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貴女と共になら死出の旅もまた楽しいものとなりましょう【名も無き騎士】

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「――――。報告は以上です」

 王族らしい品良く仕立てられた一室。
 この部屋、そして私達の主は優雅にお茶を飲みながら同胞の騎士からの報告を聞いている。
 部屋には私と跪いている同胞の他に数人の人間が存在している。
 我が主に群がる小物達だ。
 その誰もが同胞の報告に騒めき、そして怒りを露わにしている。
 それが純粋な怒りではない事に主や私達が気づいているとも知らず喚く声は雑音にしか聞こえないが。

「賓客と言う扱いとは言え、帝国の姫を睨みつけるとは、なんたる無礼!」
「我が儘で付いてきただけのオマケが我が主に対抗するなど滑稽すぎる!」

 自分こそが主の事を思っていると言わんばかりに相手を罵る姿は醜いの一言に尽きる。
 だが主はそんな雑音と滑稽な姿を見て笑みを浮かべている。
 口元が緩やかに持ち上がり、目元にも笑みが浮かんでいる。
 真紅の髪に合わせた赤い紅が主の口元を鮮やかに彩っているのがやけに艶やかに見えた。
 自分達の意見に同意してくれていると、その笑みに勘違いしている輩は助長しているが、私達にしてみればそんな姿こそが滑稽だ。
 主はそうやって囀っている相手をこそ嘲り笑っているのだから。
 自分に向けられているとも知らず自分の思うままに罵る姿は醜く滑稽で憐れだった。

 相手の令嬢がオマケとして来た可能性は確かにある。
 それでも皇帝陛下が賓客として受け入れた時点で、そんな論理は成立しない。
 又、令嬢がディルアマート王国の公爵家の人間である事も事実なのだ。
 此処にいる面子の中で令嬢の家格と同格の者はいない。
 他国とは言え公爵家の令嬢を罵る事態、外に知られれば外交問題になる事に気づかない愚かさに私は内心嘆息する。
 更に言えば令嬢がオマケというのも実際の所愚か者達の戯言に過ぎないのだ。
 王国は長子が家を継ぐとは限らないと聞いている。
 才ある者が家を繋いでいく。
 だからこそ令嬢が次期公爵家当主となる可能性とて否定できないはずだ。
 王国の歴史を少しでも学んでいれば知らないはずもない、そんな簡単な事に思い当たらない連中は只管醜く喚き、そして最後には我こそが主の忠臣であるという目で主に期待の眼差しを注ぐ。
 主の後ろに立っている私でも分かるあからさまな姿に主が気づかないはずもない。
 
 主は無言で笑みを深める。
 笑われているのは自らの滑稽さであると気付かない連中はそれを自分達の思いが通じているのだと勝手に妄想し舞い上がる。
 最後の時まで気づかず、云いたい事を言って満足して部屋を出ていく様は愚かな道化師を見ている気分になる。
 本来の道化師は王に忠言する事すら許される者達の事を指す。
 だが彼等では決して本来の意味での道化師になる事無く、結局滑稽さを笑われ醜態を晒す劣化版の道化師としかなれないだろう。

 部屋に残ったのは未だに跪いている同胞の騎士と主、そして後ろに立っている私だけだ。

「顔を上げても構わないわ」

 主がそこで初めて口を開く。
 先程までの奴等には口を開く必要すらなかったのだと知るのは私と同胞の騎士だけだ。
 同胞はその言葉にようやく顔を上げる。
 その顔に浮かんでいるのは嘲笑。
 相手は勿論今さっき出ていった連中に対してだった。
 嘲笑を浮かべた同胞に対して主は報告はまだ終わっていないといわんばかりに口を開いた。

「それで? 貴方が見てどうでしたか? あの令嬢は私の玩具になり得るかしら?」
「そう簡単には壊れないでしょう。ですが弱点があるのでそこを付けば簡単に堕ちるかと」
「あら? そうかしら? 私はむしろ怒り狂って歯向かってくるように感じたけれど?」
「確かにその可能性もあるでしょう。ただ程度によるのではないのかと俺は感じました」
「成程。……あの娘が気にしているから気になってはいたけれど……」

