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6.後生ですから、どうぞ最後に別れの言葉を。
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鬼の供物として捧げられる日。
その日、私は丹精込めて美しく装われていた。以前にあげた祝言よりもよほど花嫁らしい装いをしていたのだから、今回の儀式は相当に気合の入ったものなのだろう。もしかしたらご当主さまは、あくまで仮初の妻である私との結婚は手を抜いただけなのかもしれないが。
花嫁行列は、しゃらんしゃらんと鈴の音をたてながら裏山の大池へ向かっていく。最後の一本道は、何より親しい相手――父母や伴侶――に両手を引かれて歩くのがお約束らしい。母が生きていれば母が私の手を引いてくれたかもしれないが、せんなき話である。私は政略結婚の相手として私を選んだ父と、義妹の代わりとして私に白羽の矢を立てたご当主さまを指名した。
ふたりとも大変不服そうな顔をしていたが、この結婚をお膳立てした当事者である以上、最後までちゃんと付き合っていただこうではないか。ふたりに手を引かれて、ゆるゆると歩みを進める。誰も声を発したりはしない。聞こえるのは、ただ大池の中心から発せられるこぽこぽという優しい水音だけだ。
大池を前にふたりの手が離れる。生贄は自ら望んで、入水しなければならない。早く飛び込めと言わんばかりのふたりの顔を見上げながら、私はとびきりの笑顔でお願いをしてみせた。
「後生ですから、どうぞ最後に別れの言葉を」
私は父とご当主さまの顔を交互に見つめた。少し離れた場所から私たちを見守っている九鬼家の人々もまた、小さくうなずいている。娘として愛されることもなく、妻として愛されることもなかった女の最期の願いだ。それくらい叶えてやってもよいだろうと、九鬼家の善良な方々は思ってくれるだろう。
そう、彼らはとても良いひとたちなのだ。ただ、自分たちの家族のことを何より愛しているだけ。そのために、自分の家族ではないものに面倒ごとを押し付けているだけ。
あまりにも哀れな女のささやかな願い。それを叶えることで自らの罪悪感を和らげたいのだ。
この贄を捧げる儀式は、すでに形が決められている。難しいことなど何もない。変な話だが、別れの言葉とて既に決められているのだ。定型文に続柄と名前を入れて読み上げるだけの簡単なもの。出し惜しみする必要がどこにあるだろう。
「お父さま?」
問いかけるも、父は固まったままだ。周囲の人々もまた、少しばかり怪訝な顔をした。じれったく思うのは当然だ。別れの言葉を言わないのはこの儀式に不満があると思われても仕方がない行為なのだから。けれど父は口を半開きにしたままぶるぶると震えるばかりだった。
だから私は次にご当主さまを見た。父が別れの言葉を私に贈りたくないと言うのなら仕方がない。私はないものねだりはしない女なのだ。
「後生でございます」
彼は父のように固まることはなかった。いや、本音を言えば固まってしまいたかったのかもしれない。けれど、ここで固まることは当主として許されないのだ。父のように、私の名前を忘れてしまっただなんて言い訳は通用しないのだから。
「愛する我が妻、『みはる』の幸せを永久に祈る」
どことなく不服そうな顔をしていた旦那さまは、ふと視線を逸らすと、私を見ないまま一息に言い切った。あの日の夜に見かけたときのような柔らかな声音と微笑みは、ここではない遠く、私たちが出てきたはずの村の方に向けられていたのだ。完全に私の予想通りに。
その日、私は丹精込めて美しく装われていた。以前にあげた祝言よりもよほど花嫁らしい装いをしていたのだから、今回の儀式は相当に気合の入ったものなのだろう。もしかしたらご当主さまは、あくまで仮初の妻である私との結婚は手を抜いただけなのかもしれないが。
花嫁行列は、しゃらんしゃらんと鈴の音をたてながら裏山の大池へ向かっていく。最後の一本道は、何より親しい相手――父母や伴侶――に両手を引かれて歩くのがお約束らしい。母が生きていれば母が私の手を引いてくれたかもしれないが、せんなき話である。私は政略結婚の相手として私を選んだ父と、義妹の代わりとして私に白羽の矢を立てたご当主さまを指名した。
ふたりとも大変不服そうな顔をしていたが、この結婚をお膳立てした当事者である以上、最後までちゃんと付き合っていただこうではないか。ふたりに手を引かれて、ゆるゆると歩みを進める。誰も声を発したりはしない。聞こえるのは、ただ大池の中心から発せられるこぽこぽという優しい水音だけだ。
大池を前にふたりの手が離れる。生贄は自ら望んで、入水しなければならない。早く飛び込めと言わんばかりのふたりの顔を見上げながら、私はとびきりの笑顔でお願いをしてみせた。
「後生ですから、どうぞ最後に別れの言葉を」
私は父とご当主さまの顔を交互に見つめた。少し離れた場所から私たちを見守っている九鬼家の人々もまた、小さくうなずいている。娘として愛されることもなく、妻として愛されることもなかった女の最期の願いだ。それくらい叶えてやってもよいだろうと、九鬼家の善良な方々は思ってくれるだろう。
そう、彼らはとても良いひとたちなのだ。ただ、自分たちの家族のことを何より愛しているだけ。そのために、自分の家族ではないものに面倒ごとを押し付けているだけ。
あまりにも哀れな女のささやかな願い。それを叶えることで自らの罪悪感を和らげたいのだ。
この贄を捧げる儀式は、すでに形が決められている。難しいことなど何もない。変な話だが、別れの言葉とて既に決められているのだ。定型文に続柄と名前を入れて読み上げるだけの簡単なもの。出し惜しみする必要がどこにあるだろう。
「お父さま?」
問いかけるも、父は固まったままだ。周囲の人々もまた、少しばかり怪訝な顔をした。じれったく思うのは当然だ。別れの言葉を言わないのはこの儀式に不満があると思われても仕方がない行為なのだから。けれど父は口を半開きにしたままぶるぶると震えるばかりだった。
だから私は次にご当主さまを見た。父が別れの言葉を私に贈りたくないと言うのなら仕方がない。私はないものねだりはしない女なのだ。
「後生でございます」
彼は父のように固まることはなかった。いや、本音を言えば固まってしまいたかったのかもしれない。けれど、ここで固まることは当主として許されないのだ。父のように、私の名前を忘れてしまっただなんて言い訳は通用しないのだから。
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