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招待されたお茶会5
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「オデッセイ様が事業の中で大きく占めているのは、農産物です。特に最近は果物に力を入れていらっしゃいますよね」
「なぜ、そう思われたのかしら。貴女が用意してきた資料では、売上は果物よりも野菜の方が高いはずでしょう」
ぺらり、ぺらりと重厚な書類を指先でめくる音が、静かな部屋にやけに響いた。
彼女の声音は噛みしめるように低く、それでいてどこか艶やかな威圧感を纏っている。私は背筋を正し、深呼吸で喉を潤してから答えを継ぐ。
「売上だけを見れば、確かにそうです。ですが、この果物、つまり果樹園は、元々オデッセイ様がご自分で整えられたものではございません。おそらく、果樹園を手放そうとしていた農家から買い取り、事業として始められたものなのでしょう」
「なぜ、そう断じられるのです」
視線が鋭く細められた。机の向こうから突き刺すように投げかけられる問いかけに、喉がからりと乾く。
私は胸の奥に小さく生まれる緊張を押し込め、声を乱さぬよう努めた。
「果樹園の前の持ち主が、ほぼ八割、農業を辞めております。そして売却した資金で夫婦だけで余生を暮らしている方々が多いのです。つまり、跡取りがいなかったからこそ、辞めざるを得なかった。そういう方々から、果樹園をお譲り受けになったのでしょう」
「安かったのよ。それだけよ」
寂しさを滲ませた声音。
だがその奥に、優しさを感じたのは、瞳の奥が少しだけ揺らいだからだろう。
その中で、愉しんでいるようなわずかな響きが声の中に混じっていた。
私の胸の鼓動が、ひとつだけ大きく跳ねる。
「いいえ、そんな安易な気持ちで買える代物ではありません。果物は非常に繊細で、生育が難しいもの。だからこそ跡を継ぐのが難しいのが現状です。それに比べ、野菜は多くが人間の背丈を超えず、手入れもまだ容易。しかし果物は違います。木は背丈を超えて枝を自由に伸ばし、受粉や袋掛け、細やかな手入れを必要とする。一本一本の実に手をかけねばならないのです。そこに確かに安かったから、というのもあるでしょうが、売れる、と見込んだからお買いになったのでしょう」
もちろんそれだけではないのは、農園を購入した方々を見ればよくわかります。
皆様の遺志を引き継ぎたかったのだ。
「ふうん」
気のなさそうな返事だったが、彼女の目は資料を追う速度をさらに速めていた。わざとそっけなく装っているのだと、肌がひりつくように感じ取れる。
「今、オデッセイ様が気になさっているのは、果物の出来、ではありません」
「何をつまらないことを言っているの?私は良質な品を作ることに心血を注いでいるのよ。出来をこだわらずに、いったい何をこだわると仰るのかしら」
その声音は、女王の玉座から臣下を見下ろすかのように冷厳で高圧的だった。私は一瞬背を竦めたが、それでも言葉を紡ぐ。
「その通りです。ですが出来に至るまでの必須条件を、今、模索されています」
ひくり、とオデッセイ様の眉がわずかに動いた。資料から鋭い眼差しが離れ、真っ直ぐに私を射抜いた。喉に棘のような痛みが走る。
「貴女のその、澄んだ声と穏やかな物言い。全てを達観した顔が、常に腹立たしく思えたわ。この短期間で私の事業の何が分かるの。広く浅く撫でただけで、理解したつもりでいるのかしら。勘違いも甚だしい限りだわ」
「仰る通り、この短期間ではオデッセイ様の事業を深く知ることなど到底できません。浅く広く調べただけ。それでも、数字は決して嘘をつきません。オデッセイ様が何を増やし、何を減らしたかは必ず現れる。そして増やされたものが、何を目的とするのか、答えとして示すのです」
そこで言葉を切り、真っ直ぐに瞳を見据える。
「数字?数字など莫大に出てきますわ」
上目遣いに私を試すように見る。
「はい」
オデッセイ様の眼差しがさらに冷たく尖る。呼吸が浅くなり、手に汗がじんわりと流れてくる。
「それで?私は何を模索していると、貴女は言うのかしら」
高圧的な瞳で、私を射抜く。
「肥料でございます」
