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『君の全てをくれ』……
脳裏で声が響いている。鐘の音がなる。殴られたように、体がのたうつ。声は響き続ける。私の存在を呑み込む誘惑が、響き続ける。鐘が鳴る。窓の外では雷が鳴っている。その判別がつかない。私が呑まれて仕舞えば、全て楽になる。全て彼奴に任せて仕舞えば、何もかも解決する。私の責任は消えて、私の思考は消えて、私は消えて、何もかも彼奴になる。
『君の全てをくれ』
あぁ。止まない。声が止まない。鐘の音が。響き続けている。嗤い声が聞こえる。頭蓋を内側からそれが叩いている。血管が膨張して、視神経を圧迫する。右目の奥の激痛に爪を立てる。薬を無我夢中に飲み込む。噛み砕いたそれからは甘い味がした。瞼の裏で彼奴が笑っている。右目の奥で彼奴が笑っている。それを私が、笑っている彼奴をみている私を、私が嗤っている。
頭を壁に叩きつけた。頭蓋のうちの鐘の音と、骨の壁に当たる音が反響する。神経がギリギリと軋んでいる。揺すられた脳漿が、脳の襞を撫で付ける。愛撫するように。嗤っている。声が止まない。
『君の全てをくれ』
『私の全てを譲ってしまえ』
声が増えていく。声が、加速する鐘の音が、止む事はない。心臓が張り裂けそうに拍動を続ける。歪に膨らんだ手の甲の血管に吐き気を催しながら、拳を握りしめる。狂うことほど馬鹿げた事はない。狂ってしまうことほど救われることもない。狂うことほど難しいこともない。眠りは安易な死を提供する。薬は安易な麻痺を提供する。投棄は安易な存在の抹消を提供する。
ふらつく足で洗面所に向かう。鏡越しに私は私の目を見る。瞳孔が揺れている。その瞳は酷く汚れている。血を吐きたかった。血は吐けなかった。だから水を飲んだ。そこに意味はなかった。塩素の味だけが残った。
『君の全てをくれ』
『私の全てを譲ってしまえ』
『なんて愚かな景色だろう』
増える声を掻き毟る代わりに腕に爪を立てた。流れ出した赤黒い血を眺める。爪にこびり付いたそれをガラスに殴りつける。透明なガラスが、赤黒く線を引かれて汚れた。犯されていく神経細胞、鬱血していく脳、汚れていく脳漿、あぁ、音が止まない。鐘の音が響いている。声が響いている。狂ってしまう事は。狂ってしまう事は。狂ってしまう事は、唯一の救いだ。
鏡の中の私が嗤っている。釣り上がった口角の端に、ガラスに撫で付けた赤黒い血が紅を引いた。はははは、と声が聞こえる。私の声が聞こえる。笑っている。乾いた笑いに温度はなかった。腕からはまだ血が流れている。赤黒い罪が、流れている。彼奴のものの、私のものの、罪が流れ出る。私の体を巡る、永劫の罪が私を生かしている。怖気を覚えた。背筋を駆け巡る寒気に、脊髄が疼いている。
末端の毛細血管が破裂し、再生し続けている。自動的に再生される生の気持ち悪さに吐き気を覚える。いくら胃液を吐き出しても血は滲まない。それが不満で仕方がない。運命は私を許さない。命は私を許さない。私は許されない。私は私を許さない。崩壊していく、鏡の中の自画像を眺めながら、腕の傷にまた爪を立てた。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
嗤っている。嗤ってくれ。そうすれば笑うから。
答えの出ない問いが脳細胞を轢き潰しながら、頭蓋の内を這いずり回っている。狂気は救いか?現実は救いか?狂気は救いだ。馬鹿らしい。あぁ、馬鹿らしい。私は生きているというのに。鼓動が鳴り止まない。脳裏の鐘の音も鳴り止まない。何もかもが鳴り止まない。窓の外の雷は激しくなった。音が交錯する。外と内、境目が薄れる。何もかもが鳴り響いている。時計の秒針が一秒ごとに眼球を突き刺し、家電の発するノイズが鼓膜を犯している。
