クロと鈴香の将棋道-カラスが駒を見つけたら-

県田 星

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第1章 将棋を指すカラス

第16話 カラスと研修会を振り返ったら

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「じいちゃん、ばあちゃん、ただいまー」
玄関の方から相当に落ち込んだ様子の鈴香の声が聞こえた。
「おかえりー」
「クワッ」
祖父である馬場とクロが出迎える。
「初めての研修会はどうだった?」

日本将棋協会が運営する研修会。
基本的には20歳以下の少年少女に向けて対戦機会を設けた場で、月に2回の例会で各4局対戦がある。そこで一定の成績を上げると、棋士を養成する奨励会への入会や女流棋士へとつながる入り口になっている。

今日は鈴香にとって初めての研修会だ。
場所は塔京・万駄ヶ谷にある将棋会館。日本将棋協会の本部や棋士の対局場とともに、アマチュア向けの常設対局場があり、ほぼ毎日何らかの将棋イベントが開催されている。鈴香もこれまでに馬場と連れ立って出かけたり、子供向けの大会に出場したりでなじみのある場所だ。今回は最初の研修会のため、母が一緒に出かけていた。

「負けたー」
玄関から上がった鈴香は馬場のお腹に飛び込んだ。
「負けた?4連敗だったのか?」
「ううん」
顔を上げた鈴香は首を振る。
「負け、負け、勝ち、負け」
右手を出して親指から順に4本折る。
「1勝3敗か…」
「なんか時間がねー」
「対局時計には慣れてたんじゃないのか?」
「時計も含めて、ちょっと落ち着かなかったなあって」
「雰囲気になじめなかったか…」
「ふ、ふいんきって?」
馬場がクスッと笑う。
「まあ、いいか…ところで、歩美ちゃんは?」
「2勝2敗」
鈴香がムッとした顔で答えた。
同い年の少女として朝草将棋クラブで成績を競っている仲なだけに、星ひとつでも負けたことは悔しかったらしい。
「まあ、1つでも勝てたのなら良いだろ。慣れれば勝てるようになっていくさ」
「うん!」

馬場は鈴香をお腹にぶら下げながら居間に連れていく。モニターには先日行われた将棋中継動画が映っていた。
「今日の4局、並べられるか?」
「うん」
馬場が将棋盤と駒を用意すると、鈴香は1局目から並べていく。盤を挟んで馬場が、盤の横でクロが見守った。

パチン

パチッ

コトン

ピシッ

「あっ、ここ!」

中盤で鈴香の手が止まった。
「うん?普通の手に見えるけど」
馬場が顔をひねる。
「ううん、ここで時計を押し忘れちゃったの!」
馬場が「クハッ」と噴き出す。
「すぐ押せたのか?」
「相手の子が教えてくれたから。でも、その後から『時計を押さなくちゃ』って思っちゃって」
「将棋に集中できなかったか」
「…そう」

コトッ

ピシン

パチン

「で、投了っと」
馬場は中盤に局面を戻す。
「この辺りで差が付いたかなあ」
「うーん、そうだね」
鈴香がクロを見る。
「クロはどう思う?」
鈴香の問いかけにクロは「カァ」と頭をひねった。
「クロが感想戦をできればなあ」
「さすがにそれは無理だろう」

続いて2局目、そして唯一勝利した3局目を並べる。

ピシッ

パチッ

パシッ

「これで勝ち!」
「おお!」
馬場が小さく拍手すると、鈴香が嬉しそうに笑顔となる。
「この辺で時計には慣れたんじゃないか?」
「ううん、もう時計を気にせずに指すことにしたの。だから時間も10分くらいしか使わなかった」

研修会での持ち時間は30分。それが無くなったら1分将棋。つまり60秒以内に指さないと負けになる。

「勝てたから良いけど、30分をしっかり使うようにしないとな」
「うん、先生にもそう言われた」

鈴香が4局目を並べ始める。

ピシッ

コトン

パチン

トコッ

中盤まで進めたところで鈴香の手が止まる。
「ここでどう指すのかなあ」
馬場も「うーん」と考える。

『パソコンを買うか…』

橋田五段との対局で朝草将棋クラブの席主が、先日の対局で佐倉がノートパソコンを使って対局を分析していたのを思い出す。ネットの将棋中継でも将棋ソフトを使ってのリアルタイムの形勢分析は当たり前のものとなっている。鈴香が棋士や女流棋士になれるかどうかはともかく、将棋で上を目指すのであれば、それなりに勉強する環境が必要だろう。

そう馬場が考えて鈴香が局面を睨んでいた時に、クロが将棋盤に乗って駒をクチバシに挟んだ。
「あっ、クロ、ダメだよ」
鈴香が駒を取り上げようとしたが、クチバシで挟んだ駒を進めたクロは「クワッ」と鳴いた。
「この手の方が良いっていってるんじゃないのか?」
「そうなの?」
鈴香に聞かれたクロは「クワア」とひと鳴きして、将棋盤から離れた。

クロが示した手は馬場や鈴香にとって良さそうに見える。ただし、そこから先の手順が分からない。
「よし!パソコンを買おう!」
「ホント!100万円!」

先日、馬場と鈴香が見ていた将棋動画でプロ棋士が100万円を超えるパソコンを使っていると説明していた。

「いや、じいちゃんの財布じゃ、それは無理だ。ばあちゃんとも相談しないとな」
「…だね」
タイミング良く、鈴香の祖母がお茶とジュースを持ってくる。
「ん?何か買うの?」
言いよどむ馬場に対して、鈴香が「パソコン!」と答える。
祖母は「はあーぁ」とこれ見よがしにため息をつく。
「まあ、いつ使うか分からない駒よりは使ってくれそうだねえ」
「ばあちゃん、ありがと!」
鈴香がジュースを飲んだ。

「そうそう、今度の休みに高村八段のところに行くんだろ」
馬場は話をそらす。
「用意はできてるのか?」

富士林五段の対局後、数日置いて現役A級棋士である高村天地八段からクロとの対局の申し込みが来ていた。もちろんネットで公開を前提とした動画の収録だ。

「用意って言うよりも、これまでと変わらないでしょ」
「…それもそうか」
馬場は相手がA級八段と聞いて身構えていたが、することはこれまでと一緒だ。
クロとの対局。その前に鈴香らと指導対局をしてもらうことにもなっていた。
「あ、色紙は持って行くよ!今度はなんて書いてもらえるかなあ」

鈴香の部屋には、橋田五段、愛媛女流四段、富士林五段の色紙が飾ってある。

「あんまり無理を言わないようにな」
「はーい!」
馬場と鈴香は将棋盤に向き直った。


その頃、「クロと鈴香を守る会」の副会長である佐倉が、高村八段と当日の予定について電話をしていた。
「…と言うわけで、事前の指導対局でちょっと仕掛けをしたいんです」
「なるほどねえ」
高村はしばらく考えたものの、「分かった」と答える。
「ありがとうございます」
「いや、こっちもクロの実力は気になるし、その仕掛けでどうなるかも興味があるよ」
「じゃあ、当日はよろしくお願いします」
「うん、こちらこそお願いします」
電話を切った佐倉は「よし!」と言って拳と手のひらを打ち付けた。
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