18 / 27
壁顔の原因
しおりを挟む
妹に嫌われているのは知っている。邪険にされているのも。
わたしだって妹が苦手だった。距離を置いて、できるだけ関わらないようにしてきた。
それでも、だからこそ、どうすればよかったのか知りたかった。
たった一人の妹なのだ。
だから大事にしたかったのも、本当なのだ。
幼いころ、ほんの一瞬のような短いひと時、わたしたちは仲のよい姉妹であった時期があったはずだ。
記憶もおぼろげなあの一瞬、「おねえさま」と初めてわたしを呼んでくれたこの子の小さな姿を、わたしはまだ覚えている。
だけど、もうムールカはあの頃のことを覚えていないのかもしれない。
妹は歪んだ顔でわたしを睨みつけたまま、こう言った。
「見栄えがよくなったくらいで私と対等になれたとでも思いましたか、図々しい。
なぜここまでするか? 答えは簡単です。
あなたを、私の人生からなかったことにしたいから。それができないなら、もう一生絶対に会わずに、話も聞かず、知らないところで死んでいてほしいからですよ」
ムールカの言葉は、わたしにとって毒だった。
肺が痙攣したように縮んで、息がうまく吸い込めない。
息苦しくなって、わたしの背中は丸まってしまう。
シャラが、いつでも背筋を伸ばしていろ、それだけで堂々として見えるのだから、と教えてくれたのに。
「どうしてあなただけがシェンブルクの娘として扱われるんです? 勉学も、教養も、容姿だって私より秀でるところのないあなたが、どうして未来の王妃の地位を約束されているんです?
あなたは王族の一員になるのにふさわしくない。愚かで醜く、浅ましいあなたが王妃になるのなんて、この国の誰一人望んでいません」
わたしのネガティブな考えをそのまま取り出したような言葉で、ムールカはわたしに悪意を向ける。
ルールーさんに教わった通りに笑って見せようと思うのに、表情筋がこわばって動かせない。
いまのわたしはきっと、『壁顔令嬢』と呼ばれたころと同じ顔をしている。
「ああ、見苦しい。視界に入るだけで気持ちが悪い。あなたが姉であることは、私の人生の汚点です」
ムールカはわたしと逆に自信を身に纏い、間違っていることを言っているとは微塵も思っていないまっすぐな瞳で、侮蔑の視線をわたしに向ける。
王太子の婚約者という、日のあたる立場をムールカが欲しがっていることには気づいていた。
けれどそれを譲り渡すことは不可能で、だからわたしはずっとムールカの顔色を伺って生きてきた。
『見苦しいですよ、お姉さま。出しゃばらずに控えていたらどうですか』
澄んだ緑の瞳をまっすぐに向けてそう言われ、美しい妹を見て、わたしは自分の醜さを知った。
美しい容姿、優秀な頭脳、気楽な立場に嫉妬し、この子さえいなければ、と思ってしまったことも数多い。
醜いのは、外見だけじゃなくて心までもなのだと、この子を見るたび思い知る。
ムールカは、わたしの醜さを映し出すための鏡だった。
この鏡を見るたび突き付けられる自分の醜さから逃れるためにおしろいを塗り続け、
いつしかわたしは『壁顔令嬢』と呼ばれるようになった。
いつだって言ってきたし、言われてきたじゃないか。
わたしは、醜く、見苦しい。
全部ムールカの言う通りなのだ。
どうして今日だけは、この子に立ち向かえるだなんて思ったんだろう。
「そう……よね」
