The City Without Wind

海谷ノ

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Episode3-1:The Water That Remembers

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Episode 3 — Prologue
「逆流する静けさ」

熾天歯車《Ignis Gear》を鞄にしまったあとも、
イオリの胸の奥では、まだ小さな熱が脈を打っていた。
それは火の記憶の名残であり、
世界のどこかが確かに“動き始めた”印でもあった。

地下鉄道跡を出ると、街の空気はいつもより重かった。
風は吹かない。
けれど、街全体がどこかざわついている。

イオリは足を止めた。
理由はわからない。
ただ、“音の流れ”が変わった気がした。

——シン……。

聞こえるはずのない、
水面に小石を落としたときのような微かな波紋の音。

だがこの街に、水が自由に流れる場所などほとんどない。

イオリは胸元に手を当てる。
そこには、火の鼓動があるはずだった。

しかしその瞬間、
火の鼓動がふっと弱まり、代わりに別の感覚が入り込んできた。

静けさが、逆流してくる。

風が吹かない世界で、
水だけが、音もなく逆らうように動き始めていた。

イオリは小さく息を呑んだ。

「……次は、“水”か。」

沈黙の中で、遠くの地層が軋むような音が響いた。
街の底で、何かが目を覚ましたのだ。

イオリは鞄の重みを確かめ、歩き出した。

新しい章が、静かに始まろうとしていた。



Episode 3 — Scene 1
「逆流地点」
街の中央区画へ向かうほど、
空気はいつも以上に重く沈んでいった。

無風の世界は本来、何も動かない。
蒸気すら、一定の方向へ流れ続けるだけだ。
けれど──今日は違った。

イオリは歩きながら、足元の違和感に気づいた。

石畳の隙間から滲み出した水が、
まるで細い糸のようにのび、
ゆっくりと 街の中心ではなく、来た道のほうへ“戻って”いく。

「……逆流してる?」

触れれば冷たそうな水だった。
だが、水の流れには“力”があった。
蒸気や機械仕掛けの影響では説明できない動き。

もっと強い何かに引き寄せられている。

イオリは膝を折り、水面へ指を伸ばす。

——シン……

波紋が逆方向に広がった。
中央から外へではなく、外から“中心”へ向かって揺れる。

「……これは、水の記憶か?」

祖父のノートにあった言葉がよぎる。

水は、風が消えたとき最初に“過去”を探す。

風がない。
だから水は、過去へ戻る。

イオリは立ち上がり、逆流する水の糸をたどって歩き出した。
街の奥へ、奥へと誘われていく。

途中で見かけた排水路でも、
貯水タンクでも、
動きは同じだった。

すべての水が、ひとつの場所を目指している。

やがて、街の境界近くにある古い下水処理施設の前にたどり着く。
止まった鉄扉は錆びつき、
蒸気の配管がところどころで軋んでいる。

だが水だけが、その奥へ奥へと吸い込まれていた。

イオリの胸の中で、
火のアーティファクト──熾天歯車《Ignis Gear》が弱く脈動した。

まるで警告するように。

「……ここに、“水”がいるのか。」

イオリは扉に手をかけた。

鉄が、静かに音を立てて動いた。

**🔹 Lacrima Coil(ラクリマ・コイル)
—— 水が宿す“記憶の核”**

無風の世界で、ただひとつ逆らうもの──水。
その中心にあるのが、水のアーティファクト《Lacrima Coil》。
涙滴のような小さなコアで、内部には螺旋状の水流がゆっくり逆回転している。

