世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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潜伏生活

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 兵士が国を守る為に剣を振るうように、農民が作物を得るために鍬を振るう。
 二者は全くの別物であるようでその実、どちらも生きるためということで共通している。

 昔、『大地からの恵みを手にするためには、人間なぞほんの少し土を弄るしかできない』と農業を評した人間がいたが、これにはなるほどと頷かされたものだ。
 現代ほど化学肥料の発達や機械化が進んでも、作物の出来は土と天候次第という、根源の部分は大昔と変わりないのだから、農業の進歩はある意味、遅々としたものだと言えよう。

 しかしそれでも、人間が生み出した工夫は着実に積み重ねられ、質と量の向上という実を結ぶほどにまでなっているのは誰もが知っていることだろう。
 この世界でもそうした工夫は長年されているようで、いくつかの品種は試行錯誤の結果生み出された新しいものとして、一部地域で作られていたりする。

 野菜というのは作られる土地によってかなり特徴が出るものだ。
 土の硬さで根の張り方が変わったり、風の強さや日の当たり具合で茎の伸び具合も変わったりと、同じ作物でも土地土地によって成長の仕方は微妙に違いが出てくる。

 それは多くの場合、生育具合の悪化につながりやすいが、時として別種の進化を遂げることすらあるのだから、生命の神秘というのは侮りがたい。

 一方で、土地に合わない植物を、どうにかして根付かせるのもまた農業の醍醐味とも言える。
 寒い土地で南国の果物を育てたいという応えにビニールハウスが存在するように、余所の土では根付かない花を育てるためにプランターが存在するように、俺達農業従事者は答えを求めて日々戦い続けているとか、いないとか。

 だから、俺がこれからやろうとしている砂糖人参の栽培も、失敗を覚悟して、いつかくる成功のためにまず第一歩を踏み出すべく、今日も鍬を振り下ろす。

 振り下ろす、ただそれだけのことなのに、疲れと共に充実感を覚えるのは、ここの所あった色々で精神的に参っているからだろうか。
 自分としては深刻だとは思っていなかったが、土を弄っているとあっという間に一日が終わるあたり、かなりのものではないかと薄々思い始めている。




 マルスベーラを離れて今日で12日目になる。
 あれから俺達は飛空艇を飛ばし、サニエリのことで追手を掛けられると予想して、ペルケティアを離れ…てはいなかった。

 普通に考えれば国外へ逃げるのが一番いいのだが、そこは逆に考えるんだ。
 あれだけひどい目に遭った人間が、まさかのうのうと国内に留まるだろうか、いやない。

 ソーマルガかチャスリウスぐらい離れていれば十分安全だが、今の俺は各国の偉い人に借りを作っている状態なので、なるべくなら干渉のないペルケティアにいたいのだ。
 それと、ペルケティアにいるうちにやっておきたいこともある。

 そう思って、一応マルスベーラから離れはするが、ペルケティア国内にとどまるという選択をした。
 まず潜伏先の候補としてディケットを考えた。
 あそこには知り合いがいるし、たまに手紙が来て近況は知っていて、顔を出したいという思いはある。

 ただ、問題はディケットがペルケティアでも上から数えられるほどに大きい街だということだ。
 それぐらいの規模の街ともなると、主都との情報のやり取りも密なものになるため、俺達がいるということが伝わると、追手を差し向けられるかもしれない。

 安全に滞在できる方法が見つかるまでは、しばらく避けた方がいいだろう。
 そこでディケットから程よく離れて人目も無く、暫く生活するのに困らないという条件で、アルメラ村という村がある地方へ潜伏することに決めた。

 アルメラ村は人口およそ600人ほどと、結構大きい部類に入る村で、ディケットとマルスベーラを含むかなり広い範囲に食料を供給する穀倉地帯として有名だ。

 そんな場所だが外からの人の出入りはあまり多くなく、年に何度か商人が買い付けに来るのを除いて、全体の雰囲気は長閑な農村とそう変りはない。

 外から移住してくる人間もほとんどおらず、いきなり俺達が村に住んでは色々と噂が立って面倒なので、村から離れた山に飛空艇を降ろして密かに暮らすことに決めた。
 人間、自給自足で生きていくのには限界があるので、近くに村や町などがあった方が買い物も出来て便利なのだ。