その瞬間、オデッセイ様の目に一瞬だけ驚きの色が浮かんだ。それは本当に刹那で、すぐに鋼の仮面に閉じられたが、私はその微かな揺らぎを見逃さなかった。胸の奥がどくん、と熱を帯びる。
私の答えは、間違っていない。
そう思えるに十分な手応えを感じた。
「お手持ちの資料の五十三ページをご覧くださいませ。これまでオデッセイ様が購入なさった肥料は、大きな市場に出回る一般的なものばかり。ですが、そこに提示してある『ナガルーナ国』の名は、ご存知ですか?」
「知らぬ国ね」
鋭い眼差しで私を凝視し、低く呟かれた。部屋の空気が凍りついたように感じられた。
「小国であり、しかも島国ゆえ鎖国的な風土。ご存じなくとも無理はございません。ですが、かつて数十年前、その国の果物が世界で大いに名を馳せました。なぜ今はないのか、理由は単純です。小国ゆえに足元を見られ、たたき売りを強いられたのです」
ナガルーナ国の公爵様と私の出会いは、本当に奇跡のようなものだった。
あの頃、まだ八歳のアルファード様の誕生日パーティーに来ていた、ある国の要人の方が、このナガルーナ国の親友だったのだ。
酔いに任せて語られたのは、ナガルーナ国の憂い。とても悲しそうに話すその横顔は、子どもの私の胸にも強く焼きついた。
ナガルーナ国は寒冷な気候に合わせ、果物の栽培が盛んだった。人々は皆、果実の甘味を増し、大きく育てるために努力を重ね、その末に辿り着いたのが肥料の工夫だった。
生まれた果実は、他国と比べても格段に優れ、比肩するものがなかった。
けれど、その評判を知った他国の商人たちは悪どい手を使った。
小国であり、しかも島国であるナガルーナには、正規の商談の常識が十分に伝わっていなかった。そこにつけ込み、「世界の市場ではこの程度の値でしか売れない」と、低額での契約を持ちかけたのだ。
本来なら、膨大な手間暇と決して安くない肥料を費やしている。そんな安値での出荷などあり得ない。だが「世界の市場」という巧妙な嘘に、国は騙されてしまった。
それでも国は、「自国の果物が海外に輸出される。これから発展していく」と希望を抱いた。
しかし現実は、儲けが少ないのに出荷数ばかり増やされるという、負の連鎖だった。
やがて、ナガルーナの果物が市場で驚くほど高値で取引されている事実を国王が知り、国は怒りのあまり国境を閉ざした。
今では、ナガルーナ国が認めた国に、ほんのわずかだけ輸出されるのみだという。
私はとても興味を持った。
果物ではない。
国全体が一体となって何を作ろう、という意思にとても惹かれた。
結果的にはさみしいものになったが、そこに一体感があったからこそ、結果として世界に認められた果物ができたのだ。
私はその話を聞いた何年か後の夏休みにナガルーナを訪れた。
幾度も手紙を書き、様々な品を送り、少ない文献を探しては国のことを調べた。知らない国について学ぶのは、とても楽しかった。
気づいたことを山のように質問した。
最初は秘書官らしき人が返事をくれていたのだが、やがて王妃様や姫様から直接返事が届くようになった。
後から知ったが、ナガルーナには「奇跡の果物」を求めて何万通もの手紙が届いていたらしい。だから私も最初は、その一人だと思われていたそうだ。
けれど手紙の文面から、この国を心から知りたいという熱意が伝わり、王族のもとに届けられるようになったのだという。
そうして私は正式な招待状を手に入れた。
そして、いざ訪問した時、私はあえて土産を持参しなかった。
土産など今さら要らない。私が欲しかったのは、思い出だったから。
姫様と一緒に様々な果物でお菓子を作り、一緒に食べた。
それは本当に楽しく、今でも手紙を交わす大切な思い出、友人となっている。
「待ってください。ナガルーナ国…! そこから出る果物は奇跡の果物と呼ばれている。その国ですか!?」
急にフリード様が声を上げ、椅子を軋ませるほど身を乗り出した。
私は無視して続きを話そうとしたが、横槍が止まらない。
「そこで使用されている肥料が」
「その国と繋がりがあるのですか!?」
「オデッセイ様がこれまで築かれたご縁を」
「今なら確か、りんごが収穫期ですよね。そのりんごを」
「ちょっと煩いです!」思わず声を張り上げた。
