ちはやぶる

八神真哉

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第四十九話  熱風

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息遣いが聞こえる。
それが自分のものだと気づくまでに、しばらく時間がかかった。
燃えあがる音、はぜる音、怒号、罵声、悲鳴、うめき声――

あちこちに屍が転がっている。
老人やおなごや童ばかりだった。
邸を守る侍たちが早々に一の郭を放棄したに違いない。

三の郭での門前の攻防や土手を這い上がる兵を横目に、三郎の長屋に向かう。
いくつもの長屋や納屋から火の手が上がっていた。

三郎の長屋は無事だったが、そこにミコたちの姿はない。
熱風が吹きつける郭の道を東に向かう。

――三郎とミコの名を大声で叫んでいることに気がついた。

わしの名前を呼べといわれながら、一度も呼んでやらなかった三郎の名を、この期におよんで叫んでいた。

櫓の前に童が倒れていた。
六人、いや、もっといる。
その先にも点々と姿が見える。
矛や太刀を手に重なるように息絶えていた。
その上に次々と火の粉が降りかかる。

このあたりは特によく燃えていた。
長屋は言うまでもなく板塀に至るまで火が回っている。

近づくと、見慣れた小袖と、括袴の柄が眼に入った。
足には矢が刺さっている。

息を飲み、駆け寄ろうとしたその刹那、炎の熱で童の髪の毛と衣が突然燃え上がった。
血や涙に濡れていたであろう顔も、一瞬遅れて炎に包まれた。

一拍置いて、横の長屋が崩れ落ちてきた。
燃えさかる材木と火の粉が童たちを飲み込んだ。

――再びイダテンの耳から音が消えた。

魚の焼ける匂いがする。
いや、違う。
髪の毛の焼ける匂いだ。
人の焼ける匂いだ。

苦いものが、胃の腑から喉もとまで競りあがる。

引き返そうとして、戸口に柴が積まれ火のかけられた納屋が目に入った。
その前に老人と鎌が転がっていた。
戸には閂がかかっている。
誰かを閉じ込めて火をかけたのだろう。

水汲み場に走り、桶を引き上げ水をかぶった。
井戸車を取りつけるために渡した丸太を強引に引き抜いた。
そこへ三人ほどの兵が駆けつけ矛を振るってきた。
丸太を振り回し、まとめて薙ぎ倒した。

まだ火が回っていない納屋の裏の向かいの土手を駆け登った。
振り返り、丸太を突きだし、納屋の間柱をめがけ四間(※約7.2m)ほどの距離を跳んだ。
柱が折れ、壁がひしゃげ、穴が開いた。
その隙間に転がり込んだ。
煙が外に流れ出る。

荷がないということもあるのだろう。
煙の割に大して火は回っていない。
ただし、頭上からは燃えた杮(こけら)が落ちてくる。

転がり込んだ場所から一番遠い納屋の戸口付近ほどよく燃えている。
その隅で、少し前まで人間であったであろう塊がふたつ燃えていた。
明らかに手遅れだ。
しかも、壁に穴を開け、風通しがよくなったためか、見る間に火の勢いが増した。

急ぎ外に出ようとして、すぐ横に丸まっている人間がいることに気がついた。
屋根から落ちてくる火の粉で衣や下げ髪が燻っていたが、こちらはまだ助かるかもしれない。
その人間を抱き上げ、空堀に飛び降りた。

と、同時に納屋の屋根が音をたてて崩れ落ちた。
熱風が押し寄せ、暗くなった空に火の粉が舞い上がる。
濡れた自分の衣を密着させたことで、助け出した者の衣の火は消えていた。
だが、煙に巻かれ煤にまみれたおなごはすでに事切れていた。

横にしてやろうとして息を呑んだ。
丸まっていたのは、胸に幼子を抱いていたからだ。

煤にまみれ、だらりと下がった幼子の手には、うさぎの彫刻が握られていた。
それは、まぎれもなく自分が与えた物だった。

――髪の毛が、生きてでもいるかのように逆立った。

降りかかるいくつもの火の粉が、その髪の毛を焦がし、小さく紅く燃え上がった。
それは、まるで命を持ってでもいるかのように怪しくゆらぎ、怒りに燃えるイダテンの瞳の色さえも紅く変えたように見えた。

なぜ、おれは、ここへ残らなかったのか。

国司の元へ向かうより、ここに残ることこそ必要ではなかったか――いや、老臣にそそのかされた振りをしておけばよかったのだ。
寝首をかかぬまでも、国親の屋敷に忍び込み、様子さえ探っておれば、今日のことは察知できたはずだ。

初めての友を、妹とも思ったミコを、家族の温かみを教えてくれたヨシを助けることができなかった。

おのれの愚かさに、腹が立った。
おれが帰ってくるまで持ちこたえられなかった三郎に腹が立った。

――三郎。おまえは武士として名を残すのではなかったか。

家来や使用人を数え切れないほど抱え、母を楽にし、白い米を毎日食わせ、ミコに豪奢な衣装を持たせ嫁に出すのではなかったか。
それがおまえの大望ではなかったか。

約定ひとつ守れず何が武士じゃ。
母や妹さえ守れぬやつに、主人が守れようか。
何が武士じゃ。
何が名を残す、じゃ。

なぜ、おれが駆けつけるまで持ちこたえられなかったのじゃ。
なぜ、先に逝ったのじゃ。

怒りにまかせ、夜の帳の下りはじめた土塁を駆け上がった。
塀を乗り越え、厩の屋根に上がり、続く塀の上を曲芸のように走った。

鎧姿の敵と平服の味方が入り乱れ、矛や、太刀を交えていた。
怒号がとびかい、矢が鼻先をかすめる。
炎の熱が肌を焼き、髪の毛を焦がした。

地面に降りると、僧兵姿の大柄な男が薙刀を振り回して向かってきた。
怒りにまかせ、相手の頭を踏みつけて跳んだ。邸を目指し、土塁と塀を駆け上がった。

敵は、まだ邸まではたどりついていなかった。
守る侍は少ないが、土塁と空堀、そして塀は時を稼ぐには有効だったようだ。
だが、圧倒的な数の兵と火に飲み込まれていく。


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