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試練前夜

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この世界ではどの国にも人の居住を禁じ、立ち入りも厳しく制限する地域というのが幾つかある。
貴重な資源の入手先として国が管理する場所や、足を踏み入れるだけで命が脅かされる危険な場所など、立ち入り制限となる地域には様々な理由があるのだが、チャスリウスにおける青風洞穴などは後者に分類される。

過去幾度か行われた洞窟内調査で、多くの未帰還者が出たということもあり、王家直轄領とすることで簡単に人が近づけないようにしてはいるのだが、貴重な天然資源が多く眠るその場所に忍び込む人間は後を絶たない。
危険な魔物と遭遇せず、入り組んだ洞窟内を迷わずに進み、見事目当てのものを持ちかえることのできたという人間は驚くほど少ない。

幸運にも帰還できた人間の語る内容は、どれも恐怖に彩られたものばかりで、それが噂となって民間にも広まっていき、青風洞穴はもう随分長いこと子供の言い聞かせに使われるほどに恐怖の代名詞として定着していた。

それほどに危険で人のいない場所だからこそ試練の場所として選ばれたわけだが、そこへと向かう道もしっかりと街道が整備されているわけではない。
いくつかの貴族の領地を通過し、山と呼んで差し支えない大きさの丘を越えて、道なき道を進んでようやく辿り着くという、半ば秘境と呼んでもおかしくないような場所を目指し、俺達は馬を進めていた。

試しの儀に自国民の助けは許されないとはいえ、王族であるダルカンをいきなり馬に乗せて城から放り出すなどということはせず、目的地までは完全武装した騎馬と物資を満載した馬車が随伴するちょっとした集団での移動となる。
晴天の中進む俺達だが、全体に漂う空気は清々しさとは程遠く、いっそ刺々しいほどの緊張感を伴った移動に、すれ違う人達からも自然と距離をとられてしまう。

この集団はダルカンの配下としてネイを筆頭に20人ほどの騎士と、世話役を兼ねた10人ほどの従卒で構成されており、そこに俺とパーラがダルカンの傍に就くという配置で進んでいく。
全員が馬に乗っており、移動の速度は先頭を行くネイに合わせたものになる。

今回はダルカンの世話と護衛のための集団が移動についてくるため、速度を合わせるためにバイクは使わず、俺とパーラも馬に乗っての旅になり、出発して早々にバイクの乗り心地を懐かしむ羽目になった。

さらに俺達の他に、少し離れた後方にはヘンドリクスとナスターシャが用意した護衛兼見届け役の騎士が40名ほど追従しており、それらを合わせると中々の数の武装集団が出来上がる。
これだけの数が集まっていればまず外部からの襲撃は心配いらないのだが、俺としてはヘンドリクスが手配したという騎士が刺客となるのを警戒してしまう。

大半の見立てでは試しの儀でダルカンは命を落とすと言われているが、万が一試練を達成することを考えて、道中あるいは帰還の途にでもダルカンを亡き者にしようと密命を受けている可能性を考えるのはおかしいことではない。
それを警戒する意味でも、俺とパーラはダルカンの傍にいるし、さらに俺達を囲むようにしてマティカを含めた近衛もいる。
外よりも内を警戒する必要があるというのは、中々に気が滅入るものだ。

そこはかとなく漂う緊張感のせいで、集団の中心で馬に乗るダルカンは少し不安げな顔をしており、これから臨む試しの儀への思いもあって、顔色も少し悪そうだ。
直前までは気丈に振る舞ってはいたが、こうして実際に青風洞穴へと向かう道の上になると、やはりプレッシャーと恐怖感に押しつぶされそうなのだろう。

「殿下、少し肩の力を抜かれてはどうですか。その調子では宿に着く頃には倒れてしまいますよ」

傍から見るとガチガチに体を強張らせ、手綱を握る手も固く閉じられている様子は、そのまま進んでいくと昼前には疲労で倒れる気がしてならない。

「う、うん。わかってるんだけど、やっぱり緊張しちゃって…」
「まだまだ目的地は先ですから、今から緊張しても仕方ありません。遠くの景色でも見て心を落ち着かせるといいですよ」

長い旅となるダルカンを案じ、そう声をかけるが体から力が抜けた気配はない。
あまり城から出たことがないとは聞いていたし、長い旅も今回が初めてのダルカンは体力の配分などを考えなくてはならないが、やはり色んな思いを胸にしたままで馬上にいてはそういった余裕も失われているのだろう。
とはいえ、流石チャスリウスの王族だけあって馬の扱いは危なげないもので、仮に体力が尽きたとしてもすぐに落馬という危険がないのは警護役の立場にある俺にはありがたい。

