すべては花の積もる先

シオ

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スイ編

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 深く愛し合った後はいつも、心地よい倦怠感に包まれる。湯船に身を落とし、背後に座るスイに体を預け、微睡んだ。愛し合う前と、愛し合った後。触れ合う日は二度も風呂に入る。髪が短くなったとはいえ、やはり乾かすことは大変だった。けれど、スイは面倒臭がることなく、甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれるのだ。そんな弟に大切にされる髪も、もう背中の辺りまで伸びてきた。

「ねぇ、兄さん」

 いつの間にか私は湯船から寝台へと移動していて、横になったままの状態で、火傷を負った体に薬効のある油を塗り込まれる。それがまた気持ち良く、うとうととしてしまうのだ。再び意識が覚醒した時には、私はすでに真新しい寝着に包まれており、スイに抱きしめられていた。

 大きな寝台の上で、二人ぴったりと体を寄せ合って横になる。世界一あたたかくて、幸せな場所。小さな声でスイが私に声をかけたのは、私が起きているかどうかを確かめたかったからなのだろうか。私は、なぁに、と返すがその声がスイに届いた自信がない。

「婚礼をあげない?」

 眠気によって重たくなっていた思考が、一気に晴れる。私は目を見開きながら、首を動かして背後のスイを見た。聞き間違いだろうか。スイは婚礼と言ったように思う。それとも、似た音の別の言葉を言ったのだろうか。そこまで考えてから、思い直す。否、違う。スイははっきりと、婚礼と言った。

「……え?」

 たっぷりと間を置いてから、間抜けな声を出す。眠気から抜けたばかりの思考では、そんな言葉を返すのがせいぜいだったのだ。視線の先のスイはにこにことと笑っていて、その表情はどこかイタズラが成功した子供のように見える。

「婚礼って……どういう意味?」
「基本的には、夫婦となる二人が結婚をするための儀式だね。俺たちの場合は、夫夫と言えばいいのかな」
「言葉の意味はもちろん分かってるよ、そうじゃなくて……だから、その……男同士の婚礼なんて、許されるものなの?」

 婚礼の意味くらい分かっている。そして、そんなことはスイも分かっているのだ。だからスイの言葉は冗談なのだろう。冗談を口にして、場を和ませようとしている。それでも私の心はどこか強張って、戸惑っていた。

「確かに、俺と兄さんはどれだけ愛し合っても、公的には兄弟のままだ。俺たちが夫夫になることを認める法律は、今の所存在していない。そんなもの、どうでもいいんだ。俺は、誰かに許されるためとか、誰かに示すために婚礼をしたいわけじゃないんだよ」
「じゃあ、どうして……?」

 誰かに認められたいわけではない。公にその事実を残したいわけでもない。その気持ちは、よく分かる。私とスイが想い合って、慈しみ合うのなら、関係性など瑣末な問題だ。世間が私たちを兄弟だとみなしても、それ以上のものであると私たちだけが分かっていればいい。スイの考えは、私と同じものだった。だからこそ、分からない。スイは何故、婚礼をしたいというのだろうか。

「兄さんの花嫁衣装が見たいから」

 与えられた答えを聞いた私は、怪訝な顔をしていることだろう。体を反転させて、スイと向かい合う。部屋の中は暗い。それでも、一本の蝋燭の灯りがスイのおもてを照らしていた。私は弟の顔をじっと見つめる。

「……本気で言ってるの?」
「もちろん。俺はいつだって本気だよ」

 スイは花嫁衣装と言った。ただ婚礼の服を着るのではなく、スイは私に女装をさせたいのだ。いくら私の体が小さく、華奢だと言っても、流石に女性の服を着るということには抵抗があった。

「花嫁衣装を着て、シアさんに報告に行こうよ。俺もちゃんと、シアさんに話をしたい」
「でも……息子が突然、花嫁衣装を着て現れたら、母さん驚かないかな」
「たまには驚きも必要だよ」

 楽しそうにくすくすと笑うスイを見ていると、花嫁衣装なんて着たくないと抗議する気持ちが失せていく。服を着るくらい、別にいいか。そんな気分になってきた。スイが喜んでくれるなら、とは思うが、それでも女性の服を着ることに羞恥はある。

「男の私が着るのはやっぱり変だから、見せるのは母さんだけ」
「父さんはどう? 絶対に兄さんの花嫁衣装を見たいって言うよ」
「……そういえば、前にそんなようなことを言ってたような」
「やっぱりね」

