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二章 鬼の王に会いて
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姫君からの提案もあり、俺はしばらく六条殿の屋敷に通うことにした。望まない噂が立つかもしれないが、それもしばらく我慢すればいいだけだ。それに兄上に諦めてもらうための方法を整える時間もほしかった。
今朝も姫君の元に通うという呈で六条殿の屋敷にやって来た。さて、どうやって時間を潰そうか。御簾の前であれこれ考える俺に姫君が「鬼の話を聞きたい」と言い出した。
「鬼の話、ですか?」
俺が鬼退治をしていると女房たちから聞いたのだろう。他愛ない話でもしようかと思っていたが、まさか鬼退治の話をせがまれることになるとは思わなかった。さてどうしたものかと少し戸惑った。
「俺はかまいませんが、姫は鬼が怖くないんですか?」
「怖いとは思うけれど、でも一度も見たことがないんだもの。どういうものか知りたいの!」
なるほど、思っていた以上に変わった姫のようだ。
(このような姫君と思いを交わしていた二条殿のご子息とは、よほど懐の深い男だったのだろうなぁ)
つい、そんなことを思ってしまった。どんな公達か屋敷に戻ったら女房たちに訊いてみるかと思いつつ、さて、何なら話せるだろうかと考える。
(……いや、さすがに鬼の話をしたとなれば温厚な六条殿も怒りそうな気がする)
六条殿の気分を害したいとは思わない。それに姫君はよいとしても、お付きの女房たちにとっては進んで聞きたい話じゃないだろう。それなら鬼より姫君が興味を持つような話を提案すればいい。
「鬼の話ではありませんが、東国や西の話はどうですか?」
「唐多千の君様は東へ行ったことがあるの?」
「太刀の師匠が東にいるので、鍛錬をしにしばらく行っていたのです」
「まぁまぁ、すごいわ! わたくし、ついこのあいだ旅日記を読んだばかりなの! ねぇ、東に行く途中に海はご覧になった? 宿はどうなさったの? 東の人たちは都の人たちとは違うの?」
予想よりも大きな反応に思わず苦笑してしまった。小さい頃の俺も好奇心旺盛だったが、姫君はあの頃の俺よりもずっと興味津々な声をしている。おそらく姫であるために我慢してきたことが多くあるのだろう。俺の話を少しでも楽しんでくれるなら嬉しい限りだ。
(もしも妹がいたらこんな感じだったのだろうか)
そんなことを思いながら御簾ににじり寄っている姫君に旅の話をすることにした。
この日以降、俺は旅の話を聞かせるために六条殿の屋敷に通うことになった。はじめは逢瀬に見られるのはなぁと気にしていたものの、姫君の反応がかわいらしくて聞かせ甲斐もある。気がつけば「次は何の話をしようか」と考えるようになり、通うのも今日でちょうど十日目だ。
「本日はここまでにしましょうか」
屋敷を訪れてから半刻は経っただろうか。そろそろ帰ろうかと挨拶をすると、姫君が残念そうな声を出す。それがなんともかわいらしく「続きはまた今度」と告げる言葉にも笑みが混ざった。
「絶対によ? 忘れたりしたら枕元まで追いかけるんだから!」
「それでは、かの有名な物語の御息所のようじゃないですか」
「そうよ。忘れたら恐ろしいことになるのだから、絶対に続きをお話にいらしてね?」
「承知しました」
かしこまって答えると、姫君だけでなく女房たちのクスクスという笑い声が聞こえてくる。はじめは刺々しく感じていた女房たちだったが、何度か通ううちに随分と柔らかくなった。おそらく俺に婿入りの意思がないこと、それに権力闘争に不向きな性格で害がないと判断したのだろう。どの屋敷の女房たちもそういうことにはやけに敏感だ。とくに未婚の姫君に仕える女房たちは、主人の未来のために婿候補には厳しい目を向ける。
「それではまた」
「絶対よ、お忘れにならないでね」
最後まで約束をせがむ姫君の声に、姿を表した六条殿が「これ」と笑いながらたしなめる。そうしていつもどおり部屋を出て先導をしてくれるのだが、今日は何やら機嫌がよさそうだ。
「何かよいことでもありましたか?」
「あぁ、これは失礼。いえね、二条殿から文が届いたのですが、ご子息が公卿になる手はずが整ったとありましてね」
「公卿に」
「まだ小納言ではありますが、いずれは大納言、その先もあるのではと、そう書かれていました」
「それはよかったですね」
「えぇ。これなら姫との婚姻も再び進めることができるでしょう。公卿同士の家柄であれば、帝のお許しも早くにいただけるでしょうし」
そう話した六条殿が、つぃと俺を振り返った。
「政争など関心がないのかと思っていましたが、なかなかどうして、やり手ではありませんか」
微笑む六条殿に、俺も笑顔を向ける。そのまま二条殿の話題には触れず、「ではまた」と挨拶をして牛車へと乗り込んだ。中では金花が待っていて「何かよいことでもありましたか?」と訊いてくる。
「いや、思いのほか早くに二条殿のご子息が、崇明殿が公卿になることが決まったらしくてな」
「あぁ、それで」
なるほどと言って金花が檜扇をぱちりと鳴らした。わずかに揺れる梅の糸花を見ると、やはり少しばかり苛々する。早く新しい檜扇を手配しなくてはと思っているが、六条殿のところに通う日が増えたためなかなか見繕う時間が取れずにいた。
「すべて滞りなくといったところでしょうか」
「あぁ。このまま話が進めば間違いなく俺の婿入りはなくなるだろうな」
「それはよかった」
そう言って金花はにこりと笑ったが、その笑顔に少しばかり違和感を覚えた。
(なんだ……?)