「…アンディは平気そうだね。青風洞穴が危険なところだっていうのは知ってるんでしょ?どうしてそんなに落ち着いてられるの?」
「俺とパーラは冒険者などやっているものですから、危険な場所に行くのは慣れたものです。勿論、死ぬ気はありませんが覚悟はしてきていますので、落ち着いて見えているのでしょう。…内緒ですけど、本当は心臓がバクバクいってるんです」

ややおどけて胸の前で心臓が飛び出るような仕草をすると、それを見てダルカンが少しだけ笑みを見せた。
その顔を見た感じでは、少しは緊張を和らげることができたようだ。





馬だけの移動であれば青風洞穴まで3日ほどでいけるのだが、馬車を引き連れての旅となればかかる時間はかなり増える。
一応予定としては青風洞穴までは6日ほどで到着するのだが、道中になにかがあればもう少しかかるだろう。

初めての長旅となるダルカンがいることもあり、この日は夕暮れを待たずに近くの街へと入った。
武装した騎士を大勢引き連れて街へと入ると、かなりの高位貴族が現れたと言う感じで人垣が道をつくっていく。
一応この街を治める代官には事前に話は通しているが、それでも様式というのは必要なもので、まずダルカンが先頭を歩き、それに俺達が続いて代官の屋敷を目指すという形になる。

アルビノ種独特な神秘的な見た目のダルカンが先頭をいくと、その姿に見とれる人間が続出し、少ないながら知られている情報から、ダルカンがチャスリウスの第三王子だということが伝播していき、次第に歓呼の声が湧き上がっていった。

代官への挨拶を済ませ、館の一角を借り受けた俺達は、明日の旅の準備をしていた。
ダルカンとネイは代官との食事へ行ったため、準備の責任者はマティカとなっている。

「食料はまだいいだろう。水は思ったより減りは早いが、まぁこれも問題ない。アンディとパーラ、君達冒険者から見て不足しているものはないか?」
「そうですねぇ……特にはないかと」
「同感。…ていうか、まだ一日目だしね。そうすぐに足りなくなるものはないよ」
「そうなんだがな、ダルカン様は初めての長旅になる。備えは万全にしておきたいのだよ」

マティカに相談を受ける形で物資の消費量に関しての話をしているのだが、確かにマティカの言うとおり、ダルカンのことを考えれば不測の事態というのは避けるべきだ。
なにせダルカンは青風洞穴についたらそれで終わりというわけではない。
洞窟の奥深くへと踏み入って行く必要があるのだから、肉体的な疲労はもちろん、精神的に余裕がある状態を維持できる旅にしたい。

そんな風に考えているマティカは、こうして俺達にまで意見を求めて動いているそうで、チャラそうな見た目の割になかなかマメな性格だ。
いい意味で大雑把なネイが上にいる分だけ、こうしてマティカが細かいところをカバーしているようだ。

ちなみにこのような大きい街で宿泊できるのはここを除くとあとは一つだけで、その後はいくつかある小さい村で宿を借りると、それ以降は野宿での旅となる。
最後に立ち寄る予定の村には先発して物資が送られているので、それらを回収してから青風洞穴を目指す。

ぶっちゃけ、どうせあとで物資の受領があるのだし今から気にすることはないのだが、これはマティカの性格に関わるものなので、本人が安心するなら好きにさせておけとネイが言っていた。
そんなわけで、マティカから持ちかけられた相談はダルカン達が食事会から戻ってくるまで続き、ネイによるもう夜が遅いという一声でこの日を終えた。








首都を発って七日目の昼、俺達はついに青風洞穴を目の前にする場所まで来ていた。
ヘンドリクスの息が掛かった人間による妨害もなく、途中一度だけ熊型の魔物に襲われた以外は大したトラブルもなかったのは幸いだろう。

青風洞穴のあるこの地域は立ち入りを制限しているため、一応人が近付かないように監視所があるのだが、それ以外はだだっ広い荒野が広がっているだけだ。
地面に半分埋まる形で口を開けるそこは地下へと延びるタイプの洞窟で、試しの儀ではこの穴を降りていくことになる。

