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第三十五話 ヴァンパイアハンター

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 古来より人々は歴史の裏で魔物たちと死闘を繰り返してきた。

 中でも夜の世界に君臨する吸血鬼は、特に危険で恐ろしい存在だ。
 どの魔物よりもはるかに強い力と、獣を思わせる俊敏な動きを持ち、闇の力で人間たちを意のままにして次々と仲間をふやしていく。
 ひとりの犠牲者が次の犠牲者を生み、小さな村を一夜にして吸血鬼の村に変えてしまうことも頻繁にあった。

 彼らの魔の手から逃れ、勝利をおさめるために、人間は英知を駆使し抵抗し続ける。
 だが吸血鬼は、弱点を補ってあまるほどの能力ゆえに、多くの勇敢な人々が犠牲となった。

 そんな彼らにも唯一の弱点が存在した。
 それがダンピールと呼ばれる人々だ。

 吸血鬼が人間の女性に生ませた子供は、その中に眠る吸血鬼の血が覚醒したとき、初めてダンピールとなる。
 父から受け継いだ身体能力で、彼らは吸血鬼を次々と倒した。母とその世界を守るために父を殺す。
 こうして多くの吸血鬼が、ダンピールの活躍によって散っていった。
 彼らは父の世界の住人たちに、恐怖をもってその名を囁かれる存在だった。

 一方でダンピールはブラッディ・マスターになりうる資質をそなえた者でもあった。それゆえに相手に取り込まれてしまい、ミイラ取りがミイラになってしまうケースもしばしば見られたという。
 昨日までの頼もしき隣人は、その瞬間最大の敵となって人間たちに牙をむける。

 また皮肉なことにダンピールが父から受け継いだものは、吸血鬼としての本能だった。いつもは人間同様の生活をしていながら、ときとして吸血鬼に変貌する。

 それゆえに彼らは、母のいる人間界からも忌み嫌われた。

 昼の世界にも夜の世界にも属していながら、どちらの世界からも受けいれられない孤独な存在。それがダンピールだ。

 吸血鬼の父と人間の母を持つ子供たち。彼らにある唯一の救いと願いは、血の覚醒が訪れないことだった。両者の間で生まれた子供すべてがダンピールになるわけではない。十八歳の誕生日までに覚醒しなかった場合は、普通の人間として一生を終える。


   *   *   *


 ダンピールの持つ能力について、神父は聖夜に語った。その内容が、自暴自棄になりつつあった聖夜にわずかな希望を見せたらしく、目に光が戻っている。
「だからドルーは、幼いおまえを殺そうとした。自分の存在を脅かす可能性のあるものは、すべて抹殺する。それがあいつのやり方だ」

「じゃあなぜ今になって、仲間にしようっていうの? 父親らしい気持ちが芽生えたとでもいうの?」
「それはわからない。だが少なくとも父性愛ではないだろう」
 月島は言葉を切り、聖夜をじっと見た。そして再び口を開く。

「あくまでもわたしの想像だが、ドルーはおまえの父親ではない」

「まさか。母さんも認めてるんだよ」
「あのときの流香は、ドルーのスレーブだった。その意味はわかるな」
 言葉をなくす聖夜に、月島が説明を続ける。

「流香がわたしに語ったヴァンパイアとドルーは、あまりにもちがう。あいつが人の血を吸うこと、そして相手を死に追いやることを後悔すると思うか?」
 ドルーに人間を尊厳あるものと見る感覚はない。血を吸った相手を惨殺する。後悔など決してしない。

「つまり、ぼくの父は別の吸血鬼だってこと?」
「そうだ」
「確かめる方法はあるんだろうか」
「それに答えられるのは、流香だけだ。ただしスレーブから解放されたときのみだが」
 今のままでは流香は永久にドルーのスレーブだ。自分の意志で死すら選べない。なんとか呪縛から救いだす方法はないのかと、月島はずっと考えている。

「神父さま、ダンピールは吸血鬼を倒す能力を持っているんですよね」
「そうですが……」
「だったらぼくは、やりたいことがあるんです」

 聖夜の目に力強い光が灯された。それが月島を不安にする。
「まさか。いや、だめだ。そんなことはさせない」
 聖夜の決意を月島が止める。あまりにも危険すぎる。
 だが聖夜はゆっくりと頭をふった。

「母さんはドルーのスレーブになりたくなかったんだよ。でもぼくのためにそうした。だったら今度はぼくが助ける番だよ。今ならできるかもしれない。ぼくのために命を捨てようとした母さんのために」
「だめだ。失敗すればおまえ自身どうなるかわからないんだ」

 ドルーのもとに赴いて、無事に帰れる可能性はないに等しい。
 いくらダンピールの能力があっても、それがどの程度のものかわからない状態で、どうやって力を使いこなすといのうか。

 ここで聖夜を行かせれば、もう二度と会えない。そんな予感が胸を押しつぶす。
 無駄だと解っていても、月島は聖夜を止めずにはいられなかった。
「心配しないで。今夜は無事に帰ってくるよ」
「だめだ。行くんじゃない、聖夜!」

 扉を開けて出ていこうとする背中に向かって、月島が叫んだ。
 声に立ち止まり、聖夜がふりかえる。ひとつに束ねた栗色の髪が優雅に揺れた。
「夜明けまでには戻るよ。絶対に」

 聖夜は月島を見つめた。慈悲深い笑みが、母親の表情を見せた流香と重なる。
 降り続ける雪が風に乗って礼拝堂にも舞い込んだ。
「じゃあ、またあとで……ね」
 それだけ言い残すと、降りしきる雪の中、聖夜は消えた。

 息子の決意に、父はかける言葉をなくす。見送ることしかできなかったふがいなさに力なくひざまずく。
「お気持ちは解ります。だが聖夜くんは自分で選んだのですよ。だまって見送るのも、親のつとめじゃないでしょうか」
 うなだれる月島の肩に手をおき、神父が静かな口調で話しかけた。

「ここは寒い。奥の自宅で少し温まっていきませんか? それに聞いていただきたい話もありますから」
「わたしに?」
「ええ。聖夜くんのことで」

 月島は神父に案内されて、礼拝堂から自宅に移動した。
「どうぞ。心も身体も落ち着きますよ」
 暖炉で温められた小さな部屋で、月島は神父にココアを勧められた。
 降り続く雪はしばらくやみそうにない。無言でそれを見つめたあとで、月島はココアを一口飲んだ。身体中に優しい温もりと甘さが広がり、心にある氷の塊を溶かしていく。

「十七年前の件以来、わたしなりに吸血鬼について調べました。ここにあるのは、そのすべてです」
 壁一面を占める書棚には、書籍を初めとする資料の類いがぎっしり詰まっている。
 書店で簡単に手に入るものから、国内では入手の難しい洋書。時代をかなりさかのぼった古書もあれば、コピーや印刷したと思われるファイルなどもある。

「これだけのものを、おひとりで集められたのですか?」
「相手が吸血鬼ですからね。があるのですよ」
 神父は古びた記録書を取り出した。

「先日届いたばかりのものです。月島さんに見ていただきたいのは——ここです」
 月島は神父が開いたページに視線をやった。だが語学には堪能でない。書かれている詳しい内容までは解らなかった。

「これは実在した、コナーというダンピールの記録です」
 時代のはっきりしない資料だった。どこまで信憑性があるか定かではない。それでも月島は、ダンピールという言葉が出てきたことで、神父の話に興味が出てきた。
 カップをテーブルにおき、ふたたび視線を外に向ける。窓の向こうでは、白い雪が少しずつ街を覆い始めていた。


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