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第三章

15 甲斐甲斐しい淫魔

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 初めて宿屋に泊まった次の日。
 マージェリィが目を覚ますと、首元までしっかりと掛布団を掛けられていた。温かな布団の中で小さく身じろぎすれば、宿屋の寝間着に着替えさせられていることに気付く。
 冒険者の服と下着は丁寧に折りたたまれて椅子の上に置かれていた。下着の替えは持ってきていないので、寝間着の中は何も身に着けていないことになる。
 部屋に視線を巡らせた途端、隣のベッドに腰掛けるレヴィメウスを発見した。昨晩されたこと、そして下着を着けずに寝間着を着せられたことが恥ずかしくて、今さら布団を目元まで引き上げて顔を隠す。すると満面の笑みを見せつけられた。

「おはよう、主」
「おはよ、レヴィメウス。私の着替えってレヴィメウスがやってくれたんだよね?」
「ああ。ぐっすり眠っていたからな。何をしても全く気付かなかったぞ」
「何をしても!?」
「ああいや、体を拭いて、着替えさせてベッドに横たわらせただけだ。決して手は……出しておらぬ」
「んん? 本当に?」
「ふ。実は、おやすみの口付けをさせてもらったのだ」
「そ、そうなんだ……」

 昨夜のことを思い出そうとしても、達した直後からの記憶が全くない。
 せっかくレヴィメウスにおやすみのキスをしてもらえたのに気付けなかったのは寂しく思った。

「今度は起きてる間にして欲しいな」
「ああ、そうだな。我もそうしていきたい。これからは毎晩必ず主が眠りに就く前に口付けを施すとしよう」

 幸せな約束ができて、たちまち胸が熱くなっていく。
 マージェリィが心のぬくもりに微笑んでいると、同じく仄かな笑みを浮かべて立ち上がったレヴィメウスがすぐ傍に腰を下ろした。顔を覗き込んできて、子を寝かしつけるように優しく頭を撫でてくる。その感触に、たちまち眠気を誘われる。

「もうちょっとだけ、寝ててもいいかな……」
「ああ。まだ退室時間まで余裕があるゆえ、眠ってしまっても構わぬぞ」
「うん、ありがと、レヴィメウス……」

 そこでまた記憶が途切れた。



 二度寝のあとは、すぐにベッドから降り立てるくらいにすっきりとしていた。
 ぐっと大きく伸びをして充分に体をほぐしてから、くるりと身を翻してレヴィメウスを見る。レヴィメウスはマージェリィが二度寝する前と同じく隣のベッドに腰掛けていた。

「今度こそおはよう! レヴィメウス!」
「ああ、おはよう、主」
「ずっと起きてたの?」
「ああ。主の寝顔を眺めていたのだ」
「えっ!」

 衝撃劇な事実を知らされて、矢庭に熱くなった頬をぱっと両手で押さえる。

「私、寝言とか言ってなかった!?」
「別段言葉は発していなかったぞ。『むにゃむにゃ』と愛らしい声は洩らしていたが」
「えええ……寝顔は変じゃなかった!?」
「まさか。実に美しかったな。思わず口付けしたくなるほどに」
「美しい!? ええええ……じゃあじゃあ、よだれ垂らしちゃってたりとかは……?」
「垂らしてはいなかったが、よしんば垂らしていたとしても主の貴重な体液は我がいただくゆえ、心配しなくてよい」
「はううう……」

 恥ずかしいことを言われて完全に目が覚める。
 マージェリィはうつむいたまま円卓に向かってその傍らに置かれた椅子から服を拾うと、まずは浄化魔法を掛けて、それからレヴィメウスと目を合わせないようにしながら着替え始めたのだった。



 昨晩は森に隠れるように指示出ししておいた御者くんたちを呼び寄せて、帰路に就く。
 馬車の窓越しに遠ざかる街を眺める。恐らくもう当分来ないか、二度と来ないかもしれない。

「いろいろあったけど、とっても楽しかったな……」

 しかし冒険者の格好をしてはいらぬ騒ぎを招いてしまうし、何よりレヴィメウスが不機嫌になってしまう。

「そうしょぼくれるな主よ。我は男どもの視線を釘付けにしてしまう主が心配なのだ。我が盾になるにせよ、全ての視線を退けるのは難しい。主は周りの者を魅了しすぎぬよう魔法で手を打てぬのか?」
「うーん。そしたらやっぱり老婆の格好が最適なのかなって思うんだよね……」

 かつて師匠に老婆への変装術を教えられて『街へ出るときは必ずこの格好をしなさいよ』と念を押されたことを思い出す。幼い頃から言われ続けていたせいでただ鵜呑みにして変装していたが、今思えばこういう事態を招くことを予見していたのかも知れない。

「やっぱり師匠はすごいんだなあ……」

 知らないうちに師匠から護ってもらえていたことを知り、マージェリィは心温まる思いを抱いたのだった。


   ◇◇◇◇


 家に到着し、まずは入りそびれていた風呂に入る。
 湯に浸かる間にも買ってきた古書が気になってしまい、早々に風呂から上がると頭にタオルを巻いたまま髪を乾かしもせずに本を開いた。

「主よ。風邪をひいてしまうぞ」
「うん……」

 分かっていても、一度本を読み始めてしまうと止められなくなる。
『一章だけ読んだら一旦やめよう』などと思いながらも夢中で読み進めているうちに、レヴィメウスが温かい茶を持ってきてくれた。
 カップの乗ったソーサーをテーブルに置いてから、主人の背後に回り込んで頭に巻いたタオルを解き、濡れ髪を挟んでぽんぽんと軽く叩き出す。

「そこまでしてくれなくていいよー」
「我は主に構いたくて仕方ないのだ。邪魔でなければ続けさせて欲しい」
「うん……」

 会話もそこそこに花の香りのする茶に口をつけ、再び本の世界に没頭する。
 その古書は調べたい植物について書かれているから買ったのだが、他の植物についての記述も興味深く、関係ない部分までも熟読してしまっていた。

 夢中で読み進めて行くうちに、お目当ての植物についてのページに辿り着いた。

「あら? これは……」

 重い本を目の前に翳したり、傾けたりして説明文を凝視する。恐らく百年は経っていると思われる古い本なだけに文字が掠れてしまっていて、どこで入手できるかという部分が読み取れなかった。

「うーん。【丘の上の花】ってことしかわかんないよ~。ここが一番知りたかったところなのに」

 思い切り紙面を顔を近付けて単語を推測しようとしても、さっぱり想像が付かなかった。

「丘ってどこの丘? どのタイミングで採取すれば効能が発揮されるの? 全っ然読めなーい!」

 マージェリィはぱたんと音を立てて本を閉じると、勢いよく立ち上がった。

「仕方ない、あの人のところへ行くか!」

 旧友の魔女の姿を思い浮かべる。色っぽいという言葉を具現化したような彼女に最後に会ったのはマージェリィが十歳にもなっていない頃だったためもう二十年以上会っていない。しかしきっと相変わらず若々しくセクシーさを保ち続けていることだろう。

 性魔法に長けている彼女ならきっとこの花について知っているはず――。
 ちょっぴり意地悪な魔女はすんなりとは教えてくれないかも知れない。しかしだからといって諦めるわけにはいかない。マージェリィは両手を握って気合いを入れると、早速旅支度を始めたのだった。 
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