公達は淫らな美鬼を腕に抱く

朏猫(ミカヅキネコ)

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二章 鬼の王に会いて

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 荘園の別邸では丸二日間、部屋に籠もり続けた。そうして三日目の今日、都に戻るべく身支度を整えている。

(まさか二日間もとは……)

 しかも行為に没頭するあまり最中は水もろくに口にしなかった気がする。眠ったのもほんの数刻で、そんな状況なら疲労困ぱいになるのが当然だ。ところがどういうわけか体も頭もすっきりしている。むしろ力が湧いてくるような気さえしていた。さすがにおかしくはないかと首を傾げたが、同じくらいおかしかったのが金花の態度だった。

「おい、何をそんなに怒っているんだ?」

 目が覚めてからというもの、金花はずっと怒っているような様子でいる。口数は少なく話しかけてもほとんど答えない。「おい」と何度目かわからない呼びかけにようやく視線を上げたが返事はなかった。

「丸二日もというのはよくなかった。心から謝る。だから機嫌を直してくれ」
「そういうことではないと言ったはずですが」
「だが……」

 それしか金花が機嫌を損ねている理由が思い当たらなかった。しかし金花は違うと首を振る。

(たしかに背筋はしゃんと伸びているが……)

 部屋を歩く足取りはしっかしとしていて気だるさといったものは一切感じられない。肌つやも鬼の王の屋敷に行く前よりずっといい。むしろ色気が増し、道中でも目を引くのではと心配になるくらいだ。じゃあなぜ返事をしてくれないのかと思いながら荷を包んでいると、「まだ血を食らうのは早いでしょう」という声が聞こえてきた。

「金花?」

 振り返ると、黒い目がじぃと俺を見ている。

「鬼になることを、そう急がなくてもよいのではと言っているのです」
「……俺が唇を噛んだことを怒っていたのか」

 返事はないが俺が金花の血を舐めたことを怒っていたのだろう。

(勝手に舐めたからか)

 鬼に転ずるには血を食らうのが早いと鬼の王は言っていた。しかしあれは食らうというより舐める程度だ。それで急に鬼になるわけでもないだろうに、なぜそこまで怒るのだろうか。

「まだ俺が鬼に転じることを、よく思っていないのだな?」

 金花の目がわずかに揺れたように見えた。

「俺はもう決めたのだ。鬼の王にも言ったが、俺は鬼となりおまえと共にありたいと思っている。この気持ちは今後も決して変わらない」
「……鬼になれば、あなたは人の敵となるのですよ? これまで共に戦ってきた武士もののふや、それにお師匠とも相対することになります」
「わかっている。それでも俺の気持ちは変わらない」
「それだけではありません。鬼になれば見た目が変わってしまいます」
「おまえや鬼の王のように、人前では人らしくすればいいだろう?」
「そうではないのです」

 強い口調に少しばかり驚いた。どうしたのだと金花を見つめれば、すぅと視線を落とし、またゆっくりと上げて俺を見る。

「鬼となれば、あなたの見目はいまとほとんど変わらなくなるでしょう。親王様のように」

 敦皇あつおう様の姿を思い出しハッとした。

「……年を取らないということか」
「少し違います。鬼は人と違い、もっとも精力みなぎる姿である時間が長いのです。しかし、途中で鬼に転じた人は鬼となったときの姿のままであることが多い。親王様がその証です。そうなっては人の世にはいられなくなります」
「たしかに、見た目が変わらなくなれば人の近くにはいられないだろうな」
「……親兄弟といますぐ離れたいとは思わないでしょう?」

 金花の言葉に「あぁ、そうか」と思った。金花は俺のことを心配してくれていたのだ。金花がそれだけ俺の気持ちを慮ってくれているのだと思うと胸がきゅうと甘く痺れる。
 兄上たちにどう思われようとかまわないが、母上に泣かれるのは胸が痛い。しかし鬼となれば母上の屋敷を出なくてはならないだろう。俺が急に身を隠せば泣き崩れるであろうことは容易に想像がつく。そんな母上の姿に俺が心を痛めると金花は考えたに違いない。

(それに師匠のことも気にしているのだろうな)

 東国を発つとき、俺は「また来ます」と師匠に伝えた。師匠も「おう、楽しみにしている」と笑った。それを金花は気にしているのだ。

(ここまで思われる俺は果報者だな)

 俺を慮ってくれる金花の気持ちが嬉しかった。人とは違い鬼は人の思いを解さないものだとばかり思っていたが、少なくとも金花は俺の気持ちを汲んでくれる。

(鬼の王もそうだったか)

