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第一章 紫都と散り桜

貞操の危機

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  鹿児島の夜は暑い。
    
  窓も開けられす、エアコンを入れたら全室同時空調で暖房に設定されていた。
    
  いくら ″ 強 ″ にしても汗ばむわけだ。
  お陰で、棒つきのアイスはあっという間に溶けて、大急ぎで食べて味気無かった。
 
  歯を磨いて時計を見たら、日付が変わっていた。
  明日の予定地の確認もしたし。
  さて。寝るか。
  電気を消して、布団に入ろうとした時だった。
    
  コンコン!とドアを叩く音がした。

  誰?
    
  部屋は蛯原さんと岡田にしか教えてない。
 
「はい……?」
 
  覗き穴もないので、耳を澄まして誰かを確認する。
 
「添乗員さん!おやすみの所、すみません、木下です」
    
  お客様。男性の声。
  
   一瞬、南條さんかと思って構えてしまった。
  
  ″ 木下 ″ 、″ 木下  ″ ……。
   
  ツアー客の顔を思い出してみる。
  
 「あ、親子で参加されている木下さんですか?」
    
   そういえば、宴会のあと、足のふらつくお父様を部屋までお送りした。
 
 「そうです、父がちょっと……」
    
  えっ!?
  急病だと思い込んだ私は、咄嗟に部屋の鍵を開けた。

  80歳近くのご高齢の木下さん。
  見学も、長い階段や坂道は登らずに休まれていた。
    
「お父様、どうされましたか…?」
     
  ドアを開けた先には、その木下さんの息子さん、およそ50才が、赤い顔をして立っていた。
     
  うっすらと笑みを浮かべてーー
   
「添乗員さん、浴衣姿、特に胸元が色っぽいねぇ」
     
   言い方がどことなくいやらしく、浴衣を着た事をほどなく後悔。
   吐く息も、強いアルコールと、にんにく臭が凄い。    つい、鼻を押さえたくなったその時、
    
 「酔った父親のイビキがうるさくって寝れないんだ、添乗員さんの部屋、泊めてよ」
      
   木下さんが、半分だけ開けていたドアを強引に押して、中に踏み込んできた。
 
 「木下さん、ダメです!」
   
   騙された!
   勝手に部屋に上がり込む木下さんを制しようとしても、あっさりと押しやられる。
  
 「ダメって、睡眠不足で体調不良になったら、添乗員さは、どうしてくれるんだ? 優しく介護してくれるの? 」
    
  そんなことするわけがない。
 
 「私こそ眠れなくなります!」
 
「なに? ドキドキしてか?  へっ!可愛いな、年のわりに」
  
   ムッとするような事を言って、木下さんは敷いてある布団の上に勝手に寝転がる。
    
   私にはちょうど良いシングルの布団が、木下さんの下になると、長座布団みたいに見える。
 
「はぁ、ここでなら安眠できそうだ」
 
「木下さん!起きてください!困ります!」
   
  部屋が一気に臭くなって目眩がしそうだった。

  金庫には私物以外に、添乗携行金だとかクーポン等の貴重品がある。
  私が部屋を出て、身を守れば良しと言うものじゃない。

 「木下さん、このままだと人を呼ぶことになりますよ」
    
   布団の上で仰向けになっていた木下さんが、ムクッと起き上がり、思わず身構える。
    
  お客様に言い寄られた経験はあるが、ここまでリスキーな状況は無かった。
 
「あんたには分からんだろう」
   
  木下さんの低い声が震えていた。
 
 「え?」
   
  おまけに涙目に。
 
「結婚もせず、死んだ母親の代わりにずっと父親の世話をしてきた俺の気持ちなんか」
  
 「ーー……」
   
   ツアー中、お父様に寄り添って見学をされていて、とても親孝行な息子さんだと感心していた。
   私自身がそうじゃないから、余計……。
 
「元気なうちに旅したいって言うからさ、こっちは貴重な有給取って、見飽きた親父の面見て始終一緒にいるわけよ、本当はその金でデリヘルの女の子でも呼んだ方がいいのにさ!」
 
   ……が、話がちょっと変わってきた。
  
 「この溜まった鬱憤うっぷんを晴らしてくれるのは、あんたしかいないんだよ」

  なんでそうなるの?!
  身の危険を感じた私は、鍵をかけていないドアノブに手をかけた。
  が、
 
 「添乗員さん! 今晩だけでいいから! 俺の彼女になってくれ!」
   
  酔っているくせに木下さんは俊敏で、

 「だっ…!」
  
  ″ 誰か ″
    
  悲鳴を上げようとしたと同時に、口元を押さえられる。
   酒臭い息が耳元にかけられ、ぞわっと鳥肌が立った。
   
 「明日になったら忘れていいからさ!」
     
   呼吸荒く、身勝手な事を言いながら、ゆとりのある浴衣の胸元に手を入れてくる。
  そんな木下さんからは、穏やかな父親想いの顔は消えていた。
    
  湿った掌が、胸の膨らみに触れた。
  こんな人に触られる為に泥パックしたんじゃないのに。
  
「頼む! 暴れないでくれ!」

  大柄な木下さんは、酔っていても力は強い。
  もがいても、どんなに暴れても、その腕からは逃げられない。
   
  そのうち、浴衣が肩からはだけて、羞恥に思わず身を屈めた瞬間、布団に押し倒された。
   
  木下さんが、恍惚した目で私を見下ろしている。
  
「添乗員さん、ちょっとだけ俺の母さんに似てるなぁ……、俺、母親似なんだよ」
    
  はい?!
  聞き捨てならないけど、そんなことはどうでもいい。
  
 「なら、思い止めてください!こんなことしたら亡くなったお母さまが悲しまっ…っくっ!…」
    
   全部言う前に唇を塞がれ、ニンニク臭で窒息しそうになる。
    
   仕事も精一杯やってるし、こんな理不尽な目に合う理由もない、悲しいのは私だーー
    
  抵抗虚しく、浴衣の帯をほどかれたその時。
    
  コンコン!
  と、ドアが遠慮がちに叩かれた。
  天の助けだと思った。













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