触れた者に“過去の残響”を伝え、
世界の秩序が歪む前の姿を微かに思い出させる。
火の熾天歯車が“衝動”を宿すなら、
ラクリマ・コイルは“記憶”を宿す。

水が各地で逆流を起こすのは、
このコイルが“失われた起点”へ戻ろうとするため。
イオリだけがその声を聴けるのは、
彼が“音を聴く感性”を持つ者だからである。

Episode 3 — Scene 2
「沈んだ記憶の脈」

鉄扉の内側は、深い井戸の底のように静かだった。
機械の稼働音も、蒸気の鳴動もない。
ただ、水の匂いだけが、湿った空気の奥からゆっくりと漂ってくる。

イオリは足を踏み入れた瞬間、
胸の奥で“あの歯車”がわずかに脈打つのを感じた。

トン……

熾天歯車《Ignis Gear》が反応している。
火のギアは、本来水とは相性が悪い。
それなのに──呼応していた。

通路は薄暗く、壁面の古い配管には乾いた水垢がびっしりと貼り付いている。
しかし、その表面を 細い水筋が逆流しながら走っていた。

まるで誰かが爪で引っかいたような細い線。
光を反射しながら、ゆっくり、施設の奥へ奥へ。

イオリは手を伸ばし、その水筋に触れようとした。

——シン……

水は、指先に触れる寸前で “避けた”。
生き物のように。

「……意志がある?」

そうではない、と彼は直感した。
意志ではなく、記憶が動いているのだ。

水が覚えている道筋。
かつて誰かが辿った流れ。
その残響に従って、ただ“戻っている”。

床に落ちる水滴が、逆さまに跳ね上がる。
重力に逆らい、天井のほうへ吸い込まれていく。

イオリは息を呑む。

「……完全に、秩序が崩れてる。」

進むほど、水の気配は濃くなった。
冷たいはずなのに、どこか温かい。
昔の記憶に触れたときのような、胸の奥の疼き。

階段を降りた先は、広い処理槽だった。
そこだけ、時間が止まったように静まり返っている。

水はない。
もともと水があったはずの槽が、空っぽになっている。

だが──“底”に、小さな光が脈打っていた。

青白い、涙のような光。

Lacrima Coil(ラクリマ・コイル)だ。


イオリは階段をゆっくり降りていく。

近づくほど、胸の中の音が変わる。

トン…… トン……
  シン……
    トン……

火と水が、見えない隔たりを越えて呼び合っている。

イオリは立ち止まり、そっと手を伸ばした。

水の核は、微かに震えた。
触れられることを“恐れている”ようにも、
“待っている”ようにも見えた。

「……お前は、何を覚えてる?」

イオリの問いに、答えはない。
だが、光の脈が一度だけ強く瞬いた。

そこに“感情”のようなものを感じてしまった。



Episode 3 — Scene 3
「水の記憶が語るもの」

イオリが触れた水滴は、ただ冷たいだけの液体ではなかった。
指先に吸い付くような、微かな“脈動”があった。
生き物でも、機械でもない。
それらの境界のさらに奥にある、説明できない鼓動。

滴が光を帯びた瞬間、
周囲の蒸気管がわずかに震えた。
まるでこの一滴に呼応するように、
都市そのものが息を呑んだかのようだった。

「……見ている、のか?」

思わずつぶやいた言葉は、自分でも何を言っているのかわからなかった。
だが“見られている”という感覚は、確かにあった。
滴の奥底に、誰かの視線のようなものが宿っていた。

その瞬間、イオリの脳裏に
ありえない光景が流れ込む。

──水が遡る川底。
──逆流する記憶の帯。
──都市のはじまりの頃、まだ風があった時代の蒼い空。

音も色も匂いも、ひとつの雫に圧縮されているかのようだった。
イオリは息を呑んだ。

「お前……“思い出して”いるのか?」

滴は答えない。
ただ淡く揺れ、光を返すだけ。
だが確かに理解した。
これは単なるアーティファクトではない。

水そのものに“記憶”が宿っている。
この都市が失った何かを、まだ覚えている。

イオリの胸が熱くなる。
祖父の残した言葉、未完成の音色、世界のどこかで失われた風──
すべてが一本の線で繋がりはじめていた。

「……行くしかないな。
 “水の源”まで。」

滴は静かに震え、まるで肯定するように光った。



Episode 3 — Scene 4
「水を追う影」

逆流地点を離れ、イオリは滴を保護ケースに収めた。
その瞬間だ。
路地の向こうから、金属靴の硬い音がひとつだけ響いた。

──チン。

静寂を破ったその音だけで、
イオリは“こちらを追ってきた何者か”の存在を理解した。

気配が薄い。
蒸気と煙の層に紛れるように、
影だけがゆらりと形を変えて近づいてくる。

「……どちらさんだ?」

返答はない。
代わりに、闇の奥でわずかな光がまたたいた。
銅色のレンズ──光学機器だ。

監視者だ。

都市の奥深くで情報を売り買いする“見えない職人(ゴーストレンズ)”たち。
噂では、彼らは希少パーツを追う者の匂いを嗅ぎつけ、
その価値を測っては別の者へ渡すという。

だが今日の気配は、ただ値踏みをするだけの軽いものではない。

“狙っている”。
しかも、水だ。

「悪いが、今はやれないんだ。
 こっちも手一杯でね。」

イオリは声を低く落とし、
外套の内側に手を伸ばす。
祖父の形見の工具──ではなく、
火のパーツへ。

ポケットの中で、赤い光がちいさく点滅した。
反応している。
まるで「構えろ」と囁くように。

影が動いた。

一瞬、蒸気が裂け、
細い金属糸のようなものがイオリの足元を掠めた。
牽制の一撃。

「本気だな……。」

イオリは深く息を吸う。
そして気づく。

狙われているのは、自分じゃない。
 “水”そのものだ。

もはや時間はない。
この水が“風の記憶”と関係しているなら、
必ず奪いに来る者がいる。

都市の裏側で何かが動き出した。

そしてイオリ自身もまた、
逃れられない流れに巻き込まれようとしていた。
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