 主が「あの娘」と言った時だけ眸に感情が宿る。
 それは愛情と劣情と、そして愉悦が煮詰まったようなドロリとした絡みつくような感情の発露だった。
 主が唯一「愛している」と言っている姫殿下――主にとって妹にあたる第三皇女殿下は少し変わり者の姫である。
 王族としての責務を知りながらも側仕えにも等しく情を分け与える。
 その行為に裏は無く、ただそれが本人にとって「当たり前」なのだという。
 城に仕える者の中には妹殿下を「聖女」などと言う者までいる。
 
「(主はそんな事を声高々に言う人間をあっさりと排除していたが)」

 別に主は「聖女」の称号が欲しい訳ではない。
 ただ自分以外が姫殿下に狂信的な感情を抱く事を主は嫌う。
 出来る事ならば自分だけが姫殿下を愛でたいのだ。――その愛で方は決して真っ当とは言えないが。
 妹殿下もそんな主の言動に気づいているのだろう。
 直ぐ上の兄二人以外には気を許す事無く、主を常に警戒している。
 それでも主は満足していた。
 自分の時だけ「聖女」ではない姿を見る事が出来るのだから。
 そんな妹殿下が主以外に、それも主以上の警戒心を露わにしているのが件の令嬢だった。
 主がそんな令嬢を気にしない訳がない。
 変わり者の妹殿下があそこまで誰かを強く警戒した事は今までない。
 主がした事を大まかに掴んでいるにも関わらず警戒だけの感情だけを持ち続ける事が出来ない様に妹殿下はどうしても甘さが残るのだ。
 裏では血腥い歴史を持つ王族に産まれながら、それでいてそれを理解しながら甘さを捨てきる事は出来ない変わり者の妹殿下。
 だからこそ一心に我が主の愛情を受ける事になった憐れな姫殿下。
 主にとっての唯一「愛する愚かで甘い可愛い妹」が主以外に目を向けている。
 そんな事態を主が見逃すはずもなく、令嬢への興味を掻き立てるのは当然の流れだった。
 
「(歪んでいると言い切れる愛情を一心に注がれている妹殿下。そんな姫殿下に強く警戒されているからこそ目を付けられた他国の令嬢)」

 本当に憐れなのは一体誰なのだろうか?
 ふと、そんな栓無き事が浮かんだ。

「かの令嬢を使ってあの娘を揺さぶるのも面白そうね」

 その事が何を引き起こすか分かっていながらもあっさりと言い切る主。
 主が言っている事は外交問題を引き起こすと言っているのも当然だ。
 もし先程の滑稽な道化師共が居れば慌てて引き留め、そして懇願してくるだろう。
 自分達が主とあがめている殿下が何を考え、そしてその結果何が起こるかも知らない滑稽な人形達。
 主が彼等の絶望する顔が見たいがために小物であるにも関わらず侍らせていると知った時、あの愚かな道化師達は一体何を思うだろうか?

「(それを知る日も遠くはない)」

 なにしろ相手は他国の令嬢、しかも公爵家であり現宰相の娘だ。
 何かがあれば必ず外交問題に発展するだろう。
 糸を引くのが主だと露見すれば主もただではすまない。

 皇帝陛下は主の心の内をある程度察している。
 国に仇なす者として最も警戒されているのは主だろう。
 今まで王族の間に起こった出来事の殆どの黒幕が主である事にも気づいているはずだ。
 だが今まで確たる証拠がなく追及出来なかった。
 そんな主が分かりやすく問題を起こすのだ。
 たとえ皇帝陛下が情に厚い人物だったとしても主を罰する事だろう。……今までの罪科を合わせて最後に毒杯を賜る事を命ずる事になったとしても。

「(だが、そんな皇帝陛下でも主の本当の狙いには気づいていない)」

 主の本当の望みを知るからこそ私と同胞は主の命令に逆らう事は無い。
 むしろ主が望む最高の瞬間を得るために、命をかけて遂行するだろう。

「グラベオンの街にて、かの令嬢を攻撃しなさい。方法は任せますが殺さなければどうなっても構わないわ」
「御意」

 案の定主の命令を同胞は何の躊躇いも無く賜った。
 その命令は同胞に「死ね」と言っているも同然だ。
 だが同胞は躊躇う事は無い。
 恍惚の表情すら浮かべて了承すると跪いた。