 敦皇あつおう様への鬼の王の思いは人以上のように見えた。

(人も鬼も大して変わらないのかもしれない)

 金花は鬼だ。半分は“ようま”という存在らしいが、人にとってはどちらも鬼で間違いない。だが、俺を思ってくれる金花の気持ちはこれまで出会った誰よりも強いと感じていた。そんな金花を一番に考えないことがあろうか。金花とこの先もずっと共にありたい、改めてそう思った。

「金花の言いたいことはわかる。こんな俺でも鬼に転ずると決めたときはさすがにいろいろ悩んだからな。それとも、俺は何も考えていないと思っていたのか?」

 そうっと視線を逸らしたことで、金花がどう思っているのかわかり苦笑が漏れる。

「……だって、カラギは熱くなると考えるよりも先に体が動いてしまうじゃないですか。あの鬼が屋敷に現れたときも、それに御所でも、あなたの行動には心配してばかりでした。鬼になることだって……いまは、わたしを珍しく思っているからそばにいたいだけかもしれない。鬼の体が珍しく、妖魔の精が珍しいだけかもしれない。慣れてしまえば気持ちも落ち着くでしょう。しかし鬼になってしまえば後戻りできないのですよ?」

 俺が思っているよりもずっと金花はいろいろと考えてくれていたらしい。それは嬉しいことだが、どこか俺と共にあることに怯えているようにも感じられた。

(そうか。金花は誰かと共にあることに慣れていないのだな)

 以前も似たようなことを感じたのを思い出した。下賤と呼ばれ、同じ鬼たちからも疎まれていた金花は一人きりだった。兄弟であるはずの鬼の王には存在すら気に留められなかったに違いない。寄ってくる者はほふろうとする人々ばかりで、そんな人らに嫌気がさしていたとも話していた。なかには惑わされてそばにいることを願った者もいたかもしれないが、すべて“ようま”として食らうだけだった。

(そんな金花が、初めて共にありたいと思ってくれたのが俺だとしたら……)

 俺よりもずっと深く物事を見聞きする金花だ。初めてだからこそためらい心配になるのだろう。自分のせいでと考えているのかもしれない。

(俺が金花を思う気持ちがどれほど強いかということにこそ気づいてほしいのだがなぁ)

 いや、そんな金花だからこそよいのだ。鬼だと言いながら鬼らしくないところもいい。こうして俺の心配ばかりするのも悪くなかった。金花が俺だけを見て俺だけを思ってくれることに興奮にも似た気持ちがわき上がる。

「俺は都を離れると決めているから心配しなくてもいい」
「え?」
「あぁ、いま決めたんじゃないぞ? もっと前に決めていたことだ。以前から都を出てあちこちの土地を旅しようかと思っていたんだ。師匠の影響もあるんだろうが、ついに実行するときがきた。それに一カ所に留まらないのなら見目が変わらなくともあやしまれずに済むだろう?」
「でも……」
「母上には散々泣かれるだろうが、まぁ仕方ない。俺は母上よりも金花のほうが大事だからな」
「……」
「それに都にいたのでは、兄上たちの都合で次々と奥方をもらわねばならなくなりそうだ。俺の奥方は金花だけだと言っているのに腹の立つことだ」

 俺なんかを婿にという貴族がいるとは思えないが、都では俺の知らない間に婿入りの話が進められてしまっている。今後も同じようなことが起きないとは言い切れない。

(そういえば、どうして突然そんな話が出たんだろうな)

 元服した当時はそれなりに婿入りの話はあったが、それもすぐになくなった。俺の噂を聞き「婿にしたい」と考える貴族がいなくなったからだろう。それなのに今さらどういうことだと首を傾げる。

(……まさか、金花を狙って兄上が仕組んだのでは……?)

 初めて挨拶に行ったとき、兄上はやけに熱心に金花に話しかけていた。その後も金花宛ての贈り物が届いていたことは知っている。俺に新しい奥方をあてがい、その隙にとあの兄上なら考えてもおかしくない。

「兄上には本当に腹が立つ」

 口にするとますます腹が立った。

「いいか金花、兄上たちには絶対に隙を見せるなよ? 一度都には戻るが、婿入りの話を正式にぶち壊したらすぐに都を出るからな。うん、それがいい、そうしよう」

 そうすれば金花も心置きなく俺に血を食わせることができるだろう。俺も憂いなく鬼へと転ずることができる。何とよい考えだと鼻息も荒く頷くと、「ふふっ」という笑い声が聞こえてきた。

