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第五章 紫都とリスタート
またトラブル
しおりを挟むお客さま全員が乗車したあと、最後の点呼をしている時だった。
「あれー? 俺の席がねぇ」
見知らぬ、大柄な中年男性がフラフラと乗り込んできた。
プゥンと、南条さんに負けない位の酒の匂いがした。
どうやら、酔って他のバスと間違っているらしい。
蛯原さんと岡田が、駐車場の、似たデザインのバスを指差している。
「あちらのバスとお間違えじゃないですか?」
バスの奥までウロウロする男性を呼び止めると、
「バスと?」
振り返るなり、完全にすわった目付きでジロジロと私を眺めた。
「ほんとだ、俺の添乗員、もっとバストおっきかったもんな、間違えるわけない」
「え」
続けて失礼ついで、無遠慮に、がっ!と私の胸を片手で鷲掴みしてきた。
「ちょっ………?!」
「おいっ!」
後ろから 三宅くんの声が聞こえても、酔っぱらった男の不躾な言動は続いた。
「バストだけじゃない、顔もこんなブスじゃなかったし、肌ももっとピチビチしてたっけ、はは、乗り間違った」
情けないことに、お客さまの目の前での侮辱に、直ぐに言葉が出なかった。
「お邪魔したなぁー」
と、最後に、パン!と私のお尻を叩いて入り口に向かう男の肩を、三宅くんが掴んだ。
「出ていく前に謝れよ!」
「あぁ? なんだ? カッコつけがー」
男は、三宅くんをいとも簡単に突き飛ばす。彼の細い体は、通路を滑るように倒れた。
「三宅さん!」
蛯原さんと同時に駆け寄ろうとしたら、入口のドアがシューっと閉まり、バスは動き出した。
「出発予定時間を5分過ぎました。フェリーに間に合いませんので出発いたします。なお、フェリーに乗り遅れた場合の損害補償もそちらでお願い申し上げます」
この旅、初めての運転士によるアナウンス。
ミラー越しに男を睨みつける岡田の凄味に、一瞬、ゾクリときた。
「あぁっー?? 冗談はよせっ! 俺をおろせ!」
男は、ふらつきながら三宅くんを股がり、入口扉前に立った。
「おいっ!開けろっ!あっ!バスがいっちまう!」
壊れてしまいそうなほど扉を叩いたり、蹴ったり。
「岡田さん、止まって!」
私が叫んだ途端、バスは駐車場内で急停車。
扉が開いた。
「あっ!?」
扉にぴったりくっついていたその男は、開いた入口から転がるように落ちていく。
「危ないっ!」
見ていたお客様の間でも悲鳴が上がった。
が。
けして、飛んでいったり、怪我をすることはなかった。
このバスには、ニーリング機構と呼ばれるものが装備されていて、スイッチを操作するとエアサスのエアーが抜けて車高が下がる。
車椅子などで乗降されるお客様がいた場合は車高を下げ、スロープを出すのと同じようにそれを出したから。
「あっ、バス!」
起き上がり、本来乗るべきだったバスを追いかけて、その男の人は走り去っていった。
「あっちのバスは点呼しないのかねぇ」
今度はホッとしたような笑いが起き、
「運転手さん!ナイス!」
女の子達を始めとする拍手まで鳴り響く。
岡田は、クラクションを鳴らして、走る男と気が付かないバスを止めて、あちらの若い添乗員の女の子が慌てて降りてくるのを確認。
そして。
そのまま熊本港を目指して走らせた。
「イケメン運転手のお陰で一件落着だな」
南條さんが珍しく人を誉めた。
時間を押しても、安全運転で市街地を走り抜けるバス。
岡田が、かっこよく見えた。
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