相変わらず美しい笑顔だが何かがいつもと違っている。ただ、それが何かはっきりとしない。「なんだろうな」と思いながら金花をじっと見つめた。
(しかし何を着ても美しいな)
狩衣姿であっても公達にしか見えないのは、俺が用意した着物も一役買っているに違いない。そう思うだけで口元がにんまりとした。男が奥方のために着物を用意する喜びがようやく俺にもわかった気がする。
(だが、色香は以前より落ち着いたな)
旅のときより一層美しくなった金花だが、都に戻って来た当初より匂い立つような色香を漂わせなくなった。おそらく肌を重ねる回数が減ったからだろう。
(いや、それでもほかの夫婦よりは多いと思うが)
回数が減ったのは六条殿の屋敷へ行く時間と二条殿のことで忙しくしているからだ。屋敷を長く空けることもあり、おかげで鍛錬の時間すら減っている。金花を満足させられていないのではと心配することもあるが、俺が忙しいとわかっているからか金花が文句を言うことはない。
(むしろ色香を振りまかなくなったのはよかったかもしれない)
こうして牛車に載せるのも本心では嫌だった。待っている間に誰に姿を見られるかわかったものではない。そもそも従者たちにさえ見せたくはないのだ。
(……ますます金花に執着するようになった気がするな)
日が経つにつれて金花への思いが強く深くなっていく。それはいいことなのだろうが、同じくらい嫉妬心といった醜い感情まで膨れ上がるようになった。
これも金花が鬼だからに違いない。早く鬼になり、もっと深いところで繋がりたいと考えてしまう。そうしなければ安心できない。しかし道中で一度血を舐めて以来、金花は決して自分の血を舐めさせようとはしなかった。「鬼になるにも時機が大事でしょう」とは金花の言葉で、都を離れることに母上が反対しているいま、まだそのときでないのはわかっている。
「焦ることはありませんよ」
「……わかっている」
俺の考えていることなどお見通しなのだろう。返事をした俺を見る金花は相変わらず美しい笑顔を浮かべているが、やはりいつもとどこか違うような違和感は拭えなかった。
今朝も姫君の元に通うという呈で六条殿の屋敷にやって来た。さて、どうやって時間を潰そうか。御簾の前であれこれ考える俺に姫君が「鬼の話を聞きたい」と言い出した。
「鬼の話、ですか?」
俺が鬼退治をしていると女房たちから聞いたのだろう。他愛ない話でもしようかと思っていたが、まさか鬼退治の話をせがまれることになるとは思わなかった。さてどうしたものかと少し戸惑った。
「俺はかまいませんが、姫は鬼が怖くないんですか?」
「怖いとは思うけれど、でも一度も見たことがないんだもの。どういうものか知りたいの!」
なるほど、思っていた以上に変わった姫のようだ。
(このような姫君と思いを交わしていた二条殿のご子息とは、よほど懐の深い男だったのだろうなぁ)
つい、そんなことを思ってしまった。どんな公達か屋敷に戻ったら女房たちに訊いてみるかと思いつつ、さて、何なら話せるだろうかと考える。
(……いや、さすがに鬼の話をしたとなれば温厚な六条殿も怒りそうな気がする)
六条殿の気分を害したいとは思わない。それに姫君はよいとしても、お付きの女房たちにとっては進んで聞きたい話じゃないだろう。それなら鬼より姫君が興味を持つような話を提案すればいい。
「鬼の話ではありませんが、東国や西の話はどうですか?」
「唐多千の君様は東へ行ったことがあるの?」
「太刀の師匠が東にいるので、鍛錬をしにしばらく行っていたのです」
「まぁまぁ、すごいわ! わたくし、ついこのあいだ旅日記を読んだばかりなの! ねぇ、東に行く途中に海はご覧になった? 宿はどうなさったの? 東の人たちは都の人たちとは違うの?」
予想よりも大きな反応に思わず苦笑してしまった。小さい頃の俺も好奇心旺盛だったが、姫君はあの頃の俺よりもずっと興味津々な声をしている。おそらく姫であるために我慢してきたことが多くあるのだろう。俺の話を少しでも楽しんでくれるなら嬉しい限りだ。
(もしも妹がいたらこんな感じだったのだろうか)
そんなことを思いながら御簾ににじり寄っている姫君に旅の話をすることにした。
この日以降、俺は旅の話を聞かせるために六条殿の屋敷に通うことになった。はじめは逢瀬に見られるのはなぁと気にしていたものの、姫君の反応がかわいらしくて聞かせ甲斐もある。気がつけば「次は何の話をしようか」と考えるようになり、通うのも今日でちょうど十日目だ。
「本日はここまでにしましょうか」