「おかしいか?」
「だって、正式に断ると言うならまだしもぶち壊すだなどと……ふふっ、さすがはカラギと思っただけです」
「断るくらいじゃ兄上の目は覚めないだろうからな。ぶち壊すくらいがちょうどいいんだ」
「ふふっ、そんなカラギも愛しいと思っていますよ」
「な……にを、急に」
「ふふふ、かわいい方」
「……っ」

 いつもの金花の様子にホッと胸を撫で下ろした。母上に泣かれるのが一番こたえると思っていたが、いまは金花の顔から笑顔が消えることのほうがつらい。
 金花が心の底から鬼に転じることに賛成してくれているかはわからない。やはり駄目だとどこかで言い出すかもしれない。そのときは、またこうして俺の気持ちを伝えることにしよう。どれほど鬼になりたいと思っているか、どれだけ金花のそばにいたいと願っているか嫌というほど聞かせてやればいい。

(そうして鬼になり、金花と共にあろう)

 俺は改めてそう決意し、金花と共に都に戻ることにした。
 荘園を出てから少し遠回りをし、念のために斎宮様のおられる宮の近くに数日滞在することにした。母上への土産を買い求め、それから都への街道を上る。幸い雪に降られることもなく順調に都大路に入り、無事屋敷に戻ることができた。

(あとは婿入りの話をどうにかすればいいだけだと思っていたんだがな……)

 隣にいる金花をちらりと見る。俺よりも公達然とした見た目は親王様かというほどの様子で、公達など見慣れているはずの女房たちがひっきりなしに様子を見に来た。

(これでは道中と変わらないではないか)

 道中、やたらを声をかけられたことを思い出し眉が寄る。

(たしかに目を奪われるほどの美しさだと思うが……)

 いまも狩衣姿だが、道中ではそうした格好の者も多くいるというのに金花はやたらと注目を浴びていた。道を歩けばじろじろと見られ、少し大きな町に入れば土地の貴族や旅の途中らしき武士もののふにまで声をかけられる。寝床を貸してくれた寺の僧たちまでもがじっとりと金花を見つめ、挙げ句には御帳に潜り込もうとした輩まで出たくらいだ。金花は稚児という年でもないのに懸想するとは、なんという僧たちだ。
 東国の旅でも鬼の王に会いに行く道中でも金花をそういう目で見る輩は大勢いたが、都へ戻る道中はさらにひどかった。そんな輩を俺は怒気で遠ざけ、ときには目で射殺しながら歩いた。ところが屋敷に戻ってからも状況は変わらない。

(たしかに以前からそんな感じではあったがな)

 女房装束のときでさえ、屋敷の女房たちは金花を羨望の眼差しで見ていた。なかには明らかに憧れを超えた眼差しを向ける者がいたことも知っている。それが今度は狩衣姿の美丈夫として現れたのだから騒ぎ出すのもわからなくはない。

「だがな、男どもまで上の空になるとはどういうことだ」
「まぁまぁ、落ち着いて」

 憮然とする俺に金花がにこりと笑いかけた。すると、遠目でこそこそと見ていたらしい下男や武士もののふたちのため息があちこちから聞こえてくる。「またか」と、つい舌打ちをしてしまいそうになった。
 腕を組んだ俺は、顔をしかめながら周囲をぐるりと睨みつけた。すると今度は慌てたように走り出す足音や荷物を落とす音が聞こえてくる。思っていた以上に人が集まっていたことがわかり、今度こそ「チッ」と舌打ちしてしまった。

「たしかにおまえは狩衣姿でも美しい。公家風の出で立ちでもしようものなら、ますます目を惹くだろう。それはわかる。わかるが、女房たちよりも圧倒的に男の目が多いのはどういうことだ!」
「それはあなたが毎夜のように精をくれるからでしょう? しかも奥深くに、何度も何度も。あなたの精が体の奥にあるせいで妖魔の力がみなぎってしまうのです」

 金花の言葉にはぐぅと唸ることしかできなかった。それでも金花を求めてしまう気持ちを止めることができない。こうなったら、いっそのこと金花をどこかに隠してしまおうかと思うほどだ。

(これが奥方ならそうできるんだろうが……いまの金花は奥方の兄・・・・という立場だからな)