「お前は黙っていろ! りんごなどどうでもよい!オデッセイ様の鋭い一喝が飛ぶ。
フリード様は泣きそうな顔をしながらも、渋々口を閉じた。何か言いたげに唇を噛んでいたけれど。
「続けなさい」
女王様のような冷ややかさを帯びた声に、私は背筋を正した。
「はい。気候はナガルーナと異なりますが、基本的に同じ果物であれば肥料に大差はないと思います。ですから適正価格を提示し、まず肥料を購入すべきです。そして、この国の気候に合わせて改良すればよいのです」
「果物そのものではなく、肥料を買うというのね」
オデッセイ様の眼差しは、試すように鋭かった。
「はい。正直、果物は私が頼んでも売ってはいただけないでしょうし、それ以前に私は、そう望みません」
「そこまで語るのなら、当然“つて”があるのでしょうね」
「もちろんです。肥料のサンプルを頂けるよう、ナガルーナ陛下に直接お手紙を差し上げ、承諾もいただいております」
「……貴女」
オデッセイ様は手にしていた書類を机に投げ、勢いよく立ち上がった。
「他には何を望むのか、言いなさい!」
その迫力に喉が震えたけれど、私は必死に言葉を続けた。
「いずれは、ナガルーナ国と共同の商品を作りたいのです。確かに果物は素晴らしいですが、生鮮品である以上限界がある。ですがガルナール国ではこれからも出荷数を増やすつもりがないようです。そうなると一番おいしい時期の果物が残り、腐っていくのが現状なのです。けれどオデッセイ様は乾物を扱っていらっしゃいます。ナガルーナの果物を、乾物として活かしていただければ、無駄がなくなります」
「それなら僕が!!」
勢いよく手を挙げたのは、またしてもフリード様だった。
「ナガルーナの近くに、果物を乾燥させる技術に長けた国を知っています!」
「愚か者。そんなことをしても、こちらの利益にはならないでしょうが」
オデッセイ様の冷酷な声が突き刺さる。
「違います! 最初はあくまでサンプル的に作るのです。本格的な商品化には何年もかかります。その間に、我が国で施設を整えればいいのです!もちろんナガルーナ国の果物だとは言いません。それは騒ぎを起こし、カレン様の努力と信頼をなくしてしまうでしょう。ですが、私の持つ“つて”はあります。オデッセイ様よりも私の方が動きやすい国があります」
「なるほど……その通りね」
オデッセイ様の唇に笑みが浮かぶ。けれどその笑みは鋭く、ぞくりとする冷たさを含んでいた。
「その乾物の国に一度視察に行く必要があるわね。カレン、いつなら行けますか?」
「わ、私も……よろしいのですか!?」
「当然でしょう。貴女が同行しなければ、誰がナガルーナの果物を得られるというの? ふふ、面白くなってきたわ。ふっふふふ……おーっほっほっほっほ!!」
高らかな嬉しそうな笑い声が響き渡った。
女王の高笑い。
良かった、と本気で安堵し肩の力が落ちた。
「何を高笑いしているんだ。外まで聞こえているぞ」
いつの間にかゼット様が入口に立っており、眉間に皺を寄せてため息混じりに扉を閉めた。
「楽しいことがあるからに決まっているでしょう。それよりも、ノックもせず入ってくる王族など、嘆かわしい限りですわ」
「何度も叩いた。話し声がやかましく、返事もなかった。挙げ句にその高笑いが響いてきたから開けただけだ」
「ふん。叩き方が弱すぎるのよ。男として、気づいてもらえぬとは王族として欠陥品ね」
「……」
ああ言えばこう言う。まさにこのことだ。
ゼット様は諦めたように肩を竦めた。
「フリード、少しは手綱を締められんのか」
「何を仰いますか。これこそがオデッセイ様のご魅力です。相手の弱みを逃さず突き、理解させる、なかなかできることではございません」
崇める物言いに、こちらに対しても諦めるように肩をすくめた。
「……もういい」
「余計なことを言わなければいいのに」
「お前が言わせているのだろうが」
「私が? 何を?」
ゼットの眉間にしわがひくひく動く。
「……もういい。夕食の時間だ」
「そうね。ちょうど良いわ。カレン、食後に先ほどの話をゼットに伝えなさい。そのあと、貴女に“良いもの”を見せて差し上げるわ」
「良いもの……ですか?」
「そうよ。こういう意味で用意したものではなかったけれど、うっふふふふ。これからが楽しみですわ」
顎で合図する。
