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4.申し訳ないのですけれど、聖女といえども人間ですもの。
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クレアは真面目なだけが取り柄の平凡令嬢だった。「だった」、そう過去形なのだ。なぜなら彼女は、婚約者である王太子に捨てられたその日に命を落としたのだから。そんな彼女がどうして生き返ったあげく、神殿を出て行くなんていう聖女とは思えない行動をしているのか。それは、彼女が死んだ後に起きた出来事に起因している。
あの夜、彼女はすんなり自分の死を受け入れて天の国へと昇るつもりでいた。早死にしたかったわけではないが、死んでしまったものは仕方がない。死に方にいろいろと文句をつける人間はいるかもしれないが、言いたい奴らには言わせておけばいいのだ。所詮、歴史は生きている人間のもの。先に死ねば、好き勝手に言われるのは理解している。それでも自分は真面目に働いてきた善人だ。人生最後の失敗と比べてみても、帳消しになるくらいの善行を積んでいるという自信はあった。
「クレア、今まで本当にご苦労さまでした」
「とんでもございません。もったいないお言葉でございます」
不意に現れた神々しいまでの美女に声をかけられたが、クレアは驚かなかった。風もないのに薄布のドレスをはためかせている目の前の女性が誰であるのか、自己紹介などされずともクレアには理解できる。神殿に飾られている女神像そのままの女神を前に、淑女の礼をとった。
「女神さまじきじきに、天の国へご案内いただけるとは光栄の極みでございます」
そんなクレアの言葉に、女神は困った顔をした。はて、一体どういうことなのだろう。首を傾げるクレアは思いもよらない言葉を聞くことになる。
「あなたは、天の国に行くことはできません」
「……救国の聖女としての役目を果たせなかった者は、地獄行きですか」
「いいえ。あなたは、どちらにも行けないのです」
「女神さま、それではまるで私が……。そんな、まさか!」
自分の死を知ったときには取り乱さなかったクレアが、甲高い悲鳴を上げた。女神は憐れみのこもった眼差しを彼女に向ける。
「あなたの葬儀は、諸事情により行われませんでした」
「そんな! それでは、私は! 一生、どこへも行けないではありませんか! 生きていても籠の鳥、死んでからもいつか魂ごと消滅するのを待つだけだなんて!」
この世界では誰かに悼まれることで初めて、魂は天の国へと入ることができると言われている。逆に言えば、どんなに雑でもその死を弔ってもらわなければ魂は永遠にこの世をさまよい、いつか擦り切れて消えてしまうのだ。
「もしや、王太子殿下が……」
クレアは王太子に疎まれていた。彼は自分の結婚にケチがつくような事実を決して許さないだろう。本来ならば、弔事は慶事よりも優先されるが、あの王太子が自分たちのお披露目や新婚旅行などの予定を変更するはずがないのだ。
「けれど、それでも誰かひとりくらい私を悼む方はいたはずです! 実家の家族……いいえ、報せは届かない……。そうです、私の護衛騎士! 彼ならば私の死を悲しんでくれたのでは? 正式な葬儀はできなくとも、冥福の祈りを捧げることくらいは」
「本来であれば、もちろんそうだったでしょうが……」
女神は悲し気に首を横に振った。あの寡黙な護衛騎士が死んだ? まさか、自分が死んだ責任を取らされたとでもいうのか。今までいろんなことを諦めていた彼女の中に、初めて悔しさと怒りが湧いてくる。いつの間にか護衛騎士は、誰よりも大切な存在になっていた。かつての心の拠り所だった婚約者なんかよりもずっと。
「大切なひとひとり守れない聖女なんて、何の意味もありませんね」
「……あなたの祈りは、とてもあたたかく心地よいものでしたよ」
「そんなことをおっしゃられても、ちっとも嬉しくありません」
「ええ、そうでしょうとも。ですから、一度だけあなたの時間を戻します。聖女であるあなたが死んでしまうと、やはり世界は滅ぶのだと見せつけられましたから」
なんとクレアは、神託通り救国の聖女だったらしい。それでも彼女は、もうすっかり自分のお役目が嫌になってしまっていた。今さら生き返ったところで、きっと昔のように無心に祈りを捧げることなどできはしない。救国の聖女が何だと言うのか。けれど、女神はそれでもいいのだと笑った。
「大事なことは、あなたが生きる希望を失わないこと」
「それならば私は、今まで教えられてきた聖女とは真逆の生き方を目指します。神殿の中にいては望みを抱くことすらできませんもの」
「それでも構いませんよ。よく見極めて生きるのです」
