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身代わりβの密やかなる恋の行方5
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結婚という言葉に少しだけ身構えた。修一朗さんはできると断言してくれたけれど無理はしてほしくない。結婚という形でなくても僕はもう十分に幸せだ。
「年が明けて、梅が咲く頃には式を挙げよう」
「……え?」
式という言葉に驚いた。
「本当は年内にと思っていたんだけど、兄のところに四人目の子どもが生まれたばかりでね。もう少し大きくなれば乳母に任せられるからと頼み込まれてしまった」
「あの、式というのは、もしかして結婚式のことですか?」
「そうだよ。千香彦くんと僕の結婚式だ。僕の両親に兄と姉、兄の奥方と姉の許嫁も出席する。中には『盛大な結婚式を挙げるべきだ』なんてうるさく言う親戚もいたけど、大事なきみを見せ物にする気はさらさらないから断ったよ」
まさかと驚いた。僕はただのβで、しかも男だ。そんな僕と修一朗さんの結婚式に珠守家の人たちが参列するはずがない。そもそも結婚自体を認めてくれるはずがないと思っていた。
「あの、本当にご家族が出席されるんですか? というか、本当に式を?」
「僕の家族は千香彦くんが来てくれたことを心から喜んでいる。ようやく売れ残りの引き取り手が見つかった、なんて意地悪を言うくらいだ」
「でも、」
「それに、式を挙げれば都留原のご隠居にしつこくされることもなくなる。正直、兄姉もご隠居にはうんざりしていたんだ。ご隠居は僕というより珠守家と縁続きになりたいだけでね。僕のところに来ても、すぐに兄姉に会いたがる」
「困った人だよ」と苦笑しているけれど、横顔は随分疲れているように見える。それだけ何度も訪問を受けたということなのだろう。
「そんなとき、千香彦くんと結婚できる状況が整った。僕にとっては想い人と結婚できる最良の出来事だし、家族にとってきみは救いの神になったというわけだよ」
「そんなことは……」
それに救いの神というなら修一朗さんのほうだ。姉を亡くし、ますます存在価値がなくなった僕に手を差し伸べてくれた。僕の浅ましい思いを受け入れてもくれた。
「あの、都留原家のほうは本当に大丈夫なんですか?」
僕の言葉に、修一朗さんは「何も問題ないさ」と笑う。
「僕の婚約者は千香彦くんだけだ。ご隠居にも伝えたし、もう朝っぱらから屋敷にやって来ることもない」
「伝えたって、まさか僕のことを話したんですか?」
「もちろんだとも。それに僕が結婚することは公にしている。これでうるさく言う人たちも口をつぐむだろう」
「公にって」
「おかげで寳月家の男子はΩだったのかと、あちこちで噂されているようだけどね」
まさか、そんなことがあるはずがない。これまで散々「美人なのにβなのは残念だ」と言われてきたし、大勢の人たちが僕がβだということを知っている。それなのに僕と結婚するのだと公にしては、修一朗さんが男色に走ったと悪く言われてしまうんじゃないだろうか。
「大丈夫、千香彦くんのことは僕が守る。それに寳月家も何も言わない。寳月家が口を閉ざせば、もしや本当にΩだったのかと誰もが思い始める」
「でも、父が何も言わないはずが、」
「言わないよ。そうすれば寳月家は珠守家に連なることができるからね。千香彦くんが僕と結婚することこそがお父上の望みであり、そのためならあの世まで口をつぐんでくれるだろう。僕はそう考えているし、それが僕の望みだ」
父はそうだとしても、僕のことを知っている人たちが黙っているはずがない。華族社会には、落ちぶれてなお足掻く寳月家のことを快く思わない人たちがいるはずだ。
「それに兄も姉も千香彦くんに夢中なんだ。こんなに美しく可愛い弟ができるなんてよくやったと、何度褒められたことか」