移動するわよ、と女王のように。
私たちはそのまま食堂へと向かった。
「なぜ、そう思われたのかしら。貴女が用意してきた資料では、売上は果物よりも野菜の方が高いはずでしょう」
ぺらり、ぺらりと重厚な書類を指先でめくる音が、静かな部屋にやけに響いた。
彼女の声音は噛みしめるように低く、それでいてどこか艶やかな威圧感を纏っている。私は背筋を正し、深呼吸で喉を潤してから答えを継ぐ。
「売上だけを見れば、確かにそうです。ですが、この果物、つまり果樹園は、元々オデッセイ様がご自分で整えられたものではございません。おそらく、果樹園を手放そうとしていた農家から買い取り、事業として始められたものなのでしょう」
「なぜ、そう断じられるのです」
視線が鋭く細められた。机の向こうから突き刺すように投げかけられる問いかけに、喉がからりと乾く。
私は胸の奥に小さく生まれる緊張を押し込め、声を乱さぬよう努めた。
「果樹園の前の持ち主が、ほぼ八割、農業を辞めております。そして売却した資金で夫婦だけで余生を暮らしている方々が多いのです。つまり、跡取りがいなかったからこそ、辞めざるを得なかった。そういう方々から、果樹園をお譲り受けになったのでしょう」
「安かったのよ。それだけよ」
寂しさを滲ませた声音。
だがその奥に、優しさを感じたのは、瞳の奥が少しだけ揺らいだからだろう。
その中で、愉しんでいるようなわずかな響きが声の中に混じっていた。
私の胸の鼓動が、ひとつだけ大きく跳ねる。
「いいえ、そんな安易な気持ちで買える代物ではありません。果物は非常に繊細で、生育が難しいもの。だからこそ跡を継ぐのが難しいのが現状です。それに比べ、野菜は多くが人間の背丈を超えず、手入れもまだ容易。しかし果物は違います。木は背丈を超えて枝を自由に伸ばし、受粉や袋掛け、細やかな手入れを必要とする。一本一本の実に手をかけねばならないのです。そこに確かに安かったから、というのもあるでしょうが、売れる、と見込んだからお買いになったのでしょう」
もちろんそれだけではないのは、農園を購入した方々を見ればよくわかります。
皆様の遺志を引き継ぎたかったのだ。
「ふうん」
気のなさそうな返事だったが、彼女の目は資料を追う速度をさらに速めていた。わざとそっけなく装っているのだと、肌がひりつくように感じ取れる。
「今、オデッセイ様が気になさっているのは、果物の出来、ではありません」
「何をつまらないことを言っているの?私は良質な品を作ることに心血を注いでいるのよ。出来をこだわらずに、いったい何をこだわると仰るのかしら」
その声音は、女王の玉座から臣下を見下ろすかのように冷厳で高圧的だった。私は一瞬背を竦めたが、それでも言葉を紡ぐ。
「その通りです。ですが出来に至るまでの必須条件を、今、模索されています」
ひくり、とオデッセイ様の眉がわずかに動いた。資料から鋭い眼差しが離れ、真っ直ぐに私を射抜いた。喉に棘のような痛みが走る。
「貴女のその、澄んだ声と穏やかな物言い。全てを達観した顔が、常に腹立たしく思えたわ。この短期間で私の事業の何が分かるの。広く浅く撫でただけで、理解したつもりでいるのかしら。勘違いも甚だしい限りだわ」
「仰る通り、この短期間ではオデッセイ様の事業を深く知ることなど到底できません。浅く広く調べただけ。それでも、数字は決して嘘をつきません。オデッセイ様が何を増やし、何を減らしたかは必ず現れる。そして増やされたものが、何を目的とするのか、答えとして示すのです」
そこで言葉を切り、真っ直ぐに瞳を見据える。
「数字?数字など莫大に出てきますわ」
上目遣いに私を試すように見る。
「はい」
オデッセイ様の眼差しがさらに冷たく尖る。呼吸が浅くなり、手に汗がじんわりと流れてくる。
「それで?私は何を模索していると、貴女は言うのかしら」
高圧的な瞳で、私を射抜く。
「肥料でございます」
その瞬間、オデッセイ様の目に一瞬だけ驚きの色が浮かんだ。それは本当に刹那で、すぐに鋼の仮面に閉じられたが、私はその微かな揺らぎを見逃さなかった。胸の奥がどくん、と熱を帯びる。
私の答えは、間違っていない。
そう思えるに十分な手応えを感じた。
