逃げて、追われて、捕まって

あみにあ

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1巻

1-3

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(私としたことが……)

 ガックリと肩を落とす私に、ソフィアが心配して走り寄ってくる。

「サラッ!! 怪我したのでしょ? 大丈夫なの……? 今度こそ彼に言いなさいよ。さすがにこれは見過ごせないわ」
「はぁ……いいのよ。私の敵になった人間……特に主犯は必ず見つけ出すわ。それよりも私のカバンを知らないかしら?」
「カバン? 知らない。ってもう、そうじゃなくて、犯人は貴族様でしょう! それなら、あなたにはどうにもできないわ。平民が貴族に楯突くなんて無理よ。でも彼なら……」
「わかっているわ。でもね……ここまでされたら自分の手で罰を下したいの。どんな手を使ってでも……」

 私はゆっくり顔を上げた。こちらへチラチラと顔を向けるご令嬢たちの黒い笑みが目に映る。
 主犯は間違いなく私を呼び出したあの令嬢だ。
 だが証拠がない。
 今まで見つけ出そうとしていなかったのだ、当然だろう。
 今から手に入れる。彼女たちが私の私物に何かをしようとする瞬間を押さえればいいだけだから、それほど手間ではない。

(確か彼女は伯爵家だったかしらね。周りに集まっているのは、男爵家のご令嬢と子爵家のご令嬢。皆、貴族だけど、平民には平民の戦い方があるわ。貴族社会を熟知している私に喧嘩を売るなんていい度胸ね)

 こちらも、多少の危険は覚悟の上だ。

(それよりも今は、カバンを探さなきゃ……あのカバンは必ず見つけ出すわ)

 私はソフィアの言葉を無視して教室を出ると、廊下を駆け抜けた。
 いつも肌身離さず大事に持っていたカバン。彼女たちもきっと私が大切にしていることを知っていただろう。
 そんなカバンを過去の私ならどうしたか。
 切り刻む……いえ、刃物を学園に持ち込むのは難しい。
 人目につかない場所で手っ取り早く相手を傷つけるには……あそこかしらね。
 私は校庭に向かい、ひとのない中庭でキョロキョロと辺りを見回す。

(確か、この辺に池があったはず)

 そのまま道沿いに進み、別の校舎の裏手に回り込んだ。その先には、ポツリと池がある。
 水面には、投げ捨てられたらしい教科書が散乱し、プカプカと浮かんでいた。
 その奥に、茶色の革のカバンが半分沈んだ形で見える。

(はぁ……まぁ油断した私が悪いわね)

 数秒、しょうぜんと眺めた後、私はそっと水面に近づいてみた。すると、澄んだ水の中から魚が飛び跳ねる。

(うぅ……水は苦手なのよ)

 前世の私は、一度庭の池でおぼれたことがある。義母ははにつき落とされたのだ。それ以来、極力池や海、湖といった水辺に近づくことはなかった。

(昔の私なら、誰かに取りに行かせるのに……)

 いや、そもそも昔の私ならこんな状況にはなっていない。

(あれ? でも確か、一度だけ池に入ったことがあった気がするわ。いつだったかしら……?)

 しばらく考えたものの思い出せない。もやがかかったようにおぼろげな記憶をたどることをあきらめた私は、そっと靴を脱ぐ。
 とりあえず今は誰にも頼れないのだから、自分で行くしかない。
 そのまま靴下も脱ぎ捨ててつまさきを水面へけると、ゾクゾクと全身に鳥肌が立った。

(怖い……でも……)

 必死で震えを抑え込み、慎重に足を沈めていく。
 深さはそれほどないようだが、私はびくびくと歩みを進めた。

(大丈夫、このまま行けばいいのよ。見る限りまだまだ浅いわ)

 一歩一歩ゆっくりと足を進めていくと、次第に深くなる。
 そうして腰の辺りまで水がかる場所まで来た。カバンまでもう少しだ。
 その時、どこからか男の声が耳に届いた。

「――それ以上はダメだ、止まりなさいっ‼」

 その声に驚き、石に足を滑らせた私は、水の中に沈む。
 全身を水がおおい、よみがえった過去の記憶による恐怖で、頭の中が真っ白になった。

(苦しい……いやっ、怖い……)

 息苦しさにけばくほど、口に水が入る。

(助けて……助けて……ッッ……)

 パニックにおちいり、バサバサと必死に手を動かしていると、突然強い力で引き上げられた。
 この状況はどこかで経験したことがある。
 今の私ではない、王妃だったかつての私だ。
 あの時、その先にいたのは――
 水面から一気に顔を出しガタガタと震える体を、誰かが強く抱きしめてくれる。
 寒さと恐怖でしびれた私は、とっに温かいその人肌にすがりついた。