 そうして適当に飛空艇が隠せて、そこそこ広い場所を選んで腰を落ち着けてみたわけだが、そうした途端に暇を持て余した。
 信用していないわけではないが、ギルド側から自分達の活動場所が漏れることを考え、冒険者としての仕事もセーブすると決めたため、先日休養届も出している。

 時間が空いていることに加え、目の前には手付かずの土地があるとくれば、俺の中に宿る農家としての血が急に疼きだした。
 ここは畑とも言えないただ土だけの地面だが、それだけにやりがいはある。

 そんなわけで、畑を作って飛空艇に溜め込んでいた種を実験的に育ててみることにした。
 暇をつぶすという目的はあるが、それ以外にも溜め込んでいた作物の種をそろそろどうにかしなければという思いもあった。

 土魔術と鍬を使った手作業で畑を作り、砂糖人参といくつかの野菜の種を植え、後は成長を待つばかりという日々を送っている。
 今は新しく畝を作っているところで、夏も盛りを迎えた太陽の下、汗を流しながら土への感謝と共に鍬を振り下ろす。

 普段なら畝も土魔術で一気に作ってしまう所だが、今日は鍬を振るいたい気分だった。
 ひと振りごとに懐かしさに似た感情を覚えるが、頭に降り注ぐ日差しにそろそろ参ってきている。
 熱中症には気を付けているが、せめて麦わら帽子でも欲しいところだ。
 今度作ってみるか。

「精が出るねぇ、アンディ」

 鍬を振るのをやめ、汗をぬぐったタイミングで、飛空艇から出てきたパーラが声を掛けてきた。

「よう、パーラ。洗濯は終わったのか?」

「うん、干してきたところだよ。ついでに掃除も終わらせといた」

 俺が畑をやり出したこともあって、最近はパーラが家事をやってくれることが多くなった。
 今日も掃除洗濯を買って出て、しっかりとこなしてくれていた。

「そうか、ご苦労さん。これから出るのか?」

 腰に剣を差して噴射装置を身に着けているパーラの様子は、とても畑仕事を手伝いに来たようには見えない。
 噴射装置を使って行くところと言えば、狩りか村ぐらいだ。

「まぁね。ほら、昨日獲った鹿の肉と角を村まで持って行こうと思ってさ」

 そう言って後ろを向いて背嚢を見せつけ、そこから覗く鹿の角を軽く叩いて見せる。
 夜逃げでもするのかというぐらいの大きさの背嚢だが、中には肉も大量に入っているのでそれぐらいでないと持ち運べない。

 この辺りはめったに人が来ないせいか、ここに居着いてから野生動物や魔物がよくやってきていた。
 大抵の動物は人間の姿を見ると去っていくのだが、魔物と気性の荒い動物は積極的に襲い掛かってくるため、返り討ちにしているうちに肉や毛皮といったものが随分溜まってきている。

 自分達で消費する以外は、近くの村へ持って行って物々交換しており、その役目はもっぱら噴射装置の扱いが上手いパーラが請け負っていた。
 今日もこれから、鹿を持って行ってくれるらしい。

「前に角を欲しいって人いたから、いいものと交換してくれるかもしれないよ。アンディ、なんかいるものとかある?」

「そうだな…あ、藁とか欲しいな。量はそういらんから、一抱え分は貰えると有難い」

 食料も調味料もまだ余裕があるし、どうせなら麦わら帽子を作ってみようかと藁を欲してみる。
 麦の収穫はまだ先のことだが、農家は飼葉や肥料用などにと、去年分を多少はキープしているものだ。
 それを分けてもらえるのなら助かる。

「藁ね。わかった。探してみるよ」

 鹿肉や角が藁一抱え分と等価ではないから、それ以外で気になったものを手に入れるということにして、飛び立つパーラを見送った。

 よし、作業に戻るとしよう。
 農業用マルチシートが欲しいなどという無い物ねだりは考えてはいけない。
 今ただ、無心で土と向き合うのだ。





 SIDE:パーラ


 噴射装置で空を飛ぶのは好きだ。
 飛空艇もバイクも、どれも徒歩や馬などとは比べ物にならない速度を経験させてくれるが、やはり肌に風を受けて青空を行く爽快感は何物にも代えられない。

 アンディはいくつも私に新しい世界を見せてくれたけど、この噴射装置で見る世界はどんな宝石よりも綺麗で、どんな刃よりも恐ろしい。
 奇妙なことに相反しない二つの感情のままに身を躍らせる空は、きっと何よりも厳しく、どこまでも平等だ。

 要ーーするにだ。

 私は今、自由な風になっているッッ!