「お手持ちの資料の五十三ページをご覧くださいませ。これまでオデッセイ様が購入なさった肥料は、大きな市場に出回る一般的なものばかり。ですが、そこに提示してある『ナガルーナ国』の名は、ご存知ですか?」
「知らぬ国ね」
鋭い眼差しで私を凝視し、低く呟かれた。部屋の空気が凍りついたように感じられた。
「小国であり、しかも島国ゆえ鎖国的な風土。ご存じなくとも無理はございません。ですが、かつて数十年前、その国の果物が世界で大いに名を馳せました。なぜ今はないのか、理由は単純です。小国ゆえに足元を見られ、たたき売りを強いられたのです」
ナガルーナ国の公爵様と私の出会いは、本当に奇跡のようなものだった。
あの頃、まだ八歳のアルファード様の誕生日パーティーに来ていた、ある国の要人の方が、このナガルーナ国の親友だったのだ。
酔いに任せて語られたのは、ナガルーナ国の憂い。とても悲しそうに話すその横顔は、子どもの私の胸にも強く焼きついた。
ナガルーナ国は寒冷な気候に合わせ、果物の栽培が盛んだった。人々は皆、果実の甘味を増し、大きく育てるために努力を重ね、その末に辿り着いたのが肥料の工夫だった。
生まれた果実は、他国と比べても格段に優れ、比肩するものがなかった。
けれど、その評判を知った他国の商人たちは悪どい手を使った。
小国であり、しかも島国であるナガルーナには、正規の商談の常識が十分に伝わっていなかった。そこにつけ込み、「世界の市場ではこの程度の値でしか売れない」と、低額での契約を持ちかけたのだ。
本来なら、膨大な手間暇と決して安くない肥料を費やしている。そんな安値での出荷などあり得ない。だが「世界の市場」という巧妙な嘘に、国は騙されてしまった。
それでも国は、「自国の果物が海外に輸出される。これから発展していく」と希望を抱いた。
しかし現実は、儲けが少ないのに出荷数ばかり増やされるという、負の連鎖だった。
やがて、ナガルーナの果物が市場で驚くほど高値で取引されている事実を国王が知り、国は怒りのあまり国境を閉ざした。
今では、ナガルーナ国が認めた国に、ほんのわずかだけ輸出されるのみだという。
私はとても興味を持った。
果物ではない。
国全体が一体となって何を作ろう、という意思にとても惹かれた。
結果的にはさみしいものになったが、そこに一体感があったからこそ、結果として世界に認められた果物ができたのだ。
私はその話を聞いた何年か後の夏休みにナガルーナを訪れた。
幾度も手紙を書き、様々な品を送り、少ない文献を探しては国のことを調べた。知らない国について学ぶのは、とても楽しかった。
気づいたことを山のように質問した。
最初は秘書官らしき人が返事をくれていたのだが、やがて王妃様や姫様から直接返事が届くようになった。
後から知ったが、ナガルーナには「奇跡の果物」を求めて何万通もの手紙が届いていたらしい。だから私も最初は、その一人だと思われていたそうだ。
けれど手紙の文面から、この国を心から知りたいという熱意が伝わり、王族のもとに届けられるようになったのだという。
そうして私は正式な招待状を手に入れた。
そして、いざ訪問した時、私はあえて土産を持参しなかった。
土産など今さら要らない。私が欲しかったのは、思い出だったから。
姫様と一緒に様々な果物でお菓子を作り、一緒に食べた。
それは本当に楽しく、今でも手紙を交わす大切な思い出、友人となっている。
「待ってください。ナガルーナ国…! そこから出る果物は奇跡の果物と呼ばれている。その国ですか!?」
急にフリード様が声を上げ、椅子を軋ませるほど身を乗り出した。
私は無視して続きを話そうとしたが、横槍が止まらない。
「そこで使用されている肥料が」
「その国と繋がりがあるのですか!?」
「オデッセイ様がこれまで築かれたご縁を」
「今なら確か、りんごが収穫期ですよね。そのりんごを」
「ちょっと煩いです!」思わず声を張り上げた。
「お前は黙っていろ! りんごなどどうでもよい!オデッセイ様の鋭い一喝が飛ぶ。
フリード様は泣きそうな顔をしながらも、渋々口を閉じた。何か言いたげに唇を噛んでいたけれど。
「続けなさい」
女王様のような冷ややかさを帯びた声に、私は背筋を正した。