「え? あの、意味が、よくわからないんですが」
「散歩しているところを覗き見するなんて、あの人たちも行儀が悪い」
そう言いながらも修一朗さんは笑っている。
「兄や姉が『よい縁談だ』と口にすれば誰もが納得する。親戚も周囲の誰もがだ。わざわざ珠守家の機嫌を損ねようとは誰も思わない」
修一朗さんの兄姉は優秀なαだと聞いている。いまの珠守家を動かしているのはこの二人だとも聞いた。その二人が口を揃えてそう言えば周囲は黙るのかもしれない。それでも、僕のことをよく知らない二人がそうまでしてくれる理由がわからなかった。
「僕は千香彦くんと添い遂げたいと本気で思っている。この気持ちは家族にきちんと話したし、僕の望みを家族は理解してくれている。それにね、珠守のαは執念深いんだ。その欲を受け止められる人はあまりいない」
最後の意味はよくわからなかったけれど、そうまでして僕を求めてくれる修一朗さんに胸が一杯になった。こんなにも僕を思っていてくれたのかと思うと目頭が熱くなる。
「役所への届け出は年内に済ませよう。そうしないと安心できない」
「安心できないって……。別に、そんなに急がなくても」
「魅力的な千香彦くんが誰かに奪われるんじゃないかと気が気でないんだ。心の狭い男だと笑ってくれてもいい」
「そんな、嬉しいと思いこそすれ、笑うだなんて」
そう答えたら、ぎゅっと抱きしめられた。顔を埋めた修一朗さんからふわりといい香りが漂い、僕の鼻をくすぐる。
(前と少し違う香りがするような……)
これはいつも嗅いでいた香水じゃない。そういえば、昨日もこの香りがしていた気がする。
(清々しくて、それに少し甘い不思議な香り……)
以前の香水も好きだったけれど、いまはこの香りのほうが安心できる気がした。
(βの男でしかない僕が、本当に修一朗さんと結婚できるなんて)
本音を言うなら、まだ信じられない。だけど、こうして僕を抱きしめてくれる修一朗さんのことは信じたい。そう思って温かい体をそっと抱きしめ返した。
「年が明けて、梅が咲く頃には式を挙げよう」
「……え?」
式という言葉に驚いた。
「本当は年内にと思っていたんだけど、兄のところに四人目の子どもが生まれたばかりでね。もう少し大きくなれば乳母に任せられるからと頼み込まれてしまった」
「あの、式というのは、もしかして結婚式のことですか?」
「そうだよ。千香彦くんと僕の結婚式だ。僕の両親に兄と姉、兄の奥方と姉の許嫁も出席する。中には『盛大な結婚式を挙げるべきだ』なんてうるさく言う親戚もいたけど、大事なきみを見せ物にする気はさらさらないから断ったよ」
まさかと驚いた。僕はただのβで、しかも男だ。そんな僕と修一朗さんの結婚式に珠守家の人たちが参列するはずがない。そもそも結婚自体を認めてくれるはずがないと思っていた。
「あの、本当にご家族が出席されるんですか? というか、本当に式を?」
「僕の家族は千香彦くんが来てくれたことを心から喜んでいる。ようやく売れ残りの引き取り手が見つかった、なんて意地悪を言うくらいだ」
「でも、」
「それに、式を挙げれば都留原のご隠居にしつこくされることもなくなる。正直、兄姉もご隠居にはうんざりしていたんだ。ご隠居は僕というより珠守家と縁続きになりたいだけでね。僕のところに来ても、すぐに兄姉に会いたがる」
「困った人だよ」と苦笑しているけれど、横顔は随分疲れているように見える。それだけ何度も訪問を受けたということなのだろう。
「そんなとき、千香彦くんと結婚できる状況が整った。僕にとっては想い人と結婚できる最良の出来事だし、家族にとってきみは救いの神になったというわけだよ」
「そんなことは……」
それに救いの神というなら修一朗さんのほうだ。姉を亡くし、ますます存在価値がなくなった僕に手を差し伸べてくれた。僕の浅ましい思いを受け入れてもくれた。