 風が語り掛けます、最高と。

 圧縮空気の補充で二度ほど地上に降りた以外は止まることなく飛び続け、昼の大分前にはアルメラ村近郊へ到着できた。
 いきなり村へは向かわず、街道に降り立つとそこから徒歩に切り替える。

 前にいきなり村長宅の真ん前に直接降りたら、村長の奥さんが驚いて腰を痛めさせてしまったことがあった。
 あの時は悪い事をしたと思ったし、アンディにもしっかり怒られたので、それからはこうして少し手前から歩いて近付くことにしている。

「お?パーラちゃん、また来たんだ。一昨日振りだな」

「ども、おはようございます」

 村を囲う柵に設けられた門を潜ると、門番役の若い男性に声を掛けられる。
 知り合いというほどではないが、前に来た時にも挨拶をした仲という程度だ。

「おう、おはようさん。今日は何をしに?」

「これだよ、これ。昨日鹿を獲ったから、余った分を持ってきたんだ」

 背嚢を軽く揺すって、その中から覗く鹿の角を目立つように見せる。

「へぇ、こりゃあ立派な角だ。かなりの大物のようだな」

「うん。だから肉も結構多くてさ。村長さんに引き取ってもらおうかと思って。通っていいよね?」

「ああ、勿論構わんさ」

 軽く挨拶と用向きの確認をされて村へと入る。
 アルメラ村は人の出入りに厳しくはないが、あからさまに怪しい人間は止められるそうで、こうして普通に村に入れてもらえた私は怪しくないと言っていい。

 今ぐらいだと村の人は畑仕事に勤しんでいるようで、通りを歩く私の視界には人の姿はほとんど見えない。
 そのまま歩き続け、村長の家の前までたどり着く。

「おはようございまーす。村長さんいますかー」

「はいはい。どちら様?あら!パーラちゃん!よく来たわね」

 扉を軽く叩き、中に呼びかけるとすぐに人の気配が近付いてきた。
 そして扉を開いて姿を見せたのは、村長の奥さんのナイーダだ。
 歳は50代半ばといったところで、重ねた年月が相応に顔の皺となって現れているが、ふくよかな体型と相まって笑い顔には若々しい愛嬌がある。

「どうも、ナイーダさん。また来ちゃいました。村長さんはいる?」

「今頃ならうちの人はまだ畑だね。もう暫くしたら戻ってくると思うから、中でお待ちよ。さ、入って」

「んじゃ、お言葉に甘えて。お邪魔しまーす」

 ナイーダに誘われて室内のテーブルに着くと、私の目の前にカップを置いてから対面にナイーダが座る。
 意外なことに、カップの中身は麦茶だった。
 色といい匂いといい、普段から飲みなれてるあれだ。

「…あの、これって」

「あぁ、これね、こないだ行商の人から教えてもらった麦茶っていうのなんだけど、うちじゃ皆ハマっちゃってて。パーラちゃんもきっと気に入ると思うから飲んてみて」

「あ、はい。…いただきます」

 ニコニコとした顔で勧められ、気に入るも何も、普段から飲んでいますとは言えず、まぁ丁度喉も乾いていたし、有難くいただくことにした。

 一口飲んでみたが、少し濃い目ではあるものの、ちゃんとした麦茶だ。
 作る人によって濃さは違うとアンディは言うし、この家ではこれが普通なのだろう。

 この家は村長とナイーダ、息子夫婦の四人暮らしだが、これが四人を満足させる丁度いい濃さということか。

 行商人から教えられたというが、その行商人はヘスニルで麦茶の作り方を聞いたか、もしくは又聞きでここまで伝わったか。
 いずれにしろ、正しい麦茶が作れていることから、ちゃんとした伝わり方はしていると見ていい。

