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2.最後を決めるのは、あなたではなくて私なのだけれど?
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「一体いつ記憶を取り戻したんだい? いつから僕だと気が付いていた?」
「あら、私、記憶喪失だなんて言った覚えはないけれど? 私はただ、ここの料理が食べたい、それがダメでもここにいたい、故郷には帰りたくない。どうか店で雇ってくれと話しただけでしょう? それに、角が生えたくらいであなたがわからなくなるわけないでしょうが。化け物に変身したって見つけてあげるわ。本当にお馬鹿さんなんだから」
「ああ、そうだな。僕は間違ってばかりだ。君は昔からそういうひとだった。本当に自由で、頑固で、自分が納得できなければ絶対に従わない」
ヘスターの回答に呆然としながらも、スチュアートはどこか懐かしそうな眼をした。
「この屋敷は、彼岸と此岸の境に存在している。天国に向かう者が、最後の晩餐をいただくためにね。未練が消えることで、永遠とも思える長い階段も羽のように軽い身体で苦も無く上ることができるそうだよ」
「つまり、ここでの食物を口にすれば現世に戻ることはできないのね」
「だから君には、この地の食べ物を口にさせるわけにはいかなかったんだ」
ヘスターのために用意されていた果物は、本当に特別なものだったのだろう。それこそ、死に近い場所にいてもぎりぎり死なずにいられるような。狂おしいほどの飢餓感さえも癒してくれるような。
「物置小屋に近づかせなかったのは?」
「地獄の門の選別基準は不明だからね。うっかり呑み込まれたら困るだろう?」
「私をあの宰相やご令嬢と一緒にしないでちょうだい」
「だが、あの地獄の門は僕のことを呑み込んではくれなかった。まったく、基準があいまい過ぎる」
頭が痛いと言いたげに額を押さえるスチュアートを見て、ヘスターはふっと口角を上げた。
「殺すしか救いがなかったのなら、殺して罪に問われるはずがないでしょう?」
「……君はどこまで知っている?」
「あの国のお偉いさんが、信じられないほど下劣で悪辣だということくらい」
「なるほど、完璧な理解だ」
「ねえ、私のこと今でも好き?」
「当たり前だ。君がまだここを訪れていないと知ってどれだけ僕が嬉しかったか。天国行きの権利を捨て、この屋敷の主人に成り代わり、君の訪れを待つくらいには君が好きだ」
「その返事が聞きたかったの」
にこりと微笑むヘスターは、本当に幸福そうだった。
「君は、現世には戻りたくないんだよね?」
「ええ。大切なものは、もうあそこにはないから」
「それなら今夜は腕によりをかけて最後の晩餐を作ろう。天国できっと幸せになっておくれ」
「……スチュアート、あなた、一体何を言っているの? 最後を決めるのは、あなたではなくて私なのだけれど? 私、あなたのいない天国になんて行かないわよ?」
スチュアートが目を瞬かせた。
「天国に行く権利を捨てたと言っていたけれど、あなたはずっとこの屋敷の主人をしなくてはいけないの?」
「基本的には未来永劫。あるいは、僕のように奇特な人間が交代を申し出た時には、役目から解放されるかもしれない」
「なら、ちょうどよかったわ」
「何を言って」
「最後の晩餐を食べて、天国に行くのでしょう? ということは、最後の晩餐を食べなければ、好きなだけここに留まることも可能ということよね?」
「いや、ヘスター。ここは、最後の晩餐を食べるための特別な場所で……」
「だからね、何度も言っているけれど、私はどこかへ行きたいのではなく、あなたの隣にいたいのよ。あなたが食べる最後の晩餐を、私も一緒に食べたいの」
それはずっと昔からの、ヘスターの変わらない願いだ。それにもしかしたら、いつか昔のスチュアートのようにこの地に留まることを望む者が出てくるかもしれない。それまでレストランの店長さんと従業員として楽しくお仕事しましょうねと微笑むヘスターを、スチュアートは静かに抱きしめた。
