五番目の婚約者

シオ

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「おそらくサリは、その強さで一族を率いるような族長になるだろう」

 先ほどのサリの言動を思い出し、憎々しい気持ちになるが、父の言葉には同意を示す。あのまま年を重ねれば、誰もが見惚れるような戦士になるだろう。強く逞しい戦士には、誰もが付き従う。

「だが私は、皆の調和を保ちながら、進むべき道を模索する族長だった」
「俺を、リオライネン次期皇帝候補の婚約者にすることは、一族の総意だったのですか」

 やっと、聞きたいことを口に出来た。サリとは異なり、調停役を務めながら一族を率いる族長だったという父。であるならば、俺がリオライネンに行ったのは、調停の結果だったということだろうか。

「欲しいというならくれてやれ。そういう声が多かった」
「……くれてやれ、ですか」
「あぁ。幼いころからノウェは体が小さく……正直なことをいえば、戦士になれる見込みが薄かった。族長である私の息子であったとしても、軟弱者を異国へ送り出すことに皆、躊躇がなかった。男を嫁に欲しがるなんて、可笑しな奴だと笑い話にされるほどだった」

 ここでも、嘲笑われている。幼い俺の耳には、そんな声は一度も届かなかった。流石に幼い子供の前ではそういった話をしなかったのか、それとも、乳母のフィジェやイェルマが俺の耳を塞いでいてくれたのだろうか。

「だが私は、ノウェの存在にロアの未来を託すことにした」

 笑い話にされるような息子に、一族の未来を託すなんて。そんな風に拗ねたことを思ってしまうのも仕方のないことだった。憧れていたロアの戦士たちは、俺を馬鹿にしていた。その事実を、どのように自分の中で消化すれば良いのだろう。

「男のもとへ大切な息子を嫁がせるということに、父親として、強い違和感もあったし、嫌悪感すら抱いていた。だが、そんな父親としての私を、族長としての私が叩きのめしたんだ。一人を差し出せば、一族全ての安住が担保される。……天秤に掛けて計るまでもなかった」

 父として。族長として。その狭間で、父は苦悩したという。父に愛されなかったとは思っていない。愛してもらっていた。父のことが好きだったし、父も俺を好いてくれていた。だが父は冷静に、族長としての判断を下したのだ。

「ロアの本領安堵を条件に、私はヴィルヘルムにノウェを差し出したんだ」

 気付いた時には、涙が瞳から溢れていた。水が流れ落ちるように、すっと一筋零れていく。その涙を拭ってくれる手はここにはない。ヴィルヘルムがそばにいたなら、親指で優しく拭い去っていたことだろう。

「怒っているのか」
「……分かりません」
「悲しんでいるのか」
「そうではないと……思います」

 自分でも分からないのだ。どうして涙が溢れて行ったのだろう。頭が感情を理解するよりも前に、心が涙を流していた。そんな感覚がある。何故泣いたのかを、そっと心に問いかける。

「覚悟はしていましたが、辛くて」

 俺は、辛かったのだ。俺が皇妃になったことを認めてなどいないといって、リオライネンに対して激昂して欲しかったし、クユセンに戻ってこいと言って欲しかった。そんな時期が確かにあって、そうなったらいいのにと夢見たこともある。だが全ては妄想に過ぎなかった。父は、父の考えに基づいて俺を差し出していたのだ。

「すまない、ノウェ」

 目の前の父が頭を下げた。ロア族の族長で、幼いころから尊敬していた父の姿が、とても小さく見えた。名状しがたい感情に呑まれる。謝るほどのことではないですよ、とは言ってあげられなかった。頭を上げてください、とだけ震える喉で伝える。

「ヴィルヘルムは、ノウェを大切にしてくれているのだろうか」

 顔を上げた父は、戸惑いながらそんな言葉を口にした。俺もまさか、この流れで俺たちの関係について問いかけてくるとは思わず、狼狽えてしまう。

「……大切にして、もらっていると……思います」
「それは良かった」

 大切にしてもらっているのか、いないのかで言えば、大切にしてもらっていると思う。乱暴にされたのは、初夜の一度だけ。あの一度を除けば、とても丁寧に、過保護なほどに、大切にされている。

「ロアの将来のためにノウェを差し出した。もちろん、それもある。だが、もう一つ……、理由があるんだ」

 話は、俺が予想していなかった方向に進んでいく。これで、全てだと思っていたのだ。ロア族の安住のために俺は差し出された。それが全てではないのか。もう一つの理由、という言葉に俺は疑問符を掲げる。

「戦士となれなかった男たちが、どういう扱いを受けるか。分かるか?」
「それは……その、女性のような扱いというか。家事や子育て、羊の世話をしていたと思いますが……」
「そうだ。女性のように、扱われるんだ」
「……え?」

 女性のように、という部分を強調して父は言った。その言葉を聞いた瞬間に、夜に聞こえた痛がる声を思い出した。暗闇の中、月明りだけを頼りに歩いた散歩。大きな木の根元で、茂みに隠れて男が男を襲っていた。男のくせに、女のように抱かれていたロア族の者。

「戦士たちは、何日もかけて狩りをして、食料を集めてくる。そういった時に、戦士ではない男を連れて行くんだ。獣を捌いたり、保存食にするための加工をさせるため。そして、……夜の相手をさせるためだ。昂った気持ちを、男で解消するんだよ。無駄に孕まないように、女ではなく男を抱くんだ」
「でも……ロアの人々は、同性愛を毛嫌いしていますよね?」
「あぁ。だから、愛しているわけではない。ただの道具だよ。穴としての役割をさせているだけに過ぎない。……酷い扱いをするんだ」