 元々作り方を隠していたわけでもなく、ヘスニルだと結構出してる店もあったし、ついにここまで広まったかという感じだ。
 大麦で作れるから、高級な茶葉と比べ、安くて手軽なのが売りの麦茶は庶民に受けはいい。
 こうして普通に出されたということは、他の家庭でも作られているのかもしれない。

「どう?おいしい?」

「まぁ…うん、ちょっと濃い目だけど、おいしい…かな」

「え、濃かった?うちじゃこれぐらいじゃなきゃダメって言うんだけど…。というかパーラちゃん、もしかして麦茶って飲んだことあった?」

「あ」

 つい零してしまった感想で私の麦茶遍歴がバレてしまった。
 まぁさっきは話の流れ的に黙っただけなので、別に隠すほどのことじゃないし、普段から飲んでいることを告げる。

 ついでに、麦茶を最初に作ったのもアンディだと教えておく。
 別に最初だからと偉ぶるつもりはないが、言わない理由もない。

「あらま、そうだったの?教えてくれた行商人からは、ヘスニルで流行ってるって聞いたんだけどね」

「それ、多分ハンバーグもおいしいって情報付きでしょ?」

「そうなの!それはもうおいしそうに語るもんだから、こっちまでお腹減っちゃったぐらいよ」

「ハンバーグも、最初に出したのはアンディなんだよ。店を開いてすぐにお客さんがいっぱい来てさ」

 そう昔のことでもないはずなのに、なんだか口にすると強い懐かしさを覚える。
 これは多分、今日までの体験に強烈なものが多すぎるせいだろう。

「へぇ、商人でもないのに店をね。冒険者ってのは腕っぷしがなんぼだって聞いてたけど、案外多才なもんなんだねぇ」

「いやいや、あれはアンディだからの話でしょ。普通の人間なら冒険者と商人どっちもなんて、よっぽどの才能がないと無理だと思うよ」

 これでも商人時代、色んな人間を見てきたが、アンディ程多方面への才能を見せる人間は見たことが無い。
 魔術師としても一級品、ずる賢く計算も早い、発明家でもあり、農業への造詣も深い。
 あとついでにずる賢い。

 伝承にある英雄なんかと比べたら華やかさはないが、それでも今日までやって来たことはとんでもないものばかりだ。

 それだけの結果を示してきたのは、やはりアンディが並ではないからだろう。
 もし同じことをやってみろと言われて、アンディと同じだけの功績を示せる人間がどれだけいるのか。
 私も最初の頃は、アンディの凄さに圧倒されることもあったが、今ではそういうものだと受け入れるようにしている。

「ふふふ、パーラちゃんってば、アンディ君のことがよっぽど好きなんだね」

「ぶひっ!?な、なんすか急に!」

 ニンマリという音が聞こえてきそうなくらいに粘度のある笑みを浮かべ、ナイーダがとんでもないことを言いだす。
 そりゃあ確かに私はアンディが好きだけど、どうして今の流れでそういう話になるのか。
 思わず変な具合に鼻が鳴ってしまったじゃないの。

「だって今の話をしてる時の顔ったら、誇らしいのは勿論だけど、恋する乙女ってのが思いっきり出てたもの」

「え、えぇ?そんなに顔に出てた?」

「出てた出てた。可愛かったわよぉ」

 自分では分からないが、どうやらよっぽどの表情を浮かべていたらしい。
 この気持ちは隠すものでもないけど、こうもあからさまに人に悟られるようでは妙に照れくさい。

「あ、あーそうだ!今日はこれ持ってきたんだけど!」

 からかう気満々という顔をしたナイーダから逃れるように、脇に降ろしていた背嚢を持ち上げ、その中身をテーブルに載せていく。
 これ以上この話を続けられると居心地が悪い。
 少々強引だが話を逸らすとともに、本来の目的も伝えておこう。

「おやおや、鹿肉かい?んまぁ立派な角だこと」

「肉の方はもう塩を擦り込んでおいたから、後はこのまま料理するも乾燥させて干し肉にするもご自由に。角の方は薬師の人が欲しがってたって聞いたからさ」

 肉の方はアンディがやってくれたので、しっかり処理されているはず。
 こと食材に関することでアンディが下手をこくことはまずない。

「そう言えばそんなことを聞いたね。んじゃ角は後で私が持って行くよ。肉の方はどうするの?」

「量が量だから、村長さんに一括で引き取ってもらうと助かるかな」

 体高3メートル弱の巨体を誇った大物の鹿だ。
 可食部位だけをとっても、かなりの量になる。
 今回持ち込んだ分は村長宅だけで消費するにも多すぎるから、後で村長が分配を決めるとかするんだろう。

