように艶やかな髪を梳き、レースのガウンに香をひと吹き。
 ル・デザイールでもっとも濃密で、催淫効果のある黒薔薇の香り。
 指先には愛撫用のオイルを仕込み、舌には蜜酒を含ませる。

 ――すべては、彼を堕とすために。

 鏡の前に立つ彼女は、もはや伯爵令嬢リリアナではなかった。
 そこにいるのは、男を溺れさせる快楽の魔女、黒百合。

「どんな顔で来るのかしら。私に気づかず、他の女と同じように、欲望をぶつけてくるの?」

 爪先に視線を落としながら、リリアナはくすりと笑う。

 やがて扉がノックされる。

「黒百合様。お客様、お部屋にお通ししました」

 クラウディアの声。その先に待っているのは、かつての婚約者。裏切りの男。
 彼女の心臓が、静かに、けれど確実に早鐘を打つ。

(大丈夫。私が彼を忘れるわけがない。……あの声も、あの手も、あの瞳も)

 リリアナは踵を返し、扉の向こうへと向かう。

 真紅の絨毯を踏むたびに、過去の痛みが蘇る。
 それでも歩みは揺るがない。
 すべてを捧げた男に、今度はすべてを返してもらうために。

 部屋の前に立ち、リリアナは最後に仮面の紐を整えた。
 装飾の隙間から覗く双眸には、冷たい決意と、ねじれた愛が宿っている。

「ご指名、ありがとうございます。……黒百合と申します」

 静かに扉が開かれる。
 その先にいる男の姿を、リリアナはまだ、見ていない。

 だが、身体の奥に、熱い何かが灯っていた。

 それは快楽ではない。愛でもない。
 ――憎しみが変質した、甘く、ねっとりとした復讐の熱。

(さあ、始めましょうか。貴方を、どこまでも堕としてあげる)


     * * *


 部屋に入った瞬間、リリアナの鼻腔を懐かしい香りがかすめた。

 高級なシダーウッドに、かすかに混ざる獣のような体臭。
 幼い頃、庭園で抱き締められたときに感じた、あの香り――変わらない。

 そして、目の前の男は、まさしくその人だった。

 長身に、淡い金の髪。琥珀の瞳に微かな疲労の影を宿し、だが気品を崩さぬ立ち姿。
 彼女の記憶よりも、やや痩せた気がする。けれど、それでも間違いようがなかった。

 ――セオドア=クラウス。

 リリアナは、心の奥でつぶやいた。
 怒りも、哀しみも、愛も。すべてが混じり合って、かえって不思議な静けさが彼女を包んでいた。

 仮面の奥から、艶のある声が落ちる。

「お待たせいたしました。今宵、貴方の心と身体を……すべて慰めて差し上げます」

 セオドアの視線が、ゆっくりと彼女を這う。
 露出度の高い黒のレース、艷やかな髪、香り立つ肌――だが、その瞳に困惑の色はない。

(気づかないのね。ふふ……)

 仮面が、すべてを遮断してくれていた。
 あの日、純白のドレスで微笑んでいた令嬢が、いま目の前の女と同一人物だなどと、想像するはずもない。

 リリアナは、ゆっくりと彼に近づいた。
 椅子に座る彼の膝に、片脚を滑り込ませるようにまたがる。

「少し……緊張してらっしゃる?」

 囁くように唇を寄せると、セオドアの喉がかすかに上下した。
 彼女はその様子を楽しみながら、指先で彼の胸元をなぞった。
 上質なシャツの生地越しに感じる体温――それがたまらなく生々しく、そして、滑稽だった。

(私を捨てたあなたが、私の腕の中で昂ぶってる……それだけで、息が甘くなる)

 指先がボタンを外し、喉元、胸元が露わになっていく。
 彼の皮膚が、すっと粟立つのが分かる。
 リリアナはその首筋に唇を寄せ、じっと息を吹きかけた。

「んっ……く……」

 彼の吐息が耳元にかかる。
 それを合図に、リリアナは舌先で彼の鎖骨をなぞった。
 ちろちろと、炎が燃え広がるような動きで、左から右へ。
 湿った音を立てて、唇が吸い付き、軽く歯を立てる。

「……敏感なのね。かわいい」

 囁きながら、手は彼の下腹部へと向かっていた。
 布越しに、既に主張し始めている彼の熱を掌で感じ取りながら、くすりと笑う。

 そのまま指先で、先端を押しつぶすように軽く圧をかけると、セオドアの肩が震えた。

「……あ、あぁ……っ」

 その声に、リリアナの目が細くなる。

(懐かしい声。だけど今は、私の下で喘ぐ声。なんて、甘美な音)

 ゆっくりと、彼女はその膝の上から立ち、正面に膝をついた。
 仮面をしたまま、男のベルトに指をかける。

「少し……見せて?」

 セオドアが微かに頷く。
 その沈黙に、命令を委ねた姿勢に、リリアナの心の奥がぞくりと震えた。

 下着を降ろせば、張り詰めた熱が跳ねるように立ち上がる。
 その形も、色も、脈動までも――リリアナは、よく知っていた。

 そのことが、何より彼女の快楽を煽る。

 唇を近づけ、わざと軽く触れずに息を吐きかける。
 その一瞬だけでも、セオドアの腰が小さく揺れた。
 そして――舌先がゆっくりと、先端を一周する。

 塩気、熱、鼓動。すべてが懐かしく、憎らしく、そして愛しい。
 舌が根元までなぞり、唇が包み込み、顎を開いて奥へと迎え入れると――

「あ、くっ……っ、あ……!」

 彼の身体が跳ねた。

 それを両手で固定し、ねっとりと、じっくりと。
 愛するように、責めるように、彼の中心を味わっていく。

(これが私の罰……私が与える、地獄より甘い復讐)

 仮面の奥で、リリアナは静かに笑っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

処理中です...