「我が主――アーレアリザ=カイーザ=アレサンクドリート殿下の意のままに」

 同胞の言葉に我が主――アーレアリザ殿下は美しくも残酷な微笑みを浮かべた。




 
 同胞も出ていき私とアーレアリザ殿下だけが部屋に残る。

「止めなくても構わないのかしら?」

 主が楽し気に、私に問いかけてくる。

「あの子はたとえ私が直接「この場で死んで頂戴」と言っても喜んで死んでいくでしょう」

 まるで獣人が【主】を得たがごとく、アイツは主から下された命ならば「死」すら恍惚の笑みを浮かべて賜るだろう。
 もしかしたら薄くだが獣人族の血が流れているのかもしれない。
 その事を誰よりも理解している主はアイツが自身の命令を命を賭して遂行する事を知っている。
 だから主は今の様な事をアイツに問いかける事は無い。……分かっている答えを聞く程殿下は暇ではないのだから。

「けど、貴方は違うでしょう? 貴方は帝国の騎士だわ。私を主としていようが本当に忠誠を誓うのは私ではなく国でしょう?」

 騎士とは皇帝に剣を捧げ、国に忠誠を誓い、民を護る者の事を指す。
 王族を主としていようが国の害悪となるならば自らの手で切り捨てる程の覚悟を持つ者が殆どだ。
 本来ならば外交問題を引き起こす事すら厭わない主は既に主と呼べる存在ではない。
 国の憂いを断つためにこの手で切り捨ててもおかしくはない。
 それでも私はアーレアリザ殿下を主とし、今なお手が剣の柄に添えられる事すらなく、今まで苦言を呈した事すらない。
 騎士としては完全な失格者なのだ、私は。
 その事は殿下も知っている。
 だからこれはただの戯れに過ぎないのだ。

「それに貴方には私を断罪する資格があるでしょう?」

 私は貴方の家を滅ぼしたのだから。
 クスクスと笑いながら述べた残酷な事実。
 私の家は確かにアーレアリザ殿下と、その手の者によって滅ぼされた。
 私を除く全員が殺されたのだ。
 
「(いや、すぐ下の弟だけが侍女に連れられ逃げたか。だがそれからまもなく侍女は発見され殺された時弟はいなかった)」

 あの歳で一人で生きられるはずもなく、私以外は皆死んだと考えるのが妥当なのだろう。
 一晩で私の家は私を除き滅んだ。
 しかもたわいもない理由で。

「貴方にとって弟にあたる子が私を見て怯えた。あの姿をもう一度見たいがために私は貴方の家族を殺しつくしたわ。残念ながら一番見たいものは見る事は出来なかったけれど」

 代わりに見つけたのが貴方だったから結果的には良かったのかしら?
 未だにクスクスと笑いながらたわないもない事のように無邪気に残酷に私の家族の死を語るアーレアリザ殿下。
 だが私の心には怒りも憎悪も浮かぶ事は無い。
 最初から知っていた事だ。
 あの場に私もいたのだから。
 血塗れで微笑むアーレアリザ殿下を見た時私は家族の事など欠片も思い浮かばなかった。
 別に仲が悪かった訳でも憎しみあっていた訳でもない。
 多分貴族としては普通だったのだろう。
 普通に愛情を受け、騎士としての将来を約束されていた。
 そんな家族を一晩で失った。
 それでも私はアーレアリザ殿下を今日まで恨んだ事は無い。

 血に塗れながらも血よりも鮮やかな真紅の髪と血で化粧された緩やかにたわんだ口元。
 あの狂気の塗れた場所に立ちながらも正気でいたアーレアリザ殿下。
 その姿に思い浮かんだのは憧憬か畏敬か。
 弟以外は殺傷対象だったのだろう。
 かの凶刃は私にも振り下ろされた。
 だが私は振り下ろされた剣ではなく、最後の時まで殿下を見ていた。
 最期に見るのは血塗れの殿下の姿が良いのだと思ったのだ。
 そんな私を助けたのもまた殿下だった。

 恨みも憎しみも、悲しみや恐怖すら浮かべる事無く自分を見つめていた私の何処を気に入ったのか殿下は私を助けた。
 悲劇の一家の唯一の生き残りとして自分の側近にまでしたのだ。
 あの時家族に手を下した者達は既に生きてはいない。
 それは殿下はこれからも使える裏の者では無く私を取ったという事だった。
 
 悲劇の生き残りを哀れみ傍に置いた慈悲深い皇女殿下。

 アーレアリザ殿下は妹殿下が生まれるまではそう呼ばれていたのだ。
 笑みの裏では自分の本質を見極める事も出来ない輩を嘲笑い手足のように使い、一時期の悦を得ていた。
 そんな殿下を私はそばでずっと見ていた。
 