「その辺はうちの人が帰ってきてからの話になるわね。一応、引き換えに欲しい物を先に聞いてもいい?」

「あ、うん。えーっと、まずは藁が欲しいんだけど、これはこう、一抱えもあればいいって」

 自分の体の前で腕で輪を作り、それで大体の量を伝える。

「藁ね。それぐらいなら納屋の方にあるから、後で持ってきてあげる。他には?」

「塩かな。この肉に結構使ったし、補充しておきたいんだ」

 ペルケティアも周りに海がない国だが、商人が売りに来る品に塩は当然のようにあるため、アルメラ村ぐらいの大きさにもなれば、村の中で流通する量もかなりのものになる。
 そこから私達の分を融通できる余裕ぐらいはあるはず。

「塩ってどれぐらい欲しいの?」

「そうだねぇ、この肉に使った分は欲しいから、これぐらいかな」

 そう言ってテーブルの上に革の小袋を置く。
 これは普段から塩を入れて持ち運ぶもので、大体300グラムほどは入る。
 袋いっぱいとは言わないが、せめてこの袋を半分は満たせる量は欲しい。

「うーん…まぁこれぐらいならいいか。わかった、これも後で用意しておくわね」

「ありがとう、ナイーダさん」

「それと他にはないの?塩だけでいいってのは貰いが少なすぎるわよ?」

「そうかな?じゃあさ、服とか貰えると嬉しいんだけど。具体的には―」




「おーい、戻ったぞー」

 そうしてナイーダと交換する品を色々と話し合っていると時間もあっという間に過ぎていき、畑から帰ってきた村長が家の中に入ってくる。
 日頃の農作業の賜か、がっしりとした体格が日に焼けた姿は健康的なものだ。

「あ、お帰りなさい。あなた、パーラちゃんが来てるわよ」

「帰ってくるときに門で聞いたよ。よく来たな、パーラさん」

「ども、お邪魔してます」

 私の方は丁度二杯目の麦茶に手を付けたところだ。
 ナイーダとは村長抜きに決められる取引は終えており、後は村長を待つのみとなっていたので丁度いい帰還だった。
 収穫である藁と塩はもう受け取っているし、服の方は後日改めて取りに来る。

「それで、鹿を狩って持ってきてくれたんだって?」

 顔と手についていた土汚れを落とした村長が対面に座り、麦茶を啜りながら用件を切り出す。

「角とそれなりの量の肉をね。内臓の方は処理が面倒だったから処分したんだ」

 解体した際、いくつか食べられる部分はその日の夕食になったが、それ以外の内臓は処理の仕方が分からなかったので土に埋めた。
 保存と扱いやすさから、肉と角以外はそうせざるを得なかった。

「枝肉で二つ、あばらのところもそれなりにあるのよ。ほら」

 そう言って少し離れたところに置いた肉を指差すナイーダ。
 その指先を村長の視線が辿る。

「ほう、結構な量だな。全部こっちで引き取ってもいいのか?」

「そのつもりで持ち込んだからね。とりあえず欲しいものは先にナイーダさんに伝えておいたから、村長さんにはそれを許可するかどうかを決めてほしいんだ」

「ふむ…ナイーダ、どうなんだ?」

「私は問題ない品と数だと思うわ」

「そうか。ならそのまま交換してしまっていいだろう」

 驚くことに、村長はナイーダに簡単な確認をするだけで許可を決めてしまった。

「え、そんな適当に許可出しちゃうの?」

「適当とはなんだ。俺はナイーダを信頼しているし、そのナイーダが問題ないと言うのなら構わん」

 それは村長としてどうなのかと思う反面、自分の妻へ対する信頼の厚さからだと思うと納得させられるものもある。

 なにせこのナイーダ、村長の妻になる前はマルスベーラにある大手の商会で一部門を仕切っていたという女傑で、私も行商人時代は女性の商人としてその名前は知っていたほどだ。
 まさか冒険者になってから出会うことになるとは、人との巡り合わせというのは本当に奇妙なものだ。

