下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 星が空に浮かぶのを、空っぽな心で眺めていた。少しずつ滲んでくるような淡い光を、私は愛した。あの輝きが欲しい。闇のような暗黒ではなく。胸を温める陽光の如き輝きが欲しい。

「宮様、あまり夜風に当たりすぎては体を冷やしますよ」
「心地の良い風だ。これくらい大丈夫だよ」

 過保護な淡月を軽くいなし、私は空を見続ける。窓際に椅子を置き、窓枠に頭を付けて上空を見ていた。輝く星々にも、闇夜を照らす月にだって、手を伸ばしても届かない。この手は、何も掴めない。

「今日はなんだか楽しかったな……。蛍星の友人は、人の良さそうな男だった」
「それでも、あんな場所から入ってくるのは頂けません。葉桜も珍しく立腹していましたよ」
「あの葉桜が……珍しいことだ。私も怒ったところを見たかったな」

 葉桜は、私につく近衛兵の一人だ。感情を表に出すことはなく、どんな時でも冷静である。笑ったり、泣いたり、といったところを見たことはない。当然、怒っているところも然りだ。

 笑ったり、泣いたり、怒ったり。それは私にも程遠いものかもしれない。けれど今日はたくさん笑った。蛍星と清玖のやり取りがあまりにも愉快で笑ってしまった。楽しかった。久しぶりにそう思えた。

「……さて。そろそろ叔父上の所に行ってくるよ」
「私もお供致します」
「いや、一人で行ってくる。淡月はここで待っていて」
「しかし……」
「これはお願いで言ってるんじゃない。命令だ」

 淡月は一瞬、硬直した。命令なんて言葉、出来れば使いたくない。けれど、それくらい強く言わなければ淡月はついてきてしまう。それだけは避けたかった。

「……御心のままに」

 淡月が、苦しそうな顔をしてそう口にした。互いに心が重くなっていく。叔父上が嫌いなのではない。むしろ、人柄は好ましいと思う。けれど、今から起こるであろう事態を考えると、どうにも気が沈んでしまうのだ。

 静かに己の部屋を出る。最後まで淡月が見送っていた。ほの暗い廊下を、等間隔で設置された灯篭が照らしている。淡月を部屋に残し、私は一人で廊下を歩いた。

 だが、確実にどこかから葉桜が見守ってくれているのだ。近衛が私から離れることはない。だが、例外があった。今、この足が向かっているその部屋に近衛は入ることが許されていない。

 目上の者の私室に入室する際に、目下の者は近衛を連れていけないのだ。叔父上はまさしく私にとって目上の存在。その方の部屋に行くことが分かっているのだから、葉桜とてどこかで足を止めるのだろう。

 黒珠宮の中でも奥まった区画。一番日当たりが悪く、薄暗い場所に叔父の部屋はあった。黒珠宮にある王子たちが住まう部屋は、どれも同じ造りになっている。

 だというのに、叔父の部屋はどこか寂しげに見えた。全く同じ作りだというのに、まるで侘しい座敷牢のように思える。部屋の前に着くと、すでに叔父上の侍従がそこに控えていた。

「お待ちしておりました、三の宮様。姫宮様は中にいらっしゃいます」

 姫宮。この国で、そう呼ばれる人はたった一人だけ。父が死に、叔父がその座を降りれば、姫宮と呼ばれるのは私となる。招かれた叔父の部屋。先ほどの私と同じような恰好で、叔父は月を見上げていた。

 年不相応な美貌。そう称される叔父上の容姿。父も、父のほかの兄弟たちも皆、自然に逆らうことなく齢を重ねていく。けれど、叔父はもう随分と外見が変わっていない。

 自分と同い年、とまではいかないが、紫蘭兄上と同世代には見える。だが実際には、紫蘭兄上と叔父上の間には十五歳の年の差があるのだ。いつまでも失わない若さと美しさ。それが天から姫宮へ与えられた寵愛なのだろうか。

「やぁ、久しぶりだね、吉乃」
「お久しぶりです、叔父上」

 月光のような人だった。全ての色を奪って輝くような、白銀の髪。そして、それ以上の輝きを放つ金色の瞳。私とは正反対の色合いを持つ叔父が、私の前にいた。

「さぁ、座って。ゆっくり話がしたいんだ」

 叔父が腰掛ける椅子と対峙するように、同じものが一脚置かれていた。二つの椅子の間には、小さな丸い机が佇んでいる。勧められるがままに腰を下ろし、叔父と向き合った。

「他の兄弟たちは元気?」
「元気ですよ、といっても紫蘭兄上と柊弥兄上、蛍星のことしか知りませんが」
「まぁ、そんなものだよね」

 同じような経験があるのか、叔父上は朗らかに笑った。私には蛍星を除いてあと三人弟がいるが、その三人とも皆、自由に生きている。黒珠宮に寄りつかない者もおり、そんな彼らの現状は不明だった。けれど、どこにいようと、彼らの傍には必ず侍従と近衛がいる。身の安全は保障されていた。