「総員停止!ここを野営地とする!」

ネイの上げる声で俺達は一斉に馬から降り、洞窟の入り口から少し離れた場所にテントを立て始めた。
土魔術での家作りではなく、普通にテントを張っているわけだが、土魔術での家作りをしないのにはちゃんと理由がある。

ここまでの道中、野営をすることが何度かあったわけだが、その際に見届け役として同行している騎士の何人かから探るような視線を向けられることが何度かあった。
ダルカンと共に試練に臨む俺とパーラを見定めるという思惑があってのことだろうが、ここでこの世界の常識とは違う魔術の運用を見せては、こちらを危険視して排除しようとする動きが出かねない。

そこでパーラとも話して、洞窟に入るまではあまり派手な魔術は使わず、こちらの実力をあえて低く読み誤らせようということになった。
飛空艇や土魔術の家という快適な住環境に慣れた身にテント暮らしは物足りなさを覚えるものだったが、必要なことだとして受け入れていた。

着々と出来上がっていく野営地で、一際大きなテントがダルカンの寝泊まりするものだ。
流石王族だけあって、用意されているこのテントも魔道具を組み込んだ特別性で、ある程度の冷暖房を備えて内部の環境を快適に整えるというものに加え、片付けと展開が容易というキャンプマニア垂涎の一品となっていた。

残念ながらこれは洞窟に持ち込める大きさではないため、使えるのはここまでだ。
これ以降、洞窟内は普通のテントを使う手はずとなっているが、洞窟内で土魔術で干渉しやすい場所が見つかれば、そこを拠点とするのも悪くないと思っている。

テントを立て終わえたところで、ネイから声がかかる。

「アンディ君、少し早いが夕食の支度を頼む」
「わかりました。パーラ、俺は竈を組むから馬車から食材を運んできてくれ」
「了解。何取ってくればいい?」
「適当な根菜を2・3種類、サラダ用に葉物を適当に。あと一昨日倒した熊肉がそろそろ丁度いいはずだからそれも頼む」

テントに火が移らないようにひらけた場所でそこらに転がっている石を積み上げ、簡単な竈をいくつか作っていく。
ここでも土魔術は使わず、流石に水だけは横着してこっそり魔術で用意しているが、それ以外は全部手作業で行っている。
これはこれで純粋なキャンプっぽくて新鮮だ。

野営するようになってからは食事の用意は俺が一手に引き受けている。
本当は各自が自分で料理をするのだが、野営初日に俺が勝手に勘違いして全員分の料理を作ってしまい、せっかくだからとそれを振る舞ったところ、野営のレベルを超える味にハマってしまった全員から懇願される形で料理人としての役割も負うことになった。

自分以外にも振る舞うことで、うまい食事を摂ることに気兼ねがなくなったのと、ダルカンの食事に毒を盛られることを警戒しなくていいのが気持ちは楽になる。

食材自体はあまり凝ったものはないが、そこはアイディアと調味料でカバーだ。
体が資本である騎士達にはやはり肉を多く使った濃い目の味付けのものが好まれるが、ダルカンは比較的あっさりとしたもののほうがよく食べるため、料理は騎士や俺達が食べる濃いめのものと、ダルカン用のあっさりした味付けで分けて作るようにしている。

今日のメインディッシュとしてパーラに運んできてもらった熊の肉は、一昨日倒してからしっかり処理をして熟成させておいたものだ。
地球と違い、異世界の熊は肉の臭みが少ないので、料理しやすいのが実にありがたい。

塩と香辛料を塗り込んで臭みを取った熊肉は、茹でたあとに表面を炙ってたたき風にして、自家製味噌をベースにした味噌ダレで和えた。
これを食べる時に葉物で包んで食べると、冷しゃぶサラダのようになって食が進むことだろう。

サラダの方は千切りにした根菜を油で炒め、この国独自で栽培されている茗荷っぽい香味野菜と合わせてオリーブオイルと塩で味付けしたものを用意する。
余談だが、この国では茗荷っぽい野菜を食べ過ぎると物忘れがし易いという言い伝えが古くからあるそうで、もしかしたらこっちの世界に現れた日本人が残したものということも考えられて面白い。

これらの他に野菜クズを出汁にしたスープと、小麦粉を水で練って薄く焼いたパン代わりのものも添えて、今夜の食事となる。
結構な人数がいるこの集団は食事も交代でとなっているが、それでも一回の提供する量はかなりのものとなるため、従卒たちの手を借りながらの荒野のキッチンは慌ただしいままに動き続け、俺が食事を摂ることができたのはすっかり日が暮れてからとなった。