 そんなナイーダが決めたのだから、そのまま村長の決定として採用しても構わないというのだろう。

 私が要求したものは特に問題なく交換してくれることに決まり、とりあえず今日持って帰れるものをナイーダが用意してくれている間、村長と世間話に興じる。

「そういえば息子さんとお嫁さんは?一緒じゃないの?」

「ああ、あいつらは今新居の方を確認しに行ってる。あと少しで完成だからな。進捗を見ておきたいんだと」

 村長さん達と息子夫婦は今も同居しているが、いつまでも同じ屋根の下でというのは流石に暮らしにくい。
 別に仲が悪いとかじゃないが、夜の方なんかで気を遣うことが多いのだろう。

 そのため、今は少し離れた場所に新居を建てているところで、完成すればそちらに移る予定となっているそうだ。
 今頃は出来上がりつつある家を見て、未来のことなんかを語り合っているに違いない。
 愛の言葉なんかも交えて。

 くぅ~甘酸っぱい!

「あなた、ちょっといいかしら」

 そんなことを話していると、外にいたナイーダが玄関扉を開けて村長を呼んだ。
 どこか困ったような声色に感じられ、何か品物に問題が起きたのだろうかと密かに身構えてしまう。

「ん?どうした」

「お客さんが来たんだけど、なんだか急いでるみたいなの」

「客?誰だ?」

「村の人じゃないわ。他から来たみたいよ」

 村の外からの客と聞き、もしかしたらアンディかもと思ってしまう。
 何か緊急の用事が出来て、呼びに来たというのはあり得るし。

 いや、それだとナイーダが名前を言わないのはおかしいか。
 アンディは一度、村長達と顔を合わせているし、私がここに居ることも考えると名前を伏せるのはおかしい。
 まぁアンディは今、指名手配されている(と思われる)状態だから、その会った時も変装してたけど。

 だから恐らく、アンディ以外の外から来た何者かということになる。

「ふぅむ…パーラさん、悪いが客が来たようだし、ここに呼んでも構わないか?」

「あぁ、そういうことなら私が外に出るよ。持ってくものが用意出来たらすぐに帰るから」

 村長に用があるのなら私が同席する意味はないし、貰うものが用意出来たらどうせ戻るんだ。
 私が家を出るほうがいいだろう。

「そうか。すまんな、急で」

「いいよいいよ、気にしないで」

 残っていた麦茶を飲み干し、テーブルを離れて外へ出ると、そこには旅装を纏った男が二人立っていた。
 どうやら彼らが村長に用のある人間のようだ。

 見たところ、冒険者や傭兵と言った感じではなく、剣こそ帯びているが荒事に携わる人種ではなさそうだ。
 どこかの村人か旅行者といったところか。

 入れ違いで村長宅に入っていく彼らを見送り、離れた場所にいたナイーダに声を掛ける。
 既に交換する品は用意し終えたようで、藁と布を数種類がひとまとめとなって台の上に置かれていた。
 とりあえず今日貰う分だけを用意してもらったので、後日また残りを受け取りに戻ることになる。

 それをナイーダの手を借りて背嚢にしまいこみ、出発の準備ができた。
 こうして立っていると、大分背後に重心を取られているのが分かり、飛行に支障がでるのは明らかだが、まぁこれぐらいならなんとかしてみせよう。

 試しに一度、その場で噴射装置を吹かして浮かび上がってみると、確かに一瞬ふらつきはあったがすぐに持ち直せたので、このまま飛んでいけそうな気がしている。

「前も見たけど、不思議なものねぇ。空を飛べるのは鳥か虫みたいな羽があるのだけだと思ってたのに」

 噴射を止めて地面に降りた私に、ナイーダの感心した声が掛けられる。
 ナイーダは一度、空から降ってきた私に驚いて腰を抜かし過ぎて痛めたこともあったが、こうして空を飛んでいる私を見て羨まし気に見てくる程度には、空への憧れというのを持ち合わせているらしい。

