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逃げた先は海
しおりを挟む私は焦っていることがある。
(なぜサラは私を愛さないのだ?)
これはまずい。なぜならば、魔女の秘薬を飲んだ人魚は一カ月以内に恋を実らせなければ死んでしまう。調べた文献によれば、身体が繋がるだけではいけないのだという。
――期限はすでに明日に迫っている。
(このままではサラはこの世からいなくなってしまう)
一体どうすれば良いというのだ。少しでも気を引きたくてプレゼントした服も宝石も食べ物にも一切の興味を寄越さない。いつだって困ったように微笑むだけ。タイムリミットはもうすぐだというのに、少しも好意を引けていない。
だからこそ、願いを聞いたのだ。もしも望みがあるのならば、私なら大抵のモノは叶えられるはずだ。そのために魔王の権力がある。
だが、彼女の願いはそんなモノ必要なかった。
「私と共に海を眺めたい、か」
それは、今の私にとって最も簡単で最も難しいことだ。
サラは知らない。
――海に浸かれば、人魚に戻れることを……
だからこそ、無邪気に強請れるのだ。人魚に戻ることが出来たら、そのまま海に帰るのかもしれない。
「…………そんなことさせるものか」
そうだ。最初から彼女を抱え込んでいれば良い。幸いなことにサラは歩けやしないのだから逃げようがないはずだ。
ならば、覚悟を決めよう。明日の朝、彼女の願いを叶えにいってやる。
「……ろ、起きろ」
「う、ん……?」
嫌だ。目覚めたくなんかない。だって、起きたら辛い現実が待っているのだから。けれど――魔王は必死にわたしの肩を揺さぶって睡眠を妨げる。
(もうなんなのよ?)
苛立ちを隠せないままにゆっくりと眼を開けるとそこは城ではなかった。
「ここは――」
「お前の望みの場所だ」
わざわざ私がお前と出会った海に連れてきてやったんだ、とわたしを抱えたまま、ぞんざいに言い放つがチラチラと此方の方を見て、わたしの反応を気にしている。その様子がなんだか可笑しくてつい笑ってしまった。
「……お前が笑うなんて珍しいな」
「そうですか?」
「あぁ。だが悪くはないな」
クシャリと少し乱暴に髪を撫でられるが口元が綻んでいる様子から魔王の機嫌は良いのだと分かる。
「起きたら海だなんてビックリしました」
そもそも海を眺めたいと言ったのは昨日だ。まさかこんなに早くに望みが叶うとは思いもしなかった。
「たまにはこういったサプライズも必要だろう?」
『たまには』ではない。彼の行動はいつもわたしを驚愕へと導く。けれど余計なことを言って機嫌を損ねたくなくて、わたしは曖昧に微笑むことにした。
「わたしの願いを聞き届けて頂いてありがとうございます」
「約束を守っただけだ」
なんでもないようにいうが、彼は頑なにわたしを城から出そうとしなかった。だから、いくら約束していようが実の所守られる可能性は薄いと思っていた。
「嬉しいです」
これは本心だ。ずっとこの場所に来たかった。穏やかな陽だまりの下で一面に咲き誇る白い花も、少し癖があるけれど落ち着く潮風の匂いも、耳に残る波の音も。ずっと恋しくて仕方なかった。だからこそ、ここに来れて嬉しい。
――例え魔王がなにか企んでいようともそれでも良いと思えるくらいに、この場所に戻りたかった。
(海王様はどうしているのかしら)
ずっと気に掛かっていたことだった。あの方は末の娘を失ってからひどい悲しみに囚われていて、もう誰も失いたくなくて懸命に他の人魚達の動向を見張っていた。
(それなのにわたしは……)
息が詰まるという理由だけで外の世界に出てしまった。
(あんなに心配して貰っていたのに)
なんて恩知らずなのだろう。家族ですらこんなに気にされたことはなかった。
(けれど、一つだけ考えていたことがある)
――それを実行するためにこの場所に戻りたかったのだから。
「どうした?」
「……魔王様はどんなことを願っているのか気になったのです」
約束は海まで連れてくる代わりに、わたしが魔王の願いを聞くことだ。そもそも本来ならば魔王は約束なんかしなくても、無理矢理にでもわたしを従わせればそれで済んだはずだというのに、なぜわざわざそんな面倒なことをしたのか興味がある。けれど、魔王は言葉に詰まったようだった。
「魔王様?」
不思議に呼びかければ、彼は困ったように眼を逸らした。
(珍しい)
いつも自信しかないような魔王がこんなに答えに窮するなんて、一体どんなお願いなのか。非常にきになる。
「――お前はっ……」
時が止まってしまったかのような長い沈黙の末、魔王が絞り出した声はひどく擦れていた。
「はい?」
「死を望むか?」
「いいえ」
そんなもの誰が望むというのだ。確かに生きていて楽しいというわけではないけれど、死ぬというのは怖い。
「だが、お前は時期に死ぬ」
「なぜです?」
「サラが私を愛さないからだ。お前を人間にさせるために飲ませた魔女の秘薬は、一カ月以内に意中の相手と結ばれなければ毒となり、命を奪うのだ。」
驚いた。そんな理由なんかでわたしが死ぬというのか。僅かに目を見開いたわたしに男はきつく眉根を寄せ呻る。
「死にたくなかったら、今すぐに私を愛せ」
なんて横暴に愛を乞うのだろう。人間にさせるために焼けつくような痛みを与え、処女を奪い、城に閉じ込めておいて、まだわたしから心を奪おうとするのだ。なんて身勝手な男だ。わたしはやんわりと首を横に振って男を突き放した。
「貴方なんか愛しません」
その言葉と共にわたしは海まで走り身を投げた。するとどうだろう。二本の足がみるみるオレンジ色の尾ひれに変わっていくではないか。
(これなら海王様の元まで戻れる!)
一言謝りたかった。言いつけを破ってごめんなさい、と。
(そしたら、もう未練はない)
どうせ、元の世界に戻っても息が詰まるだけの閉塞感に苦しむだけだ。ならば、このまま海に散ってしまっても構わない。
(待っていて。海王様)
グイグイと進んでいくうちに見える懐かしき景色。たゆたうお姉さま方も見えてきた。
(もうすぐで……)
海王様に会える。そう思った時だった。
(――なに、これ?)
突然、身体が透けていったのだ。目の前がチカチカと点滅し始め、視界は闇と光が混ざり合い、やがて意識は混濁していく。
結局、海王様に謝ることもできないまま、わたしの身体は泡となって消えていったのだった。
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