「あの、都留原家のほうは本当に大丈夫なんですか?」
僕の言葉に、修一朗さんは「何も問題ないさ」と笑う。
「僕の婚約者は千香彦くんだけだ。ご隠居にも伝えたし、もう朝っぱらから屋敷にやって来ることもない」
「伝えたって、まさか僕のことを話したんですか?」
「もちろんだとも。それに僕が結婚することは公にしている。これでうるさく言う人たちも口をつぐむだろう」
「公にって」
「おかげで寳月家の男子はΩだったのかと、あちこちで噂されているようだけどね」
まさか、そんなことがあるはずがない。これまで散々「美人なのにβなのは残念だ」と言われてきたし、大勢の人たちが僕がβだということを知っている。それなのに僕と結婚するのだと公にしては、修一朗さんが男色に走ったと悪く言われてしまうんじゃないだろうか。
「大丈夫、千香彦くんのことは僕が守る。それに寳月家も何も言わない。寳月家が口を閉ざせば、もしや本当にΩだったのかと誰もが思い始める」
「でも、父が何も言わないはずが、」
「言わないよ。そうすれば寳月家は珠守家に連なることができるからね。千香彦くんが僕と結婚することこそがお父上の望みであり、そのためならあの世まで口をつぐんでくれるだろう。僕はそう考えているし、それが僕の望みだ」
父はそうだとしても、僕のことを知っている人たちが黙っているはずがない。華族社会には、落ちぶれてなお足掻く寳月家のことを快く思わない人たちがいるはずだ。
「それに兄も姉も千香彦くんに夢中なんだ。こんなに美しく可愛い弟ができるなんてよくやったと、何度褒められたことか」
「え? あの、意味が、よくわからないんですが」
「散歩しているところを覗き見するなんて、あの人たちも行儀が悪い」
そう言いながらも修一朗さんは笑っている。
「兄や姉が『よい縁談だ』と口にすれば誰もが納得する。親戚も周囲の誰もがだ。わざわざ珠守家の機嫌を損ねようとは誰も思わない」
修一朗さんの兄姉は優秀なαだと聞いている。いまの珠守家を動かしているのはこの二人だとも聞いた。その二人が口を揃えてそう言えば周囲は黙るのかもしれない。それでも、僕のことをよく知らない二人がそうまでしてくれる理由がわからなかった。
「僕は千香彦くんと添い遂げたいと本気で思っている。この気持ちは家族にきちんと話したし、僕の望みを家族は理解してくれている。それにね、珠守のαは執念深いんだ。その欲を受け止められる人はあまりいない」
最後の意味はよくわからなかったけれど、そうまでして僕を求めてくれる修一朗さんに胸が一杯になった。こんなにも僕を思っていてくれたのかと思うと目頭が熱くなる。
「役所への届け出は年内に済ませよう。そうしないと安心できない」
「安心できないって……。別に、そんなに急がなくても」
「魅力的な千香彦くんが誰かに奪われるんじゃないかと気が気でないんだ。心の狭い男だと笑ってくれてもいい」
「そんな、嬉しいと思いこそすれ、笑うだなんて」
そう答えたら、ぎゅっと抱きしめられた。顔を埋めた修一朗さんからふわりといい香りが漂い、僕の鼻をくすぐる。
(前と少し違う香りがするような……)
これはいつも嗅いでいた香水じゃない。そういえば、昨日もこの香りがしていた気がする。
(清々しくて、それに少し甘い不思議な香り……)
以前の香水も好きだったけれど、いまはこの香りのほうが安心できる気がした。
(βの男でしかない僕が、本当に修一朗さんと結婚できるなんて)
本音を言うなら、まだ信じられない。だけど、こうして僕を抱きしめてくれる修一朗さんのことは信じたい。そう思って温かい体をそっと抱きしめ返した。
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