 父はいつだって、私を通して母を見ている。自身の息子が女装をしているというおかしな光景を飛び越えて、きっと婚礼衣装に身を纏う母の面影を見るのだろう。それで喜んでもらえるのなら、少しはかつての非礼に対する詫びになるだろうか。母の墓参りに行った私を父はもてなしてくれたというのに、私は何も言わずに父の邸宅を飛び出したのだ。それを手紙では詫びているが、直接の謝罪が出来ていない。父に婚礼衣装を見せに行くことが、謝罪のための良い機会になるかもと考えた。

「明日、仕立て屋を呼ぶよ」
「え? 明日って……急すぎない?」
「善は急げだよ、兄さん。出発の段取りも考えないと」

 スイの頭の中で、どんどんと物事が進んでいるらしい。楽しそうに微笑みながら、スイは未来に向けた計画を語る。激しく愛し合ったあとだというのに、とても元気だ。私との体力の差を痛感しながら、微笑む返す。

「スイにお任せするよ」
「うん、任せて」

 眠気に抗えず、目を閉じた。そんな私の体を、スイが抱きしめる。こうしてスイに抱きしめられながら眠ることを、当たり前のように感じ始めたのはいつからだろうか。居心地が良く、幸福であると感じる。私はゆっくりと夢の世界へ落ちていった。甘く、優しい夢を見た。そこにはきっと、スイもいたのだろう。

 私が日々をぼんやりと過ごしているうちに、全ての準備が整えられていた。仕立て屋は私の体にぴったりと合う婚礼衣装を作り上げ、それと同時に、父との調整の上に王都までの旅程が組み立てられる。婚礼のために行くのだということは父には伏せられ、新年の挨拶のために行くというもっともらしい理由が添えられた。

 レンはもちろん私たちの旅に同行してくれる。今回はヤザも一緒だ。前回、父と会う機会があったにも関わらず、責務を果たすために王都へ行かなかったヤザは、私から見ても明らかなほどに父に会えることを喜んでいた。

 穏やかな日々が続く。私が知らないだけで、バイユエには穏やかではない側面がある。だが少なくとも、私の身の回りはずっと穏やかであり続けた。それが、スイが齎してくれる平穏だということは分かっている。

 あっという間に、出立の日が来た。大きな行李に婚礼衣装をそっと入れ、身の回りのものは殆ど持たず、身軽なままで私たちは屋敷を出る。空気は凍て付いており、指先が赤らんでいた。それでもすぐにスイが私の手を包み、温めてくれる。屋敷の前には二台の車が用意されていた。私とスイが乗る車と、レンとヤザが乗る車だ。

「……トーカと同じ車がいい」

 私の背後に立ったレンが、ぼそりと呟く。私とスイの関係が深くなってからは、あまりそう言った駄々のようなことを言わなかったレンなのだが、私の裾を少し引っ張りながらそう願った。今まで、王都に行く時はいつでもレンが私のそばにいた。ヤザを加えて、三人での馬車の旅になることはあったが、それでもレンは必ず私の隣にいたのだ。

「ずっと俺が、トーカの隣にいたのに」

 とてもとても小さな声で、レンが言葉を漏らす。それは心からの吐露であるように思えて、私は胸が苦しくなる。もちろん、心は定まっているのだ。私はスイを選んだ。愛する男は、スイひとり。それでも、レンだって大切だった。出来ることならば、悲しい顔をさせたくはない。

「これからはずっと、俺が兄さんの隣だ」

 レンにどんな言葉を返せば良いのかと思案していた私を、スイの手が引き寄せる。私の体は、スイの腕の中にすっぽりと収まってしまった。そうして強引に私とレンの間に入ったスイの行いは、私にとって救いだった。スイもそれを分かっての行動だろう。はっきりとレンに、私はスイと車に乗るから、と言って突き放すことも出来ず、それでも、スイと共に車に乗ろうとしていた心を裏切ることも出来ず。そんな中途半端な私を、スイが救う。

「ねぇ、レン。車の中で、文字の練習をするのはどう?」

 不貞腐れた子供のような顔をしてこちらを見ているレンに、私は何か言わねばと焦りながら、妙な提案をしてしまった。ヤザと二人きりで王都まで行くのは、さぞ居心地が悪いことだろう。ならば、別のことに集中すれば良いのではないか。そんな考えから出た言葉なのだが、それにしても酷い。けれど、二人の弟たちは私の提案を笑い飛ばすようなことはしなかった。