 一旦都に戻ると決めたとき、俺は金花と一緒に屋敷に戻るつもりはなかった。

「母君の病が思ったよりも重く、引き離すには忍びなかったため金花は母君の元に置いてきた、そういうことにしよう」

 そうしなくては、俺が都を離れるときに金花を屋敷から連れ出す言い訳が面倒になる。だが、そうなると金花を屋敷以外のどこに住まわせればいいだろうか。ウンウン唸る俺に「では、男の姿で友としてついていくのはどうですか?」と提案してきたのは金花だった。

「なるほど、友か」
「友であれば堂々と屋敷についていくことができるでしょう? それにあなたが屋敷を離れるときについていくこともできます。そうですね、たとえばわたしが金花の兄で里にいる間に仲良くなっただとか、わたしが都を見たいとせがんだから連れて来ただとか、いろいろと言い訳はできると思いますが」
「なるほど、兄妹きょうだいか」

 それなら顔が似ていても不思議ではない。田舎育ちなら狩衣姿でもおかしくなく、たとえば太刀を振るったとしても違和感はないだろう。むしろ俺が太刀筋を気に入ったからと言えば誰もが納得する。

「金花の兄というのがよさそうだな」
「わかりました」

 そう言いながら金花が檜扇を口元に当てた。檜扇が目に入った途端に俺の顔が渋いものに変わる。

「おい、その檜扇、持って帰るのか?」
「えぇ、そのつもりですが?」

 答えにますます顔をしかめた。そんな俺に、金花が「よい作りなのですから捨ててはもったいないでしょう?」と笑う。たしかに作りは立派だ。しかし梅の糸花がついていたりと男物にしては華やかすぎる。それがまた狩衣姿の金花によく似合い、なんとも言えない色香を感じさせた。
 上品で華やかな檜扇を金花に贈ったのは、とある大きな寺の僧正だ。ただ贈っただけならここまで目くじらを立てたりはしない。あのときの僧正の金花を見る目を思い出すだけで腹の底から不快になる。

(あの目はそういう目・・・・・だった)

 もし俺が関白家の人間でなければ金花を奪われていたかもしれない。そんな坊主が贈った檜扇などいますぐにでも捨ててしまいたかった。

(物に当たるのはみっともないとわかっている。だがな……)

 苛々とする気持ちをグッと抑えていると、「ではこうしましょう」と言いながら金花がぱちりと檜扇を閉じた。
 母の看病とはいえ妻となった身で俺のそばを長く離れるのは申し訳ない。だから兄を代わりにそばに置いてほしい。不自由しないように身の回りの世話をするだけでなく、野盗から身を守るための伴として使ってほしい。身辺警護のため兄には常に旦那様のそばにいるようにと頼んだ。これが金花の考えた内容だった。

「ただの友よりも、これなら常にそばにいても不思議ではありません」
「なるほど、よいかもしれない。とくに母上には響くだろうなぁ。母思い、兄妹思いというのがお好きな方だからな」
「では、決まりですね。ふふっ、これならカラギのそばにずっといられますからわたしも安心です」
「何を言っている、心配なのは俺のほうだ。……その檜扇も、本当は焼き捨てたいくらいなんだぞ」
「ふふふ、かわいい方」

 そんなふうに笑われては檜扇のことをこれ以上言うことはできなかった。

(いや、いまは檜扇よりこの状況だ)

 思い出に眉をひそめながら「ううむ」と考える。女房たちとどうこうなるとは思わないが、男のほうはわからない。金花の色香に迷い無体を強いようとする者がいてもおかしくない状況だ。顔をしかめながらそんなことを考える俺に、金花が「今回は男の姿でよかったと思っているのですよ」と口にする。

「こんなに男どもに目をつけられているというのにか?」
「そう怒らないでください。もしわたしが女として屋敷に戻っていれば女房たちの近くにいることになるでしょう? このように妖魔の力が増している状態では、それこそ目も当てられないことになっていたと思います。それに母上様の近くにも行かなければならなかったでしょうからね。わたしは母上様と交わりたいとは思いません」
「……っ。それ、は、そうかもしれないが」
「それに、あなた以外の男になどまったく興味はありません。どれだけ見られようとも、草木に見られているのと同じこと」

 伽羅の香りがふわりと漂い始める。

「わたしはあなただけのものですからご心配なく」

 耳元で囁かれた言葉に、ぞくりと背筋が震えた。
 明日は兄上のところへ行かねばならないが、今夜も俺は金花を手放せないだろう。それではますます匂い立つような姿を大勢に晒すことになってしまう。それでも金花を組み敷かないという選択は俺の中にはなく、その日の夜も我を忘れたように互いを貪りあった。
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