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しおりを挟む芦屋は、鷹宮のマンションの前で腕時計を確認した。
朝七時。予定通りだ。
いつもなら、数分前にはすでに鷹宮はロビーに立っている。
――遅い。
インターホンを押そうとした、そのとき。
エントランスの自動ドアが開いた。
「おはようございます」
現れた鷹宮は、ネクタイを締めながらこちらを見る。
いつも通りの、隙のない身なり。――のはずなのに。
芦屋は片眉を上げた。
「……珍しいですね。朝から人を待たせるなんて」
「悪い。少し手間取った」
その返答も普段通り。
けれど芦屋は見逃さなかった。
鷹宮の視線が、一度だけエントランスの奥――マンションの上階へ向けられたことを。
車に乗り込み、エンジンがかかる。
「朝から取引先、ですよね」
「ああ」
「その前に、誰かに声でもかけてきました?」
軽い口調。
しかし、完全に確信を持った質問だった。
鷹宮は一瞬、黙る。
「……何が言いたい」
「いえ」
芦屋はハンドルを切りながら、口角を上げた。
「最近、社長が“家に未練”を残して出勤しているように見えるだけです」
「余計な観察だ」
即座の否定。
だが、声がわずかに硬い。
芦屋は内心で、ああこれは確定だな、と思った。
「以前は、仕事が終わったあとも平然と会食を入れていましたよね」
「今も必要なら入れる」
「でも最近は断ってる」
芦屋はミラー越しに鷹宮を見る。
その目は、いつもよりどこか落ち着かない。
「……気になる人でも?」
沈黙。
その間が、答えだった。
「らしくないですよ」
芦屋は続ける。
「守るだけの距離、そろそろ限界じゃないですか」
「……簡単に言うな」
低く、苛立ちを含んだ声。
「できるなら、もうしている」
芦屋は小さく笑った。
「でしょうね」
信号で車が止まる。
芦屋は前を見たまま、ぽつりと言った。
「でも、相手はちゃんと見てますよ。
社長が何を我慢してるか」
鷹宮は答えなかった。
ただ、窓の外を見つめている。
芦屋は心の中で、春は早いな、と思った。
冬だと思っているのは、たぶん本人だけだ。
すでに芽吹いている感情に、いつ気づくのか。
――いや、もう気づいているか。
あとは、越えるかどうかだ。
芦屋は、次の信号でアクセルを踏みながら、静かに結論づけた。
この人はきっと、
「仕事」よりも厄介な契約を、すでに結んでしまっている。
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