「……分かった。トーカに手紙書く」
「うん。王都に着いたら読ませてね。楽しみにしてる」

 苦し紛れの私の言葉を、それでもレンは頷きと共に受け入れる。私がスイを選んだ日、私は初めてレンから手紙をもらった。あれからもレンは字の練習を続け、今では小さくまとまった字で手紙を書くことが出来るようになったのだ。達筆とは言い難いが、それでも急成長ぶりに驚くばかりだった。楽しみにしている、という言葉にレンの機嫌が良くなるのを感じる。

 私を抱きしめたままのスイが、私の体を横抱きにして車の中へと運び入れた。レンが心細そうな顔で私を見ていることに気付き、私は車に乗り込む寸前にレンに向かって手を振る。すると、小さく手をあげて、レンもささやかに手を振り返してくれた。

「兄さん離れが出来てなさすぎる」

 車の中で私の隣に腰を下ろしたスイは、不機嫌そうな顔でそう漏らした。一瞬、スイ自身のことを、スイが言っているのだと思ったのだ。だが、違う。スイは、レンのことを言っているのだ。それに気付いて、私は驚いてしまった。そんな私の気持ちを察したのか、スイはなんとも言えない表情で私を見る。

「それをお前が言うのか、って顔してるね?」

 見抜かれている。確かに私はスイのことを、兄離れが出来ていない弟だと思っていた。けれど、それが嫌だと思っているわけではない。ただ、そのようにレンを悪様に言うのは如何なものかと思うだけだ。きっと私がそう感じているところまで理解して、スイは拗ねるように私を身を寄せる。

「だって俺はただの弟じゃないから、兄さん離れなんて必要ないんだよ。……そうでしょう?」
「そうだね」

 愛する人に、甘えるようにそんな言葉を言われてしまったら、頷くことしか出来ない。スイの両腕が私の胴に周り、ぎゅっと抱きしめられる。そうしていたからこそ、馬車が動き出しても私の体が揺れることはなかった。ゆっくりと、車は速度を上げていく。

 硝子窓を覗き込み、流れていくルーフェイの景色を眺めた。空には重く厚い雲が蔓延っており、今でにも雪が舞い落ちてきそうだ。寒さは、人恋しさを生む。私は私を抱きしめるスイの腕に、そっと手を添えた。こうしてスイがそばにいてくれるのなら、私は悲しくない。寒くない。それがどれほど幸せなことであるのかを、私は分かっている。

「ねぇ、スイ」

 名を呼べば、すぐにスイは私を見る。車の中には、私とスイだけ。隣に並んで座るよりは、対峙する形で座った方がよほど広く感じる空間の中で、私たちはわざわざ隣に座って身を寄せ合っている。窮屈であるよりも、片時も離れないことを選んだ。

「スイが私とずっと一緒にいてくれるっていうことは、もう十分によく分かったんだけど……他の人はそれを納得してくれるのかな」
「他の人っていうのは?」

 まるで、他の人などというものがこの世に存在しないとでもいうように、スイは不思議そうな顔をした。世界が、私とスイだけで構成されているかのような表情に、私は戸惑う。どう伝えればスイに伝わるだろう。言葉を選びながら、口を開く。

「たとえば……スイのお母様とか」

 私に母がいるように、当然ながらスイにも母親がいる。父は、私の母を最も愛した女性だと言って憚らないが、それでも私の母は正妻じゃない。正妻は、スイの母親なのだ。バイユエ頭目の妻となり、立派な息子を産んだその人が、私とスイのことを知れば、がっかりするのではないだろうか。

「それは大丈夫だよ」
「大丈夫なの……?」

 寸暇を置かず、スイが頷く。思えば、私はスイの母親のことを何も知らない。スイは私の母親を熟知しているというのに。私がスイの母親について興味を持っていないわけではないのだが、どうにもスイ自身がその手の話題を好んで語る素振りがなく、今までずっと聞けずにいたのだ。加えて、父の口からスイの母親のことを聞いたこともない。私はスイの母について、全くの無知だった。

「母さんの生家は、ホンハイ家。ルーフェイの中でも大きい部類に入る背の者の組織。そうだな……今だと、三番手くらいの支配圏を持っているかな」

 ホンハイ。背の者の世界に疎い私でも、その名前は聞いたことがあった。ルーフェイに住む人間であれば、その名が轟いていることを知っているだろう。一体、どのような女性だったのだろうか。スイの容姿を見るに、格別な美人であったことは疑いようがない。私はスイの言葉に耳を傾けながらスイの母親を思い描く。

