あさきゆめみし

八神真哉

文字の大きさ
63 / 89

第六十二話  『弱法師』

しおりを挟む

【酒呑童子】

あれは、わしが四の齢、葉月(※陰暦八月)の事だ。
わしは、夕焼けを映す荒神川を眼下に子守唄を口ずさんでいた。

「寝入れ 寝入れ 小法師 縁の 縁の下に むく犬の候ぞ」

唄いながら、印を結び、指先ほどの小石五つを宙に浮かべた。
師が一度だけ見せてくれた、その真似だ。
むろん師の石の大きさにはおよばない。
小石は言葉に合わせて上下に動き、節に合わせてぐるぐると円を描き、速さを変えた。

涙が止まらなかった。
唄につまると石は動きを止めた。

わしは生きることに疲れ果てていた。わずか四の齢にして。

「死のう」と決意した。
知恵のたりぬ頭で、どのような死に方が楽だろうかと考えた。

     *

それは、初めての合同修行の日のことだった。
方等滝の滝つぼ横にある川原に集められた鬼の数はおおよそ百。
わしは、四、五歳の班に入れられた。数は二十三。

崖の頂上からたらされた綱を握り、登る修行のさなかだった。
人間の童には無理でも鬼には桁違いの体力がある。

とはいえ、事故は起こりえた。
先に登っていた同い年の鬼が足を止めた。
左腕にあざがあることは登る前から気付いていた。

その腕が震えている。
見ると手の甲も腫れている。
三角(さんかく)と呼ばれる三本の角を持つ鬼だった。

わしは、綱を持つ手、崖に掛けた足に力を込め、額で尻を押し上げた。
三角は、背丈こそ並みだったが鬼にしては細い。
体格で勝るわしには造作もないことに思えた。

もっとも体格が良いということは重いということだ。
それからが長く辛かった。
息を切らし、汗まみれになり、ようよう崖の上まで押し上げたものの疲労困憊で、立ち上がることさえできなかった。

三角が申し訳なさそうに手を差しのべてきた。
手を引かれ立ちあがると三角は頭を下げ、感謝の言葉を口にした。
礼を言われるなど初めての事だった。
なにより、友となれそうな気がした。

しかし、修行を終えた我々を待ち構えていたのは「奴婢」としての現実だった。

集合場所の方等滝そばの川原で初めてそれを見た。
最初は、丸太を抱え上げる修行かと思った。
だが、それを取り囲んでいる年長の鬼たちに不穏な空気が流れている。

三角と共に、その中心に近づくと、齢にして十五前後の鬼がさらし者にされていた。
丸太を二本と鉄の輪を組み合わせた拘束具が頭と両手、そして両足を固めていた。
大師に逆らい命を奪おうとしたという。
それは、われらの明日の姿だった。

鬼は一匹、二匹と呼ばれた。
虫や蛙と同じあつかいである。

     *

――人の気配に気がそがれ、宙に浮いていた小石が地面に落ちた。
ふり返ると、わが師が厳しい表情を浮かべていた。
握りしめた手は、震えてさえいた。

人前でやったことこそないが、石を宙に浮かべる師の真似をしていただけだ。
怒りをかう理由など思い浮かばなかった。

が、その様子は、ただ事ではない。
どこかで、とんでもない失態を犯していたのか、と青くなった。

幼いとは言え、弟子であるわしにも仕事が振り分けられていた。
水汲みに加え、師の住む岩屋周りの朝夕の掃除がある。
その範囲は広く、共に半刻以上がかかった。
秋ともなれば一刻はかかる。

しかし、わしは人目のない時は呪を使い落ち葉をかき集めた。
ゆえに、こうして自分の時間を持つことができた。

師は問うた。
「符だは使ったか」と。
石を浮かべていたことだとわかった。

涙をぬぐい、座りなおし、
「師の真似をしておりました」
と、答えると、師は眉をひそめ、尋ねてきた。
「呪は唱えたか?」
と。

いよいよまずいことになったと感じたが、嘘をつけば折檻が待っている。
おどおどと、首を振り、「印だけです」と答えると師は嘆息した。

殴られるかと頭を垂れた。
間をおいて、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
「そうか、やはり、あれはお前だったか……」
師は話し始めた。

     *

【弱法師】

――生まれたばかりのお前を、背負子に括り付けた籠に入れ、その地の峠を越えようとしたその日のことだ。
赤子のお前が火がついたように泣き出した。

尋常でないものを感じ、籠から出して抱き上げると、一旦は泣き止んだ。
が、再び歩き出すと、あたりを切り裂くように泣き出した。

それに呼応するように、右前方の直立した崖が鳴いたのだ。
比喩ではない。事実そう聞こえたのだ。
まるで巨大な山鳥がほろ打ちで威嚇して来たようにも聞こえた。

それは岩が、崖が、きしむ音だった。
高さ二間、厚さ一間もの岩が、滑るように落ちてきた。
道に激突し、地響きを立てた。

わずかに間を置いて岩はゆっくりと傾き、轟音をたて砂埃を巻き上げ、地を震わせ、道を塞いだのである。

驚いた鳥が飛びたち、近くにいた獣たちが逃げ散った。
呪を唱え、結界を張った。

あたりに人の気配はなかったが、念のため、式札を飛ばし様子をうかがった。
法師の姿はおろか、鬼の姿も怨霊の気配もなかった。

風雪に浸食され、もろくなって崩れたのだろう。
そう思いたかった。

ところが、その断面は、今まさに断ち割ったばかりに見えた。
石工は、石を断ち割るために杭で等間隔に穴をうがち、最後の一撃を加えるという。
だが、そのような細工の跡も見当たらない。

ここにいるのは、わしと、
――わしの腕の中で、顔を真っ赤にして泣き続ける鬼の赤子だけである。

わしとて、岩に符だを貼りつけ、印を結び呪を唱えればできるであろう。
しかし、念じただけで、これほどの大岩を断ち割ることなどできぬ。
いわんや赤子にそれほどの力があるはずがない。

偶然なのだ。
おのれに、そう言い聞かせはしたものの目の前を塞いだ岩を前に、ぶるり、と震えが来た。

    *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...