「貴方の眸には最後の時まで恐怖も怒りも怯えすら浮かばなったわね。感情が無いわけでもないのに」

 アーレアリザ殿下の細い指が私の頬に触れ目を覗き込まれる。

「貴方と同じ緑色の眸は私の本質を見透かし怯えていたのと言うのに、貴方はあの状況ですら一切の感情が見えなかった。怯えも怒りも悲しみさえ。本当に貴方は分からないわ。貴方は一体何に歓喜し何に絶望するのかしらね?」

 ここまで分からないのも貴方だけよ?
 そう言いながらも私の髪を撫ぜるアーレアリザ殿下は気分を害した様子もなく、むしろ何処か楽し気だ。
 確かに私はアーレアリザ殿下の本性ともいえる気質を知っている。
 同時にその無邪気さの裏に潜む加虐性にも。
 それでも私の心は一切恐怖を感じる事はない。
 殿下が私が何に恐怖するか分からないのは当然だ。
 私自身何に恐怖し何に怒り狂うか分からないのだから。
 だが何に喜ぶのかだけを私は理解している。

「何に恐怖するかは私自身も分かりません。ですが何を見て喜びを感じるかは分かります」
「あら、そうなの? 一体何に?」
「そうですね――あの日のように血に塗れた貴女の姿を見せて頂ければ私の心には歓喜が宿る事でしょう」

 血に濡れながらも血よりも鮮やかな真紅の髪と、血を化粧に濡れた唇で緩やかな笑みを浮かべていた姿。
 気が狂うような場面においても正気のまま笑みすら浮かべていた姿。
 私が家族の事すら思い出せない程魅入られた姿。
 あの姿を再び見れるのならば私の心はきっと歓喜に支配される事だろうと思う。

 素直に答えた私の答えに殿下は一瞬驚いた顔をなさった後、声を上げて笑い出した。

「ふ、ふふふ。そう。そうなのね。貴方はそういう子だったわね。――では貴方は私が死んだ時心の底から絶望してくれるのかしら?」
「いいえ」

 この方が死んだ時。
 それは私が魅了された時は永久に来ないと知る事になる。
 だが、それでも私は絶望しないだろう。
 その時、私は既にこの世にいないのだろうから。

「どうして?」
「全てが無意味になったと知った時、私はこの世にはいないからです」

 そしてそれは殿下が死した時だ。
 殿下が死した時私の世界は全てが無意味な物に成り下がり、私の生きていく意味も消失する。
 意味のない世界で私は生きていくつもりはない。
 私の答えに殿下は驚かなかった。
 だがとても艶やかに笑うだけだった。

「そう。では私は貴方の絶望する姿を一生見る事は出来ないのね。――けれど、それもいいかもしれないわね」

 アーレアリザ殿下は私の顔を覗き込み艶やかにそれでいて無邪気に微笑んだ。

「死の世界など詰まらないと思っていたけれど、貴方が共にいるならば退屈せずに居られそうだわ。――きっとあの子もいるでしょうしね」
「アイツの事ですか?」
「ええ。あの子もまた私が死ねばこの世界に未練など無いでしょう。……最期の時、妹達の絶望を糧に貴方とあの子を連れて死の国へ旅立つ。それも悪くはないわ」

 穏やかに微笑み自分の死を語る殿下。
 そこに恐怖は無い。
 私もそれを当然として微笑む。

 私達は傍から見れば狂っているのだろう。
 だが、他人の言葉が本当に必要なのだろうか?
 私は必要だとは思わない。……アイツや殿下もまたそうなのだろう。
 
「私が死した後直ぐに来るのよ? 一人で待つのは退屈なのだから」

 殿下は私から手を離し笑む。
 私は一歩下がるとその場に跪いた。

「御意」

 差し出された指先に口付けると私は一言そう言った。

 私の運命はきっとアーレアリザ殿下と出逢った時に決まっていたのだろう。
 だが、それでも私は運命を呪う事も喜ぶ事も無い。
 ただ何処までもアーレアリザ殿下にお供するだけだ。
 騒がしい同胞もいるのだからアーレアリザ殿下も退屈はしないだろう。

 私は死の世界での事を思い笑みを浮かべた。

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