「大丈夫かっ!?」
(その声は……)

 おもむろに目を開けると、目の前にブラッドリーがいる。
 その登場に驚き目を見開く私を抱きしめたまま、彼は岸に戻る。そうして池からがると、泣きそうな顔で私を見つめる。

「ど……どうしてここにいるの……? さっき忠告してくれたのもあなた?」
「忠告? なんのことだ? 俺は池の前に並んだサラの靴を見つけて駆けつけて来たんだ。なぜこんな無茶をした!? 俺が来なければおぼれていたんだぞ!」

 彼はそう強く怒鳴り、震える私の体を再びギュッと抱きしめる。

「それは……だって、カバンが……っっ! あれは両親にもらった大切なものだから……」

 私はボソボソとつぶやき、身をよじらせてその腕からのがれた。
 ブラッドリーは池に入る前に脱いだのだろうブレザーを地面から拾い上げると、私の肩へはおらせる。そのままこちらを見ることなく池の中に進んでいった。
 水をかき分けカバンを掴み取ると、大事に抱えて私のもとへ戻ってくる。

「悪い、俺のせいらしいな」
「はぁ……ソフィアから聞いたのね」
(あのおせっかい。大丈夫だと言っておいたのに……)

 悔しさとみじめさ、そして申し訳なさを感じる私に、彼はカバンを差し出した。

「大事なものだったんだよな。ごめん……」
「……そうね。あなたが平民の私なんかを構うから、貴族令嬢のねたみがすごいのよ。だからもうこれ以上、私に構わないで……」
「そんな……っっ、どうして言ってくれないんだ! 俺に言えばすぐになんとかした!!」
「女のめごとに男が入って良かったためしがないわ! だから私に近づかないで。今回は私の不注意もあるけど、これはさすがにムカつくの」

 私は水を吸いボロボロになってしまったカバンをギュッと抱きしめる。
 父が私の入学祝いだと奮発して買ってくれた革のカバン。

(こんなことになって、本当にごめんなさい……)

 そう心の中で何度も謝る私の肩に、彼の手がそっと触れる。

「触らないで!!」

 カッとなり、思いっきり振り払うと、彼はばつが悪そうに顔をしかめた。

「すまない。だがサラから離れるなんてできない。……もうこんな思いはさせない、だから……」
「はぁ!? ちょっと、待って! あなたが私のそばに来なければ全て解決するのよ!」
「たとえそうだとしても、できない。俺はどうしてもサラが良いんだ」
「なっ……なんでそこまで執着するのよ……。私は平民、貴族の役に立つことなんて一つもないわ。あなたは何が目的なの!?」

 そう強く言い放つと、ブラッドリーは濡れた私の体を引き寄せ再び抱きしめる。冷えた体に彼の体温が伝わり、なぜか胸が小さく高鳴った。

「目的なんてない。俺は……ただサラが好きなだけ。他の男に奪われる前に婚約したいんだ」
「好きって何よ! 一度会ったことがあるって話だけど、人違いだわ。私はこの学園に来るまで貴族地区に入ったことなんて一度もなかったもの。あなたに会ったことなんてないの!!」

 そう叫んで彼の胸を押し返し、私は逃げるように後退あとずさる。
 すると彼は、寂しそうな笑みを浮かべ、黙って私の姿を見つめたのだった。


 翌日。ボロボロになったカバンをなんとか修復した私は、いつもと同じように学生服に袖を通した。
 両親にはカバンを見せていない。

(変な心配をかけたくないもの)

 でもブラッドリーには、少し言いすぎたかもしれない。助けてもらったのに、お礼すら言っていなかった。
 私はギュッとカバンを抱きしめると、ブラッドリーの姿を頭に思い描く。
 貴族のくせに、迷わず池の中へ入っていった彼……
 自分の感情を優先した私は、そんな彼を拒絶した。

(いいえ。もとはと言えば、彼のせいでカバンが……)

 私はブラッドリーの姿を必死に振り払うと、真っすぐに前を見据みすえる。

(一番悪いのは勝手なしっでカバンを投げ捨てた犯人よ。必ず捕まえて、再起不能にしてやるわ)

 それにはまず情報収集からね。
 貴族なんてものは、知られたくない秘密を沢山たくさん持っている。
 昔の私なら権力と金を使った。けれど、平民だとそうはいかない。
 あれやこれや考えながら玄関の扉を開ける。
 すると、家の前がなんだか騒がしい。

(どうしたの?)

 視線を騒ぎに向けてみると、人だかりができていた。中心には豪華な馬車が停まっている。

(あら、あんな高価な馬車、成り上がりの平民では用意できないわね)

 不審に思いつつ覗き込んだ馬車は、紋章を掲げていた。

(やはり貴族だ。でもどうしてこんなへんな場所に?)

 呼び出しを受けた平民が貴族街へおもむくことはあっても、貴族がわざわざ平民地区に来ることはまずない。
 なんだか嫌な予感がして、私はそっとその場から離れると、逃げるように学園へ足を向けた。

(面倒事はごめんだわ、関わらないでおきましょう)

 なのに、私の名を呼ぶ声が耳に届く。
 気のせいであってほしいと願いながらそっと振り返ると、元気良く手を振る、今回の元凶の姿が目に映った。

(いやいや、まさかありえないわ、昨日あれだけはっきり突き放したんだもの。とりあえず見なかったことにしましょう)

 私はスッとその姿から目をらし、建物の陰に身をひそめる。するとバタバタッという音と共に、聞きたくない声がまた聞こえた。

「おはよう、サラ。迎えに来たんだ」

 名を呼ばれ、周りの視線が集中する。私は深く息を吐き出すと、ズキズキ痛む頭を押さえた。

(はぁ……なんでこうも頭が痛くなることばかり続くの……)
「どうしてここにいるのよ!! あなた、ここがどこだかわかっているの? 平民地区よ? 十六歳ならまだ門を通れないはずでしょう? どうやってここへ来たのよ!」
「それは一般人の話だろう。学生は別だ。学園の許可が下りれば平民地区、貴族地区を行き来できる。俺は君を迎えに来たんだ」

 ブラッドリーは再び私を迎えに来たと言った。

(昨日のことを覚えていないの? もう近寄らないで、とさんざんお願いしたのに)

 怒りに任せて、かなり強く言ったにもかかわらず、伝わっていないようだ。

(一体この男の思考回路はどうなっているのかしら……?)
「……迎えなんて頼んだ覚えも望んだ覚えもないわ。さくじつの話を聞いていなかったの? 私に近寄らないで」
「こっちこそ、何度も言っているだろう。それはできない。だが俺のせいでまた嫌がらせされたら困る。だからこうやって迎えに来たんだ。俺がそばにいれば、サラにあんな思い、二度とさせない」

 あきれて言葉が出てこない。でも彼は、私の様子を気にすることなく腕を取り、ニカッと笑みを浮かべて馬車に引っ張っていこうとする。

「ちょっ、ちょっと、離しなさいよ! 馬車には乗らない、歩いていくわ!! あぁもう!」
「遠慮することはない。君の友人から聞いた。その嫌がる姿は、照れているだけなんだって」

 一瞬意味がわからずあっけにとられたが、徐々に言葉の意味を理解すると、怒りがふつふつと沸いてきた。
 ワタシガテレテイルデスッテ!?

「はぁ!? そんなことあるわけないわ!! あの馬鹿……ッッ」

 必死に否定しているのに、彼はニコニコと嬉しそうに、私を馬車の中に無理やり押し込める。
 そうして馬車が動き始め、私はいらちのあまり頭を抱え込んだ。

(どうしてこんなことに……ソフィア、何を勝手なことを言っているの! きぃぃぃ!! 腹立たしいわね……っっ)

 学園に着いたらすぐに彼女を捕まえて、はっきりとブラッドリーに訂正させないと。
 彼女は絶対に楽しんでいるだけだ。許せない。
 このいらちを振り払おうと顔を上げると、ご機嫌な様子のブラッドリーが目に映る。
 この男、本当に厄介やっかいだわ。
 だが彼の顔を見て、胸がじんわりとあったかくなっていく。そんな自分に戸惑った。
 なぜそんな感情が生まれてくるのか……全く見当がつかない。
 私は深く息を吐き出すと、ぷいっと窓の外へ視線を向けた。


 ゆっくりと馬車が進み、見慣れた風景が流れていく。

(そういえば、馬車に乗るのはいつぶりかしらね)

 そんなことを考えているうちに学園内に入ってしまった。
 ブラッドリーと一緒に馬車に乗る私の姿に、行きかう生徒たちが驚く。
 その視線からのがれたくて慌てて馬車のカーテンを閉めた。頭痛がさらにひどくなる。
 平民が貴族の馬車に乗っていれば嫌でも目立つ。きっとあっという間にうわさになるだろう。

(はぁ……私の静かな学園生活はいつ訪れるの?)