「はい。気候はナガルーナと異なりますが、基本的に同じ果物であれば肥料に大差はないと思います。ですから適正価格を提示し、まず肥料を購入すべきです。そして、この国の気候に合わせて改良すればよいのです」
「果物そのものではなく、肥料を買うというのね」
オデッセイ様の眼差しは、試すように鋭かった。
「はい。正直、果物は私が頼んでも売ってはいただけないでしょうし、それ以前に私は、そう望みません」
「そこまで語るのなら、当然“つて”があるのでしょうね」
「もちろんです。肥料のサンプルを頂けるよう、ナガルーナ陛下に直接お手紙を差し上げ、承諾もいただいております」
「……貴女」
オデッセイ様は手にしていた書類を机に投げ、勢いよく立ち上がった。
「他には何を望むのか、言いなさい!」
その迫力に喉が震えたけれど、私は必死に言葉を続けた。
「いずれは、ナガルーナ国と共同の商品を作りたいのです。確かに果物は素晴らしいですが、生鮮品である以上限界がある。ですがガルナール国ではこれからも出荷数を増やすつもりがないようです。そうなると一番おいしい時期の果物が残り、腐っていくのが現状なのです。けれどオデッセイ様は乾物を扱っていらっしゃいます。ナガルーナの果物を、乾物として活かしていただければ、無駄がなくなります」
「それなら僕が!!」
勢いよく手を挙げたのは、またしてもフリード様だった。
「ナガルーナの近くに、果物を乾燥させる技術に長けた国を知っています!」
「愚か者。そんなことをしても、こちらの利益にはならないでしょうが」
オデッセイ様の冷酷な声が突き刺さる。
「違います! 最初はあくまでサンプル的に作るのです。本格的な商品化には何年もかかります。その間に、我が国で施設を整えればいいのです!もちろんナガルーナ国の果物だとは言いません。それは騒ぎを起こし、カレン様の努力と信頼をなくしてしまうでしょう。ですが、私の持つ“つて”はあります。オデッセイ様よりも私の方が動きやすい国があります」
「なるほど……その通りね」
オデッセイ様の唇に笑みが浮かぶ。けれどその笑みは鋭く、ぞくりとする冷たさを含んでいた。
「その乾物の国に一度視察に行く必要があるわね。カレン、いつなら行けますか?」
「わ、私も……よろしいのですか!?」
「当然でしょう。貴女が同行しなければ、誰がナガルーナの果物を得られるというの? ふふ、面白くなってきたわ。ふっふふふ……おーっほっほっほっほ!!」
高らかな嬉しそうな笑い声が響き渡った。
女王の高笑い。
良かった、と本気で安堵し肩の力が落ちた。
「何を高笑いしているんだ。外まで聞こえているぞ」
いつの間にかゼット様が入口に立っており、眉間に皺を寄せてため息混じりに扉を閉めた。
「楽しいことがあるからに決まっているでしょう。それよりも、ノックもせず入ってくる王族など、嘆かわしい限りですわ」
「何度も叩いた。話し声がやかましく、返事もなかった。挙げ句にその高笑いが響いてきたから開けただけだ」
「ふん。叩き方が弱すぎるのよ。男として、気づいてもらえぬとは王族として欠陥品ね」
「……」
ああ言えばこう言う。まさにこのことだ。
ゼット様は諦めたように肩を竦めた。
「フリード、少しは手綱を締められんのか」
「何を仰いますか。これこそがオデッセイ様のご魅力です。相手の弱みを逃さず突き、理解させる、なかなかできることではございません」
崇める物言いに、こちらに対しても諦めるように肩をすくめた。
「……もういい」
「余計なことを言わなければいいのに」
「お前が言わせているのだろうが」
「私が? 何を?」
ゼットの眉間にしわがひくひく動く。
「……もういい。夕食の時間だ」
「そうね。ちょうど良いわ。カレン、食後に先ほどの話をゼットに伝えなさい。そのあと、貴女に“良いもの”を見せて差し上げるわ」
「良いもの……ですか?」
「そうよ。こういう意味で用意したものではなかったけれど、うっふふふふ。これからが楽しみですわ」
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移動するわよ、と女王のように。
私たちはそのまま食堂へと向かった。
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