乾いた笑い声が付いてまわっている。それは私の口から溢れている。何もかもが静かで、何もかもが五月蝿い。全ての音が、均等に脳細胞に刺さり続ける。
教会。鐘のある教会。荘厳な、白い、十字架を掲げた教会。その十字架に私が架けられている。それを私が一心不乱にナイフで突き刺している。
私は首を絞められている。首を絞めている私は嗤っている。『君の全てをくれ』『私の全てを譲ってしまえ』。部屋の隅からそれを私が眺めている。虚な目で笑いながら眺めている。『なんて愚かな景色だろう』。
道化師が踊り回っている。彼奴は血みどろだった。手足を振り乱しながら踊っている。その前で私が頭を抱えてのたうち回っている。黒服の山羊が言う。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
破砕する。ガラスが割れて、私の顔は三つに引き裂かれる。音が止まない。声が止まない。景色が止まない。鐘の音が轟いている。止めてくれ。鼓動が止まない。止めてくれ、もうやめてくれ。私が引き裂かれて、床に落ちている。叫びは聞こえない。笑い声がずっと聞こえる。私の声帯から、喉を引き裂きながらそれが溢れている。
破片になった私を踏み潰す。ガリガリと音を立ててそれは足に食い込んだ。
狂気、狂気、狂気?現実。現実!
そんなものはない。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
「あははは……は…は…」
鳴り止まない全てを抱きしめて仕舞おう。張り裂けない心臓を優しく抱いて仕舞おう。張り裂けた声帯を撫でて仕舞おう。吐血しない気管支を許して仕舞おう。脳裏の鐘の音を崇めて仕舞おう。嗤い声を愛して仕舞おう。
『君の全てをくれ』
……………
脳裏で声が響いている。鐘の音がなる。殴られたように、体がのたうつ。声は響き続ける。私の存在を呑み込む誘惑が、響き続ける。鐘が鳴る。窓の外では雷が鳴っている。その判別がつかない。私が呑まれて仕舞えば、全て楽になる。全て彼奴に任せて仕舞えば、何もかも解決する。私の責任は消えて、私の思考は消えて、私は消えて、何もかも彼奴になる。
『君の全てをくれ』
あぁ。止まない。声が止まない。鐘の音が。響き続けている。嗤い声が聞こえる。頭蓋を内側からそれが叩いている。血管が膨張して、視神経を圧迫する。右目の奥の激痛に爪を立てる。薬を無我夢中に飲み込む。噛み砕いたそれからは甘い味がした。瞼の裏で彼奴が笑っている。右目の奥で彼奴が笑っている。それを私が、笑っている彼奴をみている私を、私が嗤っている。
頭を壁に叩きつけた。頭蓋のうちの鐘の音と、骨の壁に当たる音が反響する。神経がギリギリと軋んでいる。揺すられた脳漿が、脳の襞を撫で付ける。愛撫するように。嗤っている。声が止まない。
『君の全てをくれ』
『私の全てを譲ってしまえ』
声が増えていく。声が、加速する鐘の音が、止む事はない。心臓が張り裂けそうに拍動を続ける。歪に膨らんだ手の甲の血管に吐き気を催しながら、拳を握りしめる。狂うことほど馬鹿げた事はない。狂ってしまうことほど救われることもない。狂うことほど難しいこともない。眠りは安易な死を提供する。薬は安易な麻痺を提供する。投棄は安易な存在の抹消を提供する。
ふらつく足で洗面所に向かう。鏡越しに私は私の目を見る。瞳孔が揺れている。その瞳は酷く汚れている。血を吐きたかった。血は吐けなかった。だから水を飲んだ。そこに意味はなかった。塩素の味だけが残った。
『君の全てをくれ』
『私の全てを譲ってしまえ』
『なんて愚かな景色だろう』