何が鎧だ。そんなもの、この子の前では何の役にも立たない。
やっぱり。化粧なんて無駄だったんだ。
何を調子に乗っていたんだろう。
「醜いお姉さま。私の前から早く姿を消してください。そして二度と現れないで。それだけが、私の願い。
お優しいお姉さまなら、叶えてくださいますわよね?」
ムールカがわたしに顔を寄せる。もう扇で隠されていないその顔は、天使の彫像のように愛らしい。
ムールカはそのままわたしの頭に手をかざしたかと思うと、赤く染まった爪でわたしの髪に触る。
そしてルールーさんがお守りと言って飾ってくれた天領の花をつまみ、くしゃりと潰してしまった。
頬を伝うのが花に宿っていた露なのか、それとも涙なのか、わたしにはもうわからない。
ただ、氷水の中に体を突き落とされたみたいに寒かった。
体がひどく重かった。
鼓動がうるさいほどに耳を打つ。
どんなに盛んに息を吸い込んでも苦しくてたまらない。
視界が歪み、上下左右を見失う。
自分が立っているのかどうかすらあやふやになって、
ひどい大声で叫びだしたい衝動に駆られる。
ぎりぎりで保っていた心がついに壊れたのだと思った。
感情が散り散りになって、今叫びだしたら、きっともう二度と元には戻れないような気がする。
だけど、もうそれでいいのかもしれない。
そうすればきっと気を失う。
そうすれば目覚めたとき、きっと全部終わってる。
そう、思った時だった。
「さて、これは奇妙なことね。王太子の婚約を祝うためにはせ参じれば、始まったのは婚約者の交代劇? どなたか、この道化にもわかるようにご説明いただけないかしら」
響いたのは、芝居がかった口上。焦点の定まらない視界ではその正体は見えないが、耳が声を覚えている。
「ルールーさん……」
呟くだけで、彼の姿が瞼の裏に浮かぶようだった。
あの人に、こんなわたしの姿を見せたくはない。
その一心でわたしは、崩れ落ちそうになる足に力をこめた。
わたしだって妹が苦手だった。距離を置いて、できるだけ関わらないようにしてきた。
それでも、だからこそ、どうすればよかったのか知りたかった。
たった一人の妹なのだ。
だから大事にしたかったのも、本当なのだ。
幼いころ、ほんの一瞬のような短いひと時、わたしたちは仲のよい姉妹であった時期があったはずだ。
記憶もおぼろげなあの一瞬、「おねえさま」と初めてわたしを呼んでくれたこの子の小さな姿を、わたしはまだ覚えている。
だけど、もうムールカはあの頃のことを覚えていないのかもしれない。
妹は歪んだ顔でわたしを睨みつけたまま、こう言った。
「見栄えがよくなったくらいで私と対等になれたとでも思いましたか、図々しい。
なぜここまでするか? 答えは簡単です。
あなたを、私の人生からなかったことにしたいから。それができないなら、もう一生絶対に会わずに、話も聞かず、知らないところで死んでいてほしいからですよ」
ムールカの言葉は、わたしにとって毒だった。
肺が痙攣したように縮んで、息がうまく吸い込めない。
息苦しくなって、わたしの背中は丸まってしまう。
シャラが、いつでも背筋を伸ばしていろ、それだけで堂々として見えるのだから、と教えてくれたのに。
「どうしてあなただけがシェンブルクの娘として扱われるんです? 勉学も、教養も、容姿だって私より秀でるところのないあなたが、どうして未来の王妃の地位を約束されているんです?