「叔父上は、どうですか。最近、他の御兄弟に会われましたか」
「いや、殆ど会っていないね。たまに、陛下に会うくらいかな」
「陛下に……」
「でも最近は、私が近づくと王妃殿が怒るから、迂闊に近づけなくなってしまってね」
「怒る? 何故ですか?」
「陛下が、私のことを愛しているからだよ」

 さらりと告げられた言葉。何の感慨も抱かなかった、とは言えないが、大した驚きはなかった。父が誰を愛していようと、定められた人数の子供は作ったわけだ。役目は果たしている。それ以外のことは、私には関係のないことだった。

「吉乃、私は君の父親と寝ていた」
「……そうですか」
「あまり驚いてないね」
「驚いていないというよりも……興味がなくて」
「冷たい子だ。……けれど、まぁ。私も、自分の父親が誰と寝ていても、大して興味はないな」

 この感覚が、市井の民とは異なっているというのは理解している。彼らは親兄弟と絆を深くし、日々を送っていくのだ。けれど、私たちは違う。兄弟同士の繋がりは強固だが、親子関係は希薄だった。

「王妃殿が怒って私を追い払うから最近兄上の様子を見ていないけど……、そろそろ身構えて置いた方がいいよ、吉乃」

 叔父上が本題に入ってきた。予想していたよりも直球で、少し驚く。月光を浴びて輝く銀色の髪が、さらりと叔父上の肩から落ちていく。たったそれだけのことなのに、とても絵になっていた。

 椅子に座る叔父上の背後には本棚がいくつも並んでおり、そのどれにもぎっしりと書物が詰められていた。そうして、叔父上が読書家であることを知る。私は今まで、叔父上のことを何も知らなかったのだ。

「今日、論功行賞があったのは知っているね」
「はい。私も出席しました」
「ああ、そうだったな。……それで、今回の一番の首級を挙げたのは、右軍の大将補だったそうだ。私は今晩、その男に下賜される」

 論功行賞で下賜されるのは、金や財宝だけでなく、より良い住居、より良い地位など様々である。働きに応じ、その褒賞の格が上がっていく。そして最も活躍した者にだけのみ、姫宮が与えられる。この国において、姫宮を下賜されて拒むものなど存在しないのだそうだ。

「お前の場合はまた異なるが、姫宮は褒章であるが故に、褒美とならねばならない。つまり、褒章に値するほどに幸福にさせてやるのが姫宮の使命だ」
「……私の場合が異なる、というのは?」
「お前は黒闢天に愛された天寵の御子だ。大抵の人間は、見て、触れて、言葉を交わすだけで幸せになれる」

 叔父上の目が、私の瞳と髪、そして私だけが纏うことを許された黒の長衣を見た。その視線は不躾でありながらも、そうであるが故に何よりも素直だ。私という存在価値の大部分を、黒であるということが占めていると如実に物語る。

「だが姫宮は、黒では無い者の方が圧倒的に多かった。黒では無い者は、美しかったのだとしても、所詮はただの男だ。ただの男であっても褒章たらねばならなかった。では、どうしたか」

 ゆっくりと立ち上がった叔父上は、本棚に近寄り、一冊の本を抜き出した。そして、それを私たちの間に佇む机の上にぽつりと置く。表紙に何も書かれていない、簡素な作りの本だった。

「性技を磨くことによって、己に付加価値を与えたんだ。美しいだけじゃなく、とても巧い男になった。これは、歴代の姫宮が学ぶ性技の教本だ」
「教本……そんなものの、教本が」
「それぞれの代で学んだことを書き足して、書き写して、製本しなおして。そんな風に何百年も受け継がれてきた本だ。これを見てとりあえずは学ぶと良い。まずは座学だ」

 読んで学べ、と叔父上が私に本を差し出す。恐る恐る手にとって、開いてみた。ぱらぱらと捲っただけでも分かるほどに、殆どの頁に絵が描かれ、そのどれもが睦みあっていた。驚いて閉じてしまう。

「なんだ? そういった教本を見るのは初めてか? 今までだって、何冊か読んでいるだろう?」
「よ……読んではいますが、あまりにも……絵が具体的で」
「ああ、なるほどね。その本は、私が製本しなおしたもので、その際に教本に書かれていたものを私が実際にやって見せて、それを絵師に描かせたんだ。具体的でよく分かるだろ?」
「絵師の前で……そんなことを……?」

 戸惑いを見せた私を、叔父上は愉快そうに見つめる。まぐわいは、秘されるものだと思っていた。誰にも見られていない場所で、ひっそりと肌を重ねるものだと。だというのに、叔父上は行為を絵師に見せつけるたという。

「誰の前でだってやるさ。必要とあらばね。お前たちは知らないと思うけれど、お前たち兄弟を作るために、私は陛下のお手伝いをしたくらいさ」


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