増える声を掻き毟る代わりに腕に爪を立てた。流れ出した赤黒い血を眺める。爪にこびり付いたそれをガラスに殴りつける。透明なガラスが、赤黒く線を引かれて汚れた。犯されていく神経細胞、鬱血していく脳、汚れていく脳漿、あぁ、音が止まない。鐘の音が響いている。声が響いている。狂ってしまう事は。狂ってしまう事は。狂ってしまう事は、唯一の救いだ。
鏡の中の私が嗤っている。釣り上がった口角の端に、ガラスに撫で付けた赤黒い血が紅を引いた。はははは、と声が聞こえる。私の声が聞こえる。笑っている。乾いた笑いに温度はなかった。腕からはまだ血が流れている。赤黒い罪が、流れている。彼奴のものの、私のものの、罪が流れ出る。私の体を巡る、永劫の罪が私を生かしている。怖気を覚えた。背筋を駆け巡る寒気に、脊髄が疼いている。
末端の毛細血管が破裂し、再生し続けている。自動的に再生される生の気持ち悪さに吐き気を覚える。いくら胃液を吐き出しても血は滲まない。それが不満で仕方がない。運命は私を許さない。命は私を許さない。私は許されない。私は私を許さない。崩壊していく、鏡の中の自画像を眺めながら、腕の傷にまた爪を立てた。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
嗤っている。嗤ってくれ。そうすれば笑うから。
答えの出ない問いが脳細胞を轢き潰しながら、頭蓋の内を這いずり回っている。狂気は救いか?現実は救いか?狂気は救いだ。馬鹿らしい。あぁ、馬鹿らしい。私は生きているというのに。鼓動が鳴り止まない。脳裏の鐘の音も鳴り止まない。何もかもが鳴り止まない。窓の外の雷は激しくなった。音が交錯する。外と内、境目が薄れる。何もかもが鳴り響いている。時計の秒針が一秒ごとに眼球を突き刺し、家電の発するノイズが鼓膜を犯している。
乾いた笑い声が付いてまわっている。それは私の口から溢れている。何もかもが静かで、何もかもが五月蝿い。全ての音が、均等に脳細胞に刺さり続ける。
教会。鐘のある教会。荘厳な、白い、十字架を掲げた教会。その十字架に私が架けられている。それを私が一心不乱にナイフで突き刺している。
私は首を絞められている。首を絞めている私は嗤っている。『君の全てをくれ』『私の全てを譲ってしまえ』。部屋の隅からそれを私が眺めている。虚な目で笑いながら眺めている。『なんて愚かな景色だろう』。
道化師が踊り回っている。彼奴は血みどろだった。手足を振り乱しながら踊っている。その前で私が頭を抱えてのたうち回っている。黒服の山羊が言う。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
破砕する。ガラスが割れて、私の顔は三つに引き裂かれる。音が止まない。声が止まない。景色が止まない。鐘の音が轟いている。止めてくれ。鼓動が止まない。止めてくれ、もうやめてくれ。私が引き裂かれて、床に落ちている。叫びは聞こえない。笑い声がずっと聞こえる。私の声帯から、喉を引き裂きながらそれが溢れている。
破片になった私を踏み潰す。ガリガリと音を立ててそれは足に食い込んだ。
狂気、狂気、狂気?現実。現実!
そんなものはない。
『馬鹿らしい狂気と馬鹿らしい現実、どちらがいい?』
「あははは……は…は…」
鳴り止まない全てを抱きしめて仕舞おう。張り裂けない心臓を優しく抱いて仕舞おう。張り裂けた声帯を撫でて仕舞おう。吐血しない気管支を許して仕舞おう。脳裏の鐘の音を崇めて仕舞おう。嗤い声を愛して仕舞おう。
『君の全てをくれ』
……………
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