チャスリウスは流石に高山地帯だけあって、夏とは思えないほどに夜の冷え込みは厳しく、焚き火に使える薪も十分ではないため、調理に使った残り火はそのまま明かりと暖を取るのに使う。
他の人達は少ない燃料で最低限の暖を取るだけだが、この残り火は料理をした俺だけの特権だ。

焚き火の明かりで手元を照らしながら一人黙々と食事をしていると、こちらへと近づいてくる人影に気づく。
見回りの人間かと思ったが、明らかにこちらを目指しているその足取りから、俺に用事があると察した。

「よう、随分遅い食事だな」

目の前に立ってこちらへ声をかけてきたのは、初めて見る顔だった。
もちろん同行している人間全員の顔を覚えているわけではないが、それでも接点のある人間は記憶にあるので、それすらも覚えがないとなれば、ヘンドリクスかナスターシャの息がかかった人間だということになる。
その人物は目深に被った防寒用の頭巾のせいで顔はあまり見えないが、かけられた声でかろうじて男だということはわかった。

「ええ、まぁ。ここにいる全員分の食事を用意してからようやく俺は自分の分にかかれますから、このぐらいの時間になってしまうんですよ」
「すまんな、お前さんの作る食事があまりにうまくて飯作りを押し付けた形になってしまって。…ここ座るぞ」

俺と差し向かう形で地面に腰を下ろした男は、こちらを見るだけで口を開く気配がない。
一体何の用があってここに着たのだろうか。
飯を食ってるところをただ見られるというのはなんだか落ち着かないので、俺の方から用向きを尋ねてみた。

「…あの、俺に何か用でしょうか?」
「ん?あぁ、用といえばそうなんだが。…先に明かしとくが俺はナスターシャ殿下の配下だ。あまり警戒しないでほしい。ここに来たのはお前さんという人間と直に話してみようと思ってな」
「はあ、そうですか…」

確実にいるとは思っていても、こうして直接ナスターシャの手の者ですと告げられると反応に困る。
一応明確に敵対はしていないとは言え、試しの儀が明日に控えている今、あまり他の陣営の人間と会うのはいかがなものか。

さらに言えば、目の前の男が本当にナスターシャ側の人間だと俺にはわからないのが問題だ。
ヘンドリクス側の人間がダルカン側の人間である俺に何かを仕掛けるためにナスターシャ側だと騙っている可能性もある。
しかしその心配も、男が懐から出したものによって払拭された。

「ナスターシャ殿下から手紙を預かってる。青風洞穴の前で野営を行うはずだから、その時に渡すようにとのことだ。こっちがお前さんに、こっちはダルカン殿下にだ」

差し出された二通の手紙は、それぞれが封蝋で閉じられており、表に書かれた名前が俺とダルカンへと当てられたものだと示していた。
断りを入れて俺に宛てられた手紙をこの場で開ける。

中身はナスターシャからの労いの言葉から始まり、ダルカンを頼むという内容が主だったが、後半の方に今回の試練に同行しているナスターシャ陣営の人間の名前が連ねられており、どうやらこれを読む俺にこのことをダルカンやネイに伝えるかどうかを委ねているようだ。

特段重要な情報というものではない手紙だが、恐らくこれは今目の前にいる男の身元を保証する意味でも持たせたものなのだろう。
あの茶会で俺がナスターシャという人間をある程度知ったように、ナスターシャもまた俺という人間を知ったことで、接触しようとする自分側の人間が疑われないようにとわざわざ正式な印を押した手紙を用意したあたり、ナスターシャの慎重な性格がわかる。

手紙を読み終わり、眼の前にいる男の名前を尋ねてみる。
男はワシューといい、この旅に同行しているナスターシャ側の人間をまとめる立場なのだそうだ。
手紙にもその名前が載っているのを確認できた。

ワシュー自身、ナスターシャからは手紙を手渡す役目を負っていただけなのだが、なんでも俺がここ数日提供した料理に感動して、この機会に礼を言っておきたかったという。

「俺は騎士団にいて長いから慣れてるが、部下の中には遠征の経験がない奴も多い。うまい飯が食えるだけでかなり気が楽になったみたいだ。おかげで士気が下がらなくて助かってる」