あなたは王族の一員になるのにふさわしくない。愚かで醜く、浅ましいあなたが王妃になるのなんて、この国の誰一人望んでいません」
わたしのネガティブな考えをそのまま取り出したような言葉で、ムールカはわたしに悪意を向ける。
ルールーさんに教わった通りに笑って見せようと思うのに、表情筋がこわばって動かせない。
いまのわたしはきっと、『壁顔令嬢』と呼ばれたころと同じ顔をしている。
「ああ、見苦しい。視界に入るだけで気持ちが悪い。あなたが姉であることは、私の人生の汚点です」
ムールカはわたしと逆に自信を身に纏い、間違っていることを言っているとは微塵も思っていないまっすぐな瞳で、侮蔑の視線をわたしに向ける。
王太子の婚約者という、日のあたる立場をムールカが欲しがっていることには気づいていた。
けれどそれを譲り渡すことは不可能で、だからわたしはずっとムールカの顔色を伺って生きてきた。
『見苦しいですよ、お姉さま。出しゃばらずに控えていたらどうですか』
澄んだ緑の瞳をまっすぐに向けてそう言われ、美しい妹を見て、わたしは自分の醜さを知った。
美しい容姿、優秀な頭脳、気楽な立場に嫉妬し、この子さえいなければ、と思ってしまったことも数多い。
醜いのは、外見だけじゃなくて心までもなのだと、この子を見るたび思い知る。
ムールカは、わたしの醜さを映し出すための鏡だった。
この鏡を見るたび突き付けられる自分の醜さから逃れるためにおしろいを塗り続け、
いつしかわたしは『壁顔令嬢』と呼ばれるようになった。
いつだって言ってきたし、言われてきたじゃないか。
わたしは、醜く、見苦しい。
全部ムールカの言う通りなのだ。
どうして今日だけは、この子に立ち向かえるだなんて思ったんだろう。
「そう……よね」
何が鎧だ。そんなもの、この子の前では何の役にも立たない。
やっぱり。化粧なんて無駄だったんだ。
何を調子に乗っていたんだろう。
「醜いお姉さま。私の前から早く姿を消してください。そして二度と現れないで。それだけが、私の願い。
お優しいお姉さまなら、叶えてくださいますわよね?」
ムールカがわたしに顔を寄せる。もう扇で隠されていないその顔は、天使の彫像のように愛らしい。
ムールカはそのままわたしの頭に手をかざしたかと思うと、赤く染まった爪でわたしの髪に触る。
そしてルールーさんがお守りと言って飾ってくれた天領の花をつまみ、くしゃりと潰してしまった。
頬を伝うのが花に宿っていた露なのか、それとも涙なのか、わたしにはもうわからない。
ただ、氷水の中に体を突き落とされたみたいに寒かった。
体がひどく重かった。
鼓動がうるさいほどに耳を打つ。
どんなに盛んに息を吸い込んでも苦しくてたまらない。
視界が歪み、上下左右を見失う。
自分が立っているのかどうかすらあやふやになって、
ひどい大声で叫びだしたい衝動に駆られる。
ぎりぎりで保っていた心がついに壊れたのだと思った。
感情が散り散りになって、今叫びだしたら、きっともう二度と元には戻れないような気がする。
だけど、もうそれでいいのかもしれない。
そうすればきっと気を失う。
そうすれば目覚めたとき、きっと全部終わってる。
そう、思った時だった。
「さて、これは奇妙なことね。王太子の婚約を祝うためにはせ参じれば、始まったのは婚約者の交代劇? どなたか、この道化にもわかるようにご説明いただけないかしら」
響いたのは、芝居がかった口上。焦点の定まらない視界ではその正体は見えないが、耳が声を覚えている。
「ルールーさん……」
呟くだけで、彼の姿が瞼の裏に浮かぶようだった。
あの人に、こんなわたしの姿を見せたくはない。
その一心でわたしは、崩れ落ちそうになる足に力をこめた。
0
あなたにおすすめの小説
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
冷遇され続けた私、悪魔公爵と結婚して社交界の花形になりました~妹と継母の陰謀は全てお見通しです~
深山きらら
恋愛
名門貴族フォンティーヌ家の長女エリアナは、継母と美しい義妹リリアーナに虐げられ、自分の価値を見失っていた。ある日、「悪魔公爵」と恐れられるアレクシス・ヴァルモントとの縁談が持ち込まれる。厄介者を押し付けたい家族の思惑により、エリアナは北の城へ嫁ぐことに。
灰色だった薔薇が、愛によって真紅に咲く物語。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!
沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。
それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。
失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。
アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。
帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。
そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。
再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。
なんと、皇子は三つ子だった!
アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。
しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。
アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。
一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる