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第3章
92.魔術師の心
しおりを挟む全てが変わったあの日から、俺の人生には絶望しかなかった。
来る日も来る日もどっぷりと暗い闇の中で彷徨い続ける日々。
でも、そんな日々の中に希望の光が差し込んだ。
---エリザベート、君と出会えたことは俺の人生の中で一番の幸福だったよ
君と出会ったのは、単なる偶然だった。
とっくに有効期限の切れた冒険者プレートを使って、どうにかして楽に森を抜けられないだろうかと思っていたところに君達が現れた。
だから声を掛けた。
それだけだった。
それなのに、こんなことになるなんてね。
成り行きで君に触れた時、上級な魔力だと知って利用しようと思った。
その時に、君が女の子だっていうことにも気が付いたからそのことを弱みとして握っておこうとさえ思っていた。
それなのに、君はあんまりにも良い子で感情移入なんてするべきでないと思っていたのに、どうしようもなく惹かれてしまっていた。
それでも、目的のためには手段を選んではいられない。
俺はそのことを考えないようにして、事を決行した。
君の魔力を使って悪魔を誘き寄せようとした。
それは失敗に終わってしまったのだけど。
俺はもう無理だと諦めた。
せめてもの償いとして事実を話そうと思った。
そして、心から諦められるように君に嫌われようと思った。
それなのに、君は俺のことを驚くほどにあっさりと許した。
諦めさせてはくれなかった。
それどころか、君は俺に協力してくれるといい、それにつられるように今や大切な仲間達も俺の力になってくれた。
もう無理だと諦めていたヒースさえ取り戻す事ができた。
君には、仲間達には感謝してもしきれない。
そんな気持ちでいっぱいだった。
………だけど、君に対しては感謝とか、力になりたい、支えたいとか、そんな気持ちだけじゃなくてもっと違った特別な気持ちを感じているように思うときもある。
君といるだけでこんなにも心が温かくなる。
君の顔を見るたびに笑顔にしたいといつも思う。
君に抱いたこの感情の名は………
いや、考えるのはよそう。
考えたところでどうにもならない。
俺は相手には届かないと知りながら、自分の気持ちを認めたエルザみたいに若くも強くもないからさ。
君には信じられないほどにいろいろなものをもらった。
もう十分だ。
―――ありがとう
最期にそう伝えられなかったことだけが心残りだったが。
目の前には先ほどよりも気性を荒くしたバイセファリゴン。
訳も分からずに落下したことに腹を立てていたのかもしれない。
久々に目にするそんな神話級の魔物を前に、俺は冷静にそんなことを考えていた。
実はバイセファリゴンと対峙するのは初めてではない。
王都を立ち去り悪魔を探すも何の手がかりも掴めない日々の中、俺は自暴自棄になり一人でダンジョンの奥深くまで潜った。
考えるまでもなく自殺行為だ。
そんな時、バイセファリゴンに出くわした。
圧倒的に戦力の違う魔物の前であったが、その時の俺には不思議と恐怖心はなかった。
このまま死んでもいいか、なんていう考えが頭をよぎっていたから。
だが、その時は運が良かったのか悪かったのか、俺は致命的な最期のとどめとなる一撃を受ける一歩前で転移トラップを踏んだ。
そのおかげでその場から抜け出し、死ななかったのだが。
再びバイセファリゴンを前にした今も、恐怖は感じていなかった。
だが、俺の中には死ぬ気はいっさいない。
君の、君達の未来のために俺の出来ることをやる。
そんな意志に動かされていた。
正直なところ、無効化魔法があったとしても一人でバイセファリゴンに勝てる見込みはないに等しい。
物理攻撃であれば無効化魔法で防ぐことは出来ないし、こちらからも有効な攻撃をしなければ倒すことはできないからだ。
以前は全く歯が立たなかった。
それでも俺は戦わなければならない。
差し違えてでもここは通さない。
最悪、少しでも長く時間を稼げれば良い。
君達の未来への道の邪魔はさせない。
でも………
「生きたいなあ……」
思わず口をついてそんなことを漏らしていた。
自分の呟きに笑いそうになる。
以前の俺だったらそんなこと微塵も考えなかった。
こんなこと思えるようになったのも君達のおかげだ。
君達の未来を見てみたいと、未来をともに生きてみたいと思ってしまった。
こんな贅沢を願ってしまうのは君達のせいだ。
ああ、俺は幸せ者だったんだなあ。
口の端が自然と上がってしまう。
絶望的な状況ではあるが、俺は満たされた気持ちで起き上がろうとしているバイセファリゴンに再び剣を構えた。
「何を当たり前の事を言っているんですか。生きるんですよ、あなたは。私達は全員、誰一人欠けることなく生き抜いてここから帰るんですよ」
俺の呟きに呆れたような態度でそう返す声が聞こえた。
そんな声が上空から聞こえたかと思うと、俺の隣に青い服をばさりと揺らしながら着地した男が現れたのだった。
「ジェラール!君は馬鹿か!何でここに戻ってきたんだ!」
思ってもみなかったこの状況に、この人物に俺は目を見張った。
俺の隣にはあの子たちと一緒に先に進んだはずのジェラールがいた。
何で。どうして。
せっかく俺が覚悟を決めて一人、ここに残ったというのに。
いつだって冷静な君なら、俺がそうしたことの意味は一番に分かるはずだろう。
悪魔との戦いを前に総崩れするくらいなら、少しでも多くの戦力を残せる道を選んだ方が良い。
例えそれが誰かを犠牲にすることになっても。
だから、ここは俺一人で何とかできれば良いだけのことだったのに。
そう思って怒鳴りつけた俺に、ジェラールはさらに何を言っているんだとでもいうようにかぶりを振った。
「馬鹿なのはあなたの方ですよ、キース。あなたはまた自分一人が犠牲になれば良いとかそんなことを考えているんでしょう?それが馬鹿だと言うんですよ」
「それが最善の方法だろう!悪魔との対決で戦力が減ったら不利になる。だから、ここには俺一人が残るべきだったんだ」
「だからですよ。戦力が減ったら困るんですよ。あなたが減ったら困るんですよ。それに、あなた一人じゃできないでしょう。仕方がないので、私があなたの右側となって差し上げますから」
右側……
あの時、言っていたことか。
君はそんなことを覚えていたのか。
この場で生き延びられるか分からない。
そんなことは君も承知の上だろう。
その上で、ジェラールはそんなへりくつみたいな甘すぎる合理的でない答えを譲るつもりはないようだ。
そんなジェラールにもう一言、言い返そうとして………やめた。
ああ、もう俺の負けだ。
何かを言ったところで彼は自分の考えを変えることはないだろう。
なにより、君がここに現れた時点で俺はそのことに嬉しさを感じてしまっていたのだから。
俺は隠しきれない気持ちを顔に表して、口を開いた。
「……ああ、任せたよ」
「安心して下さい。私はあなたとここで心中する気はさらさらありませんので。ここをすぐにでも切り抜けて、早く先に進みましょう。あなたも一緒に、皆で」
そんな風に憎まれ口をきいたジェラールはにいっと笑っていた。
目の前にいたバイセファリゴンがこちらへと凄まじい勢いで向かってくる。
それでもやっぱり恐怖は感じなかった。
だって、俺には仲間がいるって知っているから。
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