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第三章 紫都と恋の風
汗ばむ夜
しおりを挟むーー鹿児島の夜は暑い。
「添乗員さん、ちょっとだけ俺の母さんに似てるなぁ……、俺、母親似なんだよ」
酒の力で、己の欲を剥き出しにした木下さんの身体も、異常に熱かった。
「なら、思い止めてください!こんな事したら亡くなったお母さまが……」
私の訴えなんて聞こえてないのか、ニンニク臭のキツイ口を唇に押し付けて、声を奪う。
手での制御は全くきかず、浴衣の帯もほどかれた。
泥パックで潤った肌を、毛むくじゃらの手で無遠慮に雑にまさぐられ、暑いのに鳥肌が立った。
逃げられず、助けも呼べず、絶望的な気持ちで明々と照らす蛍光灯を見ていると、 コンコン!と、ドアを叩く音が響いた。
「桑崎さん、明日の事で話があります。入りますよ」
ドライバーの岡田の声だった。
「……誰だ」
木下さんの動きが止まり、入口に神経を集中させている。
今だ!
やっと自由になった口で、「開いてます!」 と叫ぶと、鍵のかかっていないドアは勢い良く開かれた。
「お……」
明らかな男女の営み途中の光景に、岡田は一瞬、好奇な目をしたものの、
「くっそ、いいところ邪魔しやがって」
舌打ちする木下さんの下で、必死に首を横に振る私を見て、顔つきが険しく変化した。
「いいところ、だったのはあんただけじゃない?」
冷たく整った顔から、低くて太い声が放たれる。
「このまま警察に付き出されるか、今から一人で長崎に戻るか、どちらか選べ」
岡田の ″ 警察 ″ という言葉に、木下さんは激しく動揺。
「違うっ! 親父のイビキが煩くて眠れないから遊びに来ただけなんだ! そしたら添乗員さんといい感じになって!」
は?!
「いい感じになんてなってない!」
思わず甲高い声が出る。
岡田は、″ うるせぇな ″ って顔をして私を見ずに、木下さんに詰め寄っていた。
「添乗員の部屋に息子が押し入ったなんて聞いたら、親父さん、どう思いますかね」
「……は」
高齢のお父様の事を引き合いに出されて、木下さんの勢いは、ますます失われていく。
岡田の声も、更に温度を下げる。
「しかも、悪さした息子のせいで、後の二日間、刺されるような空気の中、旅をしなければならない。そんな親父さんの気持ちを察したら気の毒でしかないよ」
冷たい視線に晒されても、帰るにも帰られない。想像しただけで泣きそうになった。
「……いや、それは……」
すっかり酔いがさめた様子の木下さんは、それからは何度も私に謝り、
「飲み過ぎた、もう二度としないから、親父には言わないでください」
うっすらと涙を浮かべて、土下座をした。
結局、木下さんを警察に付き出すことも、旅行を中断させることもしなかった。
だからと言って許したわけではないのだけど……。
「あ、ありがとうございました」
二人きりになった部屋で岡田にお礼をいう。
本当にツイていた。
もし、岡田が部屋を訪れなかったら、私は今頃、あの人とーー
そう思ったら、岡田が神様にさえ見えてきた。
「っんとに、女ってのは厄介な生き物だよな」
……のは、一瞬だけで。
「……は?」
岡田のバカにしたような顔は、私の感謝の気持ちを薄れさせていく。
「厄介だと思うならどうして助けてくれたの?」
「俺は、あのイケメンがトラブルに巻き込まれるのを防いだだけ」
イケメン?
もしかして、三宅くんのこと?
「あの客が、桑崎さんが危ないって教えてきたんだ」
「どういうこと?」
何で三宅くんが知っていたの?
「いきさつはどうあれ、客に部屋を知られるのも、簡単に入れるのもトラブルの元。旅を順風に進めるのがお前の仕事だろ」
「……は……い……」
言い方はムカついたけれど、仰る通り。
「まぁ、なんにしろ、怪我がなくて良かった」
「は、はい」
不意に窓を見た岡田は、開けて、網戸にしてくれた。
そうか。
網戸にすれば灰は入らなかったのか。
「寝坊すんなよ」
「……はい」
「 おまえ、さっきから、″ はい ″ ばっかじゃん」
クッと笑った岡田が、軽く手を振って静かに部屋を出ていった。
スウェットではあるけど、後ろ姿までイケメンだった。
鍵をかけて、布団を敷き直す。
色んな匂いが混ざる空気と入れ替わるように、窓から四月の夜の風が舞い込んできた。
それが汗ばんだ肌に触れて、少しだけ心地良かった。
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