自分の幸せを願ってくれるのならば、聖女なんてものから解放してくれるのが一番だ。けれどどうやらそれはできないらしい。仕方なく死に戻ることを受け入れたクレアだったが、彼女は自分らしく生きるため神殿での生活を捨てることを決めたのだった。
あの夜、彼女はすんなり自分の死を受け入れて天の国へと昇るつもりでいた。早死にしたかったわけではないが、死んでしまったものは仕方がない。死に方にいろいろと文句をつける人間はいるかもしれないが、言いたい奴らには言わせておけばいいのだ。所詮、歴史は生きている人間のもの。先に死ねば、好き勝手に言われるのは理解している。それでも自分は真面目に働いてきた善人だ。人生最後の失敗と比べてみても、帳消しになるくらいの善行を積んでいるという自信はあった。
「クレア、今まで本当にご苦労さまでした」
「とんでもございません。もったいないお言葉でございます」
不意に現れた神々しいまでの美女に声をかけられたが、クレアは驚かなかった。風もないのに薄布のドレスをはためかせている目の前の女性が誰であるのか、自己紹介などされずともクレアには理解できる。神殿に飾られている女神像そのままの女神を前に、淑女の礼をとった。
「女神さまじきじきに、天の国へご案内いただけるとは光栄の極みでございます」
そんなクレアの言葉に、女神は困った顔をした。はて、一体どういうことなのだろう。首を傾げるクレアは思いもよらない言葉を聞くことになる。
「あなたは、天の国に行くことはできません」
「……救国の聖女としての役目を果たせなかった者は、地獄行きですか」
「いいえ。あなたは、どちらにも行けないのです」
「女神さま、それではまるで私が……。そんな、まさか!」
自分の死を知ったときには取り乱さなかったクレアが、甲高い悲鳴を上げた。女神は憐れみのこもった眼差しを彼女に向ける。
「あなたの葬儀は、諸事情により行われませんでした」
「そんな! それでは、私は! 一生、どこへも行けないではありませんか! 生きていても籠の鳥、死んでからもいつか魂ごと消滅するのを待つだけだなんて!」
この世界では誰かに悼まれることで初めて、魂は天の国へと入ることができると言われている。逆に言えば、どんなに雑でもその死を弔ってもらわなければ魂は永遠にこの世をさまよい、いつか擦り切れて消えてしまうのだ。
「もしや、王太子殿下が……」
クレアは王太子に疎まれていた。彼は自分の結婚にケチがつくような事実を決して許さないだろう。本来ならば、弔事は慶事よりも優先されるが、あの王太子が自分たちのお披露目や新婚旅行などの予定を変更するはずがないのだ。
「けれど、それでも誰かひとりくらい私を悼む方はいたはずです! 実家の家族……いいえ、報せは届かない……。そうです、私の護衛騎士! 彼ならば私の死を悲しんでくれたのでは? 正式な葬儀はできなくとも、冥福の祈りを捧げることくらいは」
「本来であれば、もちろんそうだったでしょうが……」
女神は悲し気に首を横に振った。あの寡黙な護衛騎士が死んだ? まさか、自分が死んだ責任を取らされたとでもいうのか。今までいろんなことを諦めていた彼女の中に、初めて悔しさと怒りが湧いてくる。いつの間にか護衛騎士は、誰よりも大切な存在になっていた。かつての心の拠り所だった婚約者なんかよりもずっと。
「大切なひとひとり守れない聖女なんて、何の意味もありませんね」
「……あなたの祈りは、とてもあたたかく心地よいものでしたよ」
「そんなことをおっしゃられても、ちっとも嬉しくありません」
「ええ、そうでしょうとも。ですから、一度だけあなたの時間を戻します。聖女であるあなたが死んでしまうと、やはり世界は滅ぶのだと見せつけられましたから」
なんとクレアは、神託通り救国の聖女だったらしい。それでも彼女は、もうすっかり自分のお役目が嫌になってしまっていた。今さら生き返ったところで、きっと昔のように無心に祈りを捧げることなどできはしない。救国の聖女が何だと言うのか。けれど、女神はそれでもいいのだと笑った。
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「それならば私は、今まで教えられてきた聖女とは真逆の生き方を目指します。神殿の中にいては望みを抱くことすらできませんもの」
「それでも構いませんよ。よく見極めて生きるのです」
自分の幸せを願ってくれるのならば、聖女なんてものから解放してくれるのが一番だ。けれどどうやらそれはできないらしい。仕方なく死に戻ることを受け入れたクレアだったが、彼女は自分らしく生きるため神殿での生活を捨てることを決めたのだった。
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