 自分が思い描いていたのとは正反対の現実にため息が漏れる。そうこうしていると、馬車が静かに停止した。

(へぇっ、嘘でしょう!? ここに停まるの!?)

 ここは登校する生徒が集まる場所だ。やはりブラッドリーには、何も伝わっていなかった。

(こんなのただの嫌がらせじゃない)

 とんでもない事態に血の気が引く私を置いて、ブラッドリーはさっそうと馬車を降りる。そして私に手を差し出した。

「さぁ、行こう」

 向けられたさわやかな笑みに思考が停止する。私はその場で凍りついた。
 すると彼は、私の手を取りながら肩を抱き寄せ、馬車の外にいざなう。
 土の柔らかい感触が足の裏に伝わり、心地良い風が頬をかすめる。

「どうしたんだ? 馬車に酔ってしまったか?」

 彼の声に、私はようやく我に返った。
 生徒たちの視線は、私たちに集中している。
 ドウシテコンナコトニ?
 心配そうに覗き込むブラッドリーをキッと強くにらみつけると、私は肩にかかる手を振り払う。そのまま彼の腕からのがれ、全力でその場から逃げ去った。
 教室に駆け込み、ソフィアの机を強くたたく。

「ちょっと、どういうつもりよ!」
「あら、おはよう。貴族様の馬車で登校なんて、お姫様みたいねぇ~。良かったわ、仲良くなったみたいで」
「仲良くなんてなっていないわ! あなた、余計なことを言ったでしょ! 私が照れているですって!? いい加減なこと言わないで!」
「ふふっ。あら、そのこと~。私、嘘は言っていないわよ。だって最近のあなた、彼に気を許してきているじゃない。長い間あなたと一緒にいるんだもの、それくらいわかるわよ」
「……ッッ」

 そんなことない、そう言い返そうと口を開くが、なぜか声にならない。
 そりゃ、ブラッドリーに好きだと言われて悪い気はしていない。
 彼は見目も性格も良いのだ。
 私のために危ない行為をしかることはあっても、失礼な態度を怒ることはない。
 それに、わざわざカバンを取ってくれた。私の知る貴族なら、汚らしい池なんかに自らが入ったりしないだろう。せいぜい、従者に任せるか、新しいものを持ってくるか、だ。

「ブラッドリー様は愛を伝えはしても、あなたの嫌がることはしていないでしょ。注目を浴びるのが嫌なんだって気づいて、あなたが教室から逃げるのを待っていてくれているのよ。あんないい男そうそういないわ。……でもその行為が裏目に出た。だから今日はあえて目立つように登場して、あなたに手を出せば大公爵家の彼が許さない、と知らしめてくれたのでしょう。見なさいよ、あなたに嫌がらせをしていた令嬢たちが消えているわ」

 ソフィアの言葉に教室内を見回してみると、いつも私へ嫌悪の視線を向けていた貴族令嬢たちの姿がない。
 時計はあと十分で授業が始まる時間を示している。
 この時間に彼女たちがいないことなど、今まで一度もなかった。

「……そんなこと……望んでいないわ。私は一人でもなんとかできたもの。あぁもう。私は静かな学園生活を送りたいのよ。それには貴族なんて邪魔なだけ。……彼がそばに来なければ、全てが丸く収まるじゃない!」

 そう訴えかけても、ソフィアはあきれた顔をする。

「そんなの今さら無理に決まっているじゃない。最初に彼があなたに声をかけた時点で、注目の的だもの。彼がいなくなったところで、平穏な学園生活なんて不可能よ。あなたもわかっているんでしょ? ねぇ、どうしてそこまでかたくななのよ。彼が悪い男ならわからないこともないけれど、うわさで聞く限り完璧な王子様じゃない。ちょっと強引でも、あなたにはちょうどいいと思うわ。なのになぜそこまで拒むの? 誰が見ても、彼は本気であなたが好きよ」

 私はギュッとこぶしを握り唇を噛みしめた。
 ――本気で好き。
 その言葉にズキズキと胸が痛み始める。

(彼は貴族よ……もし彼の言葉を信用して……また……)

 ――あれ、またってどういうこと?
 今のは私ではない。この気持ちは前世の私のものだ。
 ふいに周りの音が消え、暗闇に呑み込まれた。その中に声を殺して一人で泣く過去の自分の姿が浮かび上がる。

(私は何を悲しんでいるの?)

 思い出そうとしたせつ、ガタンッと大きな音が響き、我に返った。
 いつの間にかチャイムが鳴っていたらしく、教師が教壇に立っている。
 私は慌てて自分の席へ着いた。
 そうして授業が終わり、私はいつものように教室を飛び出す。
 だが今日は逃げるのではなく、ブラッドリーの教室に向かう。
 生徒たちの声が賑わう廊下を真っすぐに進んでいると、こちらへ向かって歩いてくる彼に出くわした。

「サラ、こっちに来るなんて珍しいな。どうしたんだ?」

 驚いた様子の彼をキッとにらみつけると、私は急いで彼の腕を掴んだ。そうして手を引っ張り、ひとのない場所に連れ込む。隅に追い込んで彼を壁を背に立たせた。

「もう迎えに来ないで。何度も言うようだけど、私は一人でも大丈夫よ。あなたが私から離れてくれさえすれば、全て解決するの! 簡単なことでしょ?」
「それはできないと何度も言っているだろう。だからこうやって君を守るために、迎えに行こうとしてたんだ。まぁ、もう大丈夫だとは思うんだけどな」
「どうして無理なのよ! 一番楽な方法じゃない!? 回りくどいことをする必要もない! 今日、私を目のかたきにしていた令嬢たちがいないのは、あなたが何か手を回したからなんでしょう。でも、そんなことしなくても、私を放っておいてくれるだけで解決するのよ!」
「サラの言う通りだ。だが俺は君が好きなんだ。絶対に手放したくない」

 ブラッドリーは私を真っすぐに見つめると、柔らかい笑みを浮かべる。
 その姿にギュッと胸が締めつけられたが、その気持ちを必死に振り払い、私は彼に訴えかけた。

「私は貴族にはならないわ! なりたくないの。だからあなたの気持ちには応えられない! 何度も何度も言っているじゃない!!」

 震えそうになる声で叫ぶと、彼は寂しそうに顔をゆがめる。

「それもわかっている。だけど……君はまだ俺のことを何も知らないだろう。一度でいい、ちゃんと俺を見てほしい。サラが傷つくことは絶対にしない」

 燃える瞳に見つめられた私は、思わず視線をらした。

(知りたくない、だって……知ってしまえば……あぁ……ダメだわ。これ以上考えてはいけない)

 胸の中にうずく複雑な思いを心の奥に閉じ込め、深呼吸を繰り返す。

「あなたの気持ちはわかったわ。でも、ああやって平民地区に貴族様が来られるのは困る。目立つでしょ。両親に心配をかけたくないの」
「なら今度は別の馬車で行く。そうでもしないと、サラを守れない。今回もそうだ……そばにいたのに気づけなかった。何かあった時、今度は俺が、すぐに助けたいんだ」
「心配してくれるのは嬉しい。それに昨日はありがとう。でも、そういう問題じゃないの! 毎朝、平民の家の前に馬車が停まっていたら不自然でしょ! 平民地区に嫌がらせに来る貴族はいないから大丈夫よ」
「だが、学園に入れば、何されるかわからないだろう」
(あぁもう、どうして伝わらないのかしら……)

 抑え込んだ怒りがまた湧き起こり、私は震えるこぶしを握りしめる。
 彼の誠意は嫌というほど理解できた。けれどその方法がいただけない。
 私はブラッドリーをにらみつけつつ頭を抱え、彼が納得する別の案を模索する。
 すぐに思いついた案は一つだけ。

「なら、こうしましょう。平民地区の門の前で毎朝あなたを待つわ。そこから一緒に行けばいい」

 私は窓の外に見える平民地区へ通じるゲートを指さした。すると彼が嬉しそうに笑う。

「わかった。約束だからな。明日から毎朝一緒に登校しような」

 そう話す彼は無邪気な少年のようだ。不覚ながらもドキッと胸が高鳴る。
 そんな自分に戸惑う私の手を握り、彼はご機嫌で私の教室へ向かう。
 なんだか、してやられた気がする。

(いや、でもこうでもしないと、彼はきっと毎朝馬車で家に来る。それはとっても困るのよ)

 どうしてこうなってしまったのかしら。
 ゴツゴツとした大きな手が、私の手を強く握りしめる。
 その手から伝わる温もりに、なんとも言えぬ気持ちが込み上げ、振りほどくこともせずに、私は彼の大きな背を眺めた。
 そうして、教室まで送り届けられる。そこにはニタニタと口角を上げ、チラチラこちらへ視線を向けるソフィアの姿があった。
 私は慌てて手を離し、ブラッドリーのそばから離れる。
 真っすぐに自分の席へ向かい座ると、前の席のソフィアが含みを持たせた笑みを向けてきた。

「何よ、何か言いたいことでもあるの?」

 キッとにらみつける私に、彼女は楽しそうに笑ってみせる。


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