「あら、私、記憶喪失だなんて言った覚えはないけれど? 私はただ、ここの料理が食べたい、それがダメでもここにいたい、故郷には帰りたくない。どうか店で雇ってくれと話しただけでしょう? それに、角が生えたくらいであなたがわからなくなるわけないでしょうが。化け物に変身したって見つけてあげるわ。本当にお馬鹿さんなんだから」
「ああ、そうだな。僕は間違ってばかりだ。君は昔からそういうひとだった。本当に自由で、頑固で、自分が納得できなければ絶対に従わない」
ヘスターの回答に呆然としながらも、スチュアートはどこか懐かしそうな眼をした。
「この屋敷は、彼岸と此岸の境に存在している。天国に向かう者が、最後の晩餐をいただくためにね。未練が消えることで、永遠とも思える長い階段も羽のように軽い身体で苦も無く上ることができるそうだよ」
「つまり、ここでの食物を口にすれば現世に戻ることはできないのね」
「だから君には、この地の食べ物を口にさせるわけにはいかなかったんだ」
ヘスターのために用意されていた果物は、本当に特別なものだったのだろう。それこそ、死に近い場所にいてもぎりぎり死なずにいられるような。狂おしいほどの飢餓感さえも癒してくれるような。
「物置小屋に近づかせなかったのは?」
「地獄の門の選別基準は不明だからね。うっかり呑み込まれたら困るだろう?」
「私をあの宰相やご令嬢と一緒にしないでちょうだい」
「だが、あの地獄の門は僕のことを呑み込んではくれなかった。まったく、基準があいまい過ぎる」
頭が痛いと言いたげに額を押さえるスチュアートを見て、ヘスターはふっと口角を上げた。
「殺すしか救いがなかったのなら、殺して罪に問われるはずがないでしょう?」
「……君はどこまで知っている?」
「あの国のお偉いさんが、信じられないほど下劣で悪辣だということくらい」
「なるほど、完璧な理解だ」
「ねえ、私のこと今でも好き?」
「当たり前だ。君がまだここを訪れていないと知ってどれだけ僕が嬉しかったか。天国行きの権利を捨て、この屋敷の主人に成り代わり、君の訪れを待つくらいには君が好きだ」
「その返事が聞きたかったの」
にこりと微笑むヘスターは、本当に幸福そうだった。
「君は、現世には戻りたくないんだよね?」
「ええ。大切なものは、もうあそこにはないから」
「それなら今夜は腕によりをかけて最後の晩餐を作ろう。天国できっと幸せになっておくれ」
「……スチュアート、あなた、一体何を言っているの? 最後を決めるのは、あなたではなくて私なのだけれど? 私、あなたのいない天国になんて行かないわよ?」
スチュアートが目を瞬かせた。
「天国に行く権利を捨てたと言っていたけれど、あなたはずっとこの屋敷の主人をしなくてはいけないの?」
「基本的には未来永劫。あるいは、僕のように奇特な人間が交代を申し出た時には、役目から解放されるかもしれない」
「なら、ちょうどよかったわ」
「何を言って」
「最後の晩餐を食べて、天国に行くのでしょう? ということは、最後の晩餐を食べなければ、好きなだけここに留まることも可能ということよね?」
「いや、ヘスター。ここは、最後の晩餐を食べるための特別な場所で……」
「だからね、何度も言っているけれど、私はどこかへ行きたいのではなく、あなたの隣にいたいのよ。あなたが食べる最後の晩餐を、私も一緒に食べたいの」
それはずっと昔からの、ヘスターの変わらない願いだ。それにもしかしたら、いつか昔のスチュアートのようにこの地に留まることを望む者が出てくるかもしれない。それまでレストランの店長さんと従業員として楽しくお仕事しましょうねと微笑むヘスターを、スチュアートは静かに抱きしめた。
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