確かにうまい飯を食ってさえいれば士気は下がらないと地球の歴史は語っていたし、こんな辺境の地に行かされる騎士達にとって食事は唯一の楽しみと言えなくもない。
現場責任者の立場にあるワシューにとって、士気を保つというのは何よりも重大な仕事だ。

ただ単に戦闘を行うよりも味方の心を相手にするというのは面倒なもので、こうして俺に直接礼を言いたくなる程度にワシューも助かっているようではあった。
そのおかげというわけではないが、ワシューもその腹の内をある程度俺に明かしてきた。

ナスターシャによって派遣された彼らは、表向きのダルカンの護衛という役目の他に、いざという時は洞窟へと突入してダルカンを救助するという密命が与えられている。
当初、ダルカンの身を守るために青風洞穴にはワシュー達が密かに潜り込む手はずとなっていたのだが、先だっての茶会でナスターシャから俺達がダルカンの身を守るということを認めてもらえたおかげで、ワシュー達は有事に備えて洞窟付近で待機するという任務へと変わっているそうだ。

「ナスターシャ殿下からは、5日待ってダルカン殿下が戻らなければ洞窟へ突入して回収しろと言われている。つまり、お前さんらが洞窟に潜ってられるのは5日間だけだ。それを超えたら俺達はどんな手を使ってでもダルカン殿下を回収し、この地を離れる」

こちらに掌を向ける形で5という数字を強調しているワシュー。
実際のところ、洞窟に潜って目的の物を手に入れて帰るだけなら2日もかからない。

探索に不慣れなダルカンの存在を考慮してもせいぜい3日、長くとも4日で戻る計算だが、この5日というのは絶妙なもので、4日で戻らないということは不測の事態が起きた可能性が高く、最悪死んでいることも考えられる。
助け出すではなく回収という言葉を使うあたり、ワシューのドライな考え方が透けて見えた。

「なるほど、そう来ましたか。…一応聞きますけど洞窟に入ろうとすれば他の方達に止められませんか?」
「そうならないようにコッソリと忍び込むんだ。もし見つかっても強引に行かせてもらうさ。他の連中に止められは―…いや、ルネイ殿がいるか。まぁなんとかする」

不敵な笑みを浮かべていたワシューだったが、ネイの名前を出したその口は引き締まったものに変わった。
こうして対面しているだけでも、ワシューの纏う雰囲気は十分猛者と呼べるものを感じさせるのだが、そんな男がネイを警戒するような態度を見せる辺り、やはりネイの強さというのは相当なもののようだ。

それから少しだけ世間話をし、ワシューが立ち去ったのを見送ってから焚火を消し、俺もその場を後にした。
事前にナスターシャとは話をしていたとはいえ、こうして現場の人間と直接打合せが出来た意味は大きい。
むざむざ危険な目に合うつもりはないとはいえ、背後に敵を抱えたまま試練に臨むのも面白くない。
ネイ達以外に、少なくとも敵に回らないと仮定できる存在を改めて知ることができたのは随分と気持ちを楽にしてくれた。

調理器具の後片付けを済ませた俺は、ダルカンがいるテントへと向かう。
共に洞窟へと潜る護衛としての俺とパーラは、ダルカンと一緒のテントに泊まることになっている。
夕食を終えたダルカンがテントへ向かうのに同行したネイとパーラもそこにいるはずなので、先程のワシューとの話をするのにも丁度よかった。

テントの前には寝ずの番をする騎士が四名いて、暗闇から現れた俺に一瞬警戒の色を見せたが、すぐに正体を知るとその警戒も解き、俺をテントへと通してくれた。

入り口の布を一枚捲ると少し離れてまた布があり、都合二枚の布を捲って足を踏み入れた王族用の特製テントは、火を使わずに内部が暖かく、外との温度差につい体から力が抜けそうになる。

内部は相当に広く、テーブルと椅子のセットを中央に置かれて、壁際に荷物が入っている箱がいくつか積まれてもまだスペースが大分余っている。
ダルカン用と思われるベッドは衝立の向こうに置かれており、それ以外に俺とパーラが寝るのを入れても、あと5人は寝られるぐらいの広さがある。

足元もフカフカとした毛足のある絨毯が敷かれたこれは、もうテントではなくちょっとした家と呼んでもいいぐらいだ。
俺のように魔術で家を作るという発想がなかったこの世界では、恐らくこういうテントが最高級の旅の友なのかもしれない。