「まぁ気持ちは分かるけど、これって下に勢いよく空気を吹き出してその勢いに乗ってるだけだから、飛んでるっていうよりも長い跳躍をしてるってのが正しいんだけどね」

 私もナイーダの考えには同意するが、人間は鳥にも虫にもなれないのだ。
 虫以下の人間は見たことはあるが。

 跳躍装置はほんのちょっぴり、人を空へ押し上げているだけの道具に過ぎない、とアンディは言っていた。
 だがそれがいい。
 私にはこの手軽さと扱いやすさが性に合っている。
 こういうのでいいんだよ、こういうので。

「じゃあそろそろ行くね。早ければ明後日辺りにまた来ると思うから、残りはその時に」

「ええ、用意しておくわ。パーラちゃん、気を付けてお帰りね」

「うん」

 噴射装置も吸気を終え、後は飛び立つだけとなる。
 ナイーダに手を振ると、私は真下へ向けて圧縮空気を吹き出しながら天へと上がっていく。
 あらら、重さも増したせいで勢いが大分ゆっくりだ。
 こりゃあ途中の吸気作業も行きより回数が増えそうな予感。

「おーいおい!待った待った!パーラさん待ってくれ!」

 空気の噴出量を増やそうとレバーをより強く握りこもうとしたその時、村長宅の扉が勢いよく開かれ、そこから飛び出してきた村長に呼び止められた。

「え?うゎっとぉアイヤー!?」

 声の方向へ振りむこうとし、不覚にも姿勢を崩して背中から落ちてしまった。
 ついいつもの癖で重心を考えていたせいで、背嚢の重さに振り回されてしまったようだ。

「パーラさん!大丈夫か!?」

「っかぁー…大丈夫、背嚢が上手く受け止めてくれたから」

 さほどの高さではなかったのと、背嚢に藁や布が詰まっていたおかげで怪我はないが、恥ずかしいところを見られた。

「それより、どうしたの?急に呼び止めたりして」

 そのせいでこうなったという思いも幾らか込めて、村長があの慌てた様子で呼び止めた理由を尋ねる。
 なんとなくいい話じゃないのは、険しい顔をしていることから感じ取れるが。

「あ、ああ、すまんな。帰ろうとしてたところを。実はさっき来た奴らから少しまずい話を聞いてな。魔術師で冒険者のパーラさんに頼みたいことが出来ちまった」

「そう言うってことは、穏やかな話じゃないってことだよね」

「そうなる」

「…はぁ~、わかった。まずは聞くだけだからね。どうするかはそれから決める」

 魔術師と冒険者を頭に付けている時点で、荒事が待ってますと言われたようなものだ。
 今日までの関係を考えると、無視するのはかわいそうだし、なにより、縋るような目をされると無下には出来ないのがこの私である。
 とりあえず話だけは聞いてみて、内容次第でどうするかを考えた上で、場合によっては一度持ち帰ってアンディとも相談したい。

「おう、それで構わん。恩に着る」

「まだ着ないでよ。引き受けるとは言ってないんだから」

 気が早いものでもう恩に着ようとする村長にそう言い、家の中へと入っていく。
 中では先程の客がテーブルに座っており、こちらを訝しそうに眺めていた。
 こいつらが面倒事を持ち込んだのかと、少しよくない目を向けてしまうがそれぐらいは許してほしい。

 さて、どんな面倒事なのか、まずは聞き出すとしようか。
 願わくばすぐに終わる程度のものであってほしいが…。
 まぁそれなら私を呼び止めることはないか。


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「働きもせずぐうたら三昧なんてつまんないわ!」 お嬢様はご不満の様です。 海に面した豊かな国。その港から船で一泊二日の距離にある少々大きな離島を領地に持つとある伯爵家。 名前こそ辺境伯だが、両親も現当主の祖父母夫妻も王都から戻って来ない。 使用人と領民しか居ない田舎の島ですくすく育った精霊姫に、『玉の輿』と羨まれる様な縁談が持ち込まれるが……。 王道中の王道の俺様王子様と地元民のイケメンと。そして隠された王子と。 乙女ゲームのヒロインとして生まれながら、その役を拒否するお嬢様が選ぶのは果たして誰だ? ※5/4完結しました。 新作 【あやかしたちのとまり木の日常】 連載開始しました

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