屋敷を訪れてから半刻は経っただろうか。そろそろ帰ろうかと挨拶をすると、姫君が残念そうな声を出す。それがなんともかわいらしく「続きはまた今度」と告げる言葉にも笑みが混ざった。
「絶対によ? 忘れたりしたら枕元まで追いかけるんだから!」
「それでは、かの有名な物語の御息所のようじゃないですか」
「そうよ。忘れたら恐ろしいことになるのだから、絶対に続きをお話にいらしてね?」
「承知しました」
かしこまって答えると、姫君だけでなく女房たちのクスクスという笑い声が聞こえてくる。はじめは刺々しく感じていた女房たちだったが、何度か通ううちに随分と柔らかくなった。おそらく俺に婿入りの意思がないこと、それに権力闘争に不向きな性格で害がないと判断したのだろう。どの屋敷の女房たちもそういうことにはやけに敏感だ。とくに未婚の姫君に仕える女房たちは、主人の未来のために婿候補には厳しい目を向ける。
「それではまた」
「絶対よ、お忘れにならないでね」
最後まで約束をせがむ姫君の声に、姿を表した六条殿が「これ」と笑いながらたしなめる。そうしていつもどおり部屋を出て先導をしてくれるのだが、今日は何やら機嫌がよさそうだ。
「何かよいことでもありましたか?」
「あぁ、これは失礼。いえね、二条殿から文が届いたのですが、ご子息が公卿になる手はずが整ったとありましてね」
「公卿に」
「まだ小納言ではありますが、いずれは大納言、その先もあるのではと、そう書かれていました」
「それはよかったですね」
「えぇ。これなら姫との婚姻も再び進めることができるでしょう。公卿同士の家柄であれば、帝のお許しも早くにいただけるでしょうし」
そう話した六条殿が、つぃと俺を振り返った。
「政争など関心がないのかと思っていましたが、なかなかどうして、やり手ではありませんか」
微笑む六条殿に、俺も笑顔を向ける。そのまま二条殿の話題には触れず、「ではまた」と挨拶をして牛車へと乗り込んだ。中では金花が待っていて「何かよいことでもありましたか?」と訊いてくる。
「いや、思いのほか早くに二条殿のご子息が、崇明殿が公卿になることが決まったらしくてな」
「あぁ、それで」
なるほどと言って金花が檜扇をぱちりと鳴らした。わずかに揺れる梅の糸花を見ると、やはり少しばかり苛々する。早く新しい檜扇を手配しなくてはと思っているが、六条殿のところに通う日が増えたためなかなか見繕う時間が取れずにいた。
「すべて滞りなくといったところでしょうか」
「あぁ。このまま話が進めば間違いなく俺の婿入りはなくなるだろうな」
「それはよかった」
そう言って金花はにこりと笑ったが、その笑顔に少しばかり違和感を覚えた。
(なんだ……?)
相変わらず美しい笑顔だが何かがいつもと違っている。ただ、それが何かはっきりとしない。「なんだろうな」と思いながら金花をじっと見つめた。
(しかし何を着ても美しいな)
狩衣姿であっても公達にしか見えないのは、俺が用意した着物も一役買っているに違いない。そう思うだけで口元がにんまりとした。男が奥方のために着物を用意する喜びがようやく俺にもわかった気がする。
(だが、色香は以前より落ち着いたな)
旅のときより一層美しくなった金花だが、都に戻って来た当初より匂い立つような色香を漂わせなくなった。おそらく肌を重ねる回数が減ったからだろう。
(いや、それでもほかの夫婦よりは多いと思うが)
回数が減ったのは六条殿の屋敷へ行く時間と二条殿のことで忙しくしているからだ。屋敷を長く空けることもあり、おかげで鍛錬の時間すら減っている。金花を満足させられていないのではと心配することもあるが、俺が忙しいとわかっているからか金花が文句を言うことはない。
(むしろ色香を振りまかなくなったのはよかったかもしれない)
こうして牛車に載せるのも本心では嫌だった。待っている間に誰に姿を見られるかわかったものではない。そもそも従者たちにさえ見せたくはないのだ。
(……ますます金花に執着するようになった気がするな)
日が経つにつれて金花への思いが強く深くなっていく。それはいいことなのだろうが、同じくらい嫉妬心といった醜い感情まで膨れ上がるようになった。
これも金花が鬼だからに違いない。早く鬼になり、もっと深いところで繋がりたいと考えてしまう。そうしなければ安心できない。しかし道中で一度血を舐めて以来、金花は決して自分の血を舐めさせようとはしなかった。「鬼になるにも時機が大事でしょう」とは金花の言葉で、都を離れることに母上が反対しているいま、まだそのときでないのはわかっている。
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