「あれ?アンディ、帰ってたんだ」

テントの中に見惚れている俺の横合いから、パーラが姿を見せた。
どうやら一枚の布で仕切りが作られているようで、その向こうでパーラが何やら作業をしていたようだ。

「ああ、たった今な。殿下はどこだ?」
「こっち。明日使う鎧を試着してたんだ」
「ふーん…ネイさんもそっちに?」
「一緒だよ。今は細かい調整をしてる。私は着替えを片付けるところ」

そう言って手に持っている服を持ち上げ、俺の前を横切ったパーラは部屋の隅に置かれた籠へと服を放り込んだ。

ここまでの旅の間、ダルカンは鎧を身に着けていなかった。
それは単に、鎧を身に着けたままでの乗馬に慣れていないダルカンが疲れないための措置だったが、いよいよ明日の試練に備えて鎧を引っ張り出してきて試着しているわけだ。

その鎧に関しては、城を出る前にネイから見せてもらってはいた。
アルビノのダルカンに合わせた白銀の全身鎧は鑑賞にも向いた見事な一品ではあった。

儀礼用ではなく、防御力と動きやすさが優先された実用的なものを用意したとは言っていたが、正直小柄なダルカンが身につけるには重さがありすぎた。
普段鎧を日常的に身に着ける騎士からすれば問題ないだろうが、使うのはあくまでもダルカンであり、向かう場所も洞窟という狭所であるため、あまり重いと動きが鈍って危ない。

それを俺の方から指摘し、体の重要な臓器を守る以外の部分はすべて外し、軽鎧程度の重さになるまで重量を削減した結果、細かいパーツの調整が必要になってしまった。
調整自体は移動をしながら、同行する騎士の中で手先の器用な人間が行うことになったが、出来上がったのがつい昨日のことなので、試着も今夜になってようやくという始末だ。

鎧に手を入れる進言をしたのは俺であるため、試着の具合がつい気になってしまい、布の向こうにいるネイへと声をかけてみる。

「ネイさん、アンディです。今戻りました。鎧の方はどんな感じですか?」
『あぁ、お帰り、アンディ君。大分いい具合だよ。ただ肩の方が少し引っかかる気がするそうだが、まぁあそれは手直しの範囲だ。大丈夫だろう』
「肩当のところは少し複雑な作りでしたからね。仕方ありませんよ。脛当てはどうなってますか?合わせ部分が相当繊細だったと思いますけど」
『こっちは少し大きくなってブカブカだが、詰め物で調整が効くから問題ない』

結構大胆に鎧のパーツを外した自覚があるため、多少の調整にズレが出ていることは想定済みだが、騎士の目から見て問題ないのならそうなのだろう。

その後試着を終えて姿を現したダルカンに、ナスターシャからの手紙を渡した。

「姉上から?何だろう」
「俺にも手紙がありましたが、そっちは激励の内容がほとんどでしたので、殿下にもそのような手紙だと思いますよ」
「本当に?…でもなんだかこの手紙分厚くない?姉上からの激励ってこんな厚くなるほどのもの?」
「……それだけ殿下を思ってのことではないでしょうか」

確かにダルカンの手にある封筒は中々膨らみがある。
俺のは紙一枚で済んだのに対し、ダルカンには十枚は書いてあるあたり、やはり姉バカの気があるのは間違いない。

その分厚さに一瞬訝るダルカンだが、昔と変わっていないと知った姉からの手紙はやはり嬉しいもののようで、笑みを浮かべて封筒を開くその姿は、歳相応の子供らしいものだ。
ダルカンが手紙を読む間、ワシューからの話をネイとパーラに話すために少しテーブルから離れた場所へと移った。

まだネイはナスターシャを100%信じてはいないようで、ワシューの言葉も俺が言うから半分だけは信じるという感じだ。
それでも、何かあった時には手を組む相手を間違えないで済む材料にはするそうだ。

あくまでもナスターシャ側を味方として見ないネイに、そろそろナスターシャとの確執を解く切欠を与えたくなった。
いつ話そうかタイミングを計っていたが、どうせ俺達が洞窟に潜っている間のネイは待機しているだけなので、考える時間もあるだろう。

「ネイさん、実はナスターシャ殿下とのお茶会で話を聞いたんですが―」

全てを知ってネイがナスターシャと歩み寄ろうとするのならそれでいいし、頑なに拒絶するのならダルカンに事情を話してみるのもいい。
もしかしたら節介焼きだと俺を笑うだろうか?

なぁに、天は笑わんさ。
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