「ルーフェイに根ざす背の者の利益の大半が、ハイリから出てくる。やっぱり、娼婦が一番の稼ぎ手なんだよ。女を求める男は尽きず、安定して利益を獲得し続けることが出来る。そして娼婦は、ハイリに集められている。だからこそ、ハイリ内の支配領域が被っていない組織同士が、婚姻で繋がって不可侵を誓い合うって言うのが盛んに行われた時代があったんだ」
「……つまり、スイのお母様はそのために?」
「そう。当時、バイユエとホンハイのハイリ内での領域は被っていなかった。背の者としてそこそこ大きな家であったことが、良かったのか悪かったのか、母さんは不可侵の誓いのために、父さんと夫婦になった。でも、父さんの目にはシアさんしか映ってない。母さんは務めとして俺を産んで、それからさっさと実家に帰った」

 双方の意図が絡む婚姻だった。ハイリ地区には多くの娼館が立ち並び、人と金が多く集まる。そんな場所を背の者が常に奪い合いえばルーフェイでは毎日、血の海が降っていたことだろう。そうならないための、不可侵を誓い。その約定として、婚姻を用いたのだ。

「私の母さんは、恨まれてたかな」

 父が、スイの母親を愛さなかったことは間違いない。婚姻を結び、夫婦として務めを果たしたからこそスイが生まれたわけだが、それ以上でも、それ以下でもなかったのだ。父はあまりにも母を愛しすぎた。他を見ることが出来ないほどに。他の女性を思いやることが出来ないまでに。

「いや、全く」
「……え?」

 予想外の言葉が返ってきて、私は戸惑う。あっけに取られた私はきっと、無様な顔を晒していたのだろう。そんな私を見て、スイが小さく笑った。そして、私の頬に一度、軽く口付けをする。その口吻の意味は分からないが、きっとスイはしたくなったからしたのだろう。そして私は、それが嬉しい。

「もともと愛し合ってたわけでもない。ただ男と女が繋がって、俺が生まれたっていうだけだからね。それに母さんは実家で楽しく生活してるよ。母さんにとっての一番の幸せは、幼い頃からそばにいる侍女と過ごすことなんだってさ。侍女というより、姉妹とか、大親友っていう方が近いんだろうね」

 スイの言葉が真実であるならば、同性である私を選んだスイと、同性である侍女を選んだスイの母親は、趣向が似ていたということになる。親子というのは、長く共に過ごさずとも、どこか似るものなのだろうか。私を見つめるスイは、小さく微笑んで私を見た。

「幸せなんて、人それぞれだよ。自分に見向きもしなかった女を心底愛した父さんだって幸せだっただろうし、ずっとそばにいる同性の親友と過ごすことが一番の幸せだっていう母さんもいるし。実の兄に惚れ込んで、永遠を誓いたいと願う俺だって幸せだ」
「……そうだね、幸せの形はきっと無数にあるんだろうね」

 ゆっくりと頷く。私はずっと、愛が分からないと悩んだ。だが、それもそのはず。愛には定まった形などないのだ。それぞれの胸に収まる形で、愛は存在している。同一なものなど、きっとどこにもない。私は手を伸ばし、スイの手を掴む。そして、指を一本一本絡めながらその手を握った。

「さっきスイは自分が生まれたことを、男と女が繋がっただけって、なんてことないように言ったけど……それは、私にとってはとても大切なことだからね。……父さんと奥方様が、スイをもうけてくれたこと。それは、私にとって何よりも幸せなことだから」

 きっと、スイはそんなことを気にしてはいなかっただろう。父が母を愛していなかったこと。母も父を愛していなかったこと。そんな父母が、双方の利益のために体を繋げてスイを産んだこと。それを冷めた声で淡々と言うスイの姿を、私は見たくなかった。いかにスイが大切かを、しっかりと伝える。繋がった手を持ち上げて、スイの手の甲に口付けをした。たったそれだけのことで、スイは幸せそうに笑ってくれるのだ。

「これからもずっと、幸せを繋いでいこうね。兄さん」

 旅路は続く。私とスイは、これからも手を繋いで歩くだろう。時には分かり合えず、憤ることもあるかもしれない。それでもそれぞれの道が違えることはないのだ。手を取り合って、歩いていく。ずっとずっと。いつまでも。
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