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7 ユリウス視点
しおりを挟む「本当か、信じていいのだな。それを」
アウルティスは、弱っているはずなのに、
芯を持った揺らがない声でそう言った。
白金の瞳が、こちらをまっすぐに射抜いてくる。
――信じる、か。
俺は短く息を吐いた。
「当然だ。俺が言ったことはすべて実現させる」
その言葉は、自分でも驚くほど迷いがなかった。
学院への入学、身分の偽装、滞在の名目――どれも容易ではない。
だが無理だとは思わなかった。
理由は単純だ。
この存在を、笑顔にしたかったからだ。
出会って間もないのに、なぜこんな感情が湧くのか、自分でも判断がつかなかった。
まったく、俺はいつからこんなに惚れやすくなったのかと自嘲する。
先程の会話が、ふと脳裏に甦った。
〈神が教えた〉
〈塔の外を知らない〉
〈書物と声だけが与えられた〉
ユリウスは目を伏せた。
神など存在しない。あれは人間が都合よく作り上げた寓話だ。
それを“神”と信じ込まされるほどの隔離――いや、教育と称した拘束。
あの一本の説明だけで、どれほど深く閉じ込められていたのかが分かる。
思えば、外の世界を初めて見ても怯えもせず、ただ静かに受け入れていた姿が異様だった。
わからないのだろう。
世界を。人間を。自分自身すら。
ならば、とユリウスは無意識に拳を握った。
この存在を守れるのは、自分しかいない。
教え込まれた虚構ではなく、現実を与えられる者もまた、他にいない。
その確信だけが、胸の奥で静かに燃える。
その間アウルティスはしばらく静かに俺を見つめ、
やがて、息がほどけるように言った。
「……ならば、そなたに任せよう。導くと言ったのだからな」
その声音には僅かな信頼が滲んでいて、胸が熱くなるのを抑えられなかった。
俺は立ち上がる。
「まずは休め。弱っている時は角と尾が隠れないと言っていたな。侍従には近づかせない」
「……助かる」
言葉は短いが、真正面からの礼だった。
寝台に体を沈めるアウルティスに毛布を掛け直し、俺は部屋を出た。
⸻
【一階の執務室】
扉を閉めると同時に、屋敷の空気がいつもの静けさを取り戻す。
伯爵家とはいえ、兵と侍従は数が限られている。
それが今はありがたかった。
余計な目を避けられる。
書類棚から白紙の羊皮紙と印章箱を取り出す。
学院――リヒトタール王立学院への入学申請は、本来自筆の身分証明が必要だ。
だが、伯爵家の後見があれば“保護者扱い”で提出できる。
問題は名前だ。
アウルティス。
神話の語のようで、この国ではほとんど耳にしない。
偽名に変えるべきかとも思ったが、紙を前にすると手が止まった。
――あれは、偽名で呼ぶべきではない。
書き慣れた筆記具を握りながら、己の思考に苦笑する。
感情的だと分かっていても、譲れなかった。
「……アウルティス・アーデルベルク。保護者名義、ユリウス・アーデルベルク」
これでいい。
学院側には「遠縁の保護対象」とでも伝えれば良い。
⸻
アウルティスの部屋へ戻る途中、
侍従とすれ違い、軽く声をかけられる。
「ユリウス様、お食事をお持ちしましょうか?」
「いや、俺が運ぶ。手を貸さずとも良い」
侍従は深く頭を下げ、退いた。
厨房で温かいスープと柔らかな白パンを盆にのせ、自室へ向かう。
本当はもっと色々食べさせてやりたいが腹を壊してしまったら意味がない。
まずは体調を戻させるべきだ。
扉を静かに開けると、アウルティスはゆっくりと身を起こしていた。
まだ身体は重そうだが、瞳はさきほどより澄んでいる。
「そなた……戻ったか」
「少し学院の手続きに目処をつけただけだ。まずは食べろ」
盆を小卓に置き、スープを彼の前に差し出す。
アウルティスは器を見つめ、僅かに首を傾けた。
「……これが、人の食か」
「口に合うかは分からんが、身体には良い」
躊躇うような間ののち、アウルティスはゆっくりスプーンを口へ運んだ。
その仕草は妙に品があり、指の長さや手首の角度まで意識せずとも美しかった。
「……悪くない。温かいものは……初めてだ」
その言葉に胸が強く締めつけられる。
二百年、塔に閉じ込められていたと言った。
温かい食事ですら、その間与えられなかったのか。
アウルティスがスープの湯気に細い指をかざす。
そして、ぽつりと言った。
「、、、ユリウス、、私を本当に学院とやらに連れて行ってくれるのか?」
なぜそんな顔で聞くのか。
頼ることに慣れていない者の、ぎこちない必死さを感じて胸が締め付けられた。
「、、、ああ。必ず連れていく」
アウルティスは横顔だけこちらへ向けた。
口元がわずかに動いたが、それが微笑なのかどうかは判別できなかった。
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