 確かに、あの夜に漏れ聞こえた声には慈しみなどなかった。役に立たないのだから、とかそう言った冷たい言葉が聞こえたように思う。道具。道具なのだ。幼いころは気付けなかった。だがきっと昔から、そんな悪癖がロアにはあるのだろう。

「……そんな」
「族長の息子だろうが、なんだろうが、戦士でなければ尊ぶ必要はない。ロアにはそういった考え方が根強く残っている。私にも病弱な兄がいたが、華奢で儚く美しいひとだった。戦士たちの格好の道具にされた。……危篤の際にも、男の相手をさせられていたんだ」

 悔恨を滲ませながら父が言う。父には何人かの兄がいるが、そういった風貌の人を見たことは無い。危篤、ということはおそらくもう亡くなっているのだろう。その兄という人物はきっと、父にとって大切な人だったのだ。

「抱かれながら死んで、死んだあとはその場に捨て置かれていた」

 思わず息を飲む。想像してしまった。体の調子が良くないのに、狩りへ同行させられて、そしてあんな寒空のもとで一方的に暴力を振るわれる。準備などされないままに、無理矢理ねじ込まれて、そのまま命を落とすのだ。弔われることもなく、犯されたあとが残る遺骸を見つけたのは、父だったのかもしれない。

「ロア族を変えたかった。幸いにも、父は私を次の族長に指名した。皆の意識を変えようと、私なりに努力はした。……だが、何も変えられなかった。何十年と続いてきた考え方を、たった数年で変えて行くのは無理だったんだ。戦士だけが人間で、それ以外は道具。どう扱っても良いとさえ思っている。戦いは弓と剣でするもので、銃など軟弱。そういった考えを持ち続けるものが多すぎる」

 古き伝統を守り続ける民だと、アリウス様は言ってくださった。けれど、そうではないのだ。ロア族は、体格が良く力の強い男たちを戦士とし、それ以外を道具のように扱っているだけ。伝統を守り続けている、などと高尚な言葉は不似合いだ。戦士たちが、自分たちを尊ばせ、その上に胡坐をかいているだけなのだ。

 俺は一体何を見て、彼らに憧れていたのだろう。幼少期の、断片的な思い出に存在した戦士たちの姿を、俺は美化していただけなのだ。傲慢な戦士たちを、アナスタシアに銃を借りて片っ端から撃ち殺してやりたい。

「ノウェも、兄のようになってしまうと思った。……一族の者たちに道具のように扱われて、死んでしまうと思ったんだ。……せっかく、トノアが残してくれた宝物を……そんなことで失いたくなかった」

 怯えながら父が言う。父は、本当に母を愛していたんだと思う。そして俺のことも、心の底から愛してくれていたのだ。だからこそ、自分の兄のようにはしたくなかった。俺を、戦士たちの道具にはしたくなかったのだ。

「私ひとりがノウェを守ることも出来たかもしれない。だが、戦士になれない男は何人もいるのに、その中でノウェだけを庇護下に入れれば、公私混同と言われ族長の器ではないと判断され、殺されただろう。逆に、戦士になれない男たち全てを守り、扱いを改めるよう戦士たちに言えば、都合の良い道具が無くなり激昂した彼らに殺されるだろう。私が死ねば、それこそノウェを守れなくなる。命は惜しくなかったが、ノウェを守れなくなるのは辛かった」

 命は惜しくない。その言葉に偽りはないのだと思う。本当のことなど分からないけれど、俺はそう感じた。死んでしまっては、元も子もない。生きて、俺を守る術を探した。そして、父は見つけたのだ。

「……だから、ヴィルヘルムに託したんですか」
「そうだ。ヴィルヘルムが、ノウェへ向ける感情は本気だった。道具のように扱うロアの戦士たちとは異なって、本気でノウェを愛していた。このままロアの地に置いて、道具にされるくらいなら、男の嫁でもなんでもいいから、ノウェを大切にしてくれる者に託そうと思った」

 俺の体は幼いころから、父を絶望させるほどに華奢だった。背丈も結局はさほど伸びず、サリを思えばなんとも頼りのない体躯だ。戦士になれないことは、分かっていたのだ。だが、慈しまれることのない性の捌け口にはなって欲しくなかった。そんなものになるくらいなら、愛される皇妃になって欲しい。追い詰められた父に出来た選択は、それだけだったのだろう。

「幼いノウェに、全てを説明することが出来なかった。お前は将来、性的な道具として扱われるから、他国の皇帝に嫁いで来いなどと、私には言うことが出来なかった。……だから、ロア族とリオライネンの友好のための人質として、形式的な婚約者になると偽った」

 確かに、幼いころに全てを説明されたとしても理解が出来なかっただろう。全ての意味を噛み砕いてもらって理解したとしたら、それはそれで死にたいと願う可能性もある。俺がもし父の立場だったら、確かに偽りを伝えることしか出来ないかもしれない。

「リオライネンは……、このことを知っているんですか。俺には、道具にされる未来しかなかったって」
「……すまない、伝えていない。戦えないからという理由だけで、男をそういった道具と看做す悪習を伝えることが恥ずかしかった」

 同性愛は嫌悪するくせに、欲の処理は男でする。どこまでも都合が良くて、反吐が出るような言い分だ。他国の、しかも多くのことに寛容なリオライネンに伝えることを恥と思っても、それは仕方のないことだった。

「こんな守り方しか出来なかった、弱い父を憎んでくれ」


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